学位論文要旨



No 119391
著者(漢字) 小川,知香子
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,チカコ
標題(和) 中性配位型有機触媒を用いる有機合成反応の開発
標題(洋)
報告番号 119391
報告番号 甲19391
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1052号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
内容要旨 要旨を表示する

環境への負荷を低減化し、かつ効率的で実用性の高い有機合成の手法を開発することは、現代の有機化学において最も重要な課題の一つである。有機分子を触媒とする反応は古くから知られているが、金属を必要としないという点から、近年改めて有機化学者の注目を集めている。これらの反応は、用いる有機触媒の機能形式により、いくつかのタイプに分類される。すなわち、水素結合を介する反応や基質と共有結合した中間体を経由する反応、また配位による反応基質の活性化によって進行する反応などが代表的な例である。一方当研究室では、アリルトリクロロシランを用いるアルデヒドやN-アシルヒドラゾンへのアリル化反応が、金属触媒を添加することなくN, N-ジメチルホルムアミド (DMF) を溶媒とすることにより円滑に進行し、目的のホモアリルアルコ-ル及びホモアリルヒドラジドが立体選択的に得られることを既に見出している (Schemel, 2)。ここでDMFは、アリルトリクロロシランのケイ素原子に配位、活性化する有機触媒として機能している。

その後、同様の機能を有する分子がいくつか見出され、さらにアルデヒドの触媒的不斉アリル化反応を実現する有機分子として、光学活性ヘキサメチルホスホラスアミド (HMPA) 誘導体やピリジンN-オキシド誘導体が既に報告されている。これらの化合物は中性分子であり、類似の高配位ケイ素化合物を形成することが知られているフッ素アニオンやアルコキシドアニオンとは区別される。そこで筆者は、このような機能を有する電荷的に中性な有機分子を中性配位型有機触媒 Neutral Coordinate Organocatalyst (以下NCO) と定義し、それを用いる新規な立体選択的合成反応の開発を行った。

ケトン由来のN-アシルヒドラゾンのアリル化反応

N-tert-アルキルホモアリルアミンは、ケチミンのアリル化反応により合成することが考えられるが、ケチミンはその立体的、電子的要因からアルジミンよりも反応性が低く、またエナミンへの異性化も容易に起こる為、立体選択的なアリル化反応はこれまでほとんど報告されていなかった。そこで、筆者は、ケトン由来のアシルヒドラゾンをケチミン等価体として用い、DMFをNCOとするアリル化反応を検討した。その結果、種々の芳香族ケトン由来のN-アシルヒドラゾンのアリル化反応が円滑に進行することを見出した (Scheme 3)。また、クロチル化反応の検討においては、興味深いことに、ヒドラゾンとDMFが反応して生成したと考えられるジヒドロピラゾール誘導体が副生する問題もみられたが、さらに反応条件の最適化を行った結果、高い立体選択性をもってN-tert-アルキルホモアリルヒドラジドを合成することができた (Scheme 4)。また、生成物のN-N結合を還元的に切断すると、syn、anti両方のN-tert-アルキルホモアリルアミンヘと誘導できることも明らかにした。

高分子固定化NCOの開発

高分子固定化触媒を用いる反応は反応操作が簡便であり、触媒の回収、再使用が可能であること、さらに自動合成への展開が期待できることなどから魅力的な反応である。筆者は、前述のNCOの一つであるDMFを高分子に固定化し、高分子固定化NCOとして用いることで、DMFの量を溶媒量から低減化させることを考えた。そこで、DMFに類似した構造を持つ Polymer-Supported (PS)-Formamide 1を合成した (Figure 1)。1はアルデヒドのアリル化およびクロチル化において有効に機能し、さらには触媒量への低減化も可能であることも分かった (Scheme 5)。またクロチル化のジアステレオ選択性は DMF 溶媒を用いた際の結果と同じ傾向であることから、1がDMFと同様の機構で反応基質を活性化していることが示唆された (Scheme 6)。本例は、高分子固定化ホルムアミドをNCOとして合成反応に用いた初めての例である。また、1は非常に安定であり、反応後の回収、再使用も可能であることも明らかにした。

光学活性スルホキシドを用いるN-アシルヒド予ゾンの不斉アリル化反応5

アリルトリクロロシランとNCOを用いるアルデヒドの触媒的不斉アリル化反応は、前述したように既にいくつかの研究グループにより光学活性 HMPA 誘導体やピリジンN-オキシド誘導体を触媒とする例が報告されているが、アリルトリクロロシランを用いるイミン等価体へのエナンチオ選択的不斉アリル化反応は、これまで成功例がなかった。筆者はNCOを用いる反応開発の新たなステップとして、光学活性NCOによるN-アシルヒドラゾンへのエナンチオ選択的アリル化反応の開発を行った。アルデヒドとアシルヒドラゾンでは反応性に差があり、各々の反応の活性化に最適なNCOは異なることが予測されたため、まず、N-アシルヒドラゾンとアリルトリクロロシランの反応に有効なNCOの再探索を行った。その結果、HMPA 誘導体やピリジンN-オキシド誘導体を触媒とする例が報告されているが、アリルトリクロロシラン誘導体、ピリジンN-オキシド誘導体、DMF以外にもホスフィンオキシド及びスルホキシドが有効であることが分かった。そこで、筆者は1) 光学活性スルホキシドを不斉源として用いるエナンチオ選択的反応の成功例が少ないこと、2) 硫黄原子上にキラリティーを有する化合物の合成は比較的容易に行うことができること、を考慮に入れ、スルホキシドを新たなNCOとして選択した。まず、入手容易な(R)-Methyl p-tolyl sulfoxide 2を用い、不斉反応へ展開したところ、3当量のNC0 2 の存在下において高いエナンチオ選択性をもって目的物を得ることができた (Scheme7)。またクロチル化においても、高いジアステレオ選択性及びエナンチオ選択性をもって対応するsyn、antiホモアリルアミン誘導体を作り分けることができた (Scheme 8)。

ホスフィンオキシドを用いるN-アシルヒドラゾンのアリル化

一方、これまで用いてきたスルホキシドは、1) 酸性条件下で不安定であるため酸の補足剤の添加が必須であること、2) 芳香族アルデヒドおよびα, β-不飽和アルデヒド由来のN-アシルヒドラゾンに対しては活性化が十分でないこと、3) 十分な立体選択性で生成物を得るためには3当量の不斉源を必要とすること、といった問題点があった。そこでより効率的で汎用性のある反応系へ展開するために、次にNCOとしてホスフィンオキシドを用いることにした。まず、種々のモノホスフィンオキシドを探索した結果、Ph3P=Oが有効であることを見出したが(Scheme9)、基質によっては、低収率でしか生成物を得られなかった。そこで、Ph3P=O の当量を0.5 当量から 3 当量まで詳細に検討した結果、2当量の添加が最も効果的であることが分かった (Figure 2)。この結果を基に、メチレン架橋されたビスホスフィンオキシドを用いる検討を行った (Scheme 10)。その結果、三炭素で架橋された1,3-bis(diphynylphosphino)propane dioxide(dppp-dioxide)が最も活性が高く、これを用いた基質一般性の検討では、スルホキシドの系では生成物を得ることのできなかった芳香族アルデヒド由来の基質のクロチル化反応、さらにα, β-不飽和アルデヒド由来のN-アシルヒドラゾンのアリル化およびクロチル化反応が進行することを明らかにした (Scheme 11)。

α-N-アシルヒドラジノエスチルの不斉アリル化

アミノ酸は生体分子の構成ユニットとしてだけでなく、合成化学的にも重要な位置を占め、その効率的な合成法の開発は依然として重要な課題である。α-イミノエステルへの求核付加反応はα-アミノ酸を得るための最も効率のよい合成手法の一つである。そこで、筆者はα-N-アシルヒドラジノエステルを求電子剤とし、光学活性NCOを用いる不斉アリル化反応によるα-アミノ酸誘導体合成に着手した。まず、アルデヒド由来のN-アシルヒドラゾンの不斉アリル化において有効であった2を用い、検討を行った。しかしながら、有望な結果を得ることはできず、本基質を用いた反応系において、2は有効な不斉環境を構築できていないことが承唆された。そこで筆者は 2 とは構造的に全く異なり、かつ、前述のように2よりも安定である光学活性 BINAP-dioxide 3 を新たな不斉源として選択した。3を2当量用いてアリル化反応及びクロチル化反応を行ったところ、極めて高い収率、立体選択性をもって反応が進行し、自的とする生成物が得られることを見出した (Scheme 12)。クロチル化反応により得られた生成物は、アリル基の還元、N-N結合切断、エステルの加水分解により、alloisoleucine およびその類縁体へと誘導可能であることも明らかにした。

Allylation of Aldehydes

Allylation of Aidehyde-Derived Hydrazones

Allylation of Ketone-Derived Hydrazones

Crotylations of Ketone-Derived Hydrazones

Allylation of Aldehyde Using Catalytic Amount of PS-Formamide 1

Crotylation of Aldehyde Using PS-Formamide 1

Asymmetric Allylation of N-Acylhydrazone Using Chiral NCO

Asymmetric Crotylation of N-Acylhydrazone Using Chiral NCO

Phosphine Oxide as NCO

Effect of the Amount of Ph3P=O

Effect of Bisphosphine Oxides

Allylation and Crotylation of N-Acylhydrazones Using Dppp Dioxide

Allylation and Crotylation Using BINAP-Dioxide

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、独自に見出した求核試薬の活性化剤であるN,N-ジメチルホルムアミド(DMF)やヘキサメチルホスホラスアミド (HMPA)、ピリジンN-オキシドなどの電荷的に中性な分子を、それまで知られていたフッ素アニオンやアルコキシドアニオンなどと明確に区別し、中性配位型有機触媒 Neutral Coordinate Organocatalyst (以下NCO) と定義し、それを用いる新規な立体選択的合成反応の開発を行った結果について述べたものである。

まず第一章では、ケトン由来のN-アシルヒドラゾンのアリル化反応によるN-tert-アルキルホモアリルアミンの効率的合成法について述べている。ケチミンはその立体的、電子的要因からアルジミンよりも反応性が低く、またエナミンへの異性化も容易に起こるため、これまで立体選択的なアリル化反応はほとんど報告されていなかった。本論文はこの問題に取り組み、ケトン由来のアシルヒドラゾンをケチミン等価体として用い、DMFをNCOとするアリル化反応を検討し、種々の芳香族ケトン由来の N-アシルヒドラゾンのアリル化反応が立体選択的に進行することを見出している。また、生成物のN-N結合を還元的に切断すると、syn、anti 両方のN-tert-アルキルホモアリルアミンヘと誘導できることも明らかにしている。

第二章では、高分子固定化NCOについて述べている。高分子固定化触媒を用いる反応は反応操作が簡便であり、触媒の回収、再使用が容易であること、さらに自動合成への展開が期待できることなどから、現在、有機合成化学の分野で最も注目を集めている触媒の一つである。本論文は、前述のNCOの一つであるDMFを高分子上に固定化することを考案し、DMFに類似した構造を持つPolymer-Supported (PS)-Formamideを合成し、これがアルデヒドのアリル化およびクロチル化において有効に機能すること、さらには溶媒量から触媒量への低減化も可能であることを明らかにしている。本例は、高分子固定化ホルムアミドをNCOとして合成反応に用いた初めての例であり、また、ここで開発された触媒は非常に安定であり、反応後の回収、再使用も可能であることも明らかにしている。

第三章では、NCOとして光学活性スルホキシドを用い、N-アシルヒドラゾンの不斉アリル化反応を達成した結果について述べている。NCOを用いるアリルトリクロロシランとアルデヒドの触媒的不斉アリル化反応は、すでにいくつかの研究グループによる報告例があるが、イミン等価体のエナンチオ選択的不斉アリル化反応はこれまで成功例がなかった。本論文はNCOを用いる反応開発の新たなステップとして、光学活性NCOによるN-アシルヒドラゾンへのエナンチオ選択的アリル化反応の開発を行っている。アルデヒドとアシルヒドラゾンでは反応性に差があり、各々の反応の活性化に最適なNCOは異なることが予測されたため、本論文ではまず、N-アシルヒドラゾンとアリルトリクロロシランの反応に有効なNCOの再探索を行っている。その結果、これまで知られているNCO以外にもホスフィンオキシド及びスルホキシドが有効であることを明らかにしている。ここでは、光学活性スルホキシドを不斉源として用いるエナンチオ選択的反応の成功例が少ないこと、および硫黄原子上にキラリティーを有する化合物の合成が比較的容易であることを考慮に入れ、スルホキシドを新たなNCOとして選択している。まず、入手容易な(R)-Methyl p-tolyl sulfoxide を用い不斉反応へ展開したところ、3当量の光学活性スルホキシドの存在下において高いエナンチオ選択性をもって目的物を得られることを明らかにしている。またクロチル化においても、高いジアステレオ選択性及びエナンチオ選択性をもって対応する syn、anti ホモアリルアミン誘導体を作り分けることができることも示している。

さらに第四章では、NCOとしてホスフィンオキシドを用いる検討について述べている。第三章で用いたスルホキシドは、酸性条件下で不安定であるため酸の補足剤の添加が必須であること、芳香族アルデヒドおよびα,β-不飽和アルデヒド由来のN-アシルヒドラゾンに対しては活性化が十分でないこと、十分な立体選択性で生成物を得るためには3当量の不斉源を必要とすること、といった問題点があった。そこでより効率的で汎用性のある反応系へ展開するために、種々のモノホスフィンオキシドを探索した結果、Ph3P=Oが有効であることを見出しているが、同時に、基質によっては低収率でしか生成物を得られないこともわかった。そこで、Ph3P=Oの当量を0.5当量から3当量まで詳細に検討した結果、2当量の添加が最も効果的であることを見出している。この結果を基に、メチレン架橋されたビスホスフインオキシドを用いる検討を行い、三炭素で架橋された1,3-bis(diphynylphosphino)propane dioxide(dppp-dioxide)が最も活性が高く、これを用いた基質一般性の検討では、スルホキシドの系では生成物を得ることのできなかった芳香族アルデヒド由来の基質のクロチル化反応、さらにα,β-不飽和アルデヒド由来のN-アシルヒドラゾンのアリル化およびクロチル化反応が進行することを明らかにしている。

第五章では、第四章で得られた結果に基づき、光学活性ホスフィンオキシドを用いるα-アミノ酸誘導体の高立体選択的合成について述べている。アミノ酸は生体分子の構成ユニットとしてだけでなく、合成化学的にも重要な位置を占め、その効率的な合成法の開発は非常に重要な課題である。本論文では、α-N-アシルヒドラジノエステルを求電子剤とし、光学活性NCOを用いる不斉アリル化反応によるα-アミノ酸誘導体合成を計画している。本法は、α-アミノ酸を得るための最も効率のよい合成手法の一つであると評価される。光学活性NCOとしては、第三章でその有用性を示した光学活性スルホキシドを用いているが、有望な結果を得ることはできていない。一方、これとは異なる骨格を有する光学活性 BINAP-dioxide を新たな不斉源として選択したところ、これを2当量用いてアリル化反応及びクロチル化反応を行うと、極めて高い収率、立体選択性をもって反応が進行し、目的とする生成物が得られることを見出している。クロチル化反応により得られた生成物は、アリル基の還元、N-N結合切断、エステルの加水分解により、alloisoleucine およびその類縁体へと誘導可能であることも明らかにしている。

以上、本論文は、カルボニル関連化合物への求核付加反応という、有機反応の中でも最も基本的かつ重要な反応において、中性配位型有機触媒 Neutral Coordinate Organocatalyst という新たな活性化剤を定義し、その有機合成における有用性を示したものである。したがって本論文は、有機合成化学、医薬品化学の分野に貢献するところ大であり、よって博士 (薬学) の学位に値するものと判定した。

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