学位論文要旨



No 119321
著者(漢字) 岡崎,由希子
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,ユキコ
標題(和) インスリン分泌におけるAMPキナーゼの役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 119321
報告番号 甲19321
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2295号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 大西,真
 東京大学 講師 野田,泰子
内容要旨 要旨を表示する

<目的>

5'-AMP-activated protein kinase (AMPキナーゼ:AMPK)はAMP等によって活性化されるセリン・スレオニンキナーゼである。AMPKはα、β、γの3つのサブユニットから構成されておりAMPKαサブユニットの172番目のアミノ酸であるスレオニン (Thr172) がリン酸化されることで活性化するといわれている。細胞内のAMPレベルが増加するとAMPKは活性化し、ATPを消費するような代謝経路(たとえば同化作用)は抑制され、一方脂肪酸酸化やグルコースの利用は促進されATPの合成方向に体内の代謝反応は進み、この結果生体内の代謝は変化しATP産生が促される。このような機能を持つAMPKは細胞内エネルギー代謝の metabolic sensor として機能しているともいわれている。

AMPKは2型糖尿病の病態に重要な臓器である肝臓や骨格筋において糖質・脂質代謝を強力に制御していることが知られている。たとえば骨格筋においては、運動などによってATP/AMPが低下するとAMPKの活性は上昇し、骨格筋内への糖の取り込みを促進させる。またアセチルCoAカルボキシラーゼ(ACC)の活性を低下させることにより脂肪酸酸化を亢進させる。

膵β細胞においてはAMPKがインスリンの合成・分泌の調節に関与していると報告されているがまだ十分に解明されていない点も多い。今回私は膵β細胞由来細胞株に、AMPKα1サブユニットの不活性型変異体 (dominant negative form) を過剰発現させAMPKの活性を低下させた系において、膵β細胞のインスリン分泌機能に検討を加えた。

<研究方法>

AMPKα1サブユニットの157番目のアミノ酸をアスパラギン酸からアラニンに置換した変異体は、dominant negative 効果を発揮することが既に報告されている。ラット由来の膵β細胞株であるINS-1D細胞に、アデノウィルスベクターを用いてこの変異体AMPKα1-DN(Asp157Ala)を過剰発現させてAMPKα1の活性が低下した系にて、ACCのリン酸化に対する検討、細胞内脂肪含量、脂肪酸酸化、グルコース酸化、ATP/ADP、細胞質内Ca2+濃度、細胞内インスリン含量、インスリン分泌量の解析を行った。コントロールとしてアデノウィルスベクターによりLacZを過剰発現させた細胞を用いた。

<結果と考察>

AMPKα1-DNの過剰発現によるAMPK活性の低下に関しては、抗AMPKαリン酸化抗体の発現の低下により確認した。またAMPKのリン酸化の基質の一つであるACCのリン酸化レベルの低下も確認した。ACCがAMPKによってリン酸化されると、ACCの活性が低下しマロニルCoA量が低下し、これによってCPT-1の抑制が解除されて脂肪酸酸化が亢進ずる。ACCはリン酸化レベルが低下すると活性は増加するので、AMPKα1-DNの過剰発現によりACCの活性は増加したと考えられる。

細胞内中性脂肪含量に関しての検討では、AMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比べ46%増加していた。ACCの活性の増加に伴う脂肪酸酸化の低下に加え、ACC活性化による新規の脂肪合成の増大も関与している可能性があると思われる。

グルコース酸化に関する検討では、0.1mMグルコースの下でのグルコース酸化量はAMPKα1-DN感染細胞にてLacZ感染細胞と比べ73%に減少していた。また、30mMグルコースの下でもAMPKα1-DN感染細胞のグルコース酸酸化量はコントロールと比べ79%に減少していた。

脂肪酸酸化に関する検討では、0.1mMグルコースの下でのパルミチン酸酸化量はAMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比べ81%に減少していた。また30mMグルコースの下でもAMPKα1-DN感染細胞のパルミチン酸酸化量はコントロールと比べ75%に減少していた。これはACC活性が増加したことによるマロニルCoAの増加に伴い、ミトコンドリア膜上のCPT-1が抑制されたことが原因と考えられる。

ATP/ADPに関する検討では、AMPKα1-DN感染細胞にてLacZ感染細胞と比べ低下している結果となった。これはグルコース酸化の低下が一因と考えられる。

細胞質内Ca2+濃度に関する検討では、細胞質内Ca2+濃度は30mMグルコース刺激にてAMPKα1-DN感染細胞にてLacZ感染細胞と比べ低下している結果となった。AMPKα1-DN感染細胞ではATP/ADPが低下していたが、このことがKATPチャネル、Ca2+チャネルを介する細胞質内Ca2+濃度の上昇の抑制の一因と考えられる。一方、KClによる脱分極刺激、またインスリン分泌刺激剤であるスルフォニル・ウレア薬の一種である Glibenclamide による刺激においては、AMPKα1-DN感染細胞とLacZ感染細胞で差は認められなかった。

開口分泌機構に関する検討では、AMPKα1-DN感染細胞にてSNAP-25の蛋白量の低下を認めた。

細胞内のインスリン含量に関する検討では、AMPKα1-DN感染細胞とLacZ感染細胞とで有意差は認められなかった。また、インスリンmRNA量をノーザンブロッティングで検討したがこちらでも有意差は認めなかった。

インスリン分泌に関する検討では、0.1mMグルコースでの刺激においてはAMPKα1-DN感染細胞とLacZ感染細胞とは差を認めなかった一方、30mMグルコースで60分間刺激した際のインスリン分泌は、AMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比較して78%に減少していた。これは細胞内のATP/ADPが減少したことによる細胞質内Ca2+濃度の上昇の抑制が一因であると考えられた。KClによる脱分極刺激、Glibenclamide を投与した際のインスリン分泌においてもAMPKα1-DN感染細胞はLacZ感染細胞と比較してインスリン分泌は各々70%、84%に低下していた。(6)で述べたようにどちらの刺激でも細胞質内Ca2+濃度はAMPKα1-DN感染細胞とlacZ感染細胞で有意差はなかった。すなわち、これらの刺激によるインスリン分泌の低下は細胞質内へのCa2+流入以降のインスリン顆粒の開口放出機構の変化によるものと考えられる。SNAP-25の蛋白量の低下がこの原因の一つの可能性は考えられる。

インスリン分泌能力の低下の原因の一つとして脂肪毒性 (lipotoxicity) という概念がある。脂肪毒性とは、あるいは脂質が膵β細胞に過剰に持続的に存在することでインスリン分泌機構が機能的、アポトーシスなど器質的に障害されることを意味する。本研究ではAMPKの活性を低下させることにより、脂肪酸のβ酸化が低下し細胞内中性脂肪が増加していた。この中性脂肪の蓄積が、インスリン分泌低下の原因になっていることも考えられる。先に述べた開口放出機構の機能の変化に関しても、AMPKの不活性化による脂肪毒性が関与している可能性が考えられる。

<まとめ>

膵β細胞のAMPKの活性を低下させた系においてインスリン生合成を減少させることなくインスリン分泌が障害されることが示された。本研究の結果から考えると、AMPKはインスリン分泌を上昇させる作用があると考えられる。AMPKはACCの活性を低下させることにより脂肪酸β酸化、グルコース酸化を促進させ、これに伴うATP/ADPの上昇、細胞質内Ca2+濃度の上昇を介してインスリン分泌を促進させることが予想される。また脂肪毒性が起こりにくい方向に細胞内の環境を導くことによって、脂肪毒性によるインスリン分泌の低下を防ぐ可能性も考えられる。

一方、従来AMPKがプレプロインスリン遺伝子の発現を抑制しインスリン分泌の抑制に働くという報告があるが、本研究ではインスリンmRNA量の変化は認められずこの経路を確認できなかった。今後の研究課題としていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

AMP-activated protein kinase (AMPキナーゼ:AMPK)はその活性が上昇することにより、骨格筋や肝臓での脂肪酸酸化を促進し、また肝臓での糖新生抑制、骨格筋における糖取り込みの促進などの作用を持つことから、2型糖尿病治療薬の新たな分子標的として最近注目されてきている。膵β細胞においてはAMPKがインスリンの合成・分泌の調節に関与していると報告されているが、まだ十分に解明されていない点も多い。本研究は膵β細胞由来細胞株のINS-1D細胞に、AMPKα1サブユニットの不活性型変異体 (dominant negative form) を過剰発現させAMPKの活性を低下させた系において、膵β細胞のインスリン分泌機能に検討を加えたものであり、下記の結果を得ている。

不活性型AMPKの作製

AMPKα1サブユニットの157番目のアミノ酸をアスパラギン酸からアラニンに置換した変異体 (AMPKα1-DN) は dominant negative 効果をもつことが報告されている。この変異体にc-mycのタグをつけアデノウィルスベクターを用いてINS-1D細胞に24時間感染させた。コントロールとしてはLacZを組み込んだアデノウイルスを24時間感染させた細胞を用いた。感染後の細胞蛋白をウエスタンブロッティングすると、抗c-myc抗体によるブロッティングではAMPKα1-DN感染細胞のみにc-mycのバンドを認め、AMPKα1-DNが細胞内で発現していることが確認された。またAMPKの活性化の指標としてAMPKのリン酸化を検討したところ、AMPKα1-DN感染細胞にてAMPKのリン酸化の低下を認めた。これらの結果から、AMPKα1-DNを感染させたINS-1D細胞ではAMPKが不活性化していることが確認された。この細胞を用いて以下の実験を行った。

不活性型AMPKのグルコース応答性インスリン分泌への影響

インスリン分泌刺激試験においては、0.1mMグルコースの下においてはAMPKα1-DN感染細胞とLacZ感染細胞とは差を認めなかった。一方、30mMグルコースで60分間刺激した際のインスリン分泌は、AMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比較して78%に減少していた。グルコース酸化の検討では30mMグルコースの下ではAMPKα1-DN感染細胞のグルコース酸酸化量はコントロールと比べ79%に減少していた。ATP/ADPは30mMグルコースの下ではAMPKα1-DN感染細胞はコントロールと比べ78%に減少していた。細胞質内Ca2+濃度はAMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比べ30mMグルコースの刺激による上昇が抑制されている結果となった。細胞内のインスリン含量、インスリンmRNA量はAMPKα1-DN感染細胞とコントロールで有意差は認めず、不活性型AMPKはインスリンの生合成に影響を及ぼしていないと考えた。AMPKの不活性化によりグルコース応答性インスリン分泌の低下を認めたが、これはグルコース酸化の低下によりATP/ADPが低下したことによる細胞質内Ca2+濃度の上昇の抑制が一因であると考えられた。

不活性型AMPKの脂質代謝への影響

ウエスタンブロッティングでACCのリン酸化レベルを検討した結果、不活性型AMPK感染細胞ではACCはリン酸化レベルが低下しており、すなわちACCの活性は増加していると考えられた。パルミチン酸酸化に関しての検討では、0.1mMグルコースの下でのパルミチン酸酸化量はAMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比べ81%に減少していた。また30mMグルコースの下でもAMPKα1-DN感染細胞のパルミチン酸酸化量はコントロールと比べ75%に減少していた。細胞内中性脂肪含量に関しての検討では、AMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞と比べ46%増加していた。AMPKの不活性化により、ACCの活性が増加したことによるマロニルCoAの増加に伴い、ミトコンドリア膜上のCPT-1が抑制されたことで、脂肪酸β酸化の低下し、細胞内中性脂肪含量が増加したと考えられた。

不活性型AMPKの脱分極刺激及びSU薬によるインスリン分泌への影響

脱分極刺激によるインスリン分泌試験では、50mM KCl下ではAMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞に比べ70%にインスリン分泌量は低下していた。SU薬によるインスリン分泌試験では5μMグリベンクラミド下にて、AMPKα1-DN感染細胞ではLacZ感染細胞に比べ84%にインスリン分泌量は低下していた。細胞質内Ca2+濃度は50mM KCl、5μMグリベンクラミドのいずれの刺激にてもAMPKα1-DN感染細胞とLacZ感染細胞で有意差は認めなかった。開口分泌機構に関する検討では、AMPKα1-DN感染細胞にてSNAP-25の蛋白量の低下を認めた。すなわちこれらの刺激によるインスリン分泌の低下は細胞質内へのCa2+流入以降のインスリン顆粒の開口放出機構の変化によるものと考えられた。そしてSNAP-25の蛋白量の低下がこの原因の一つの可能性と考えられる。

インスリン分泌能の低下の原因の一つとして脂肪毒性という概念があるが、本研究ではAMPKの活性を低下させることにより脂肪酸酸化が低下し細胞内中性脂肪含量が増加しており、この中性脂肪の蓄積が、グルコース酸化の低下、開口放出機構の障害、の原因である可能性が考えられる。また開口放出機構の障害はグルコース刺激時のインスリン分泌の抑制の一因ともなっていると考えられる。

以上、本論文は膵β細胞由来細胞株であるINS-1D細胞において、AMPKの活性を低下させることでインスリン分泌が低下する機序を示しており、膵β細胞とAMPKとの関連の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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