学位論文要旨



No 119412
著者(漢字) 鎌田,実香
著者(英字)
著者(カナ) カマタ,ミカ
標題(和) ムチンをターゲットとしたDNAワクチンによる肺転移抑制の前臨床試験
標題(洋)
報告番号 119412
報告番号 甲19412
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1073号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

序章

癌の完治を目指して、免疫療法が注目され、既に臨床試験も開始されている。しかし、現状では十分な治療効果が得られているとは言えず、更なる開発研究が望まれており、その為には、改善すべき点がある。第一に、免疫療法による治療対象としては、微小転移の撲滅や転移の予防などが期待されており、このような状態を再現する適切なマウスモデルを用いた前臨床試験を行うことにより、臨床試験における治療対象を決定すべきである。第二に、癌の免疫療法の開発に際しては、ヒトの固形癌で実際に免疫応答があることを見いだし、しかもこのことによって腫瘍増殖や転移が抑えられる抗原をターゲットとすべきである。第三に、抗原が特定でき、安全で、精製品を安価で大量に作製することができるワクチンを用いるべきである。第四に、CTLによる傷害以外の免疫応答も考慮してワクチンを開発すべきである。

将来的に臨床の場で利用できるような効果的な免疫療法の新たなプロトコールを作製するために、マウスにおいて、ムチンを抗原としたDNAワクチンにより転移を抑制すること、及び転移抑制に働くエフェクター機構を解析することを本研究の目的とした。ムチンは多くの腺癌で発現上昇が見られ、発現と悪性度とが相関している。一方で、ムチンに対する免疫応答がある場合には予後が良いという報告もあり、免疫応答を誘導できるかどうかが鍵と考えられる。本研究では、安全で強力な免疫原であるDNAをワクチンとして用いた。プラスミドDNAに含まれる多数のCpGモチーフは、それ自体がアジュバント活性を持ち、樹状細胞(DC)などの効果を最大限に引き出すことができると考えた。前臨床試験として最も重要なポイントとして、免疫寛容が成立していると考えられるヒトムチン抗原トランスジェニックマウスにおいてこの抗原を発現した癌細胞の転移抑制を行ったこと、及び自己の分子であるマウスムチンDNAを用いたワクチンの検討を行ったことがあげられる。

MUC1トランスジェニックマウス (MUC1.Tg) における肺転移の抑制

MUC1 DNAワクチンにより、野生型 (C57BL/6N) マウスにおいてMUC1特異的な免疫応答と肺転移の抑制の誘導に成功し、主なエフェクター細胞がNK細胞であることを既に示した。MUC1に対して免疫寛容であるヒトにおいて効果のあるワクチンを開発するために、MUC1をヒトと同様な組織に発現し、免疫寛容であるMUC1.Tgにおいて、ワクチンの効果を検証した。

MUC1全長を含む発現プラスミドDNAを精製してワクチンとし、野生型マウス及び MUC1.Tgマウスに1週間ごとに3回皮内投与し、最終免疫の一週間後以降に免疫応答の種類及び強さを検討した (図1)。また、ワクチン効果の増強を目的として、共刺激分子B7.1、B7.2、CD40Lをそれぞれ発現するプラスミドDNA、あるいは同系マウスの骨髄細胞からGM-CSFを用いて誘導した未成熟DCあるいは成熟DCを、量または細胞数を変えてMUC1 DNAワクチンに共投与し、それらの効果を検討した。

DNAワクチン投与による免疫応答とメラノーマ肺転移の抑制

MUC1 DNAワクチン25 μgを投与すると、どちらのマウスにおいてもクラススイッチを伴う抗MUC1抗体の産生が確認され、CD4+ T細胞が免疫応答に関与していることが示唆された。共刺激分子DNAやDCの共投与による、MUC1特異的な抗体産生に与える大きな影響は認められなかった。DNAワクチンによる肺転移抑制効果を、マウスメラノーマ細胞株B16-F10のMUC1安定発現株F10-MUC1-C8細胞の尾静注肺転移により評価した。野生型マウスにおいては、MUC1 DNAワクチン 25 mgを投与した群では、肺転移結節数が有意に減少していた。共刺激分子DNAを併用した場合は転移抑制効果の増強は認められなかったが、DCを1×105個共投与した場合は肺転移が強力に抑制された。DCの成熟度による転移抑制効果の差は認められなかった。MUC1.Tgマウスにおいては、MUC1 DNAワクチンの量をマウス一匹当たり100 μgに増加してDCを共投与した場合に有意に肺転移が抑制された(図2)。

肺転移抑制に働くエフェクターの検討

次にin vivoで肺転移抑制に働くエフェクター細胞の同定を行った。ワクチン最終投与の1週間後から、抗CD4、抗CD8、抗NK抗体を3日ごとに3回マウスに投与してこれらの細胞を枯渇させた状態で転移実験を行うと、どちらのマウスにおいても、MUC1+DCワクチンを投与した場合は、NK細胞、CD4+ 細胞及びCD8+ 細胞全てがエフェクター細胞であることが示された。

また、ワクチン投与マウス由来免疫細胞とF10-MUC1-C8細胞を混合してナイーブな同系マウスの皮下に移植し、腫瘍増殖を検定するWinn assayによってもエフェクターを解析した。どちらのマウスにおいても、MUC1+DCワクチンを投与したマウスの脾細胞を混合した場合は、メラノーマ細胞の生着や増殖がコントロールと比べて抑制され、ワクチンを投与したマウスから分離したT細胞がエフェクターとして働くことが直接的に示された。更に、野生型マウスについてはCD4+ T細胞及びCD8+ T細胞を分離してアッセイを行ったところ、MUC1 DNAワクチン単独投与の場合は、CD8+ T細胞単独ではメラノーマ細胞の増殖を抑制できなかったが、MUC1+DCワクチンを投与した場合は、CD8+ T単独でも抑制することができた。このことから、DC共投与により特にCD8+ T細胞のエフェクター機能が向上することが示唆された。

新規マウスムチンのクローニングとこれを用いたDNAワクチン

ヒトにおいて免疫寛容を打破できるワクチンを開発するためには、ヒト分子のTgマウスを用いた研究の他に、動物モデルにおける自己由来の癌細胞を用いた研究を行う必要がある。マウスMuc1ムチンは、腺癌において発現が上昇するという報告はこれまでにほとんどなかった。そこで、マウスのある乳癌細胞株において高発現し、悪性度と相関すると報告されている、ヒトMUC1の性質と非常に似ているマウスムチンに注目した。

クローニング

このムチン遺伝子をクローニングしたところ、タンデムリピートの数十回の繰り返しと膜貫通領域及び細胞内領域と思われるアミノ酸に転写される部分を含んでいた。(図3)。PCRスクリーニング及びプラークハイブリダイゼーション法により、マウスゲノムライブラリーからこの新規ムチンを含むゲノムクローンを得た。クローニングした配列をプローブとしたノザンブロッティング法により、この新規ムチンのmRNAの大きさを明らかにした。また、マウス各正常組織及び、様々な癌細胞株における発現を確認したところ、乳癌細胞の多くにこの分子が発現していることが明らかになった。また、予想されるアミノ酸配列をもとに、タンデムリピート内ペプチド及び、細胞外領域でタンデムリピート以外の部分であると考えられるペプチドに対するポリクローナル抗体を作製した。これらのポリクローナル抗体を用い、乳癌細胞株をフローサイトメトリー法により解析し、この新規ムチン遺伝子産物が細胞外に発現していることを確認した。更に、ウェスタンブロッティング法により、ムチンと考えられる高分子量のタンパク質が、作製したポリクローナル抗体により検出された。

DNAワクチンとした場合の免疫応答

この新規ムチンのタンデムリピート部分以下全配列を含む部分配列を用い、シグナル配列を上流に付加して発現するプラスミドDNAを作製し、DNAワクチンとした。これを同系マウスの骨髄細胞から誘導したDCと同時に、C57BL/6Nマウス及び乳癌細胞と同系のマウスに皮内投与し、免疫応答を検討した。DNAワクチン投与後のマウス血清中にクラススイッチした特異的抗体の産生が確認され、CD4+ T細胞が活性化されたことが示唆された。またワクチン投与により、脾細胞から抗原特異的にIFNγやIL-4が産生されたが、この新規ムチンを発現する癌細胞の増殖、転移を抑制することはできなかった。

ヒトカウンターパート

この新規ムチンの配列を元に、ヒトカウンターパートと思われる新規分子を検索し、正常組織における発現を確認した。今後、ヒト癌組織及び癌細胞株などにおける発現を調べ、実際に癌の治療におけるターゲット分子として利用できる可能性があるかどうかについて検討する必要がある。

終章

ヒトムチンを発現し、これに対して免疫寛容を生じているMUC1.Tgにおいて、MUC1 DNA+DCワクチンにより、転移抑制に成功した。正常組織の傷害などは今のところ観察されていない。ヒト抗原Tgマウスにおける免疫療法による転移抑制は今まで報告がなかった。DCを用いることが特徴であるが、共投与したDCによる効率的なT細胞の活性化機構についても検討している。体内に存在するDCだけでなく、投与したDC自身によるMUC1の発現あるいは提示も考えられる。また、抗原取り込み能の低い成熟DCを投与した場合も転移抑制効果が高かったことから、DCによる総合的なサイトカイン産生も、免疫細胞の活性化に重要なのではないかと考えている。

新たな免疫療法モデルの作製をめざし、マウス新規ムチンのクローニングを行い、ヒトカウンターパートの存在を明らかにした。これに対して効率的に免疫応答を誘導できるようなワクチンを開発できれば、ヒトにおける免疫療法にこのムチンが利用される可能性も考えられる。

ワクチン投与実験プロトコール

MUC1. TgにおけるワクチンによるF10-MUC1-C8細胞の肺転移抑制(b)は(a)の肺転移結節数を計数したグラフである。

新規マウスムチンの構造(cDNA)

審査要旨 要旨を表示する

「ムチンをターゲットとしたDNA ワクチンによる肺転移抑制の前臨床試験」と題する本研究は、がんの特異的な免疫療法の新しい試みであるDNA ワクチンによる治療を、転移がんに対象に行なうことを目標に、マウスモデルの作製、抗原の選定、ワクチンのデザインなどを行ない、有効性を実証したものである。体内に投与されたDNA が容易に転写翻訳され、これに対する免疫応答をもたらすことは良く知られていた。にもかかわらずDNA ワクチンが、がんの免疫療法の中で重要な研究対象とされてこなかったのは、DNA を投与することが遺伝子治療とみなされ、臨床治験を行なうことが困難であると考えられて来たためであった。今日では、多様な遺伝子治療が臨床の場で使用されはじめており、DNA ワクチンのがん治療としての有効性を検証することは時代の要請であると言ってよい。学位申請者鎌田実香はかねてよりこの点に気付き、がん転移の治療を対象としたワクチンの研究として極めて先駆的な「ムチンをターゲットとしたDNA ワクチンによる肺転移抑制の前臨床試験」と題する本研究を完成させた。

本論文は、MUC1(ムチン1)をターゲットとする肺転移の治療に関する研究と、マウスにおける同種抗原によるがん転移の治療法開発を目指した、新規ムチンの遺伝子クローニングとこれに対する免疫応答の解析に関する研究の2 つの部分から成る。ムチンは多くの腺癌で発現上昇が見られ、発現と悪性度とが相関している。一方で、ムチンに対する免疫応答がある場合には予後が良いという報告もあり、免疫応答を誘導できるかどうかが鍵と考えられた。DNAワクチンはプラスミドDNA に含まれる多数のCpG モチーフ自体がアジュバント活性を持ち、樹状細胞などの抗原提示細胞の効果を最大限に引き出すことができる点に注目した。ヒトムチン抗原トランスジェニックマウスにおいてこの抗原を発現した癌細胞の転移抑制を行なったこと、及び自己の分子であるマウスムチンDNA を用いたワクチンの検討を行なった事の二点において、極めてオリジナリティーの高い研究成果である。

「第一章:序章」では、マウスモデルを用いて研究を行なった理由、ムチンを癌免疫療法のターゲットとして選んだ理由、樹状細胞(DC)を用いた理由、DNA ワクチンを選んだ理由、癌細胞障害メカニズムを詳細に検討した理由などが説得力を持って述べられている。

「第二章:MUC1 トランスジェニックマウス(MUC1.Tg) における肺転移の抑制」では、MUC1 に対して免疫寛容であるヒトにおいて効果のあるワクチンを開発するために、MUC1をヒトと同様な組織に発現し、免疫寛容であるMUC1.Tg において、MUC1DNA ワクチンの肺転移の抑制効果を検証した。具体的には、投与量、投与スケジュール、共刺激分子やDC の共投与などを野生型マウスとMUC1.Tg において行ない、免疫応答とメラノーマ細胞B16-F10 のMUC1 安定発現細胞による肺転移が抑制されるかどうか効果を検証した。何れの場合も抗体産生クラススイッチが起こっていることからT 細胞レベルで免疫応答が起きていることを示し、DNA ワクチンによってMUC1 に対する免疫寛容状態が失われたことが示された。しかし、自己免疫によると考えられる病態は観察されなかった。肺転移の抑制効果は野生型マウスに比してMUC1.Tg では弱く、DC の共投与が必須であった。次にin vivo で肺転移抑制に働くエフェクター細胞の同定が行われた。ワクチン最終投与の1週間後から、抗CD4、抗CD8、抗NK 抗体を3日ごとに3回マウスに投与してこれらの細胞を枯渇させた状態で転移実験を行うという方法が用いられた。どちらのマウスにおいても、MUC1+DC ワクチンを投与した場合は、NK 細胞、CD4+ 細胞及びCD8+ 細胞全てがエフェクター細胞であることが示された。DC 共投与により特にCD8+T 細胞のエフェクター機能が向上することが示唆された。また、ワクチン投与マウス由来免疫細胞とF10-MUC1-C8 細胞を混合してナイーブな同系マウスの皮下に移植し、腫瘍増殖を検定するWinn アッセイによってもエフェクターが解析された。いずれのマウスにおいても、MUC1+DC ワクチンを投与したマウスの脾細胞を混合した場合は、メラノーマ細胞の生着や増殖がコントロールと比べて抑制され、ワクチンを投与したマウスから分離したT 細胞がエフェクターとして働くことが直接的に示された。

「第三章:新規マウスムチンのクローニングとこれを用いたDNA ワクチン」では、ヒトにおいて免疫寛容を打破できるワクチンを開発するために、動物モデルにおける自己由来の癌細胞を用いた研究を行う必要から、マウスのある乳癌細胞株において高発現し、悪性度と相関すると報告されている、ヒトMUC1 の性質と類似の構造を持つマウスムチンに注目し、その遺伝子クローニングと、これに対する免疫応答の解析を行なった。このムチン遺伝子は、タンデムリピートの数十回の繰り返しと膜貫通領域及び細胞内領域と思われるアミノ酸に転写される部分を含んでいた。PCR スクリーニング及びプラークハイブリダイゼーション法により、マウスゲノムライブラリーからこの新規ムチンを含むゲノムクローンを得た。クローニングした配列をプローブとしたノザンブロッティング法により、この新規ムチンのmRNA の大きさを明らかにした。また、マウス各正常組織及び、種々の癌細胞株における発現を確認し、乳癌細胞の多くに発現していることを明らかにした。また、予想されるアミノ酸配列をもとに、タンデムリピート内ペプチド及び、細胞外領域でタンデムリピート以外の部分であると考えられるペプチドに対するポリクローナル抗体を作製し、これらのポリクローナル抗体を用い、乳癌細胞株をフローサイトメトリー法により解析し、この新規ムチン遺伝子産物が細胞外に発現していることを確認した。次に、このムチンのcDNA を含むプラスミドをワクチンとした場合の免疫応答が解析された。タンデムリピート部分以下全配列を含む部分配列を用い、シグナル配列を上流に付加して発現するプラスミドDNA を作製し、DNA ワクチンとした。これを同系マウスの骨髄細胞から誘導したDC と同時に、C57BL/6N マウス及び乳癌細胞と同系のマウスに皮内投与し、免疫応答を検討した。DNA ワクチン投与後のマウス血清中にクラススイッチした特異的抗体の産生が確認され、CD4+ T 細胞が活性化されたことが示唆された。またワクチン投与により、脾細胞から抗原特異的にIFNγ及びIL-4 が産生された。しかしこのムチンを発現する癌細胞の増殖、転移を抑制することはできなかった。この新規ムチンの配列に基づいて、ヒトカウンターパートと思われる新規分子が検索され、組織における発現が確認された。癌の治療におけるターゲット分子としての利用ばかりでなく、ユニークな分布パターンを持つムチンとして非常に重要な分子の発見と考えられた。

「第四章:終章」は、以上のまとめである。本研究の癌治療法としての重要性が的確に述べられている。

本研究は、新しい癌の免疫療法の基礎的な側面と前臨床研究としての側面をあわせ持ち、免疫学的にも、癌治療法の開発という意味でも極めて意義の深いものである。よって、本研究を行なった鎌田実香は 博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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