学位論文要旨



No 119453
著者(漢字) 赤井,智紀
著者(英字)
著者(カナ) アカイ,トモノリ
標題(和) 分子被覆導線の構造と微細電極を用いた物性の研究
標題(洋)
報告番号 119453
報告番号 甲19453
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第1号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 講師 木村,康之
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 助教授 吉信,淳
内容要旨 要旨を表示する

序論

近年、単一の機能性分子の自己組織化によってデバイスを組みあげる分子エレクトロニクスが注目を集めている。分子エレクトロニクスでは、様々な機能を有する分子素子間を分子導線によって配線し、外部電極と接合することが不可欠である。導電性高分子は分子レベルの非常に細い導線であるというだけでなく、有機合成の手法によって任意の箇所を修飾することが可能であり、分子素子や外部電極との接合が比較的容易に実現できることからも分子配線材料として有力視されている。しかし、導電性高分子は一般に溶媒に対して難溶で分子鎖1本の単離が難しく、可溶な場合でも分子が形態エントロピーを稼ぐためにコイル状の形態をとり、共役構造に欠陥が生じるなど、分子導線としての応用に関して様々な問題が指摘されていた。このため、導電性高分子の単分子鎖での導電率を測定した例はこれまで報告されていない。

一方、環状分子であるシクロデキストリン (CD) 同士を架橋することにより、CDが管状につながった分子ナノチューブが合成されることが近年報告された[1]。この分子ナノチューブは外側が親水性であるのに対し、内側が疎水性であり内部に高分子を包接しやすい性質がある。そこで我々は、分子ナノチューブと導電性高分子であるポリアニリン (PAn) を用いて包接錯体(分子被覆導線)を作成し、従来の導電性高分子の問題点を解決することを試みた(図1)[2]。

分子ナノチューブの内径は0.45nmと非常に細く、内部にはPAn分子鎖1本のみが包接されるため、PAn分子鎖1本の単離が実現される。また、内部のPAnの形態は棒状に制約されるため、PAnの分子鎖全体にわたる共役構造が実現し、高い導電率を示す可能性がある。また、分子ナノチューブが絶縁性であることから、これはいわば被覆された導線であるとみなせる。

本研究では、この分子被覆導線を原子間力顕微鏡(AFM)により直接観察し、その構造と物性を調べた。また、塩酸によって分子被覆導線のドーピングを行い、光吸収スペクトルやマイカ基板への吸着量の変化を調べた。さらに、ナノレベルの電極間ギャップを持ち、原子レベルで平坦な表面を有する電極基板を作製し、電極間に分子被覆導線を橋渡して分子被覆導線の導電率測定を行った。

実験

導電性高分子は、PAnのエメラルディンベース(平均分子量6.2×104)を用いた。分子ナノチューブはα-CDを重合して作成した。PAnのNメチル2ピロリドン (NMP) 溶液および分子ナノチューブの水溶液を混合し、1日後に生じた沈殿をNMPへ溶かし、分子被覆導線の溶液を作成した。劈開した直後のマイカ基板へ分子被覆導線溶液を滴下し、エアブロワーで溶媒を飛ばして表面を乾燥させた後にAFMのタッピングモードで表面を走査し、分子被覆導線の観察を行った。また、分子被覆導線溶液へ塩酸を加え、分子被覆導線のドーピングを行った。分子被覆導線の抵抗値測定のために、AFMリソグラフィ法を用いてナノレベルの電極間ギャップを持つ電極基板を作製した。作製した電極基板上へ分子被覆導線をのせて、分子被覆導線の抵抗値測定を行った。

結果と考察

AFM観察

マイカ基板上へ分子被覆導線溶液を滴下し、エアブロワーで溶媒を飛ばした後にAFM観察を行ったところ、図2のような棒状分子の像が得られた。この棒状分子の長さは約300nmで平均分子量から算出されるPAnの伸びきり長にほぼ一致し、高さは約1nmで分子ナノチューブの外径にほぼ等しい。また、PAnや分子ナノチューブのみの溶液を同様に観察しても、この様な棒状の分子は観察されなかった。従って、PAnと分子ナノチューブから棒状の包接錯体、すなわち分子被覆導線が作成されたことが明らかになった。また、他の場所には、PAn1本 (300nm) よりはるかに長い、数μm程度の長さの分子被覆導線も観察された。これは、分子ナノチューブを介してPAn同士がつながり、より長い超分子体を形成したためであると考えられる[2]。

塩酸によるドーピング

図3は、塩酸によるドーピングを行う前、および行った後の分子被覆導線の光吸収スペクトルである[3]。両者ともPAn単体ヘドーピングを行った時のスペクトルとほぼ同じ傾向を示した。ドープ前のスペクトルでは、325nm付近にベンゼン環に起因するπ-π*遷移による吸収ピークがみられ、640nm付近にはキノイド構造に起因する吸収ピークがみられる。ドーピングを行うと、キノイド構造起因のピーク (640nm) が消え、ベンゼン起因のピーク (325nm) が減少して、800nm以上の高波長域に幅広く吸収が現れる。これは、ドーピングを行うことによって分子鎖内にポーラロンバンドができたことを示している。この実験から、分子ナノチューブに被覆された状態のPAnも、ドーピングを行えることがわかった。また、ドーピングを行った後、分子被覆導線をマイカにのせてAFMで観察したところ、ドーピング前よりも数倍多くの分子が観察された。これは、ドーピングを行うことで、正に帯電した分子被覆導線が、負に帯電しているマイカ基板へより吸着されやすくなったためと考えられる。

導電率測定

サファイア基板を絶縁性基板とし、Ptの微細電極を作製した。サファイア基板上へPtをスパッタし、レジストを塗布した後に、レジストを光リソグラフィ、AFMリソグラフィでパターニングした。さらに、エッチングによってレジストパターンをPtへ転写し、微細電極を作製した[4,5]。

図4が作製した電極基板のAFM像である。AFM観察によって電極表面は0.3nm以下の表面荒さであることがわかった。電極間のギャップは約150nmとなっている。また、端子間の電気抵抗を測定したところ、数TΩ以上と非常によく絶縁されている。

AFMリソグラフィで作製した電極上へ分子被覆導線をのせ、AFMで観察を行った結果が図5である。分子被覆導線をのせた電極基板を真空引きした状態で抵抗値を測定したところ、抵抗値は変わらずに数TΩ以上のままであった。

次に、塩酸によってドーピングを行った後に、同様に電極上へ分子被覆導線をのせて抵抗値の測定を行った。この場合にも、抵抗値の変化は見られなかった。バルクの状態の導電性高分子をドーピングした場合、ドーパントがバルクの膜の中へ深く取り込まれるために真空引きをした後もほぼ脱ドープされることがないが、今回のように単分子鎖を単離して真空引きする場合には、ドーパントが脱離してしまうことが考えられる。そこで、ドーパントを変え、ヨウ素の蒸気によってドーピングを行った。真空引きした後に、ヨウ素を封入したままの状態で測定を行った結果、図6の電流電圧特性が得られた。ドープ状態での電気抵抗値は約47GΩ(導電率は4×10-2S/cm程度)であった。バルク状態でのPAnの導電率は、エメラルディンベースへのヨウ素ドープで10-3S/cm程度、さらに高濃度にドープを行うと10-1S/cm程度と報告されている。バルク状態の導電性高分子の導電率は単分子鎖内の導電率と分子間のホッピングによる導電率を併せたものが観測され、一般には、より高抵抗な分子間のホッピング伝導が主要な導電率となると言われている。従って、単分子では、バルク状態よりも高導電率が得られると考えられる。一方、単分子ではバルク状態よりもドーパントが抜けやすく、ドープ率は低下する可能性がある。また、電極間ギャップにPAn同士の接続部が含まれていると、その部分で高抵抗となってしまう。これらの効果の兼ね合いで、本測定では高濃度でドープしたバルク状態の導電率と同程度の抵抗となっていると考えられる。

分子被覆導線の形成過程

(a)分子被覆導線のAFM像(Scan size:500nm×500nm)(b)分子被覆導線の断面のプロファイル

(a)ドーピング前(b)ドーピング後の分子被覆導線の光吸収スペクトル

AFMリソグラフィによって作製した4端子電極のAFM像

2端子電極間を橋渡しした分子被覆導線のAFM像

ヨウ素ドープした分子被覆導線の電流電圧特性

A. Harada, J. Li and M. Kamachi, Nature, 364, 516 (1993).T. Shimomura, T. Akai, T. Abe and K. Ito, J. Chem. Phys., 166, 1753 (2002).T. Akai, T. Shimomura and K. Ito, Synthetic Metals, 135, 777 (2003).Masayoshi Ishibashi, Seiji Heike, Hiroshi Kajiyama, Yasuo Wada and Tomihiro Hashizume, Appl. Phys. Lett, 72, 1581 (1998).T. Akai, T. Abe, T. Shimomura, M, Kato, M. Ishibashi, S. Heike, B.-K. Choi, T. Hashizume and K. Ito, Jpn. J. Appl. Phys., 42, 4764 (2003).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、分子配線材料として期待されている導電性高分子を筒状の絶縁性分子である分子ナノチューブの中へ包接した「分子被覆導線」の作製と、その構造および物性の研究についてまとめたものである。具体的には、分子被覆導線の原子間力顕微鏡(AFM)観察、分子マニピュレーション、塩酸によるドーピング、ナノレベルの絶縁ギャップと原子レベルの平坦性を有する微細電極の作製法、作製した電極を用いた分子被覆導線の電気物性測定について述べられている。

本論文は4つの章により構成され、各章の概要は以下の通りである。

第1章では、分子配線材料として期待されている導電性高分子の電気伝導機構、分子ナノチューブの合成方法およびその物性、分子被覆導線の研究についてのこれまで知見がまとめられている。また、背景となる知識として、走査型プローブ顕微鏡、特に本研究で用いている原子間力顕微鏡について詳細に説明されている。さらに、分子被覆導線の電気物性測定用の微細電極基板を作製する手法として、導電性AFM探針を用いた陽極酸化法およびAFMリソグラフィ法についてのこれまでの知見が述べられている。

第2章では、具体的な実験手法として、分子被覆導線の作製と物性の測定法についてまとめられている。まず、本研究で用いたポリアニリンの特徴、分子ナノチューブの合成法と、分子被覆導線の作製法についての記述があり、次に分子被覆導線のAFM観察結果、特に様々な基板上で観察を行い、それぞれの基板への分子被覆導線の吸着力について述べられている。また、分子被覆導線の操作を行うために、AFMを用いた分子マニピュレーションについての説明があり、さらに分子被覆導線のドーピング法および光吸収を用いた測定について述べられている。最後に、分子被覆導線の電気物性測定で使用する微細電極基板の作製法が2種類紹介されている。1つは、陽極酸化法を用いた電極作製プロセスであり、もう1つは、AFMリソグラフィを用いた電極作製プロセスである。作製した微細電極は、それぞれカーボンナノチューブの電気物性測定を通して電極の有効性が検証されている。さらに、作製した微細電極を用いた分子被覆導線の電気物性の測定法について述べられている。

第3章では、第2章で行った実験の結果および考察についてまとめられている。AFM観察により分子被覆導線の形成が確認され、さらに分子被覆導線を溶かしている溶媒に対して濡れが良い基板ほど、分子被覆導線の吸着量が多いことがわかった。また、観察される分子の多くは、分子被覆導線が分子ナノチューブを介して数本程度つながったものであることがわかった。次に、分子マニピュレーションにより、分子被覆導線を移動させたり切断したりすることが可能であることが明らかになっている。切断されるときの探針の触圧から、約30nN以上の触圧で分子被覆導線が切断された。さらに、分子被覆導線にドーピングを行った結果、被覆していないポリアニリンと同様にドーピングが行えることがわかった。また、ドーピングを行った分子被覆導線は正に帯電するため、負に帯電したマイカ基板への吸着量が上がることも明らかになった。

次に、微細電極の作製結果が述べられている。陽極酸化法を用いた場合、電極間のギャップは150nm程度、表面の粗さは0.5nm以下であり、分子被覆導線の電気物性測定に十分な微細かつ平坦な電極を作製できている。電極にTiを用いた場合、カーボンナノチューブの抵抗を測定することができたが、自然酸化膜の影響で再現性のある測定は困難であることがわかった。AFMリソグラフィ法を用いた場合も、電極間のギャップは150nm程度、表面の粗さは0.3nm以下であり、分子被覆導線の電気物性測定に十分な微細かつ平坦な電極を作製できた。作製した電極を用いてカーボンナノチューブの抵抗を測定したところ、従来の報告と同程度の接触抵抗を含んだ抵抗値が得られた。最後に、AFMリソグラフィで作製した電極を用いた分子被覆導線の電気物性測定について述べられている。分子被覆導線ヘドーピングを行わない状態や、ドーピングを行った後に真空引きした状態で抵抗測定を行った場合、分子被覆導線に電流は流れなかったが、ヨウ素雰囲気中でドーピングを行いながら抵抗測定を行ったところ、約47GΩの抵抗値が得られた。この導電率は、バルク状態のポリアニリンにヨウ素ドープを行ったときの導電率とほぼ同程度である。

第4章では、本論文の結論が述べられており、本研究で明らかとなった分子被覆導線の構造と物性や、電気物性測定に用いた微細電極に関する知見の総括が述べられている。

以上のように本論文で著者は、分子配線材料として期待されている導電性高分子を分子ナノチューブで包接することにより分子被覆導線を作製し、分子被覆導線の構造と物性に関する多くの有意義な知見を得ている。これは、分子エレクトロニクスの実現に必要不可欠といわれている分子配線の研究の発展のみならず、従来一次元系の電子物性についてなされてきた数多くの理論的予測を実験的に検証することができることが示され、低次元系の物理、化学の分野に大きな進展をもたらすことが予想される。

第2章及び第3章の結果については、阿部巧、下村武史、伊藤耕三、石橋雅義、加藤美登里 平家誠嗣、岡井誠、橋詰富博、崔炳基との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、本論文は博士(科学)の学位論文として合格と認められる。

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