学位論文要旨



No 119384
著者(漢字) 田中,美加
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ミカ
標題(和) 低用量エストロゲン様化学物質の周産期曝露がマウスの行動および視床下部エストロゲン受容体α陽性細胞に与える影響
標題(洋) The effects of perinatal exposure to low-dose estrogenic chemicals on behaviors and hypothalamic estrogen receptor-α-positive cells in mice
報告番号 119384
報告番号 甲19384
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2358号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 講師 渡邊,洋一
内容要旨 要旨を表示する

緒言

多くの化学物質がエストロゲン様作用を持ち、エストロゲン受容体を介した生体作用を引き起こすことが知られている。エストロゲンは脳の発達において、細胞分化・移動、細胞の生死、シナプスの可塑性、脳の性分化やそれに関連する行動および認知機能に影響することが知られているが、エストロゲン様内分泌撹乱物質 (EDs) の周産期曝露による中枢神経系への影響については未解明の点が多い。合成エストロゲンであるジエチルスチルベストロール (DES) は、血清中で胎児性タンパク質に結合しないなどEDsと類似した特長を持っため、DESの中枢神経系および行動に及ぼす影響を調べることは、エストロゲン様作用を持つEDsのリスクを評価するために有用である。しかし、これまで行われたDES研究は、ヒトのリスクを推定するには高い用量で行われたものが多く、低用量DESに関する知見は少ない。

本研究では、低用量DESをマウスに周産期曝露させ、出生仔の成長後における行動および中枢神経系への影響を検討した。これまで低用量 DES 周産期曝露における行動変化としては、攻撃行動の増加、学習試験成績の抑制が報告されている。そこで、げっ歯類において成獣期に性的二型性があるとされているオープンフィールド活動量、受動回避学習、性行動、攻撃行動について、同一個体に複数の試験を一度に行いDESの行動への影響を特徴づけることを試みた。また、周産期のエストロゲンによってエストロゲン受容体数およびドーパミンニューロン数の性差が生じることが知られているので、これらの行動に関連する脳の神経核についてその変化を検討した。EDsの中枢神経系への影響は、いくつかの研究において、細胞・組織レベルで調べられているが、個体レベルの影響と組織レベルの影響を同時に評価したものは少ない。

加えて、上記の実験において、低用量DESは成長後の行動と視床下部におけるエストロゲン受容体数を変化させたことをふまえ、その機序を探るために、エストロゲン受容体数の変化が新生仔期にも認められるか否かを検討した。また、エストロゲンおよびビスフェノールA(RPA) がMAP kinaseシグナル伝達系を介してシナプス形成を促進することを報告した先行研究に基づき、低用量DES周産期曝露が新生仔期のERK/MAP kinaseに与える影響についても検討した。なお、新生仔期の分析には、DESに加え代表的なエストロゲン様EDであるBPAについても検討した。

方法

成獣期の行動とエストロゲン受容体α免疫陽性細胞数(ER-IR数)およびチロシン水酸化酵素免疫陽性細胞数(TH-IR数)に対する影響

11匹のC57BL/6 Cr Slc 妊娠マウスを3群に分け、コーンオイルに溶解したDES (0.3 or 3μg/kg/day;DES O.3 or DES 3と略記) もしくはコーンオイルのみ (CON) を、妊娠11-17日および出産後2-6日に経口投与した。生後2日に、各腹をオス2匹、メス2匹に間引きし、複数の行動試験に使用した。行動試験としては、9週齢にオープンフィールド試験、12週齢に受動回避学習試験(オス,メス,各n=22)、19週齢に性行動試験、21週齢に攻撃行動試験(オスのみ,n=22)をそれぞれ行った。すべての試験が終了した後、成績に有意な差が認められた DES 3と CON のオスの脳についてER-IR数(腹内側核、扁桃体内側核領域)およびTH-IR数(腹側被蓋野、中脳中心灰白質、青斑核領域)を免疫組織化学的手法で分析した。行動試験成績はオス・メスそれぞれについて各腹2匹の平均値を算出し、これを統計解析に用いた。

新生仔期の ER-IR 数と ERK/MAP Kinase に対する影響

DES (3 μg/kg/day) と BPA (500 μg/kg/day) を、2-1と同様に母マウスに投与し、7日齢でオス仔マウスを解剖、脳(内側視索前核、腹内側核、扁桃体内側核領域)の ER-IR 数と ER および ERK/MAP kinase レベルを免疫組織化学的手法とウエスタンブロッティングで測定した。

結果

成獣期の行動と ER-IR 数および TH-IR 数に対する影響

妊娠時の体重増加、出生仔数および性比、出生時体重において各群間に有意差はなかった。オープンフィールド試験における移動量は、オス・メスともに DES 投与量依存的に増加した(図1)。受動回避試験では、オスの DES3 群は他の群と比較して有意に学習成績が低かったが、メスでは学習を観察することができなかった(図2)。オスの性行動(マウント数)および攻撃行動(攻撃回数)は用量依存的に増加する傾向を示したが統計学的有意差はなかった。これらの行動成績間の相関を検討したところ、オスにおいてオープンフィールド活動量と受動回避学習試験の成績、および受動回避学習試験と性行動には負の相関(それぞれr=-0.77,r=-0.71)、性行動と攻撃行動には正の相関 (r=0.85) を認めた。

視床下部腹内側核領域のER-IR数はDES 3群が対照群より有意に高値であった(図3)。扁桃体領域のER-IR数およびすべての領域のTH-IR数には群間差を認めなかった。

新生仔期の ER-IR 数と ERK/MAP kinase に対する影響

新生仔期の ER-IR 数は、扁桃体領域において BPA 群が対照群より平均値としては高値であったが有意差はなかった(図4)。ERとERK/MAP kinase レベルについてはいずれの群間においても差を認めなかった。

考察

本研究において、DESの低用量周産期曝露は成長後のオス・メス共にオープンフィールド活動量を増加させ、オスにおいて受動回避学習試験の成績を抑制した。また、オスの腹内側領域の ER-IR 数を増加させることを始めて見出した。

今回の行動試験の結果は、本研究で使用した用量と同等の DES を使用し周産期曝露させた先行研究とほぼ一致した。Takahama ら (2001) の報告では、マウスにおいて受動回避学習試験成績の抑制を報告している。また、本研究では有意とはならなかったが、攻撃行動の増加も Palanza ら (1999) の結果と一致している。最近発表された Kubo ら (2003) の報告では、ラットにおいてオスのオープンフィールド活動量増加に起因する性差の消失が認められている。

しかし、BPAやノニルフェノールなどのエストロゲン様作用を持つEDsを用いた結果と比較すると、以下の相違点がある。1)BPAにおいては、オープンフィールド活動量と受動回避学習試験は DES と同様の傾向報告している論文があるが、性行動および攻撃行動についてはDESと異なる結果が報告されている 2)ノニルフェノールでは、オープンフィールド活動量は変化せず、そのほかの性的二型を示す行動についても変化を示す報告はない。

腹内側核領域の ER-IR 数の増加と行動試験の結果の因果関係は、本研究では言及できないが、腹内側核はげっ歯類において活動量や性・攻撃行動に関連することが知られており、これらの因果関係についてはさらなる研究が必要である。

これまでの周産期 DES の中枢神経系への影響は、非常に高用量の DES を使用し評価されており、本研究とは異なる結果(攻撃行動、性行動が減少し、オープンフィールド試験は変化がなし)を報告している。また、視床下部の ER の発現も高用量 DES では本研究と反対の結果(内側基底視床下部の ER の発現量の減少)を報告している。このことは、DESが高用量と低用量で中枢神経系に異なる影響を及ぼす可能性を示唆している。

げっ歯類の出生前後において、睾丸からのテストステロンから変換されたエストロゲンは、脳のオス化を促進することが知られている。低用量 DES を用いた本研究の結果で、有意差はなかったもののオスに特徴的である性行動や攻撃行動が増加傾向を示したこと、オスの受動回避学習試験成績がメスの成績に近づいてきたことは性的二型性という点から見ると、互いに矛盾した結果である。また、本研究以外でも、低用量 DES は、上記のオスラットにおけるオープンフィールド活動量の変化や精巣重量の減少などのメス化ととれる変化が報告されている一方で、視索前野の性的二型核の大きさには影響しないことが報告されている。これらの事実はDESの影響の性的二型性という視点からの評価は、エンドポイントによって異なり、DESが複数の作用経路に影響し性分化に関連する中枢神経系に作用していることを示唆している。

新生仔期の ER と ERK/MAP kinaseは、DES、BPAいずれの曝露においても影響は認められず、成獣期の行動変化に新生仔期のエストロゲン受容体の発現、および先行研究においてシナプス形成の変化との関連が示された ERK/MAP kinase が関与するのではないかという仮説を支持する結果は得られなかった。この結果に関しては以下の点が考察できる。まず、ER発現の性的二型性はラットにおいては生後10日ごろより認められることが報告されている。今回は生後7日で ER-IR 数を評価したが、ERの変化を感知するには早すぎた可能性が否定できない。次に、シナプス形成への影響は、よりシナプス形成を直接反映すると考えられるシナプシンIやシナプトフィジンなどのシナプス関連タンパクをマーカーとして用いた評価を行う必要がある。また、in vivo において、オスは出生直後に睾丸から高濃度のテストステロン(神経細胞内でエストロゲンに変換される)を分泌する。エストロゲン様 EDs は内因性エストロゲンが共存するとその活性が高まることが報告されており、内因性エストロゲンの濃度の違いが in vivo と in vitro の結果の差異に関与した可能性がある。

結論

低用量 DES の周産期曝露は、成獣期では、オス・メス共にオープンフィールド活動量を増加させ、オスにおいて受動回避学習試験の成績を抑制した(メスでは学習が成立しなかった)。これらの観察された行動変化の中には、性的二型性という点から見て互いに矛盾しているものがあったことは、DES の中枢神経系への毒性を考える際注意する必要がある。また、DES 周産期曝露によるオスの腹内側核領域の ER-IR 数の増加を認めた。これまでに EDs による脳内 ER-IR 数の変化の報告はない。観察された行動変化とER-IR数増加との関連はさらなる研究が必要である。一方、新生仔期においては、DES、BPAいずれの曝露においてもエストロゲンレセプターと ERK/MAP kinase に影響は認められず、成獣期の行動変化に新生仔期のエストロゲン受容体発現およびシナプス形成の変化が関与するという仮説を支持する結果は得られなかった。

周産期 DES によるオープンフィールド活動量(9週齢)への影響異なるアルファベットを付した群は互いに有意差があるn=3-4 One way ANOVA,p<0.05.

周産期 DES による受動回避学習試験(12周齢)への影響n=3-4 Two way ANOVA,p<0.05.

周産期DESによる腹内側核 (VMH) および扁桃体 (AM) 領域における ER-IR数(37-37週齢)への影響n=3-4 *One way ANOVA,pく0.05

周産期 DES およびBPA曝露による新生仔(7日齢)内側視索前核 (MPN) ,腹内側核 (VMH) および扁桃体 (AM) 領域における ER-IR 数への影響.n=4

審査要旨 要旨を表示する

本研究はエストロゲン様内分泌撹乱化学物質の周産期曝露による中枢神経系への影響を解明するため、そのモデル物質として低用量ジエチルスチルベストロール (DES) を用い、出生仔マウスの成長後における行動と新生仔期および成長後の中枢神経系への影響を検討したものであり、下記の結果を得ている。

C57BL/6 Cr Slc 妊娠マウスを3群に分け、コーンオイルに溶解したDESもしくはコーンオイルのみを、妊娠11-17日および出産後2-6日に経口投与し、出生仔の成長後の行動を検討した。その結果、オープンフィールド試験における移動量は、オス・メスともに DES 投与量依存的に増加することが示された。また、受動回避学習試験では、オスにおいて DES 投与量依存的に抑制されることが示された。オスの性行動(マウント数)および攻撃行動(攻撃回数)においては統計学的有意差はなかったが、DES 投与量依存的に増加する傾向を示した。

これらの行動成績間の相関を検討したところ、オスにおいてオープンフィールド活動量と受動回避学習試験の成績、および受動回避学習試験と性行動には負の相関(それぞれr=-0.77,r=-0.71)、性行動と攻撃行動には正の相関 (r=0.85) が示された。

成獣期の視床下部腹内側核領域のエストロゲン受容体α免疫陽性細胞数は、DES 投与群が対照群より有意に高値であることが示された。扁桃体領域においては有意差は認めなかった。

成獣期のチロシン水酸化酵素免疫陽性細胞数は、腹側被蓋野、中脳中心灰白質、青斑核領域いずれの領域においても群間差を認めなかった。

新生仔期のエストロゲン受容体α免疫陽性細胞数およびエストロゲン受容体αレベルは、内側視索前核、視床下部腹内側核、扁桃体において有意差はなかった。

シナプス形成時のシグナル伝達分子である ERK/MAP kinase レベルについてもいずれの領域においても差を認めなかった。

以上、本論文は低用量DESの周産期曝露は、成獣期では、オス・メス共にオープンフィールド活動量を増加させ、オスにおいて受動回避学習試験の成績を抑制することを明らかにした。また、DES 周産期曝露によるオスの腹内側核領域のエストロゲン受容体α免疫陽性細胞数の増加は、本研究によって初めて報告される知見であり、エストロゲン様内分泌撹乱物質の中枢神経系へのリスク推定に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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