学位論文要旨



No 119372
著者(漢字) 内田,寛治
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,カンジ
標題(和) 特発性肺胞蛋白症の発症機序における抗顆粒球マクロファージコロニー刺激因子自己抗体の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 119372
報告番号 甲19372
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2346号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 助教授 滝澤,始
 東京大学 講師 折井,亮
 東京大学 講師 尹,浩信
内容要旨 要旨を表示する

肺胞蛋白症(Pulmonary alveolar proteinosis;PAP)は、肺胞に過剰なサーファクタント脂質と蛋白が貯留し、進行性の呼吸不全を起こす疾患である。後天性のPAPのうち原因不明とされる特発性肺胞蛋白症(idiopathic PAP;iPAP)がPAPの90%を占めると言われている。近年顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(granulocyte-macrophage colony-stimulating factor;GM-CSF)欠損マウス(GM-/-mice)やそのりセプター欠損マウス(GM Rβc-/-mice)が、PAP類似病像を呈し、その病理所見、肺胞マクロファージ(alveolar macrophage;AM)の機能障害がヒトiPAPと類似していることが報告された。ノックアウトマウスの詳細な研究から、iPAPの疾患発症にもGM-CSFシグナルの阻害によるサーファクタントホメオスタシスの障害が関与しているのではないかと考えられていた。1999年、中田らがiPAP患者の血清、気管支肺胞洗浄液(bronchoalveolar lavage fluid;BALF)中にGM-CSFを中和する自己抗体を同定し、この仮説がより現実味を帯びてきた。この抗体はiPAP患者に疾患特異的に発現しており、先天性、続発性のPAP、他の肺疾患、健常者には認めらむなかった。このためこれら自己抗体が肺において重要な役割をもつサイトカインであるGM-CSFに結合してGM-CSF活性を阻害することで、AMの機能的成熟を抑制しサーファクタントの吸収、分解機構を障害した結果、iPAP発症に到ると想定されたが、これまでこれを裏付ける報告はなされていなかった。そこで申請者は、患者肺内のGM-CSFが自己抗体によって強く障害されていることを示す根拠として以下の3点を明らかにすることとした。1. iPAP患者の肺内ではGM-CSF活性が実際に抑制されていること、2. またその阻害が自己抗体の存在によるものであること、3. 自己抗体がGM-CSF活性を中和するに十分の性状(結合力、中和活性、特異性)をもち、また十分量存在すること。これを検証するため、iPAP患者の肺内におけるGM-CSF活性測定、及び自己抗体の肺内の局在と定量および免疫複合体の証明を行い、さらに自己抗体のGM-CSFとの結合力、中和能、特異性及びエピトープを検索した。

iPAP患者から分離した、単球様の形態をしたAMを、健常者BALFあるいはヒトリコンビナントGM-CSF(rhGM-CSF)を加えた培地中で培養するとAMの形態が正常に近づくが、iPAP患者から採取したBALFを加えた培地中では成熟せず、形態の変化も無かった。そこでiPAP患者BALFのGM-CSF活性を定量するため、GM-CSF依存性細胞株であるTF-1細胞を、BALFを加えた培地中で培養し、細胞の増殖度を定量した。その結果iPAP患者BALF中のGM-CSF活性は-249±16.4ng equivalents/ml BALF(平均±標準偏差、中間値-23.3,範囲-57.5--4.3)とマイナスの値をとり強い中和活性を持つことがわかった(図1)。健常者のBALF中GM-CSF濃度をenzyme-linked immuno adsorbent assay (ELISA)法で求めたところ、1.07±0.16pg/ml(平均±標準偏差,範囲0.88-1.28)であったことから、患者BALF中に存在するGM-CSF中和活性は、健常者肺内のGM-CSF濃度を大きく上回っていることがわかった。一方GM-CSFに対する免疫染色を行った結果、iPAP患者の肺胞II型上皮にGM-CSFは健常者と同様に発現していることが確認された(図2)。このためiPAP患者の肺はGM-CSFを発現しているにも関わらず、その活性が中和されていることが明らかになった。次にiPAP患者の血清、BALF中の抗GM-CSF自己抗体の濃度を、精製した自己抗体を標準としてsandwich ELISA法で定量した。その結果、iPAP患者のBALF中自己抗体価は中間値1.15μg/ml、範囲0.09-5.4μg/ml(n=34)、血清中自己抗体価は中間値88.58μg/ml、範囲16.59-470.2μg/ml(n=107)と高い値をとった。一方健常者、他の肺疾患では、何れも検出限界(BALFでは0.01μg/ml、血清では3μg/ml)以下であった。このことから、自己抗体はiPAP患者の肺内と血清中に発現しており、また疾患特異性が非常に高いことがわかった。抗GM-CSF自己抗体の局在を調べるため、iPAP患者の肺組織をフィコエリスリン標識rhGM-CSFと、fluorescein isothioocyanate標識抗ヒトIgGを用いて免疫染色し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。その結果、肺胞内に強い共染部位が認められ、GM-CSF結合活性を持つIgGが肺胞内に存在することがわかった。次に肺胞内に存在する自己抗体が実際に免疫複合体を形成しているかどうかをprotein A Sepharoseを用いた免疫沈降法で調べた。ウェスタンブロッティング法により、iPAP患者BALFのprotein A結合画分(IgG画分)中にGM-CSFのバンドが検出された(図3A、4列目)。一方患者BALFと[125I]-GM-CSFを混和して、ネイティブポリアクリルアミド電気泳動(Native-PAGE)法を行ったところ、[125I]-GM-CSFバンドのスーパーシフトが認められ、iPAP患者のBALFがGM-CSF結合能力をまだ十分保持していることが明らかとなった(図3B、5-7列目)。これらの結果より、iPAP患者の肺内にはGM-CSF結合性の抗体が存在し、GM-CSFと免疫複合体を形成していると考えられた。次にiPAP患者の精製自己抗体と様々な濃度の[125I]-GM-CSFを混和して、protein G Sepharoseビーズに結合させ、自己抗体結合画分の放射活性を測定することで飽和結合曲線を作成し、自己抗体の結合力(avidity, KAV)及び結合容量(capacity, Bmax)を算出した。その結果KAVは、対照として用いたヤギ抗ヒトGM-CSF中和ポリクローナル抗体が275.4pMであったのに対し、非常に強い値(19.96±7.54pM, 平均±標準偏差)を示した。また精製自己抗体によるGM-CSFの中和活性をTF-1細胞を用いて定量したところ、TF-1の増殖を50%抑制する自己抗体の濃度(IC50:mol/mol rhGM-CSF)はヤギ、マウスの中和抗体の10倍,500倍の強さであることがわかった。Sandwich ELISA法による自己抗体の特異性測定の結果、抗体のGM-CSF分子に対する結合に糖鎖修飾が影響しないこと、二カ所のジスルフィド結合で形作られる二次、三次構造が結合に重要であること、種特異性が高く、またヒトの他のサイトカインとは反応しないことがわかった。

自己抗体のGM-CSFに対する特異的なエピトープを検索するために、あらかじめエピトープが調べられている4種類のマウスモノクローナル抗体と、[125I]-GM-CSF との結合を自己抗体で阻害する拮抗阻害実験を行った。三者を混和してオーバーナイトでインキュベートした後、マウスIgGに対する抗体をあらかじめコートしたFlashPlate Plus〓に移し、マウスモノクローナル抗体と結合した[125I]-GM-CSFの放射活性をシンチレータによって検出し、自己抗体による結合の阻害度を算出した。その結果、GM-CSFのアミノ酸残基1-11, 40-77, 110-127を認識するマウスモノクローナル抗体(それぞれNo.4117, 1089, 1022)の結合は自己抗体により部分的に阻害され、またその阻害度は症例間でばらつきがあった(図4)。これに対して78-94アミノ酸残基を認識するマウス抗体(No.3092)のGM-CSFとの結合は16例でほぼ一様に強く抑制された(図4)。平均の阻害率は78.97±11.71%(平均±標準偏差)であった。このエピトープはGM-CSFの活性中心との報告も認められるため、この部位がiPAP患者における抗GM-CSF自己抗体がGM-CSF活性を特異的に強く中和する上での"hot spot"と考えられた。

これらの結果から、自己抗体は高い特異性、強い結合力でGM-CSFと結合し、肺内に十分量存在し、GM-CSFとその受容体との結合を効果的に阻害することが確認された。抗GM-CSF自己抗体がGM-CSFシグナルを強力に阻害することでiPAPの発症に関与しているとの仮説を裏付ける結果が得られた。

GM-CSF依存性細胞株TF-1のGM-CSFによる容量依存性増殖がiPAP患者のBALFを培地に加えることで抑制された。BALFを加えない培地の増殖度を100%としたときの%で表示。

健常肺(上列)とiPAP患者肺(下列)のGM-CSF免疫染色。肺胞上皮にGM-CSFが発現している(赤色)。

A:BALF中のprotein A結合、非結合画分中のGM-CSFの検出。B:[125I]-GMCSFとBALFとの結合(本文参照)。

A:拮抗阻害実験に用いたマウスモノクローナル抗体のエビトープ立体図。B:症例毎の自己抗体によるマウス抗体の結合阻害度。

審査要旨 要旨を表示する

ヒト特発性肺胞蛋白症(idiopathic pulmonary alveolar proteinosis: iPAP)と類似の病像を呈する穎粒球マクロファージコロニー刺激因子(granulocyte-macrophage colony-stimulating factor: GM-CSF)シグナル欠損マウスの研究から、GM-CSFは肺胞マクロファージの終末分化を誘導することによってサーファクタント代謝を促進し、肺内のサーファクタント恒常性を維持するという重要な役割をもつサイトカインであるということが認められていた。ヒトiPAP患者の血清及び肺内に特異的に発現している抗GM-CSF自己抗体が、ヒトにおいてもGM-CSFのシグナルを阻害する事によってiPAP発症の病因となるのではないかと推論されていたが、これを証明する報告はこれまで無かった。本研究ではこの自己抗体が、肺内でのGM-CSF活性を完全に枯渇させているかどうかを、抗体の量的、質的検討を行うことで明らかにした。以下に研究結果の要点を示す。

iPAP患者の肺内にGM-CSF活性が存在しているかどうかを二つのアプローチで確認した。一つは肺組織の免疫組織染色でGM-CSF産生細胞を同定し、産生細胞数が健常者と同程度であることを確認した。もう一つは気管支肺胞洗浄液(bronchoalveolar lavage fluid: BALF)中のGM-CSF活性を測定することであったが、市販のELISA法では、GM-CSFと結合する自己抗体の存在により測定の信頼性が失われる可能性があること、またELISA法で検出されたGM-CSFが生物活性を持っているかどうかを検討する必要があるため、本研究では新たにGM-CSF依存性の細胞株を用いたバイオアッセイ法を開発した。この方法を用いることで、BALF中のGM-CSF中和活性が非常に再現性よく検出でき、GM-CSF活性が実際にBALF中では枯渇していることがあきらかとなった。

本研究では新たにiPAP患者の血清、BALF中にフリーな状態で存在している抗GM-CSF自己抗体を検出するELISA法を開発した。リコンビナントGM-CSFをリガンドとして結合する抗GM-CSF自己抗体を1ng/ml程度の感度で検出することができ、少量のサンプルで自己抗体濃度を定量できるようになった。自己抗体がiPAP患者に疾患特異的に存在していることから、診断的な目的で血清中自己抗体を非侵襲的に測定することが可能となり、現在日本はもとより世界中から血清中自己抗体の測定依頼を受けており、診断確定の一助となっている。今回測定して得られた抗体価は、健常者のGM-CSF濃度を中和するに十分量であることがわかった。

iPAP患者から抽出した自己抗体は、ポリクローナル抗体であったが、抗体全体を平均した結合力は非常に強かった。GM-CSFは低親和性の受容体α鎖と結合した後β鎖がその結合に加わって高親和性のヘテロ受容体となり、細胞内にシグナルを伝達するとされている。本研究の結果、自己抗体の結合力は高親和性ヘテロ受容体とGM-CSFとの結合力を若干上回り、低親和性α鎖受容体とGM-CSFとの結合力は遙かに凌駕した。自己抗体が効果的にGM-CSFと受容体との結合をブロックしていることが理解できる。また結合特異性も高く、エピトープの推定結果からGM-CSFの活性中心と言われている部分に多くが結合している可能性も示唆された。この結果から自己抗体はいわゆるmolecular mimicryによって出現したというよりもGM-CSFを直接標的としたものであると推論することができる。

以上、ヒトiPAP患者に特異的に発現していた抗GM-CSF自己抗体の量的、質的検討を行い、肺内に存在する自己抗体が実際に患者肺内のGM-CSF活性を枯渇させているということを明らかにした。

今回測定した抗体の濃度や、種々の性状のうち、疾患の重症度、活動性、あるいは現在進行中の GM-CSF 皮下注療法、吸入療法への反応性の予測ができる因子を同定できれば、臨床的に直ちに応用が可能で、社会的貢献度は大きいと考えられる。また本研究で明らかにしたように、抗体は非常に強い結合力と高い特異性をもっており、抗体を産生形質細胞をクローン化することで、研究、臨床において計り知れない有用性をもつ可能性もあると考えられる。

本研究はこれらの研究を進める上でも重要な基礎データとなる抗GM-CSF自己抗体の性状を量的、質的観点から詳細に明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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