学位論文要旨



No 119421
著者(漢字) 中田,章仁
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,アキヒト
標題(和) 脳・精巣特異的転写伸長因子SII-T1の機能解析
標題(洋)
報告番号 119421
報告番号 甲19421
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1082号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 講師 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

転写伸長因子S-IIは当教室において,RNAポリメラーゼIIのRNA合成促進活性を指標に精製されたタンパク質である。in vitroにおける解析により,S-IIは転写途中に鋳型DNA上で停止したRNAポリメラーゼIIによるmRNA鎖の伸長反応の再開を促すはたらきを有することが示されている。哺乳類のS-IIには全身に発現するタイプの他に,精巣で発現するSII-T1,および心臓・肝臓・腎臓・骨格筋で発現するSII-K1の2つの組織特異的なタイプが存在する(Fig.1)。

当教室におけるこれまでの研究から,SII-T1は精子形成過程の精母細胞に特異的に発現することがmRNAレベルで示されている。しかし,SII-T1の精子形成における役割,特に転写因子としてはたらく分子メカニズムは全く明らかになっていない。

最近,当教室において,全身に発現するタイプのS-IIが組織特異的転写因子FESTAと結合することにより,転写活性化に寄与することが示された。この結果から,私は精巣特異的に発現するSII-T1は精巣特異的転写因子との相互作用を介して遺伝子発現制御を行なっていると考えた。本研究において,私はSII-T1の生理機能を理解するために,「SII-T1ノックアウトマウスの樹立と解析」,および「SII-T1と相互作用する転写因子の同定と解析」という2つのストラテジーを採ることにした。

方法と結果

SII-T1遺伝子ノックアウトマウスの樹立と解析

SII-T1が精子形成に果たす役割を個体レベルで明らかにするために,まずSII-T1遺伝子ノックアウトマウスの作出を試みた。マウスSII-T1遺伝子の破壊に用いたターゲティングベクターは,SII-T1遺伝子の第一エキソンをネオマイシン耐性遺伝子で置換するように設計した(Fig.2)。樹立したSII-T1ヘテロノックアウトマウスは生存可能であり,妊性も正常であった。そこで,SII-T1ヘテロノックアウトマウス同士の交配を行ない,得られた次世代マウスについて,サザンブロット解析によって遺伝子型判定を行なった。その結果,各遺伝子型マウスの割合はほぼメンデルの法則にしたがっていたことから,SII-T1ノックアウトマウスは生存可能であることが明らかになった。

SII-T1遺伝子が精子形成過程の精母細胞に特異的に発現していることから,次にSII-T1ノックアウトマウス(雄)が生殖能力に異常を示すか否かについて,野生型マウス(雌)との交配によって調べた。その結果,SII-T1ノックアウトマウス(雄)は生殖能力を有しており,野生型マウス(雄)のそれとほとんど差がないことが明らかになった(Table.1)。

SII-T1と相互作用する転写因子の探索

SII-T1の生理機能の解明に迫る手がかりをつかむために,私はSII-T1と相互作用する転写因子を同定し,SII-T1が転写にはたらく分子機構を解析することにした。マウスSII-T1のアミノ酸1-180の領域をbaitとしたyeast two-hybrid法によって,マウス精巣cDNAライブラリーからSII-T1と結合するタンパク質の単離を試みた。その結果,陽性クローンとしてGRIP1(25クローン),ACT(3クローン),TRABID(1クローン),NAP(1クローン)の4種類の遺伝子を単離することに成功した。

SII-T1とPDZタンパク質GRIP1の新規アイソフォームGRIP1τの相互作用

2.のyeast two-hybrid法による探索では,GRIP1のクローンが最も多く単離された。このタンパク質は,タンパク質−タンパク質相互作用ドメインとして知られているPDZドメインを7個有しており(Fig.3,最上段),脳・精巣において発現していることが報告されている。さらに,GRIP1は脳の神経細胞でAMPA型グルタミン酸受容体と細胞質側で結合し,細胞膜上でのグルタミン酸受容体のクラスター形成にはたらくことが知られている。また,GRIP1が核内にも存在し,転写因子と相互作用するという報告もある。以上のことから,私は精巣においてGRIP1がSII-T1と相互作用し,転写因子としてはたらくのではないかと考えた。

本研究におけるスクリーニングで得られたGRIP1クローンは,PDZドメインを7個有するタイプではなく,GRIP1のC末端側のPDZドメイン4個を含む領域をコードするクローンI(Fig.3,中段),およびC末端側のPDZドメイン2個を含む領域をコードするクローンII(Fig.3,最下段)の2種類であった。これら短いタイプのGRIP1が精巣において発現しているという報告がなかったので,この点について,データベースを再検索することにより検証した。その結果,クローンIに相当するマウス全長型cDNAクローン(AK016420他複数)が存在することが判明した。さらに,抗GRIP1抗体を用いた精巣,脳のウエスタンブロット解析により,クローンIに相当するバンドが精巣特異的に検出された。したがって,精巣には,PDZドメイン7個型のGRIP1に加えて,クローンIに相当するPDZドメイン4個型のGRIP1も発現していると考えられる。今回同定したGRIP1の精巣特異的新規アイソフォームをGRIP1τと名づけた。

次に,SII-T1とGRIP1τが細胞内で結合していることを検証するために,COS7細胞にXpressエピトープタグを付加したSII-T1とFLAGエピトープタグを付加したGRIP1τを共発現させ,抗FLAG抗体を用いた免疫沈降実験を行なった。その結果,FLAG-GRIP1τの導入依存に,FLAG-GRIP1とXpress-SII-T1の共沈降物が検出された(Fig.4)。したがって,SII-T1とGRIP1τが哺乳類細胞内で結合すると考えた。

また,本スクリーニングでは,GRIP1τをコードするクローンIの他に,より短いクローンIIも得られたことから,SII-T1とGRIP1τの結合には,GRIP1τのC末端側の2個のPDZドメインを含む領域(アミノ酸257-632)があれば十分であると考えられる(Fig.3)。

SII-T1のマウス脳における発現

GRIP1が脳の神経細胞において重要な役割を担っていることから,SII-T1が脳においても発現している可能性を考えた。そこで,抗マウスSII-T1抗体を作製し,それを用いてマウス脳についてウエスタンブロット解析を行なった。その結果,SII-T1が精巣だけでなく,脳(大脳,小脳)においても発現していることが判明した(Fig.5)。

GRIP1τの転写活性化能の解析

GRIP1は神経細胞で転写因子Dlx2と結合することが報告されている。しかし,GRIP1自身が転写因子としてはたらくか否かについては不明であった。一方,本研究のyeast two-hybrid法による探索で単離されたGRIP1クローンの中には,GAL4-Activation Domain(GAL4-AD)と融合していないクローン,GAL4-ADの向きと逆向きのGRIP1τクローンが存在した。通常,yeast two-hybrid法では,酵母細胞内で用いたライブラリー由来のタンパク質とGAL4-ADとの融合タンパク質が発現し,それがbaitタンパク質と結合するとき,陽性を呈する。以上のことから,私はGRIP1τ自身が細胞内で転写活性化能を発揮しうるのではないかと考えた。その点を検証するために,GAL4 DNA Binding Domain(GAL4DBD)とGRIP1τの融合タンパクの発現ベクター,およびGAL4結合配列の下流にルシフェラーゼ遺伝子をつないだレポーターベクターをマウス胎児繊維芽細胞株に導入し,レポーター活性を測定した。その結果,GAL4DBD-GRIP1τベクター依存にレポーター活性が約14倍上昇することがわかった (Fig.6, 7)。さらに,そのレポーター活性の上昇に必要なGRIP1τの領域を知るために,GAL4DBD-GRIP1τの様々な変異体を用いた解析を行なった。その結果,アミノ酸508以降の領域(PDZ4を含む領域, Fig.6)を欠いた変異体では約6倍のレポーター活性の上昇が検出されたのに対して,アミノ酸340以降の領域(*およびPDZ4を含む領域, Fig.6)を欠いた変異体では活性の上昇が検出されなかった(Fig.6, 7)。したがって,哺乳類細胞内でGRIP1τ自身が転写活性化能を有し,その活性化にはアミノ酸340-507の領域(*の領域, Fig.6)が必要であることがわかった。

SII-T1によるGRIP1τの転写活性の調節

SII-T1がGRIP1τと結合するという結果から,私はSII-T1がGRIP1τの転写活性を制御するのではないかと考えた。そこで,5.のGAL4DBD-GRIP1τのレポーターアッセイ系にSII-T1発現ベクターを導入し,GRIP1τの転写活性が影響を受けるか否かを調べた。その結果,GAL4DBD-GRIP1τベクター量が10ngのときには,SII-T1ベクター依存に最大約2倍のレポーター活性の上昇が見出された(Fig.8A)。一方,GAL4DBD-GRIP1τベクター量が25ngのときには,SII-T1ベクター依存に最大約50%の活性が消失するという結果が得られた(Fig.8B)。以上の結果から,SII-T1はGRIP1τの量に応じてその転写活性化能を正または負に調節しうると考えている。

まとめと考察

本研究において私は,SII-T1の精子形成における役割を個体レベルで知ることを目的として,SII-T1ノックアウトマウスを樹立し,それが通常の条件下では生存,生殖能力に異常を示さないことを明らかにした。また,SII-T1が転写にはたらく分子機構を理解することを目的として,SII-T1がPDZタンパク質GRIP1の精巣特異的新規アイソフォームGRIP1τと結合すること,GRIP1τ自身が哺乳類細胞内で転写活性化能を有すること,およびSII-T1がGRIP1τの転写活性化能を正あるいは負に調節しうることを明らかにした。さらに,SII-T1が精巣だけでなく,脳にも発現していることを明らかにした。

PDZタンパク質GRIP1には,本研究において新たに同定した精巣特異的に発現するアイソフォーム・GRIP1τの他に,脳特異的に発現するアイソフォーム・GRIP1bが存在する。GRIP1τ内のSII-T1との結合領域が,GRIP1bにも存在することから,GRIP1bもSII-T1と相互作用すると考えられる。以上のことから,SII-T1は精巣ではGRIP1τと,脳ではGRIP1bと協調して,標的遺伝子の転写にはたらくと考えている。

SII-T1ノックアウトマウスについて,現在のところ変異表現型は見出されていない。しかし,本研究において示唆したこと,すなわち,SII-T1がPDZタンパク質GRIP1と協調して転写反応にはたらくこと,およびSII-T1が精巣だけなく,脳にも発現していることをSII-T1ノックアウトマウスの変異表現型解析にフィードバックすることにより,SII-T1の新しい生理的役割の解明に迫ることができると考えている。

マウスS-IIファミリー

SII-T1遺伝子のターゲティングストラテジー

SII-T1ホモノックアウトマウスは生殖能力を有する

yeast two-hybrid 法で得られたGRIP1クローン

SII-T1とGRIP1τが細胞内で結合する(抗FLAG抗体による免疫沈降(COS7細胞))

SII-T1は精巣だけでなく脳にも発現している

レポーターアッセイに用いたGAL4DBD-GRIP1τの欠損変異体

GAL4DBD-GRIP1τは転写活性化能を有する

GAL4DBD-GRIP1τによる転写活性化に対するSII-T1の影響

審査要旨 要旨を表示する

転写伸長因子S-IIは転写反応を中断したRNAポリメラーゼIIが転写伸長反応を再開するのを助けるはたらきを有しており,哺乳類には全身に発現するタイプの他に組織特異的に発現する2つのタイプが存在することが明らかになっている。「脳・精巣特異的転写伸長因子SII-T1の機能解析」と題する本論文では,組織特異的S-IIのひとつであるSII-T1の生体内機能を明らかにするために,SII-T1遺伝子ノックアウトマウスの樹立とその妊性に関する解析,およびSII-T1と相互作用するタンパク質としてPDZタンパク質GRIP1の新規アイソフォームGRIP1τの単離・同定を行なっている。さらに,GRIP1τが哺乳類細胞内で転写活性化因子として機能することを示唆し,SII-T1とGRIP1τの協調的転写制御機構の存在について考察している。

SII-T1遺伝子ノックアウトマウスの樹立と解析

申請者は精子形成におけるSII-T1の役割を個体レベルで明らかにするために,SII-T1遺伝子ノックアウトマウスの作出を行なった。その結果,SII-T1遺伝子ノックアウトマウスは生存し,通常の条件下での生殖能力に異常を示さないことが明らかにされた。

SII-T1との相互作用タンパク質としてのGRIP1τの単離・同定

次に申請者は精巣においてSII-T1が機能する分子メカニズムに着目し,SII-T1の生体内機能の解析を行なうことにした。酵母のtwo-hybrid systemによって,マウス精巣からSII-T1と相互作用するタンパク質を探索した結果,PDZタンパク質GRIP1の一部の領域をコードするクローンを単離した。申請者が単離したGRIP1クローンは,これまでに報告されていたGRIP1よりも短い632アミノ酸からなるタンパク質をコードするものであり,マウスにおけるその発現組織について調べた結果,精巣特異的であると考えられた。申請者はこれをGRIP1τと名づけた。さらに,哺乳類細胞内におけるSII-T1とGRIP1τの相互作用について,COS7細胞の共発現系を用いた免疫沈降法によって確認した。GRIP1τが転写伸長因子SII-T1と相互作用することから,GRIP1τが転写に関与する可能性が示唆された。

SII-T1の脳における発現

GRIP1が脳において重要な役割を果たしていると報告されていることから,申請者はSII-T1が脳においても発現している可能性を考えた。抗マウスSII-T1抗体を作製し,これを用いて,上記の可能性について調べた結果,SII-T1が精巣だけでなく,脳(大脳・小脳)にも発現していることを見出した。

GRIP1τの転写因子としての機能解析

GRIP1τ自身が転写因子として機能するか否かについて調べる目的で,GAL4 DNA Binding Domain(GAL4DBD)とGRIP1τの融合タンパク質の発現ベクター,およびGAL4結合配列の下流にルシフェラーゼ遺伝子をつないだレポーターベクターをマウス胎児繊維芽細胞株に導入し,レポーター活性を測定した。その結果,GAL4DBD-GRIP1τベクター依存にレポーター活性が約14倍上昇することが判明した。すなわち,GRIP1τが哺乳類細胞内で転写活性化因子として機能することが示唆された。さらに,GRIP1τの転写活性化に対するSII-T1の影響について調べる目的で,上記のレポーターアッセイ系にSII-T1発現ベクターを導入した。その結果,SII-T1発現ベクターの導入に依存したレポーター活性の増大または抑制が検出された。以上の結果は,SII-T1がGRIP1τによる転写活性化を正あるいは負に調節する可能性を示唆している。

以上を要約するに,申請者はSII-T1遺伝子ノックアウトマウスを樹立し,それが通常の飼育条件下では,生存,生殖能力に異常を示さないことを明らかにした。また,SII-T1と相互作用するタンパク質としてPDZタンパク質GRIP1の精巣特異的新規アイソフォームGRIP1τを単離・同定し,GRIP1τが転写活性化因子として機能すること,SII-T1がその転写活性化に影響を与えることを示唆した。さらに,SII-T1が脳にも発現していることを新たに見出した。これらの研究結果は,SII-T1の新しい生理機能を解明する上で,重要な知見を与えるものであり,博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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