学位論文要旨



No 119337
著者(漢字) 佐藤,詩子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ウタコ
標題(和) 転写因子異常による小児期発症遺伝性疾患の分子生物学的解析
標題(洋)
報告番号 119337
報告番号 甲19337
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2311号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 講師 小島,俊行
内容要旨 要旨を表示する

私は、小児期に発症する遺伝性疾患の転写因子病で、常染色体劣性遺伝形式をもつ autoimmune polyendocrinopathy candidiasis ectodermal dystrophy (APECED)、および、常染色体優性遺伝形式をもつ Nail-patella 症候群の2つの疾患を経験した。それぞれの患者での原因転写因子の解析は、その転写因子の機能を理解する上で重要な情報となり、ひいては、疾患の発症メカニズムの解明、治療法の開発につながっていくと考えられた。従って本研究では、これらの疾患の患者について、原因とされる転写因子の遺伝子解析を行い、それぞれにおいて新規の遺伝子変異を同定した。また、Nail-patella症候群については、その変異蛋白の機能解析を施行した。

Autoimmune polyendocrinopathy candidiasis ectodermal dystrophy(APECED)[MIM#240300]はまれな常染色体劣性の遺伝性疾患であり、(1)副腎皮質不全(アジソン病)、(2)副甲状腺機能低下症、(3)慢性皮膚粘膜カンジダ症を3主徴とする。また、それらに加えて、1型糖尿病、原発性性腺機能不全、甲状腺機能低下症、慢性胃炎、肝炎、悪性貧血、脱毛症や白斑などの外胚葉形成不全を呈することがある。その原因遺伝子は autoimmune regulator gene(AIRE)と名付けられている。これまでに、APECED 患者の約85%において、両側のアリルにAIRE遺伝子の変異が認められている。AIRE 遺伝子は21染色体21q22.3上にあり、ゲノム全長は約13kbpで、14個のエクソンより成る。今日までに、APECED患者において、40以上のAIRE遺伝子の変異が報告されているが、日本人には非常にまれである。日本人でのAPECEDの正確な発生頻度はわかってはいない。今回、一人の日本人のAPECED患者を経験し、PCR-直接シークエンス法を用いてAIRE遺伝子の解析を施行したところ、複合ヘテロ接合体変異が発見された。1つめの変異は、exon 11において1344番目のCが欠失し、TTが挿入されている変異 (1344delCinsTT) であった (AIRE cDNA の核酸ナンバーおよび変異表記法はden Dunnnen and Antonarakis(2001)によっている)。この1344delCinsTT変異のよって、コドン449にフレームシフトを来たし、コドン503にストップコドンを生じてしまうため、C末端側を失った502アミノ酸の変異蛋白が生成し、正常な AIRE 蛋白機能をもたないと推定された。2つめの変異は、exon 11とintron 11の境界から+1に位置する塩基gがaに置換する変異 (IVS11+1g>a) であった。この変異はexon 11のエクソンイントロン境界における"gt-ag rule"を破壊し、AIRE 転写のスプライシング過程が障害され、exon 11を失ったRNAがスプライスされることが予想され、コドン427以降がフレームシフトした異常なC末端をもつAIRE蛋白が生成し、正常な機能を持たないと推定された。この症例の二つのAIRE遺伝子変異は今までに報告のない新しいものである。APECED日本人患者でのAIRE遺伝子変異のホットスポットを明らかにするためには、より多くの日本人患者のAIRE遺伝子解析が必要となると考えられた。

Nail-patella 症候群(NPS,爪膝蓋骨症候群)[MIM #161200]は、常染色体優性遺伝による疾患であり、爪の形成不全、膝蓋骨の欠損または低形成、腸骨後側面の角状突起(iliac horn)、肘関節の異常などの骨関節障害を主徴とし、しばしば開放隅角緑内障をはじめとする眼の異常や、腎症を合併する。1998年に、LMX1B遺伝子が、Nail-patella症候群の責任遺伝子であることが判明した。ヒトLMX1B蛋白は、372アミノ酸から成り、LIM-homeodomain 蛋白(LIM-HD 蛋白)といわれる転写因子ファミリーに属する蛋白である。LMX1B遺伝子はexon 1からexon 8からなる。現在までに、Nail-patella症候群患者において80以上の異なるLMX1B遺伝子変異が報告されている。変異は、exon 2にもつとも多く、続いて exon 3、exon 4、exon 5に認められ、exon 1、exon 6, exon 7, exon 8に存在する変異の報告はない。本邦での報告例はないため、日本人においてはどのようなLMX1B遺伝子変異が存在するかは不明である。今回、私は、日本人の Nail-patella 症候群患者3症例の LMX1B 遺伝子解析を行った。LMX1B 遺伝子のPCR-直接シークエンス法を用いて変異のみられなかった症例に対しては、サザンブロット解析を行った。その結果、症例1では、exon 5内に6bp欠失がヘテロ接合体で認められた。この6bp欠失変異によりアミノ酸246Asn,247Glnが欠失した変異蛋白(Δ246N,247Q)が産生されると推定された。症例2においては、LMX1B遺伝子の各エクソンおよび各エクソンイントロン境界に、変異は認められず、サザンブロット解析を施行したが、コントロールと同様のフラグメントのみが検出されたため、LMX1B 遺伝子 exon1-5 部分に大きな欠失や挿入はないと考えられた。症例3では、exon 5内にG→Cとなる点置換変異がヘテロ接合体で認められた。この点置換変異により、242番のアミノ酸ValがLeuに置換する変異蛋白(V242L)が産生されると考えられた。Δ246N,247Qおよび V242L は、新規の変異であった。日本人の LMX1B 遺伝子解析は本研究が初めてであり、日本人の Nail-patella 症候群患者でどのような変異が存在するかについては、今後の解析の蓄積が必要と考えられた。また、今回変異の認められなかった症例2については、LMX1B 遺伝子のプロモーター部分の変異やイントロン部分の変異、あるいは、LMX1B 遺伝子に関わる他の遺伝子の変異の可能性が考えられた。

次に、変異 LMX1B 蛋白の機能解析をするため、LMX1B-Δ246N,247Q, LMX1B-V242L を組み込んだプラスミドを真核細胞cos7 内に強制発現し、ラットインスリンプロモーター(Far/FLAT)に対する転写活性を wild type LMX1B と比較したところ、LMX1B-Δ246N,247Q,LMX1B-V242L においては、転写活性が消失していた。また、Far/FLAT配列をプローブに用いたゲルシフトアッセイにより、LMX1B-Δ 246N,247QおよびLMX1B-V242Lの DNA 結合能を、wild type LMX1B と比較したところ、明かなDNA結合能の低下を認めた。従って、LMX1B-Δ246N,247Qおよび LMX1B-V242L の転写活性の消失は、DNA 結合能が失われたため生じていると考えられた。これらのことにより、機能欠失型変異Δ246N,247Qおよび V242L が、Nail-patella 症候群の発症原因であると考えられた。Δ246N,247Q およびV242Lはともに、LMX1B homeodomain の第3 helix に存在するが、LMX1B の転写活性能にとって、homeodomain が欠くことの出来ない部分であると考えられた。次に変異蛋白の dominant negative 効果の有無を評価することを目的として、cos7内でwild type LMX1Bと LMX1B-Δ246N,247Q あるいは LMX1B-V242 を同時に強制発現した。その結果、cos7 内では wild type LMX1B の転写活性能は、LMX1B-Δ246N,247Q あるいはLMX1B-V242L の同時発現の有無に影響されなかった。また、これらの変異蛋白は、ゲルシフトアッセイにおいては、wild type LMX1B の DNA 結合能に影響を与えなかった。これらのことから、LMX1B-Δ246N,247Qおよび LMX1B-V242L は、dominant-negative 作用を持つ可能性は低いと考えられたが、このことを証明するには、本来の LMX1B 発現細胞における転写活性解析を行うことが必要と考えられた。今後、LMX1B の発現部位における機能、あるいは LMX1B に関わる因子について、さらなる研究が進むことにより、Nail-patella 症候群における腎障害や緑内障発症の機序の解明とそれらの発症予防につながっていくことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、小児期に発症する遺伝性疾患の転写因子病で、日本人では非常にまれである2つの疾患autoimmune polyendocrinopathy candidiasis ectodermal dystrophy (APECED)、および、Nail-patella 症候群について、日本人での原因遺伝子変異を明らかにするため、患者の遺伝子解析を施行した。また、Nail-patella 症候群については、変異蛋白がどのような機序で疾患をひきおこしているかを知ることを目的として、変異蛋白の転写活性の解析および、DNA結合能の解析を施行し、以下の結果を得ている。

日本人のAPECED患者で、PCR-直接シークエンス法を用い、AIRE遺伝子の解析を施行したところ、新規の複合ヘテロ接合体変異が発見された。1つめの変異は、exon 11において1344番目のCが欠失し、TTが挿入されている変異 (1344delCinsTT) であり、2つめの変異は、exon 11とintron 11の境界から+1に位置する塩基gがaに置換する変異 (IVS11+1g>a) であった。今回同定した二つのAIRE遺伝子変異は今までに報告のない新しいものであり、これらの変異により産生が予想される蛋白は、正常な機能を持たないと推定された。

日本人の Nail-patella 症候群患者3症例のLMX1B遺伝子解析をPCR-直接シークエンス法を用いて行った。その結果、症例1では、exon 5内に6bp欠失がヘテロ接合体で認められた。この6bp欠失変異によりアミノ酸246Asn, 247Glnが欠失した変異蛋白(Δ246N,247Q)が産生されると推定された。症例2においては、LMX1B遺伝子の各エクソンおよび各エクソンイントロン境界に、変異は認められなかった。症例3では、exon 5内にG→Cとなる点置換変異がヘテロ接合体で認められた。この点置換変異により、242番のアミノ酸ValがLeuに置換する変異蛋白(V242L)が産生されると考えられた。Δ246N,247Q変異およびV242L変異は新規の変異であった。

PCR-直接シークエンス法にてLMX1B遺伝子に変異の認められなかった症例2においては、サザンブロット解析を施行したが、コントロールと同様のフラグメントのみが検出された。従って、LMX1B遺伝子exon1-5部分に大きな欠失や挿入はないと考えられた。

変異LMXlB蛋白の機能解析をするため、LMX1B-Δ246N,247Q,LMX1B-V242Lを組み込んだプラスミドを真核細胞cos7内に強制発現し、ラットインスリンプロモーターに対する転写活性を wild type LMX1Bと比較したところ、LMX1B-Δ246N,247Q,LMX1B-V242Lにおいては、転写活性が消失していた。また、ゲルシフトアッセイにより、LMX1B-Δ246N,247QおよびLMX1B-V242LのDNA結合能を、wild type LMX1Bと比較したところ、明かなDNA結合能の低下を認めた。従って、LMX1B-Δ246N,247QおよびLMX1B-V242Lの転写活性の消失は、DNA結合能が失われたために生じていることが示された。これらのことにより、機能欠失型変異Δ246N,247QおよびV242Lが、Nail-patella 症候群の発症原因であると判明した。

cos7内において、wild type LMX1Bの転写活性能は、LMX1B-Δ246N,247QあるいはLMX1B-V242Lの同時発現の有無に影響されなかった。またこれらの変異蛋白は、ゲルシフトアッセイにおいては、wild type LMX1BのDNA結合能に影響を与えなかった。これらのことから、LMX1B-Δ246N,247QおよびLMX1B-V242Lは、dominan-negative 作用を持つ可能性は低いことが考えられた。

以上、本論文は、日本人では大変まれであり、日本人での解析の報告がほとんどなかった転写因子病である、autoimmune polyendocrinopathy candidiasis ectodermal dystrophy(APECED)、および、Nail-patella 症候群について、新規の遺伝子変異を同定した。また、Nail-patella 症候群については、変異蛋白の機能解析により、転写因子LMX1Bの機能喪失変異により、疾患が生じていることを明らかにした。本研究は、これらの疾患についての日本人の遺伝子診断や患者家系の長期的フォローのために、日本人症例の解析を蓄積するという点で非常に意義があると同時に、これらの転写因子の機能の解明および疾患の発症メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与にあたいするものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク