学位論文要旨



No 119374
著者(漢字) 藤本,幸弘
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,タカヒロ
標題(和) 静脈麻酔薬によるマスト細胞機能抑制
標題(洋)
報告番号 119374
報告番号 甲19374
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2348号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 平井,浩一
 東京大学 助教授 西山,友貴
 東京大学 講師 佐伯,秀久
内容要旨 要旨を表示する

「緒言」

麻酔、手術侵襲、輸血、その他周術期に関与する種々の要因は免疫系に多大な影響を及ぼす。静脈麻酔薬が好中球の遊走能、殺菌能を抑制する論文は散見される。マスト細胞はアレルギーや細菌感染の宿主防衛において重要な役割を担っているが、静脈麻酔薬がマスト細胞機能を抑制すると仮定したら、有害アレルギー反応が抑制される一方で、細菌感染が悪化する可能性があり、生体にとって不利に働くこととなる。しかしながら、静脈麻酔薬のマスト細胞機能への影響を調べた報告は無い。本研究ではイヌの皮膚マスト細胞腫から樹立したcanine mastocytoma derived cell (CMMC)をマスト細胞系として使用して以下の実験を行った。

第一に、ニューロペプチドのサブスタンスPがCMMCに対する遊走刺激因子になるか否かを検討した。次にIgG抗体を介する免疫学的刺激とサブスタンスPによる非免疫学的刺激がCMMCに対してヒスタミン遊離を誘導する濃度を特定し、マスト細胞の遊走能およびヒスタミン遊離能における実験系を確立した。そして、この実験系を使用して、現在臨床使用される4種の静脈麻酔薬、チオペンタール、ケタミン、ミダゾラム、プロポフォールが、マスト細胞のヒスタミン遊離能と遊走能に与える影響を検討した。

「結果」

CMMCに対する遊走刺激因子を検討するため、細胞基質構成物質のラミニン、フィブロネクチンおよび、マスト細胞のヒスタミン遊離因子であるサブスタンスP、カルシウムイオノフォアA23187、コンパウンド48/80を被験試料としてボイデンチャンバー法にて遊走実験を行った。一方向性の遊走を示す可能性のある物質はサブスタンスPのみであった。

サブスタンスPについてはさらに詳細な遊走実験を行った。CMMCのサブスタンスPへの遊走が一方向性なのか多方向性なのかを判断するため、チェッカーボード解析を行った。サブスタンスPに対するCMMCの運動は、一方向性および多方向性の遊走であることを示した。サブスタンスPに対して遊走したCMMCの数はサブスタンスPの濃度依存性に上昇し、最大遊走濃度は300uMであり、それより高い濃度では遊走細胞数は低下した。この遊走は細胞外カルシウム依存であることを示した。CMMCの最適な遊走時間は約2時間であることを示した。CMMCのサブスタンスPへの遊走がG蛋白を介するか否かを検討するため、百日咳毒素(PTx)処理をした細胞を使用し、遊走実験を行った。その結果、百日咳毒素(10, 30ng/ml)でCMMCを反応させると部分的な遊走抑制が認められ(各々60%抑制、82%抑制)、100ng/mlで反応させると100%の遊走抑制が認められた。サブスタンスPによる遊走はG蛋白が介することを示した。

サブスタンスPの刺激により誘導されるCMMC細胞内カルシウム動態を、Fura-2-AMを使用して蛍光法で測定した。サブスタンスPの刺激による細胞内カルシウム上昇の強さは濃度依存性であることを示した。この反応は細胞外カルシウム依存であることを示した。

イヌIgG抗体感作後、羊-抗イヌIgG抗体(10ug/ml)を加えたIgG抗体を介する免疫学的刺激およびサブスタンスPによる非免疫学的刺激によるマスト細胞のヒスタミン遊離実験を行った。イヌIgG抗体の濃度0.1-10ug/mlで、CMMCのヒスタミン遊離率は濃度依存性に上昇した。イヌIgG抗体(10ug/ml)感作時のヒスタミン遊離率は最大値27.2±4.2%であり、それより高い濃度では低下した。このため、イヌIgG抗体(10ug/ml)の感作および、羊-抗イヌIgG抗体(10ug/ml)の刺激を静脈麻酔薬の抑制実験に使用することを決定した。サブスタンスPの濃度10-100 uMで、CMMCのヒスタミン遊離率は濃度依存性に上昇した。サブスタンスP (100 uM)によるヒスタミン遊離率は最大値28.1±2.6%であり、それより高い濃度では低下した。このため、サブスタンスP(100uM)を静脈麻酔薬の抑制実験に使用することを決定した。

最後に静脈麻酔薬がマスト細胞のヒスタミン遊離能と遊走能に与える影響を検討した。CMMCを4種の静脈麻酔薬(チオペンタール、ケタミン、ミダゾラム、プロポフォール)の中で120分間、37℃にて反応させ、洗浄後、ヒスタミン遊離実験および遊走実験に使用した。

ケタミン、ミダゾラム、プロポフォールは、臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度で濃度依存性にCMMCのヒスタミン遊離を抑制した。臨床使用濃度(1倍)によるヒスタミン遊離率はそれぞれ対照実験の82%、80%、50%であることを示した。チオペンタールは臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度(3, 30, 300 ug/ml=11.4, 114, 1140 uM)では、対照実験と比較してCMMCのヒスタミン遊離を抑制しなかった。

チオペンタール、ミダゾラム、プロポフォールは、臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度で濃度依存性にCMMCの遊走を抑制した。臨床使用濃度(1倍)による遊走はそれぞれ対照実験の60%、55%、82%であることを示した。ケタミンは臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度(3, 30, 300 ug/ml=10.9, 109, 1090 uM)では、対照実験と比較してCMMCのヒスタミン遊離を抑制しなかった。

臨床的に長期間にわたりチオペンタールやプロポフォールを使用した患者が重篤な感染症を引き起こした報告がある。組織炎症期および創傷治癒期において、静脈麻酔薬がマスト細胞のヒスタミン遊離を抑制し、局所に向かう遊走能を抑制すると、患者のアレルギー反応は軽減する一方で、創傷治癒が遅れ、感染に対する防御力が低下する可能性が示唆された。

「結論」

本研究において第一に、ニューロペプチドのサブスタンスPがマスト細胞の遊走因子になることを新たに明らかにした。

第二に、現在最も臨床使用されている4種の静脈麻酔薬のうち、マスト細胞のヒスタミン遊離能に関してはミダゾラム、ケタミンおよびプロポフォールに、マスト細胞の遊走能に関してはチオペンタール、ミダゾラムおよびプロポフォールに濃度依存性の機能抑制効果があることを新たに明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はcanine mastocytoma derived cell (CMMC)をマスト細胞系として使用し、マスト細胞の遊走およびヒスタミン遊離の実験系を確立した後、現在臨床使用される4種の静脈麻酔薬、チオペンタール、ケタミン、ミダゾラム、プロポフォールが、マスト細胞の遊走能とヒスタミン遊離能に与える影響を検討したものであり、以下の結果を得ている。

CMMCに対する遊走刺激因子を検討するため、ボイデンチャンバー法にて遊走実験を行った。サブスタンスPに対して遊走したCMMCの数は濃度依存性に上昇し、最大遊走濃度は300 uMであり、この遊走は細胞外カルシウム依存であることを示した。CMMCの最適な遊走時間は約2時間であることを示した。またチェッカーボード解析により、サブスタンスPに対するCMMCの運動は、一方向性および多方向性の遊走であることを示した。

百日咳毒素(PTx)処理をした細胞を使用し、サブスタンスPによるCMMCの遊走にはG蛋白がかかわることを示した。

サブスタンスPの刺激によって誘導されるCMMC細胞内カルシウム動態を、Fura-2-AMを使用して蛍光法で測定し、サブスタンスPの細胞内カルシウム上昇の強さは濃度依存性であり、細胞外カルシウム依存であることを示した。

静脈麻酔薬によるマスト細胞のヒスタミン遊離能に与える影響を検討し、ケタミン、ミダゾラム、プロポフォールが臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度で濃度依存性にCMMCのヒスタミン遊離を抑制し、臨床使用濃度(1倍)によるヒスタミン遊離率はそれぞれ対照実験の82%、80%、50%であることを示した。

静脈麻酔薬によるマスト細胞の遊走能に与える影響を検討し、チオペンタール、ミダゾラム、プロポフォールが臨床使用濃度の0.1倍、1倍、10倍の濃度で濃度依存性にCMMCの遊走を抑制し、臨床使用濃度(1倍)による遊走はそれぞれ対照実験の60%、55%、82%であることを示した。

以上、本論文はニューロペプチドのサブスタンスPがマスト細胞の遊走因子になることを新たに明らかにした。さらに静脈麻酔薬のうち、マスト細胞のヒスタミン遊離能に関してはミダゾラム、ケタミンおよびプロポフォールに、遊走能に関してはチオペンタール、ミダゾラムおよびプロポフォールに濃度依存性の機能抑制効果があることを新たに明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、静脈麻酔薬によるマスト細胞機能の影響について重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク