学位論文要旨



No 119360
著者(漢字) 浅野,隆之
著者(英字)
著者(カナ) アサノ,タカユキ
標題(和) サルES細胞の遺伝子操作とサル胎仔への同種移植
標題(洋)
報告番号 119360
報告番号 甲19360
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2334号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 助教授 鄭,雄一
 東京大学 講師 本村,昇
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

ヒト胚性幹細胞 (embryonic stem;ES細胞) は,三胚葉性の多分化能と無限増殖能を持つことから,薬剤開発,中毒テスト,様々な疾患・障害への細胞治療などへの応用が期待されている.しかし,ヒトES細胞の実験は倫理的な制約が強いため,別のES細胞モデル,なかでもヒトES細胞とほぼ同じ特徴を持つ霊長類ES細胞が有用となる.本研究では,カニクイザルES細胞への効率良い遺伝子導入を確立し(第1章),続いて遺伝子導入したカニクイザルES細胞をサル胎仔へ同種移植を行い,移植細胞の生着・分化を調べた(第2章).

カニクイザルES細胞への遺伝子導入

研究の背景

ヒトES細胞に対する遺伝子操作は,電気穿孔法やリポフェクションでは効率が低いため,マウスES細胞の遺伝子導入で成功したレンチウイルスベクターに関心が寄せられていた.そこで,カニクイザルES細胞を標的とし,サル免疫不全ウイルス (simian immunodeficiency virus;SIV) 由来のレンチウイルスベクターによる遺伝子導入を試みた.

実験方法・結果

サルES細胞への遺伝子導入

カニクイザルES細胞(CMK10)に,マウス幹細胞ウイルス(mouse stem cell virus;MSCV)由来のレトロウイルスベクターを用い,10 transducing unit (TU)/cellの条件でgreen fluorescent protein(GFP)遺伝子を導入したところ,GFP陽性ES細胞の割合は遺伝子導入5,10日後に約1%にすぎなかった.すなわち,MSCVベクターによる遺伝子導入は,マウスES細胞ではうまくいってもサルES細胞ではうまくいかない.

そこで,レンチウイルスであるSIVベクターによる遺伝子を試みた.用いたベクターは,サイトメガロウイルス(cytomegalovirus;CMV)プロモーターからGFP遺伝子を発現する自己不活化型(self-inactivating;SIN)のSIVベクターであり,水泡性口内炎ウイルス(vesicular stomatitis virus-G;VSV-G)蛋白質でシュードタイプされている.

マウス胎仔線維芽細胞(mouse embryonic fibroblast;MEF)のフィーダー上で培養している未分化カニクイザルES細胞(CMK10)に,SIVベクターを1,10,100 TU/cellで1回のみ遺伝子導入した.その後,ES細胞をMEFフィーダー上で未分化培養維持した.遺伝子導入したES細胞のGFP発現をフローサイトメーターで解析した.導入5日目に各58%,82%,92%とGFPの高い発現を認め,その後5ヶ月間,GFP発現率・平均蛍光強度はほとんど低下することなく安定していた.

次にベクターのES細胞ゲノムへの組込みをサザンブロッティングで解析した.ES細胞内のプロウイルスのコピー数は,1,10,100 TU/cellで各0.7, 2.0, 3.3であった.更に,遺伝子導入されたES細胞は,培養数ヶ月後もベクターの挿入部位が多数存在しポリクローナルであったこともわかった.

胚様体形成後の導入遺伝子の発現

SIVベクターでサルES細胞に遺伝子導入した場合,細胞が未分化な状態では導入遺伝子が長期安定発現することがわかったが,分化状態では発現がどう変化するか興味を持ち,分化状態を示す胚様体を形成して導入遺伝子の発現を解析することにした.培養条件を分化条件に変更し胚様体を形成させたところ,嚢胞状の胚様体となってもGFPの発現を認め,初期分化しても導入遺伝子は転写のサイレンシングを受けにくいことが示された.

ES細胞の種による遺伝子導入の違い

上記SIVベクターがマウスES細胞(D3)株にも効率良く遺伝子導入できるか調べた.10 TU/cellで遺伝子導入したところ,導入5,10日後にGFP陽性細胞ぱ5-6%とサルES細胞に対する遺伝子導入法と比べて極めて低かった.SIVベクターによる遺伝子導入は,サルのES細胞に対してはうまくいくが,マウスのES細胞に対しては期待通りの効果は得られなかった.

導入遺伝子の発現を高めるためのSIVベクターの改良

カニクイザルES細胞株CMK6を用いて,SIVベクターによるGFP発現のプロモーター間の比較検討を行った.elongation factor-1 alpha (EF-1α)プロモーターが,CMVおよびphosphoglycerate kinase (PGK)の各プロモーターに比べて高いGFP発現が得られた.

CMVプロモーターに加えて,核内移行配列であるcentral polypurine tract(cPPT), および発現増強配列であるwoodchuck hepatitis virus posttranscriptional regulatory element(WPRE)の配列を加えたベクターでは,GFP発現がいっそう増強した.

考察

カニクイザルES細胞に対して,SIV由来のレンチウイルスベクターによって効率よく長期安定したGFP遺伝子の発現を得た.一方,MSCV由来のレトロウイルスベクターを用いてサルES細胞に遺伝子導入を試みたところ,遺伝子導入効率は極めて低かった.ES細胞への遺伝子導入は,レンチウイルスベクターがすぐれているといえる.

SIVベクターによってサルES細胞に効率良く遺伝子導入可能であったが,マウスES細胞に対しては必ずしもうまくいかなかった.ヒト造血幹細胞ヘヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus;HIV)ベクターで遺伝子導入した場合,ネコ由来レンチウイルスベクターよりも遺伝子導入効率が高かったという報告もあり,レンチウイルスベクターの遺伝子導入効率は、種に依存して大きく変化するのかもしれない.

SIVベクターで遺伝子導入した場合は,未分化状態だけでなく,初期分化を示す嚢胞状の髄様体形成中も導入遺伝子の発現を認めた.HIV由来のレンチウイルスベクターでマウスES細胞に遺伝子導入したところ,トランスジェニックマウスの作成に成功したという報告があることから,レンチウイルスベクターで遺伝子導入した場合,導入遺伝子はサイレンシングを受けにくいと考えられた.

レンチウイルスベクターにはHIV-1由来のベクターが一般的に使用されている.しかし,野生型HIV-1は病原性を持ち,そこから開発されたHIV-1ベクターは安全性の問題が残る.一方,この実験で使用したSIVベクターは、SIVアフリカミドリザル由来のベクターであり,ベースとなる野生型ですら自然宿主に対する病原性が報告されていない.しかもHIV-1との塩基配列相同性は低いため,HIV-1との相同組換えを生じる危険性が低い.よって,SIVベクターはHIV-1由来のベクターよりも安全性において優位であるといえる.

カニクイザルES細胞のサル胎仔への同種移植

研究の背景

ヒトES細胞に基づく移植療法で様々な疾患・疾病に対する治療が期待されている.治療法の安全性・有効性を評価するためにサル同種移植モデルは有用であるが,これまで報告はなかった.その理由の1つは,効率良く安定したサルES細胞のマーキングが困難であり,移植細胞を周囲の宿主細胞の区別が困難であったことである.もう1つの理由は,移植したES細胞に対する免疫学的拒絶を回避する方法が困難なためであるが,免疫システムが未熟な妊娠初期の胎仔をレシピエントに用いれば,拒絶を回避できる可能性がある.この実験で,GFPを恒常的に発現するカニクイザルES細胞を同種の子宮内胎仔に移植し,移植細胞のin vivoにおける運命をGFPを標識として解析した.

実験方法・結果

サルES細胞の遺伝子標識

移植に用いるカニクイザルES細胞は,あらかじめSIVベクターによってGFP遺伝子を導入した(GFP発現率は約50%).または,電気穿孔法でGFP遺伝子を導入し,GFPを恒常的に発現するようになったES細胞亜株(CMK6G)を用いた(GFP発現率は90%以上).両ES細胞ともMEFフィーダー上で未分化維持した.

これらGFPを発現する未分化サルES細胞(3.6-4.8x106個/胎仔,約2.Ox108個/kg)を,妊娠前半1/3期(満期165日)の同種サルの子宮内胎仔(計4頭)にエコーガイド下で移植した.CMK10は2頭を腹腔内,1頭を肝臓内に,CMK6Gは1頭を肝臓内に移植した.いずれも妊娠中に合併症を認めなかった.CMK10を移植した3頭の胎仔は移植1ヵ月後に,CMK6Gを移植した1頭は移植3ヶ月後に帝王切開で取り出した.

胎仔組織における移植細胞の検出

各胎仔の組織サンプルを脳,肺,心筋,甲状腺,胸腺,肝臓,脾臓,腎臓,小腸,骨格筋,軟骨から採取した.各胎仔組織中の移植細胞の割合を評価するため,GFP配列に対する定量的DNA PCRを行った.移植細胞は広範の胎仔組織に0.01〜1%で分布していた.腹腔内に移植した胎仔では,移植細胞は大網や小腸など腹腔内に多く検出された.肝臓に移植した胎仔では,多くの細胞が移植部位から離れた部位で検出され,より全身に分布する傾向を認めた.

組織切片をGFP配列に対するin situ DNA PCR法で解析したところ,検出された移植細胞は全て孤立して存在しており,周囲の宿主細胞と形態的に区別がつかなかった.

腫瘍形成

移植1ヶ月に取出した胎仔では腫瘍を全く認めなかったが,移植3ヶ月後の胎仔では4x3x2.5cm大の嚢胞状の腫瘍を胸腔内に認めた.腫瘍はGFP蛍光を発しており,in situ DNA PCR法の結果GFP配列を含んでいたため,移植したES細胞由来と判明した.腫瘍は様々な上皮系の細胞で構成されていたが,他の系の分化細胞は殆ど認めなかった.なお,移植部位である肝臓を含め広範の組織で移植細胞を検出したものの,他の部位には腫瘍を認めなかった.

考察

サルES細胞をサル胎仔に同種移植し,広範の胎仔組織において0.01〜1%で検出した.検出された細胞は一個ずつ孤立して存在しており,形態的に周囲の宿主細胞と区別がつかなかった.このような形態変化は,一部は既に存在していた宿主細胞と移植したES細胞との細胞融合による可能性があるが,通常の細胞融合は104〜106個に1個の頻度であるため,この実験で検出された細胞全てが細胞融合によるとは考えにくい.

移植3ヶ月後に胸腔内に移植ES細胞由来の腫瘍を認めた.このことから,ES細胞移植治療では,移植細胞に未分化なES細胞が含まれると腫瘍を形成する危険があることが明らかである.興味深いことに,胎仔各組織では腫瘍は全く認めなかったが,胸腔内など“不適切な”可能性が示唆されるスペースに移植細胞が漏出した場合,適切なシグナルを得られず腫瘍を形成する可能性があると考えられた.

移植細胞が胎仔に長期間生着したことは,胎仔が移植ES細胞に対して免疫寛容であったことを示す.もし移植したES細胞が腫瘍形成することなく,宿主の体の一部を形成できた場合,宿主が成長後も同じES細胞由来の組織に対して免疫寛容を示す可能性がある.もし実現すれば,ES細胞移植研究の理想的な霊長類のレシピエントになると予想される.

おわりに

第1章でカニクイザルES細胞に対するSIVベクターを用いた効率よい遺伝子導入法を報告した.この論文内容発表と前後して,HIV-1ベクターを用い,ヒトES細胞に対して効率よい長期安定した遺伝子導入が可能であると私の論文内容を支持する報告が続いた.いまやヒト,サルES細胞に対する効率よく安定した遺伝子導入はレンチウイルスベクターによって可能であるというのは共通の認識となっている.

遺伝子導入技術の応用として,第2章において,GFP遺伝子で標識したカニクイザルES細胞をカニクイザルの子宮内胎仔に同種移植した結果を報告した.成長を続ける胎仔組織には,移植したES細胞がホーミングして生着する“スペース”が存在し,ES細胞がそのような適切なスペースにうまくはまった場合は,適切な増殖・制御シグナルを受け生着し周囲に適応出来ると考えられた.一方,移植細胞が胸腔内など“不適切な”可能性が示唆されるスペースに漏出した場合には,適切なシグナルを得られず,移植細胞が腫瘍を形成する可能性があることも示した.

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒト胚性幹細胞(embryonic stem cell;ES cell)を用いた再生医学研究において重要と考えられている,ES細胞に対する効率良く長期安定した遺伝子導入法の確立,及びES細胞を用いた同種細胞移植法の確立を目指すため,カニクイザルES細胞をモデルとして両者の確立を試みたものであり,下記の結果を得ている.

カニクイザル胚性幹細胞(CMK10 株)に対して,サル免疫不全ウイルス(simian immunodeficiency virus;SIV)由来のレンチウイルスベクターを用い1, 10, 100 transducing unit/cellで遺伝子導入し,導入5日目に各58%, 82%, 92%とgreen fluorescent protein(GFP)の高い発現を認め,その後5ヶ月間,GFP発現率・平均蛍光強度は安定していた.サザンブロッティングの結果では,数ヶ月の培養後もポリクローナルを維持しており,GFPを強く発現する少数のクローンを観察しているのではないことを示した.

SIVベクターでGFP遺伝子を導入したカニクイザルES細胞は,初期分化を示す胚様体形成後も導入遺伝子の発現を認めた.SIVベクターを用いた遺伝子導入法では,導入遺伝子はサイレンシングを受けにくいことを示した.

カニクイザルES細胞とマウスES細胞(D3)に対してSIVベクターで遺伝子導入し,その導入効率を比較すると,カニクイザルES細胞はマウスES細胞よりもはるかに遺伝子導入効率が高かった.SIVベクターによる遺伝子導入効率は,細胞の種に依存して大きく変化する可能性があることを示した.

別のカニクイザルES細胞株(CMK6)における遺伝子導入において,SIVベクターの内部プロモーターをCMVプロモーターからEF-1αプロモーターに変更した場合ではGFP遺伝子の発現増強をみた。また,CMVプロモーターに加えて,central polypurine tract, およびwoodchuck hepatitis virus posttranscriptional regulatory elementの配列を加えたベクターではCMVプロモーター単独に比べGFPの発現がはるかに増強した.以上より,ベクターを改良することで導入遺伝子の発現が増強することを示した.

あらかじめSIVベクターによってGFP遺伝子を導入したカニクイザルES細胞(CMK10),または電気穿孔法でGFP遺伝子を導入してGFPを恒常的に発現するようになったカニクイザルES細胞亜株(CMK6G)を未分化状態で妊娠前半1/3期(満期165日)の同種サルの子宮内胎仔(計4頭)に同種移植し,1, 3ヶ月後に胎仔を取り出したところ,広範の胎仔組織に0.01〜1%の割合で移植細胞を検出した.組織切片をGFP配列に対するin situ DNA PCR法で解析したところ,検出された細胞は一個ずつ孤立して存在しており,形態的に周囲の宿主細胞と区別がつかなかった.このことから、妊娠前半1/3期胎仔に移植したES細胞は生着しており,移植細胞に対して胎仔が免疫寛容であったことを示した.

移植1ヶ月に取出した胎仔では腫瘍を全く認めなかったが,移植3ヶ月後の胎仔では嚢胞状の腫瘍を胸腔内に認めた.腫瘍はGFP蛍光を発しており,in situ DNA PCR法の結果,GFP配列を含んでいたため,移植したES細胞由来であることを示した.腫瘍は様々な上皮系の細胞で構成されていた.なお,移植部位である肝臓を含め広範の組織で移植細胞を検出したものの,他の部位には腫瘍を認めなかった.増殖を続ける胎仔組織には,移植したES細胞がホーミングして生着する“スペース”が存在し,ES細胞がそのような適切なスペースに付着した場合は適切な増殖・制御シグナルを受け生着し周囲に適応出来るが,逆に移植細胞が胸腔内など適切なシグナルを得られない“不適切な”可能性が示唆されるスペースに漏出した場合には,移植細胞が腫瘍を形成する危険性があることを示した.

以上,本論文はヒトES細胞のモデルとしてカニクイザルES細胞を用い,SIVベクターによる効率良く安定した遺伝子導入法を確立した.GFPを恒常的に発現するカニクイザルES細胞は,遺伝子導入した細胞を直接かっ容易に検出できるため,ES細胞の増殖・分化をin vitroで,また潜在的にはin vivoでモニターすることができると考えられる.更に,この遺伝子導入方法で,ヒト・サルES細胞に任意の遺伝子を導入できるようになると期待され,霊長類ES細胞の基礎実験に対する重要な貢献をすると考えられた.

また,あらかじめGFP遺伝子で標識したカニクイザルES細胞を子宮内胎仔に同種移植し生着の確認を認め,これまで行われなかった霊長類ES細胞の同種移植を成功させた.更に,未分化状態で細胞移植した際の腫瘍形成の危険性を示し,将来のヒトES細胞を用いた細胞移植療法に対する重要な貢献をなすと考えられた.

よって,学位の授与に値するものと考えられる.

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