学位論文要旨



No 119406
著者(漢字) 有光,なぎさ
著者(英字)
著者(カナ) アリミツ,ナギサ
標題(和) 遺伝子欠損マウスを用いた転写伸長因子S-IIの発生における機能の解析
標題(洋)
報告番号 119406
報告番号 甲19406
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1067号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

[序]

mRNAの伸長反応は鋳型DNAの配列、構造、誤った塩基の取り込みなど様々な要因により一時停止、もしくは中断してしまうことがある。その場合に転写伸長因子S-IIが転写途中に中断したRNAポリメラーゼIIと結合し、そのRNAポリメラーゼIIが本来持つRNA鎖分解能を促進し安定した中断配列を分解することでRNAポリメラーゼIIの転写反応を再開させると考えられている。

S-IIは真核細胞において酵母からヒトに至るまで広く存在し、多細胞生物では様々な組織に発現している。近年当教室においてS-II欠損酵母は通常培養条件下では増殖可能であるが、6-アザウラシルや酸化的ストレスに対して感受性であること、また、マウスS-IIは組織特異的転写因子FESTAやHOXと相互作用することが示唆されている。このことはS-IIが他の転写因子との相互作用を介した遺伝子発現制御を行うことにより発生や組織の機能維持に働く可能性を示す。しかしながら多細胞生物の発生におけるS-IIの機能は明らかでない。そこで本研究ではS-II遺伝子欠損マウスの作出を試み、多細胞生物での発生におけるS-IIの必要性を検証した。そしてS-IIが機能する局面を知るために、S-II欠損マウスにおいて発現が変化する遺伝子群を解析し赤血球に特異的に発現する複数の遺伝子の発現量が低下していることを見いだし、S-IIが赤血球産生に必要であることを示唆する結果を得た。

[方法と結果]

S-II遺伝子欠損マウスの作出

S-IIがマウスの発生に必須であるかを知るため、S-II遺伝子欠損マウスの作出を行った。S-II遺伝子は10個のエクソンから構成されている。エクソン4の一部を欠失させたターゲッティングベクターを用い、heterozygous S-II遺伝子欠損マウスを作出した (Fig 1,2)。

Heterozygous S-II遺伝子欠損マウス同士の交配により誕生した仔マウス(4週齢)の遺伝子型を調べた結果、S-II遺伝子欠損マウスが存在しないことが判明した。さらに日齢をさかのぼっていくと胎生16.5日以降ではS-II遺伝子欠損マウスが存在しないが、胎生12.5日胚以前の胚においては、野生型マウス、heterozygous S-II遺伝子欠損マウス、S-II遺伝子欠損マウス胚がほぼメンデル則に従って存在することがわかった(Table l)。

従って、S-II遺伝子欠損マウスは胎生致死であることが明らかとなった。12.5日胚までは野生型マウス及びS-II遺伝子欠損マウスの体の大きさには違いが見られないが、13.5日胚以降、S-II遺伝子欠損マウスの体の大きさは野生型マウスに比べ小さくなっていた。この時期の造血は主に肝臓で行われており、赤血球のヘモグロビン色素によって肝臓が赤く見えるが、S-II遺伝子欠損マウスの肝臓は野生型マウスに比べ小さかった(Fig 3)。

S-II遺伝子欠損胎児マウスにおける末梢血赤血球の形態

マウスの発生過程において造血の場は初期の胎児型造血を担う卵黄嚢細胞から、胎生中期には成体型造血を行う肝臓に移行し、胎生後期になると骨髄、脾臓に移る。胎生中期の肝臓では主に造血を行っていることから、S-II遺伝子欠損によって肝臓での造血障害が起きていると考えた。そこで造血異常が見られるか否かについて末梢血の血球形態を観察した。その結果、成体型成熟赤血球である無核赤血球の数がS-II遺伝子欠損マウスでは減少していることが判明した(Fig 4)。この結果は、S-IIが成体型成熟赤血球の正常な発生に必要であることを示している。

S-II遺伝子欠損マウスにおける遺伝子発現の変化

発生、分化時にはそれぞれの分化過程に応じて特異的遺伝子の変化がおこる。造血においてS-IIが機能する分子機構を知るには、S-II遺伝子欠損により発現が変化する遺伝子を知ることが有効な手段であると考えた。そこでDNAマイクロアレイの手法を用いてS-II欠損マウスと野生型マウス間で発現量の異なる遺伝子群の同定を試みた。胎生致死になる直前の12.5日のS-II遺伝子欠損マウス及び野生型マウス胎児全体からRNAを調製し、DNAマイクロアレイ法により遺伝子の発現を網羅的に解析した。

その結果、S-II遺伝子欠損マウスで発現量が低下している遺伝子が複数見いだされた。このうちの多くが赤血球特異的に発現する遺伝子であり、β-globin などのヘモグロビン関連因子、エリスロポエチンレセプター、band3などの赤血球膜タンパク質、erythroid Kruppel-like factor 遺伝子及(EKLF)などの赤血球産生時に機能する転写因子が含まれていた。一方、肝細胞のα-fetoprotein や albumin 遺伝子や、赤血球特異的遺伝子でも発現に差がみられないものがあることを見出した。見出した赤血球特異的遺伝子は多くが肝臓における成体型赤血球産生に関わるものであり、これはS-II欠損マウスにおいてみられる成体型赤血球が減少する結果と矛盾しない。さらにこれらの遺伝子の発現量が低下していることを定量、半定量RT-PCR法及びノザンブロット法により確認した(Fig 5A,B)。

S-II遺伝子欠損マウスではβ-globin 遺伝子とその転写因子であるEKLF遺伝子及びエリスロポエチンレセプター遺伝子の減少がみられるが、これらの遺伝子欠損はそれぞれ胎生中期における致死を導くことが報告されている。S-II遺伝子欠損マウスが胎生中期に致死になるのはこれらの遺伝子の発現量の減少が一因になるのではないかと考えている。

S-II遺伝子欠損マウスにおける globin の不均衡

EKLF欠損マウスにおいては胎児型赤血球産生に異常が見られないが、成体型赤血球合成過程で胎児型 globin から成体型β-globinへのスイッチングができず、胎生14日付近で致死する。またβ-globin はEKLFによりその発現が制御されることが知られているが、β-globin 遺伝子欠損マウスでも胎児肝での赤血球産生がなくなり、胎生中期に致死する。これらの欠損マウスが致死する原因は成体型ヘモグロビンの構成因子であるβ-globin とα-globin とのタンパク量比の不均衡とそれに伴う成体型ヘモグロビン構造異常による成体成熟赤血球の減少であると考えられている。

一方エリスロポイエチンレセプター欠損マウスでは、成体型赤血球産生時の分化途中にある赤血球前駆細胞の生存と増殖に異常が起こるとされている。赤血球系前駆細胞の生存、増殖については現在解析中であるが、今回行ったDNAマイクロアレイの結果においてα-globin の発現がS-II遺伝子欠損マウスと野生型マウス間に差がみられないことから、S-II遺伝子欠損マウスにおいてα-globin とβ-globin のタンパク量比が偏っているのではないかと予想した。そこで13.5日胚肝臓中に存在する各 globin タンパク質の存在比を電気泳動により解析した。その結果、β-globinタンパク量がα-globin タンパク量に対して著しく減少していることを見出した(Fig 6)。また、胎児型Y-globin 位置のバンドの発現増強がS-II欠損マウスにおいて見出された。これはEKLF遺伝子欠損マウスでみられる globin スイッチング異常と一致している。このことより、S-II欠損マウスにおいて成体型成熟赤血球が減少する一因として globin の量比の異常があることが考えられる。

[まとめと考察]

本研究において私は、S-II遺伝子欠損マウスは胎生致死であること、胎児期の赤血球形成の場である肝臓が異常となることを見いだした。また、EKLF、エリスロポイエチンレセプターなどの赤血球特異的遺伝子群がS-II遺伝子の欠損により発現が減少していることを見いだした。さらにS-II遺伝子欠損胎児マウスでは成体型成熟赤血球の数が減少することを見いだした。これらの結果から、S-II遺伝子欠損によって発生中期の肝臓での赤血球産生に異常が起きていると考えられる。また今回EKLFやβ-globin の発現減少やそれに伴う成体型ヘモグロビン内の globin 量比の不均衡を見出したが、このようなβサラセミア様症状がマウスでの致死性を導くことを考え合わせるとEKLFやβ-globin などの遺伝子の発現減少が S-II欠損マウスが致死になる理由の一つだと考えている。

本研究は S-II という転写伸長因子が赤血球産生に関与することを示唆する初めての例である。成熟赤血球の減少を引き起こす原因として1)造血幹細胞自身の分化異常や生存、増殖異常と2)赤血球造血を支持する肝臓内微小環境の異常が起きたことが考えられる。どちらの要因が関わってくるかを知ることは今後の課題である。さらに赤血球産生過程において S-IIに依存した転写伸長段階での遺伝子発現制御の分子機構を明らかにすることが重要であると考えている。

S-II遺伝子欠損マウスの作出に用いたターゲティングベクターの構造NHO:ネオマイシン耐性遺伝子、DTA:ジフテリア毒素遺伝子、丸でかこった数字はエクソンを示す。

S-II遺伝子欠損マウスのサザンブロット法による確認。

S-II遺伝子欠損マウスの胎生致死性。

S-II遺伝子欠損マウス (12.5日胚) における肝臓 (矢印) の縮小

A. Diff-Quik 染色による末梢血血球形態。矢印は無核赤血球を示す。B. S-II遺伝子欠損マウスにおける末梢血中の無核赤血球の減少 (n=11, P<O.02)

A,B. S-II遺伝子欠損胎児肝における赤血球特異的遺伝子の減少。A:定量PCR法によるEKLF遺伝子の発現減少(n=6)B:半定量PCR法によるβ-globin, glycophorinA遺伝子の発現減少(n=4)

S-II遺伝子欠損胎児肝における globin タンパク量比の異常。

審査要旨 要旨を表示する

転写伸長因子S-IIはRNAポリメラーゼIIの伸長活性を促進する因子として見出された因子であり、酵母からヒトに至るまで広く存在している。また、多細胞生物ではS-IIは様々な組織に発現がみられる。S-IIの機能するメカニズムとしてRNAポリメラーゼIIの転写中断を解除する機構が提唱されている。S-IIの生体内機能を知る手がかりとしてS-II欠損酵母の解析、S-IIと結合する因子の検索がなされておりS-II欠損酵母が通常条件下で生存、増殖可能であるが、6-アザウラシル、酸化的ストレス感受性を示すことや、マウスS-IIが組織特異的転写因子と結合することが見出されている。論文提出者はこれらの知見から多細胞生物において時期特異的、組織特異的にS-IIが重要な役割を果たすのではないかと着目した。本研究は転写伸長因子S-IIの多細胞生物の発生過程における生体内機能を明らかにするため、発生工学的手法を用いて解析を試みたものである。論文提出者によってS-II遺伝子欠損マウスが初めて作出され、下記の結果が得られた。

1. S-II遺伝子のエクソン4を欠失させたターゲッティングベクターを作製し、ES細胞に導入し、相同組換え法によりheterozygous S-II遺伝子欠損マウスを作出した。2. heterozygous S-II遺伝子欠損マウス同士の交配によりhomozygous S-II遺伝子欠損マウスが得られるか解析し、S-II遺伝子欠損マウスは胎生中期に致死することを見出した。また、致死時期のマウス形態の観察より肝臓の縮小を見出した。3. 主に造血を担っている胎生中期での肝臓が、野生型と比べてS-II遺伝子欠損マウスにおいて縮小している点に注目して、論文提出者は欠損マウスが造血異常を示すか否かを解析し、末梢血血球中の無核成熟赤血球の減少を見出した。無核成熟赤血球は成体型造血により産生されると考えられ、また、成体型造血異常により胎生中期に致死になる知見などから考え合わせると、S-IIは胎仔肝での成熟赤血球産生に必要であることを意味している。4. 造血におけるS-IIの分子機構を知るためにS-II遺伝子欠損によって発現が変化する遺伝子の同定を行い、赤血球特異的遺伝子を含む複数の遺伝子群を得た。見出した赤血球特異的遺伝子は肝臓における成体型赤血球産生に関わるものであり、これはS-II欠損マウスにおいてみられる成体型赤血球が減少する結果と矛盾しない。一方、肝細胞のα-fetoproteinや albuminの遺伝子発現には差がみられないことや、赤血球特異的遺伝子でも発現に差がみられないものがあることを見出し、赤血球分化時における遺伝子発現に異常を来しているとの示唆を示した。さらにDNA修復遺伝子やストレス応答遺伝子、多数の機能未知遺伝子の発現変化を見出し、赤血球系以外の遺伝子発現へのS-IIの機能を示唆した。5. S-II遺伝子欠損マウスにおいて発現が変化している遺伝子群の中でもその減少が成体型造血に影響を及ぼす遺伝子(EKLF : erythroid Kruppel-like factor 1, EPOr : erythropoietin receptor)に注目して、その遺伝子発現を解析した。EKLF, EPOrともに野生型に比べてS-II欠損個体肝臓での遺伝子発現が減少しており、また、EKLFにより発現が制御されるβ-globinの発現の減少を見出した。さらに成体型ヘモグロビンを構成するαとβ-globinタンパク質の量比に偏りが生じ、β-サラセミア様症状を引き起こしていることを見出した。

以上、本論文ではS-II遺伝子欠損マウスを作出し解析した結果、S-IIが発生に必須な役割を持つことを初めて明らかにした。さらに赤血球産生へのS-IIによる関与という全く新しい機能を提唱した。このことから本研究は転写伸長因子S-IIの生理機能の解明に貢献すると考えられる。多細胞生物では組織に特異的な遺伝子が転写の伸長段階で制御を受けることが見いだされており、これらの遺伝子の発現にS-IIといった転写伸長因子を介した発現制御機構が存在すると考えられる。さらに、本研究を契機にして造血における転写伸長段階で制御のメカニズムが解明されることが期待され、造血疾患の発病機構の解明に役立てることができると考えられる。従って博士(薬学)の学位に値するものと判断できる。

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