No | 119381 | |
著者(漢字) | 池田,智子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イケダ,トモコ | |
標題(和) | 日本の中小企業労働者における抑うつの関連要因 | |
標題(洋) | The associated factors of depression among workers at small or medium sized enterprises in Japan | |
報告番号 | 119381 | |
報告番号 | 甲19381 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(保健学) | |
学位記番号 | 博医第2355号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 健康科学・看護学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに 近年の疫学研究から、仕事のストレスは各種疾病の発症リスクを高めることが明らかになり、ストレス対策に重点を置いた労働衛生行政が実施されるようになった。しかしわが国の約99%を占める中小企業においては、その実態を捉えた研究が少ないため、対策は極めて立ち遅れている。 日本ではこれまで、欧米にて開発された職業性ストレス尺度の日本語版の活用により、仕事のストレスと健康影響をとらえる研究が蓄積されてきた。しかし、統一した知見が得られていない。その理由の一つとして、日本企業の職場特性を考慮していないことが考えられる。 <日本の中小製造企業の職場特性> 現場作業を通して必要な技能を伝承していく On the job training (OJT)を基本とする。このため企業内の人間関係が、経営に直結する重要性をもつ。また、経営者との強力な縁故関係の存在が多く、縁故関係者は、繁閑に応じた弾力的労働力提供、企業内の人間関係調整の拠点という独特の役割を果たしている。OJT や縁故関係者の活用を通し、経営は極めて家族主義的である。 <研究目的> 日本の中小企業労働者に具体的なストレス対策を講じることを最終目的とし、本研究では、抑うつの関連要因を、労働者全体、経営者と縁故関係のない一般従業員、経営者とその家族従業員の3群について、男女別に解明する。 <研究の構成> 研究(1) O 区の中小企業労働者へのフォーカスグループインタビューと個人面接を実施し、質的分析により、ストレス関連要因を抽出した。研究(2) 研究1より得られた結果を用い、NIOSHの職業性ストレス理論に基づいた中小製造業労働者のストレス分析枠組みと調査票を作成し、Y市を対象に調査を実施した。仮説(1) 人間関係が経営に直結する重要性をもつという中小企業の特徴から、男女とも、抑うつを高める要因として、「対人葛藤」が強く関連している。仮説(2)「経営者または経営者の家族」の女性は、中小企業においては多様な役割を果たしていると考え、仕事の「量的負荷」と「対人葛藤」が抑うつを高める強い要因となっている。以下、研究(2)について述べる。 方法 <調査期間・対象> 2002年8月から12月に自記式調査票を配票留置法により実施した。配布・回収とも訪問による。 2000年Y市商工名鑑より、市内に存在する事業場を、業種別存在構成に合わせて約15%無作為抽出し、248事業場の3,514人を対象とした。そのうち同意の得られた2,591人に調査票を配布し2,302人より回答が得られた(回収/配布率=88.85%)。1事業場の平均従業員数は14.11人(最頻値3人)であった。対象者の基本的属性は表1のとおりである。 なお本研究は東京大学医学部倫理審査委員会の承認を得ている。 <尺度> 抑うつをストレス反応とし、CES-D20 項目を用いた。説明変数には、研究1より得られた 15項目に基づき、個人的要因、仕事のストレッサー、中小企業のストレッサー、家庭関連要因、緩衝要因を設定した。NIOSHの職業性ストレス理論を元に作成された日本語版GJSQの代用以外に独自に加えた項目は、「暮し向き」「同年代の仲間の有無」「経営者との縁故関係」「会社の将来の曖昧さ」「健康に対する周囲の無理解」「仕事-家庭葛藤」(仕事領域から家庭領域へのストレスの流出)「家庭-仕事葛藤」(家庭領域から仕事領域へのストレスの流出)である。 <分析> GJSQ 尺度の各得点を、全国の労働者25,143人の得点と比較した。基本的属性による抑うつの検討のために、T検定および ANOVA を行った。抑うつの関連要因については、労働者全体、経営者との縁故関係のない一般従業員、経営者またはその家族従業員の3群を男女別に、重回帰分析により分析した。統計パッケージJMP5.0を使用した。 結果 全国の労働者に比べて、男女とも「抑うつ」「対人葛藤」の高い値を示した。属性による抑うつの検定結果は、男女とも「34歳未満」「独身者」に抑うつの高い傾向が見られた。男性ではその他に、「勤続年数の短い人」「暮し向きの厳しい人」が、有意に抑うつの高い状態にあった。 労働者全体の重回帰分析結果を表2に示す。男女とも「量的負荷」「仕事の将来の曖昧さ」「対人葛藤」「健康に対する周囲の無理解」が抑うつに強く関連しており、仮説(1)が支持された。Karasek や NIOSH の理論による仕事の内容(要求度、裁量権)のうちでは「量的負荷」のみしか関連を示さなかった。なお一般従業員群は、労働者全体群とほぼ同様の傾向を示した。 男性のみに、「仕事-家庭葛藤」「家庭-仕事葛藤」が抑うつを高め、「既婚」「家族の社会的支援」が抑うつを低める傾向が認められた。 女性では、家庭に関する項目は、抑うつに対してどのような関連も示さず、「職場の社会的支援」が、低い抑うつとの関連を示した。また、「経営者あるいはその家族」という立場が抑うつを高める傾向が認められ、この立場の女性群の分析では、「量的負荷」と「対人葛藤」が、高い抑うつとの有意な関連を示し、仮説(2)が支持された。 考察 中小企業労働者のストレスの実態をとらえた研究は、これまでに探した限り見つからないが、一般的に「家族主義的経営のため、大企業労働者に比べてストレスを抱える従業員が少ないのではないか」といわれてきた。しかし本研究結果より、全国データに比べて男女とも抑うつ傾向や、対人葛藤の高い状態が明らかになり、対策を講じる必要性が示された。 男女とも若年層、独身者に抑うつの高い傾向が見られた。近年の若年労働者の、労働と生活に対する意識の変化の他、伝統を重視する職場環境に参入する時点での、能力的あるいは意識的な不適応も考えられる。 男女ともに抑うつと強い関連が見られたのは、「量的負荷」「仕事の将来の曖昧さ」「対人葛藤」「健康に対する周囲の無理解」であった。 「量的負荷」「仕事の将来の曖昧さ」は、近年の不況による、取引先大企業からの短期納入やコストダウン等の厳しい要求や、リストラに伴う労働力減少、将来展望困難な状況からくるものと考えられる。「対人葛藤」は、閉鎖的・固定的かつ、経営に直結する重要性をもつ中小企業独特の人間関係から起こるものと考えられる。「健康に対する周囲の無理解」は、技能と共に伝承されてきた、仕事に対する厳しい姿勢や職場文化の反映と、病気が失職に直結するために体調不良を表明できない状況の2面性を反映していると考えられる。 企業の経営状況に応じて、労働負荷が、経営者またはその家族従業員の立場の女性に多くかかるようになるのは、中小企業の特徴といえる。さらにこの立場の女性は、職場内の複雑な人間関係を調整する役割も担っているために、「量的負荷」と「対人葛藤」が抑うつを高めていると考える。 中小企業のストレス対策 本研究の結果より導き出される中小企業労働者へのストレス対策を考える。まず、「健康に対する周囲の無理解」が、一般従業員のみならず、経営者または経営者の家族の抑うつも高める要因となっていたことから、「健康を重視する新たな職場文化」の構築が必要であると考える。また、経営者またはその家族の立場の女性従業員に対して、家業に対する伝統的姿勢や、性別役割を求める意識が内在していないか考え直し、職場で支援していく必要もある。以上の2点は、職場の労働者全体で取り組むことができるよう、支援していくことが重要な課題であるといえる。 また、現在行われている「健康診断の後の事後フォロー」という形の保健活動を見直したいと考える。本研究の対象者は、診断されることが失職に直結するために、健康診断や受診を避ける傾向がある。そのため、人生全体を考慮した長期的関わりの方が有効であると考える。さらに、閉鎖的な人間関係や、独特の健康軽視の職場文化を打開するためには、個々の企業内で閉鎖的に伝承されている技能を、地域や国が評価、保護、保障していくことも必要ではないかと考える。健康のみならず、技能伝承との両立を目指さなければならないためである。 結論 中小企業労働者における抑うつの関連要因は、組織的特徴や経済的困難さを反映しており、男女差のある要因も明らかになった。企業内の労働者が中心となって取り組むべき対策、現在行われている健康支援活動方法の見直し、地域や国が担当すべき役割の各側面から、具体的示唆が得られた。 対象者の基本的属性 中小企業男女労働者の抑うつに関連する要因(有意な関連の認められたもの) | |
審査要旨 | 本研究は、労働者のストレス対策に関心の高まるわが国において、いまだ実態解明が遅れている中小企業労働者に焦点をあてたものである。はじめに、インタビューによる質的研究を行い、世界で汎用されている NIOSH職業性ストレス調査票のみではとらえきれない中小企業労働者に特有の実態を把握し、NIOSH職業性ストレス調査票に加えて独自の調査票を作成した。次にこの調査票を用いて2,591人を対象にした疫学的研究を実施し、わが国の中小企業労働者に見られる抑うつの実態とその関連要因を明らかにした。本研究を通して得られた結果は下記のとおりである。 インタビューによる質的研究から得られた中小企業労働者のストレス要因「社内に同年代の仲間の有無」「経営者との縁故関係」「会社の将来の曖昧さ」「健康に対する周囲の無理解」等、これまでの職業性ストレスの測定尺度にはない項目が、新たに抽出された。 疫学的的研究による中小企業労働者の職業性ストレスの特徴 NIOSH 職業性ストレス調査票の各項目を、全国の大企業労働者のデータと比べると、男女とも「抑うつ」と「職場のグループ内の心理的対人葛藤(以下、対人葛藤)」が高いことが明らかになった。高い抑うつ傾向には、「量的負荷」「対人葛藤」「仕事の将来の曖昧さ」「健康に対する周囲の無理解」という多様な要因が関連しており、これまで欧米各国で数多く見出されている「仕事の要求度と自由裁量権のアンバランス」や「仕事と家庭の葛藤」のみでは説明できないものが多く含まれていた。基本的属性では、男女とも「34歳未満」「独身者」に高い抑うつ傾向が認められた。 男女差の認められた抑うつの関連要因 男性でのみ、「仕事から家庭への葛藤」「家庭から仕事への葛藤」の両方が高いほど抑うつが高く、また「既婚」「家族の社会的支援」が高いほど抑うつが低いという関連が示された。一方女性では、「経営者またはその家族」という立場はそれ以外の一般従業員に比べて抑うつが高く、「職場の社会的支援」が高いほど抑うつが低いという関連が認められた。経営者またはその家族の女性は、「量的負荷」と「対人葛藤」が高いほど抑うつが高かった。従来の大企業中心の研究では、仕事のストレス要因や家庭関連要因が精神健康に及ぼす影響の男女差に関して、統一した知見が得られていないが、本研究における男女差は顕著であった。 中小企業労働者のストレス要因の背景 中小企業労働者の抱える問題の多様性、独自性が、本研究より明らかにされたが、その背景には、中小企業の経営的・組織的特徴、経営に直結する人間関係の重要性、技能と共に伝承される職場文化、近年の不況の影響、若年層の伝統職場参入への不適応、女性家族従業員の家業に対する姿勢、男女の性別役割意識、というような事象が存在することを、インタビューにより考察した。 本研究から導き出される中小企業労働者へのストレス対策 職場全体で取り組む課題として、健康重視の新たな職場文化の構築と、経営者またはその家族の女性労働者に対する理解と支援が考えられた。職場外からの健康支援としては、失職不安のため健康診断や受診を避ける傾向があるため、現行の「健康診断」中心の保健活動に加えて、仕事と健康の両立を目指す長期的関わりが必要であると考えた。また、若年層の職場適応と技能伝承という中小企業の重要課題と健康を両立させるために、閉鎖的人間関係を打開し、中小企業の技能を公に評価、保護、保障していくことが必要と考えられた。 本研究は、インタビューによる質的研究とわが国最大規模の疫学的研究を同時に実施したことにより、これまで詳細が明らかにされていなかった中小企業労働者の抑うつとその関連要因の実態を明らかにした。また、欧米あるいは日本の大企業労働者における職業性ストレスの構造とは異なる固有の問題が存在することを突き止めた。それによって、独自の具体的対策への示唆を導き出した。このため本研究は、産業保健学研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考える。 | |
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