学位論文要旨



No 119340
著者(漢字) 石川,智子
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,トモコ
標題(和) 着床におけるトロホブラスト侵入能の調節機構について
標題(洋)
報告番号 119340
報告番号 甲19340
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2314号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 講師 井上,聡
 東京大学 講師 高見澤,勝
内容要旨 要旨を表示する

生殖医療においては,排卵誘発療法の進歩や体外受精・胚移植,顕微受精などの開発に伴い,排卵障害,卵管障害,男性因子に起因する不妊症に対する治療成績は著しく改善されてきた.しかし,着床障害に関しては未だ有効な治療法が存在しない.この一因は,着床現象に関する基礎的知識が不十分であることによる.

着床の過程は,胚と子宮内膜との相互作用に基づいて時間的・空間的に制御されており,胚,子宮,各々の生理とその相互作用の両者を考慮しなければ理解し得ない.我々はこのような観点から着床機序に関する研究を進め,以下の知見から,着床現象における胚-子宮内膜相互作用においてレチノイドが何らかの役割を演じている可能性に着目した.

ビタミンAおよびその類縁体であるレチノイドは視覚,生殖機能,免疫能の維持,上皮組織の分化と成育,さらに形態形成など多彩な生理作用を担っている.その生理活性の本体はレチノイン酸であり,レチノイン酸受容体は子宮内膜およびトロホブラストに存在し,レチノイン酸作用の標的となり得ることが確認されている.

また、レチノールから生理活性物質であるレチノイン酸への転換において律速酵素となるアルコール脱水素酵素(ADH)クラスIおよびクラスIVが子宮に存在することが報告されており,子宮局所でレチノイン酸が合成されることが推察される.

さらに,1977年にレチノールの貯蔵を担っている伊東細胞(stellate cell, fat forming cell, lipocyte)が肝臓以外にも存在することが示唆され,その報告では子宮にもレチノールの取り込みが認められたとの記載があることから,子宮局所においてもレチノイン酸の前駆物質が貯蔵されている可能性がある.

以上より,着床期子宮内膜局所においてホルモンや増殖因子の制御下にレチノイン酸が合成され,子宮内膜あるいは胚に対して何らかの影響を及ぼしているのではないかと考えた.この仮説を検証するため本研究に着手した.

まず、ヒト子宮内膜組織における伊東細胞の存在を確認するため,抗α-SMA抗体による免疫組織染色を行った.その結果,子宮内膜間質において,血管平滑筋とは別に散在するα-SMA陽性細胞が認められたが,増殖期および分泌期のα-SMA陽性細胞の数を比較したところ,統計学的に有意な差を認めなかった.α-SMAは伊東細胞の活性化状態によらず存在するので,この結果は月経周期における伊東細胞の活性化状態の変化を示すものではない.レチノイン酸の増加する分泌期において,伊東細胞が活性化され,レチノールを放出するか否かについては興味のあるところであり,今後の検討が必要である.

また,マッソン染色により,α-SMA陽性細胞は膠原線維に富んだ子宮内膜間質に散在することが明らかとなり,膠原線維産生に関与している可能性が示唆された.肝臓において伊東細胞はレチノールの貯蔵,放出と細胞外マトリックスの産生,分泌に関わっており,病理学的には,肝細胞の障害により活性化されたKupffer細胞から分泌されたTGFβ, PDGF, IGF-1などによって,伊東細胞が活性化されて肝組織の再構築が行われると考えられている.一方,子宮内膜においても,TGFβ, PDGF, IGF-1などは細胞増殖,分化,血管新生,免疫制御など多様な作用を有していることが知られており,肝臓の伊東細胞の機能調節におけるこれらのサイトカインの作用からみて,子宮内膜伊東細胞も類似した機能調節を受けている可能性が推察される.

電子顕微鏡による観察では,子宮内膜間質に脂肪滴含有細胞が認められた.その分布は免疫組織染色によるα-SMA陽性細胞の分布と類似しており,子宮内膜間質に肝の伊東細胞と同様の脂肪貯蔵細胞が存在することが示唆されたが,子宮伊東細胞のほうが肝伊東細胞に比して,脂肪含有量が少なかった.

以上の組織学的検討から,子宮内膜間質には,全身のレチノール貯蔵の主体となる肝臓に比較すると量は少ないものの,局所におけるレチノール貯蔵を担っている可能性のある伊東細胞が存在することが示唆された.

次に,ADHの各サブタイプの組織分布を明らかにするため,RT-PCRによりラット各種組織におけるADHのmRNA発現を分析した.その結果,子宮においてADHクラスIのmRNAが優位に発現し,ADHクラスIVの転写活性はRT-PCRによる検出感度以下であった.In situハイブリダイゼーションではADHクラスIの局在はラット子宮組織の子宮内膜間質細胞に限られ,内膜上皮や筋層細胞には認めなかった.これまでに,Angらがマウスを用いてADHクラスIおよびクラスIVの発現,局在を報告しており,我々の結果と一致していた.

また,エストロゲンとプロゲステロンによるADHクラスIの発現調節機構を解明するために,卵巣摘出ラットにこれらのホルモンを投与し,子宮におけるADHクラスIの転写および活性の定量によってこれらのホルモンの効果を検討した.まず,ノーザンブロットによる検討では,プロゲステロン投与後48時間の子宮においてADHクラスI転写がコントロール群に比して210%に上昇していたが,エストロゲン投与のみでは効果が認められなかった.そこで,エストロゲンおよび/またはプロゲステロン投与後48時間のラット肝臓および子宮の組織抽出液を用いてADH活性を測定した.コントロール群,エストロゲン単独投与群およびエストロゲン・プロゲステロン投与群の子宮組織抽出液中のADH活性を,反応時間15分で比較したところ,ラット子宮におけるADH活性はプロゲステロン投与によりコントロール群の190%に上昇していたが,エストロゲン単独投与では変化は認められなかった.以上より,子宮には肝臓と同様,レチノイン酸の合成において律速酵素となるADHクラスIが優位に発現しており,かつ,妊卵の子宮内膜への着床の場となる分泌期子宮内膜を誘導するプロゲステロンがADHクラスIの発現を促進することが明らかとなった.

さらに、妊娠初期トロホブラストの細胞増殖能に対するレチノイン酸の作用を検討した.トロホブラスト培養系にレチノイン酸を10-10M, 10-9M, 10-8M, 107-M, ,10-6Mの濃度で添加後,48時間の細胞数には添加したレチノイン酸各濃度で差を認めなかった.また,同様のレチノイン酸添加培養系において,MTTアッセイによっても,添加したレチノイン酸各濃度による細胞増殖能への有意な影響は認めなかった.

着床においてトロホブラストの子宮内膜への侵入に重要な役割を演ずる主なプロテアーゼおよびそのインヒビターとして, MMP-2, MMP-3, MMP-9, TIMP-1, TIMP-2, TIMP-3, uPA,PAI-1が知られている.そこで,ヒトトロホブラスト培養系におけるこれらのプロテアーゼおよびインヒビターのmRNA発現に対するレチノイン酸の作用を,定量的RT-PCRにより検討したところ,MMP-2, MMP-3, TIMP-1, TIMP-2, TIMP-3, uPA, PAI-1の各々のmRNA発現は,レチノイン酸添加により有意な変化を認めなかった.一方,MMP-9のmRNA発現は,添加したレチノイン酸濃度10-10M, 10-9M, 10-8M, 10-7M,10-6Mで,各々90.0%, 50.1%, 30.0%, 33.1%, 13.5%と減少しており,10-9M以上の濃度では統計的に有意に抑制されていた(p=0.002).そこで,レチノイン酸を10-10M, 10-9M, 10-8M, 10-7M, 10-6Mの濃度で添加したトロホブラスト培養上清中のMMP-2, MMP-3, MMP-9の活性について,ザイモグラフィーにより分析した.レチノイン酸添加48時間後の培養上清中MMP-2の活性は添加したレチノイン酸各濃度により影響を受けなかったが,MMP-9活性は添加したレチノイン酸が高濃度であるほど低いことが明らかとなった.培養上清中のMMP-3の活性はザイモグラフィーの感度以下であり,確認できなかった

以上の結果より,レチノイン酸は,着床期〜妊娠初期においてトロホブラストの子宮内膜への侵入に重要な役割を演ずる各種プロテアーゼおよびそのインヒビターのうちで,MMP-9の発現を特異的に抑制することが明らかとなった.

トロホブラストが子宮内膜に侵入する現象には,プロテアーゼによるコラーゲンやフィブロネクチン,ラミニンなどの細胞外マトリックススの破壊を伴うが,悪性細胞の浸潤とは異なり,無制限の侵入が巧妙に制御されている必要がある.この過程において深く関与しているのがMMP-2およびMMP-9といわれており,本研究においてもこの両者の発現は確認されたが,MMP-3の発現は極めて低いレベルであった.一方,子宮内膜において月経周期に伴う組織再構築の際に主に働くMMPはMMP-3, MMP-7, MMP-11である.Osteenらは子宮内膜におけるMMP-3, MMP-7, MMP-11の発現をプロゲステロンが抑制することを報告し,この抑制作用は,プロゲステロンの刺激によって子宮内膜上皮細胞から産生される.TGFβやレチノイン酸によって媒介されていることを明らかにした.MMPの遺伝子発現調節機構については,MMP-3, MMP-7, MMP-9のプロモーター領域にはAP-1領域,NFκB領域が存在することで類似性をみるが,一方,MMP-2のプロモーター領域にはこれらの領域が存在せず,これらのMMPの発現調節機構が異なっていると言われている.これらの知見は,トロホブラストにおいて,レチノイン酸がMMP-9の発現を特異的に抑制し,MMP-2の発現には影響を及ぼさないことを裏付けるものであると考えられる.

以上の結果から,本研究では,着床におけるトロホブラスト侵入能を調節機構の一つとして,子宮内膜間質においてプロゲステロンにより誘導されたADHが,子宮内膜伊東細胞から放出されるレチノールを前駆物質としてレチノイン酸合成を促進し,そのレチノイン酸がトロホブラストにおいてMMP-9発現および活性を抑制していることが推察された.

審査要旨 要旨を表示する

着床の過程は,胚と子宮内膜との相互作用に基づいて時間的・空間的に制御されており,胚,子宮,各々の生理とその相互作用の両者を考慮しなければ理解し得ない.本研究では着床現象における胚-子宮内膜相互作用においてレチノイド(ビタミンAおよびその類縁体)が何らかの役割を演じている可能性に着目した.

ヒト子宮内膜組織における伊東細胞の存在を確認するため,抗α-SMA抗体による免疫組織染色を行った.その結果,子宮内膜間質において,血管平滑筋とは別に散在するα-SMA陽性細胞が認められた.また,マッソン染色により,α-SMA陽性細胞は膠原線維に富んだ子宮内膜間質に散在することが明らかとなり,膠原線維産生に関与している可能性が示唆された.

電子顕微鏡による観察では,子宮内膜間質に脂肪滴含有細胞が認められた.その分布は免疫組織染色によるα-SMA陽性細胞の分布と類似しており,子宮内膜間質に肝の伊東細胞と同様の脂肪貯蔵細胞が存在することが示唆されたが,子宮内膜伊東細胞のほうが肝伊東細胞に比して,脂肪含有量が少なかった.

以上の組織学的検討から,子宮内膜間質には,全身のレチノール貯蔵の主体となる肝臓に比較すると量は少ないものの,局所におけるレチノール貯蔵を担っている可能性のある伊東細胞が存在することが示唆された.

アルコール脱水素酵素(ADH)の各サブタイプの組織分布を明らかにするため,RT-PCRによりラット各種組織におけるADHのmRNA発現を分析した.その結果,子宮においてADHクラスIのmRNAが優位に発現し,ADHクラスIVの転写活性はRT-PCRによる検出感度以下であった.in situハイブリダイゼーションではADHクラスIの局在はラット子宮組織の子宮内膜間質細胞に限られ,内膜上皮や筋層細胞には認めなかった.

また,エストロゲンとプロゲステロンによるADHクラスIの発現調節機構を解明するために,卵巣摘出ラットにこれらのホルモンを投与し,子宮におけるADHクラスIの転写および活性の定量によってこれらのホルモンの効果を検討した.ノーザンブロットでは,プロゲステロン投与後48時間の子宮においてADHクラスI転写がコントロール群に比して210%に上昇していたが,エストロゲン投与のみでは効果が認められなかった.

そこで,エストロゲンおよびプロゲステロン投与後48時間のラット肝臓および子宮の組織抽出液を用いてADH活性を測定した.コントロール群,エストロゲン単独投与群およびエストロゲン・プロゲステロン投与群の子宮組織抽出液中のADH活性を反応時間15分で比較したところ,ラット子宮におけるADH活性はプロゲステロン投与によりコントロール群の190%に上昇していたが,エストロゲン単独投与投与では変化は認められなかった.

以上より,子宮には肝臓と同様,レチノイン酸の合成において律速酵素となるADHクラスIが優位に発現しており,かつ,妊卵の子宮内膜への着床の場となる分泌期子宮内膜を誘導するプロゲステロンがADHクラスIの発現を促進することが明らかとなった.

妊娠初期トロホブラストの細胞増殖能に対するレチノイン酸の作用を検討した.トロホブラスト培養系にレチノイン酸を10-10M, 10-9M, 10-8M, 10-7M, 10-6Mの濃度で添加後,48時間の細胞数には添加したレチノイン酸各濃度で差を認めなかった.また,同様のレチノイン酸添加培養系において,MTTアッセイによっても,添加したレチノイン酸各濃度による細胞増殖能への有意な影響は認めなかった.

着床においてトロホブラストの子宮内膜への侵入に重要な役割を演ずる主なプロテアーゼおよびそのインヒビターとして,MMP-2, MMP-3, MMP-9, TIMP-1, TIMP-2, TIMP-3, uPA,PAI-1が知られている.そこで,ヒトトロホブラスト培養系におけるこれらのプロテアーゼおよびインヒビターのmRNA発現に対するレチノイン酸の作用を,定量的RT-PCRにより検討したところ,MMP-2, MMP-3, TIMP-1, TIMP-2, TIMP-3, uPA, PAI-1の各々のmRNA発現は,レチノイン酸添加により有意な変化を認めなかった.一方,MMP-9のmRNA発現は,添加したレチノイン酸濃度10-10M, 10-9M, 10-8M, 10-7M, 10-6Mで,各々90.0%, 50.1%, 30.0, 33.1%, 13.5%と減少しており,10-9M以上の濃度では統計的に有意に抑制されていた.

ザイモグラフィーでも,培養上清中のMMP-9活性は添加したレチノイン酸が高濃度であるほど低いことが明らかとなった.

本研究では,子宮内膜間質においてプロゲステロンにより誘導されたアルコール脱水素酵素(ADH)が,子宮内膜伊東細胞から放出されるレチノールを前駆物質としてレチノイン酸合成を促進し,そのレチノイン酸がトロホブラストにおいてMMP-9発現および活性を特異的に抑制していることが明らかとなった.また,プロゲステロンは卵巣から産生されるのみでなく,トロホブラストからも産生分泌されるため,着床部局所において,プロゲステロンとレチノイン酸を介した子宮内膜-トロホブラストの相互作用が,着床期のトロホブラスト侵入能を調節している可能性が示唆された.

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