学位論文要旨



No 119432
著者(漢字) 丸山,芳子
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,ヨシコ
標題(和) 家族性筋萎縮性側索硬化症におけるASK1の関与
標題(洋)
報告番号 119432
報告番号 甲19432
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1093号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis; ALS)は、大脳、脳幹、脊髄の運動ニューロンが選択的かつ系統的に侵される経変性疾患である。ALSのうち、伝性の家族性ALSの一はSOD1伝子の変異が原因で発症することが知られており、その発症機構は、変異型SOD1が細胞内に蓄積することによって細胞毒性を発揮し、運動神経が変性を来すことによるものと考えられている。しかし、細胞内に変異型SOD1が蓄積した結果、実際にどのような分子機構によって細胞が傷害され、変性していくのかという一連のメカニズムについては、様々な角度から断片的に数多くの究がなされているものの、未だ明らかになっていない。

一方で、当研究室では、Apoptosis Signal-regulating Kinase 1 (ASK1)がMAP kinase (MAPK)ファミリーの一員であるc-Jun NH2-terminal kinase(JNK)経路ならびにp38経路を活性化するMAPK kinase kinase(MAPKKK)であり、ASK1が種々のストレス刺激による細胞死に関与していることを報告してきた。また、神経変性疾患の一つであるポリグルタミン病のモデル実験において、ポリグルタミン鎖凝集体の細胞内蓄積がユビキチン・プロテアソーム系の破綻を引き起こして小胞体ストレスをもたらし、ASK1の活性化に引き続くJNK活性化を介して神経細胞を死に至らしめるという、疾患における神経細胞死の一連のシグナル伝達経路をも明らかにしている。これらのことから、ASK1-MAPK系は、異常タンパク質の発現が引き起こす神経細胞死において共通の細胞内シグナル伝達系として重要な働きをしている可能性が考えられる。

そこで本研究では、家族性ALSの原因である変異型SOD1が運動神経において細胞死を惹起する際のシグナル伝達におけるASK1-MAPK経路の役割について検討し、家族性ALS発症の分子機構を明することを目的として実験を行った。

方法と結果

変異型SOD1の過剰発現によって惹起される細胞死

ALSについての研究の多くはモデル動物を用いた個体での表現型の解析が主でり、変異型SOD1の過剰発現によって細胞レベルで実際に細胞死が起こるか否かについては、多くの報告があるものの一定の結論には至っていない。そこでまず、より個体レベルに近い実験系としてマウス胎児由来の運動神経初代培養細胞を用い、実際に細胞レベルで変異型SOD1の過剰発現によって細胞死が惹起さるかどうかを調べた。細胞はマウスC57BL/6の妊娠12.5日後の胎児より摘出した脊髄を酵素的に単離て得られた運動神経細胞い、これにアデノウイルス法により野生型(WT)およびヒトALS患者で発見された3種類の変異型SOD1(A4V, G85R, G93A)を過剰発現させ、アデノウイルス感染後7日目にMTT法により細胞の生存率を測定した。野生型SOD1では細胞死が惹起されないのに対し、変異SOD1ではいずれも野生型SOD1に比べ有意に生存率が低下しており、細胞死が引き起こされていることが確認れ(Fig.1)。

変異型SOD1の過剰発現によるASK1の活性化

ASK1は様々なストレス刺激による細胞死に関与することが知られていることから、変異型SOD1によって惹起される細胞死におけるASK1関与の可能性について検討するため、運動神経細胞において変異型SOD1がASK1を活性化するか否かを調べた(Fig.2)。運動神経初代培養細胞にアデノウイルス法により野生型および変異型SOD1とASK1を共発現させ、アデノウイルス感染から48時間後に抗リン酸化ASK(p-ASK)抗体を用いたウエスタンブロットによりASK1の活性を測定した。NOによってASK1が活性化されることからNO donorとして知られるNOR1(1mM 5分)刺激によるASK1活性化をpositive controlとして示した。野生型SOD1によってはASK1の活性化はほとんどみられなかったが、いずれの変異型SOD1によってもASK1の活性化が観察された(Fig.2)。したがって、変異型SOD1によって惹起される細胞内シグナル伝達においてASK1の性化が関与していることが示唆された。

変異型SOD1の過剰発現によって惹起される細胞死におけるASK1の必要性

変異型SOD1によってASK1が活性化されることが明らかになったことから、変異型SOD1による細胞死におけるASK1の必要性について、野生型(ASK1+/+)マウス由来の運動神経細胞とASK1ノックアウト(ASK1-/-)マウス由来の運動神経細胞との比較によりアデノウイルス感染から7日後にMTT法を用いて調べた。ASK1-/-マウス由来の細胞においては、ASK1+/+マウス由来の細胞で観察されるいずれの変異型SOD1による細胞死も抑制されていた(Fig.3)。したがって、いずれの変異型SOD1によって引き起こされる細胞死においてもASK1が必要な分子として関与していることが明らかとなった。

変異型SOD1の過剰発現によるASK1活性化における小胞体ストレ非依存性

ASK1は酸化ストレスやTNFなどの細胞死誘導刺激に加え、異常タンパク質の胞内蓄積に基づくプロテアソーム分解系の破綻を介した小胞体ストレスによっても活性化することが知られている。一方、変異型SOD1は野生型に比べ立体構造の異常により凝集体を形成し細胞内に蓄積されやすいという報告があることから、変異型SOD1によるASK1の活性化メカニズムにプロテアソーム活性の抑制および小胞体ストレスが関与している可能性について検討した。しかし、少なくとも本実験系においては、プロテアソーム活性は変異型SOD1の過剰発現によって抑制されず、また、小胞体ストレスも変異型SOD1によって惹起されなかったことから、変異型SOD1によるASK1活性化は、プロテアソーム分解系の破綻や小胞体ストレスなどを介したものではなく、全く別のメカニズムによるものであると考えられる。

変異型SOD1(G93A)を過剰発現するトランスジェニック(Tg)マウスとASK1-/-マウスの交配実験

変異型SOD1(G93A)を過剰発現するTgマウスは、モデル動物の一つとしてALSの解析に広用いられている。細胞レベルでの変異型SOD1による細胞死におけるASK1の関与が、個体レベルでのALS病態進行にどのように反映されるかを検討し、ALSにおけるASK1の役割をするため、SOD1(G93A)TgマウスとASK1-/-マウスの交配実験を行い、病態発症時期(onset)と個体の寿命(survival) について観察を行った。運動失調の発症時期についてはSOD1(G93A)・ASK1-/-マウスとSOD1(G93A)・ASK1+/+マウスとの間で差がみられなかった(Fig.4)。一方、寿命についてはSOD1(G93A)・ASK1-/-マウスはSOD1(G93A)・ASK1+/+マウスと比較して延長効果がみられ、個体生存率が上昇すことが明らかになった(Fig.4)。この結果から、変異型SOD1 によって惹起されるALSの病態進行において、個体レベルでもASK1が大きな役割を果たしていることが示された。

また、ALS発症と病態進行は運動神経細胞の変性・脱落が原因であることが報告されていることから、さらに個体レベルで実際に病態進行中の脊髄組織内で起こってい神経細胞死に対するASK1の役割についても検討した。病態発症時期である生後30週と発症後個体が死亡し始める時期である34週において、SOD1(G93A)ASK1+/+マウスおよびSOD1(G93A)・ASK1-/-マウスの腰部脊髄切片を作製しニッスル染色を行い、脊髄の運動神経細胞数を計測た。34週齡の脊髄切片においては、SOD1(G93A)・ASK1+/+マウスでは、前角部全体における野生型(WT)マウスでみられる矢頭すような、ニッスル染色陽性の突起をする細胞体の大きな運動神経細胞の数が野生型(WT)マウスに比べて約85%減少していたのに対し、SOD1(G93A)・ASK1-/-マウスではSOD1(G93A)・ASK1+/+マウスでみられた運動神経細胞の減少が有意に抑制されていた(Fig.5AB)。したがって、SOD1(G93A)Tgマウスの病態進行時にみられる脊髄組織内の運動神経細胞において、ASK1が重要な分子として機能していることが明らかになった。

[まとめ]

本研究において、一部の家族性ALSの原因である変異型SOD1剰発現が運動神経初代培養細胞において細胞死を惹起することた、この細胞死に至る分子機構においてASK1活性化を介するシグナル伝達機構が深く関与していることが明らかになった。また、このASK1活性化はプロテアソーム分解系の抑制や小胞体ストレスを介したものでなく、未同定のASK1活性化機序による可能性が示唆された。さらに、個体レベルにおいても、病態進行時に見られる脊髄組織内での運動神経細胞死およびそれに伴う個死という点で、ASK1が必要な分子であることが明らかとなった。

本研究は、運動神経初代培養系を用いたin vitroの系とALSのモデルマウスを用いたin vivoの系の両面からの検討により、SOD1の遺伝子変異によって生じるALSの病態進の際の細胞内シグナル達において、ASK1が必須な分子として中心的な役割を果たしいことを初めて明らかにしたものであり、ALSの病態分子機構明に新たな知見をもたらすものである。今後は、変異型SOD1の発現からASK1活性化に至るまでの詳細な分子機構や、ASK1の下流においてどのような分子が運動神経細胞死に関与しているかなどについて検討することにより、孤発性ALSおよびSOD1以外の他の遺伝変によって生じる家族性ALSの病態発症機構の解明にもつなげるこができると期待される。

運動神経細胞初代培養系における変異型SOD1(A4V, GB5R, G93A)の過発による細胞死(*;p<0.05 vs WT)

変異型の過剰発現によるASK1の活性化

変異型SOD1(A4V, G85R, G93A)による運動神経細胞死におけるASK1の必要性

SOD1(G93A)Tgマウスの個体発症率および生存率におけるASK1の効果(n=10)

SOD1(G93A)Tgマウスの脊髄組織内の運動神経細胞死におけるASK1の必性A.各遺伝子型マウス(34週齢)の脊髄切片のニッスル染色像B.ニッスル染色により観察した脊髄前角部の運動神経細胞数(n=5)(*;P<0.05)

審査要旨 要旨を表示する

筋萎縮性側索硬化症 (amyotrophic lateral sclerosis; ALS) のうち、家族性ALSの一部はSOD1遺伝子の変異が原因で発症することが知られてり、その発症機構は、変異型SOD1が細胞内に蓄積することによって細胞毒性を発揮し、運動神経が変性を来すことによるものと考えられている。しかし、細胞内に変異型SOD1が蓄積した結果、どのようなシグナル伝達を介して細胞が傷害され、変性していくかについての一連のメカニズムについては、様々な角度から数多くの研究がなされているものの、未だ明らかになっていない。本研究は、SOD1遺伝子変異を原因とする家族性ALSの病態分子メカニズムにおいて、ASK1(ストレス応答性MAPキナーゼキナーゼキナーゼ)が変異型SOD1(A4V、G85R、G93A)依存的神経細胞死、およびALS病態進行に重要な役割を果たしていることをin vitro、in vivo系により示したものである。

以下、研究結果の要旨を記す。

変異型SOD1(A4V、G85R、G93A)依存的運動神経細胞死に関する検討

個体レベルでは変異型SOD1の発現によって惹起され運動神経細胞死において、運動神経細胞の周囲の環境が何らかの不可欠な役割を果たしていると考えられている。従って、運動神経細胞とグリア細胞との相互作用が反映される実験系が必要であったため、マウス胎児脊髄り得られた細胞全てを培養することによって、運動神経細胞の他にグリア細胞およびミクログリアといった細胞も混在する共培養系において、アデノウィルス法を用いて変異型SOD1を発現させる実験系を確立した。MTT法、TUNEL法を用いて検討を行った結果、全ての変異型SOD1の発現によって神経細胞死が惹起されることが示された。

変異型SOD1の過剰発現によるASK1の活性化

様々なストレスシグナル伝達経路に関与するASK1は、ポリグルタミン病において、異常タンパク質(ポリグタミン鎖タンパク質)の蓄積によって活性化され、神細胞死に関与することが知られている。変異型SOD1は野生型に比べ細胞内に蓄積されやすいことから、変異型SOD1によって惹起される細胞死にASK1が関与する可能性検討するためASK1活性を測定した結果、野生型SOD1によってはASK1の活性化はほとんどみられなかったが、いずれの変異型SOD1によってもASK1の活性化が観察された。したがって、変異型SOD1によって惹起される細胞内グナル伝達経路においてASK1の活性化が関与していることが示唆された。

変異型SOD1依存的神経細胞死におけるASK1 の必要性

変異型SOD1によってASK1が活性化されたことから、変異型SOD1依存的神経細胞死においてASK1が必要な分子として機能しているか否かを、野生型(ASK1+/+)マウス由来の運動神経細胞とASK1ノックアウト(ASK1-/-)マウス由来の運動神経細胞を用い、その比較により検討た。その結果、ASK1-/-マウス由来細胞においては、ASK1+/+マウス由来細胞で観察されるいずれの変異型SOD1による細胞死も抑制されていた。したがって、変異型SOD1によって引き起こさる細胞死において、ASK1が必要な分子として機能していることが示された。

変異型SOD1(G93A)トランスジェニック(Tg)マウスとASK1-/-マウスの交配実験

細胞レベルにおいて、変異型SOD1依存的神経細胞死にASK1が重要な分子として機能することが明らかとなったことから、個体レベルでのASK1の役割を調べるため、SOD1(G93A)TgマウスとASK1-/-マウスの交配実験により、病態発症時期と個体生存率、および脊髄運動神経細胞死について検討を行った。その結果、SOD1(G93A)Tg・ASK1-/-マウスとSOD1(G93A)Tg・ASK1+/+マウスとの間では運動失調の出現時期には差がみられなかったが、個体生存率についてはSOD1(G93A)Tg・ASK1-/-マウスではSOD1(G93A)Tg・ASK1+/+マウスと比較して個体生存率が上昇することが明らかになった。また、これらのマウスの脊髄組織染色により、SOD1(G93A)Tg マウスの病態進行時にみられる脊髄組織内の運動神経細死においても、ASK1が重要な分子として機能していることが示された。

以上、運動神経初代培養系およびSOD1(G93A)Tgマウスを用いた実験により、SOD1 の遺伝変異によって生じるALSの病態進行の際の細胞内シグナル伝達において、ASK1が中心的な役割を果たしていることが示唆された。

本研究は、ストレス応答性MAPキナーゼキナーゼキナーゼファミリーの一つであるASK1に焦点を当て、ALSにおける運動神経細胞死の分子機構について細胞レベルと個体レベルとの両面から検討することにより、家族性ALSの原因である変異型SOD1によって惹起される動神経細胞死にASK1が必要であることを初めて示したものである。これらの知見は、ALSの病態分子機構解明に新たな情報をもたらすものであり、今後のALSの治療法開発につながる可能性を有しており、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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