学位論文要旨



No 119376
著者(漢字) 井上,洋士
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ヨウジ
標題(和) HIV感染者のコンドーム使用の意図と行動、およびそれらの関連要因に関する調査研究
標題(洋)
報告番号 119376
報告番号 甲19376
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2350号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 助教授 大嶋,巌
内容要旨 要旨を表示する

緒言

HIV感染が世界的に蔓延しはじめたのは1980年代前半である。当時はHIV感染者の性生活維持の必要性について議論されることはほとんどなかったが、1996年のプロテアーゼ阻害薬の登場と多剤併用療法の普及により長期間のウイルス抑制が可能となり、HIV感染症が次第に慢性的な疾患に変貌を遂げる中、HIV感染者の性生活維持が一般の人々と同様に重要だと指摘されるようになった。

1990年代後半には、HIV感染者の性行動を調査した研究報告が散見されるようになり、それらによってHIV感染後も性交渉時にコンドームを使用していない人々の存在が明らかになってきた。そしてHIV感染者の性生活については、彼らのQOLを高めるという側面のみならず、safer sex という側面をも考えなければならなくなりつつある。しかしHIV感染者の safer sex について、その実態と関連要因を詳細に検討し知見を得た調査研究は数少ない。

本研究では、safer sex のうち「膣・肛門性交時もしくはオーラル性交時にコンドームを使用すること」に焦点をあて、本邦のHIV感染者が性交渉時にコンドームをどの程度使用しているのか、その意図と行動の実態を明らかにし、またそれらに関連する要因として何があるのかを検討することによって、支援や介入のポイントをどこに置くべきかについての示唆を得ること、さらには一般に他者への健康被害を予防する健康配慮行動について理解を深めることを目的とする。

方法

調査の対象と方法

日本の都市部にある4つのHIV診療拠点病院に調査参加・協力を依頼した。調査対象は、これらの医療機関に2002年11月〜2003年4月の期間に通院したことのあるHIV感染者のうち、性的接触が感染理由である定期通院者の全員としたが、HIV感染告知から1ヶ月未満の者、および外国人は除いた。調査方法は、無記名自記式質問紙による配票調査で、配票は2002年11月〜2003年4月に医師・看護師を通じて個々に行い、郵送回収した。299人に質問紙を配布し、170人から有効回答を得た(有効回収率56.9%)。今回は分析対象を、過去1年間に1回以上性交渉をしたことがある男性126人とした。

分析に用いた変数・尺度

1)性交渉時のコンドーム使用の意図と行動 コンドーム使用意図は、過去1年間に、膣・肛門性交時およびオーラル性交時に、性交渉に先立ってコンドームをどの程度使おう、あるいは使わないでおこうと思っていたか、その頻度を5段階でたずね、0〜4に得点化した。コンドーム使用行動は、過去1年間に、膣・肛門性交時およびオーラル性交時に、コンドームをどの程度使っていたか、その実践度を5段階でたずね、0〜4に得点化した。2)HIV/STI/コンドーム使用に関する認識 20項目を用意し、各々過去1年間について4段階でたずねた。探索的因子分析の結果を参考に「HIV/STI感染し易さに関する認識」、「HIV感染の重大性に関する認識」、「相手へのHIV感染予防への積極性」、「自分のSTI感染予防への積極性」、「相手へのHIV感染予防についての社会的圧力感」、「コンドームのHIV/STI感染予防有効性に関する認識」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」の尺度・変数を作成した。3)自主規制スコア 差別に対する不安から日常生活上で自主規制をしているのかどうか、7項目を用意してその有無をたずね、0〜1点に得点化して単純加算した。4)属性・健康状態と性交渉特性 年齢、最終学歴、主観的健康状態、抑うつ・不安度 (Hospital Anxiety and Depression Scale による)、性交渉時アルコール・ドラッグ使用頻度、性交渉相手のカジュアル性(「決まった相手」、「不定期の相手」各々の有無についてたずね、得点化)。

分析方法

主に、1)コンドーム使用意図・行動と各変数間の偏相関係数算出、2)コンドーム使用意図・行動を従属変数とし、偏相関分析で有意な関連性が認められた変数を階層的に投入した重回帰分析、3)構造方程式モデルを用いたパス解析、すなわち、1)〜2)までの分析結果を踏まえて修正した修正モデルと当初の仮説モデルとを比較し、修正モデルの適合度がより高まったかどうかの検討を行った。

結果

性交渉時のコンドーム使用意図と行動

コンドーム使用意図では、膣・肛門性交時に「使おうといつも思っていた」人は58.4%、オーラル性交時では16.7%。コンドーム使用行動では、膣・肛門性交時に「必ず使っていた」人は48.2%、オーラル性交時では14.0%。

膣・肛門性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因についての検討

1)コンドーム使用意図を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「自分のSTI感染予防への積極性」、「相手へのHIV感染予防への積極性」、「HIV/STIの感染し易さに関する認識(膣・肛門性交時)」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」であった。階層的重回帰分析の結果、「HIV/STIの感染し易さに関する認識(膣・肛門性交時)」はコンドーム使用意図と有意な関連性が強く認められ、また「自分のSTI感染予防への積極性が高まる」→「相手へのHIV感染予防への積極性が高まる」→「コンドーム使用意図が高まる」という関係性の存在が推察された。2)コンドーム使用行動を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「相手へのHIV感染予防への積極性」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」であった。重回帰分析結果からコンドーム使用行動はコンドーム使用意図と極めて強い関連性が認められた。「相手へのHIV感染予防への積極性」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」も、コンドーム使用行動を下げる傾向にあった。

オーラル性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因についての検討

1)コンドーム使用意図を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「HIV/STIの感染し易さに関する認識(オーラル性交時)」、「性交渉相手のカジュアル性」で、これらはいずれも、重回帰分析で同時投入しても、関連が認められた。2)コンドーム使用行動を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」であった。重回帰分析結果から、オーラル性交時のコンドーム使用行動はコンドーム使用意図と極めて強い関連性が認められた。また、「性交渉相手のカジュアル性」が高まるとコンドーム使用行動が低くなるという有意な関連が認められた。

コンドーム使用意図と行動の関連要因についてのパス解析

膣・肛門性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因、オーラル性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因、いずれにおいても、修正モデルが採択できた。すなわち修正モデルは各指標ともに仮説モデルよりも良好な値を示していた。

考察

HIV感染者の性交渉時コンドーム使用行動

本研究結果におけるHIV感染者対象の性交渉時コンドーム使用行動は、日本の一般住民やMSMを対象とした調査結果と比較するとその頻度が高く、受検により自らのHIV感染について早期に知ってもらうことは、コンドーム使用による safer sex に繋がると考えられた。その一方、HIV感染者から性交渉相手にHIV感染する可能性が全体としてはあること、またHIV感染者の多くがSTI感染やHIV重複感染のリスクにさらされている状況であることがうかがえ、彼らのコンドーム使用行動をさらに高めるための具体的支援策を考案することが急務と考えられた。

コンドーム使用意図と行動に関連する要因

コンドーム使用意図はコンドーム使用行動を決定的に規定していた。よってコンドーム使用行動を高めるためには、コンドーム使用意図に関連する要因に留意しながら、意図形成に向けた支援をまずは優先的に行ったほうが効率性の高さが期待できると考えられた。

「HIV/STIの感染し易さに関する認識」の高さは、膣・肛門性交時、オーラル性交時いずれにおいてもコンドーム使用意図を左右する重要な変数であることが示された。すなわち、あるリスク行動によるHIV/STI感染率が比較的低いという情報を流した場合、情報の受け手がそのリスク行動によるHIV/STI感染率の低さを強く認識してしまい、その行動をある程度まで回避するにとどまる可能性が示された。よって、HIV感染者に対するHIV感染予防の情報面での支援においては、行動別の感染リスクに関して、感染リスクがある行動はどれなのかを感染率よりも先に明確に伝えるという手法が有効とも考えられた。

膣・肛門性交時のコンドーム使用意図についての階層的重回帰分析の結果から、「自分のSTI感染予防への積極性」が高まるほど「相手へのHIV感染予防への積極性」が高まり、コンドーム使用意図も高まるという関係にあることが示唆された。このことから、HIV感染者に対し、HIV感染症以外の性感染症に感染することは、感染者自身の身体的負担になるため、コンドームを使用するべきという情報を提供することが、HIV感染者のコンドーム使用意図を高める有用な支援策の一つと考えられた。

コンドーム使用意図と行動に影響を与える社会的環境

HIV感染者のコンドーム使用意図や行動に直接的・間接的に関連する要因として「HIV感染の重大性に関する認識」、「コンドームのHIV/STI感染予防有効性に関する認識」などの存在が示された。これらは、自らのHIV感染を知って初めて持つ認識とは言えず、むしろHIV感染を知る前からの社会的環境の影響をも受けて形成された認識と言える。すなわち、HIV感染者のコンドーム使用意図と行動は、彼らを取り巻く社会的環境からの影響を強く受けた結果として生みだされた可能性が示唆された。よって、今後のHIV感染者のコンドーム使用行動を高める支援戦略を立てる上では、主に医療従事者らがHIV感染者に対して行う個人レベルでの介入や支援策だけではなく、HIV感染者を取り巻く社会的環境を改善する施策を取ることも必要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、本邦大都市部にある4つの医療機関に2002年11月〜2003年4月の期間に通院したHIV感染者のうち、性的接触が感染理由でありかつ過去1年間に1回以上性交渉をしたことがある男性を対象に無記名自記式質問紙による配票調査を行い、126人の結果を分析している。研究目的は、safer sex のうち「膣・肛門性交時もしくはオーラル性交時にコンドームを使用すること」に焦点をあて、HIV感染者が性交渉時にコンドームをどの程度使用しているのか、その意図と行動の実態を明らかにし、またそれらに関連する要因として何があるのかを検討することによって、支援や介入のポイントをどこに置くべきかについての示唆を得ること、さらには一般に他者への健康被害を予防する健康配慮行動について理解を深めることであり、下記の結果を得ている。

性交渉時のコンドーム使用意図と行動

コンドーム使用意図では、膣・肛門性交時に「使おうといつも思っていた」人は58.4%、オーラル性交時では16.7%。コンドーム使用行動では、膣・肛門性交時に「必ず使っていた」人は48.2%、オーラル性交時では14.0%。

膣・肛門性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因についての検討

1)コンドーム使用意図を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「自分のSTI感染予防への積極性」、「相手へのHIV感染予防への積極性」、「HIV/STIの感染し易さに関する認識(膣・肛門性交時)」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」であった。階層的重回帰分析の結果、「HIV/STIの感染し易さに関する認識(膣・肛門性交時)」はコンドーム使用意図と有意な関連性が強く認められ、また「自分のSTI感染予防への積極性が高まる」→「相手へのHIV感染予防への積極性が高まる」→「コンドーム使用意図が高まる」という関係性の存在が推察された。2)コンドーム使用行動を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「相手へのHIV感染予防への積極性」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」であった。重回帰分析結果からコンドーム使用行動はコンドーム使用意図と極めて強い関連性が認められた。「相手へのHIV感染予防への積極性」、「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」も、コンドーム使用行動を下げる傾向にあった。

オーラル性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因についての検討

1)コンドーム使用意図を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「HIV/STIの感染し易さに関する認識(オーラル性交時)」、「性交渉相手のカジュアル性」で、これらはいずれも、重回帰分析で同時投入しても、関連が認められた。2)コンドーム使用行動を従属変数とした偏相関分析と重回帰分析 偏相関分析で有意性が確認された変数は「コンドーム使用のバリアに関する認識」、「性交渉相手のカジュアル性」であった。重回帰分析結果から、オーラル性交時のコンドーム使用行動はコンドーム使用意図と極めて強い関連性が認められた。また、「性交渉相手のカジュアル性」が高まるとコンドーム使用行動が低くなるという有意な関連が認められた。

コンドーム使用意図と行動の関連要因についてのパス解析

から3. までの分析結果を踏まえて修正した修正モデルと当初の仮説モデルとを比較し、修正モデルの適合度がより高まったかどうかの検討を構造方程式モデルにより行った結果、膣・肛門性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因、オーラル性交時のコンドーム使用意図と行動の関連要因、いずれにおいても、修正モデルが採択できた。すなわち修正モデルは各指標ともに仮説モデルよりも良好な値を示していた。

以上、本論文は、これまで調べられて来なかった日本のHIV感染者の性交渉時コンドーム使用意図と行動について、その実態ならびに関連ならびに関連要因を初めて明らかにしたものであり、今後のHIV感染者のコンドーム使用行動を高める支援戦略を立てる上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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