学位論文要旨



No 119461
著者(漢字) 津田,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) ツダ,シュンスケ
標題(和) 高分解能光電子分光によるMgB2と関連物質の超伝導ギャップの研究
標題(洋)
報告番号 119461
報告番号 甲19461
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第9号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 助教授 松田,祐司
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 教授 藤森,淳
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

2001年に発見されたMgB2は[1]その転移温度が酸化物高温超伝導体以外では最も高く(約40K)、この温度はフォノンを媒介とした従来のBCS理論から期待される上限付近である。いくつもあるMgB2の特異性の内、マルチギャップは最も特異な性質の1つである[2]。ここでマルチギャップとは複数の大きさの超伝導ギャップが共存している状態を指す。マルチギャップの起源はフェルミ面を構成している電子状態の対称性との関係が指摘されており[3][4]、高い転移温度も説明されている。しかし実験的には確認されておらず、それぞれのフェルミ面における超伝導ギャップの大きさを明らかにする必要がある。そこで本研究では角度分解光電子分光を用いてフェルミ面ごとに超伝導ギャップの大きさを調べた。また同じ結晶構造を持つ Ca(Al0.5Si0.5)2(以後CaAlSi)の角度分解光電子分光研究も行った。MgB2の結果と比較し、フェルミ面の対称性とマルチギャップの関係を明らかにすることを目的とした。

MgB2の基本的な性質

MgB2は約40Kで超伝導転移を示す[1]。結晶構造はMgの三角格子からなる層とBの六角格子からなる層が交互に積み重なって出来ている。転移温度の同位体効果はBに強くあらわれた[5]。この結果はMgB2の超伝導がフォノンによって引き起こされていることを強く示唆する。しかし従来のBCS理論とその拡張した理論の枠内でTcを説明する試みは失敗した[6]。この原因の1つにMgB2がマルチギャップ超伝導体であることが挙げられる。

電子状態に関しては第一原理計算から[6]MgB2の価電子帯はBの面内に2次元的な電荷密度分布を持つσバンドとB面に垂直で3次元的な電化密度分布をもつπバンドからなると考えられている。軟X線吸収・発光分光[7]、光電子分光測定[8]等から実験的に得られた電子状態は第一原理計算の結果とよく一致することが報告されている。

MgB2の角度分解光電子分光研究

高温高圧合成により得られたMgB2単結晶[9](Tc〜36K)を用いて角度分解分光測定を行った。光源にはHeIIα(40.814eV)を用いた。

図1にフェルミ準位近傍の光電子強度分布を示す。下側が第1、上側が第2ブリルアンゾーンである。わかりやすくするために、第2ブリルアンゾーンのΓ(A)点近傍の強度を3倍にした。第1ブリルアンゾーンのΓ(A)点近傍にはほとんど強度が観測されていない。M(L)点近傍に弧状の強度が観測された。また第2ブリルアンゾーンのΓ(A)点近傍で円状に強度が観測された。図1中に第一原理計算[10]から得たkz=0におけるフェルミ面を細い実線(σバンド)と破線(πバンド)で示した。実験結果と比較すると、M(L)点近傍はπバンドからなるフェルミ面、Γ(A)近傍はσバンドからなるフェルミ面であると考えられる。

図2中太い破線1に沿って測定して得られた光電子スペクトルの強度分布は図1(b)のようになった。左側が第1ブリルアンゾーンである。図2中に第一原理計算[10]から得たkz=0におけるバンド分散を細い実線(σバンド)と破線(πバンド)で示した。実験結果と比較すると、第1ブリルアンゾーンでM点に向かって分散しているバンドはπバンド、第2ブリルアンゾーンでΓ点に向かって分散しているバンドは内側のσバンドであると考えられる。

図3(a)、(b)中にそれぞれ図1中破線2、3にそって測定した高分解能スペクトルを示す。黒丸が超伝導状態、灰色の四角が常伝導状態でのスペクトルである。本研究で用いた試料は小さい(300 x 300 x 50μm3)ため、得られる信号は弱い。これを補うために運動量空間内で部分的に積分したスペクトルを用いて議論した。ともに超伝導状態ではスペクトル端のシフト(σバンドでは3.6meV、πバンドでは0.9meV)とピーク構造(σバンドでは8meV付近、πバンドでは4meV付近)が観測された。これらはσバンドで大きなギャップが、πバンドでは小さなギャップが開いている直接的な証拠である。白丸で示した30Kにおいても40Kのスペクトルに比べてフェルミ準位上での光電子強度が減少しており、バルクのTc近傍までギャップが開いていることがわかる。

得られたスペクトルは運動量空間でフェルミ面ごとに積分したスペクトルであるため、ギャップの大きさを定量的に見積もる際には、状態密度に対応したDynes関数[11]を用いて解析することが出来る。解析結果を図3(a)、(b)中に案線で示した。Dynes関数を用いて実験結果をよく再現することができた。測定した各温度のスペクトルを解析した結果得られたギャップの大きさを温度の関数としてプロットした(図4)。小さいギャップはBCS理論[12]と同様の温度変化を示すのに対し、大きいギャップはBCS理論で予想されるより小さい値をとった。また、測定最低温でのギャップの大きさはΔσ=5.5meV、Δπ=2.2meVとなり、大きいギャップの値は角度積分光電子分光測定の結果(5.6meV)と一致した[13]。小さいギャップは角度積分光電子分光測定の結果(1.7meV)よりやや大きい。これは解析精度、エネルギー分解能等実験誤差で説明できる一方でkz方向にギャップの異方性が存在する可能性もある。また2つのギャップがバルクのTcで閉じていることがわかった。これらの結果は電子格子相互作用の運動量依存性がマルチギャップひいては高Tcの起源であるというモデル[3][4]を裏付けるものである。

CaAlSiの角度分解光電子分光研究

AlB2構造を持つ系でフェルミ面の対称性とマルチギャップの関係を調べる目的でCaAlSi単結晶(Tc=7.7K)[14]を用いて角度分解光電子分光研究を行った。HeIαを用いて得られたフェルミ準位近傍の強度分布を図5に示す。Γ(A)点近傍とM(L)点近傍にそれぞれフェルミ面が観測された。第一原理計算の結果との比較から、これらのフェルミ面は、Ca、Al、Siそれぞ肌の電子が強く混成して出来た3次元的なバンドである。それぞれのフェルミ面上で高分解能測定を行い、転移温度上下でスペクトルを比較した結果を図6に示す。超伝導状態においてはピーク構造が4meV付近に観測され、スペクトル端のシフトも観測された。超伝導ギャップの大きさを定量的に評価するためにDynes関数を用いてフィットした結果(図6中実線)、Γ点では1.1meV、M点では1.2meVのギャップが開いていることがわかった。この違いは解析精度の範囲内で、有意な差は観測されなかった。この結果からCaAlSiにおいては異なるフェルミ面上で等しい大きさの超伝導ギャップが開いていることがわかった。

まとめ

本研究ではMgB2の角度分解光電子分光研究から異なる対称性を持つσバンドとπバンドに異なる大きさの超伝導ギャップが開いていることがわかった。またMgB2と同じ結晶構造を持つCaAlSiでは対称性の等しいフェルミ面が2つあり、それらは等しい大きさのギャップを持つことがわかった。これらの結果はマルチギャップの起源がフェルミ面の対称性にあることを示唆する。また理論モデル[3][4]との比較からMgB2の高いTcは運動量に依存した電子格子相互作用を考慮することで説明できることがわかった。

MgB2のフェルミ準位近傍における光電子強度分布

MgB2のΓ-M上における光電子強度分布

(a)σband(b)π bandにおける高分解能スペクトル

超伝導ギャップの温度依存性

CaAlSiのフェルミ準位近傍における光電子強度分布

CaAlSiの各フェルミ面における高分解能スペクトル

J. Nagamatsu et al., Nature (London) 410, 63 (2001).レヴューとして C. Buzea and T. Yamashita, Supercond. Sci. Technol. 14, R115 (2001).A. Y. Liu, I. I. Mazin, and J. Kortus, Phys. Rev. Lett. 87, 087005 (2001).H. J. Choi et al., Nature (London) 418, 758 (2002). ; H. J. Choi et al., Phys. Rev. B 66, 020513 (2002).S. L. Bud'ko et al., Phys. Rev. Lett. 86, 1877 (2001) ; D. G. Hinks, H. Claus, and J. D. Jorgensen, Nature (London) 411, 457 (2001).J. Kortus et al., Phys. Rev. Lett. 86, 4656 (2001)E. Z. Kurmaev et al., Phys. Rev. B 65, 134509 (2002).H. Uchiyama et al., Phys. Rev. Lett. 88,157002 (2002).Y. Takano et al., Appl. Phys. Lett. 78, 2914 (2001).; M. Xu et al., Appl. Phys. Lett. 79 (2001) 2779.H. Harima, Physica (Amsterdam) 378C-381C, 18 (2002).R. C. Dynes, V. Narayanamurti, and J. P. Garno, Phys. Rev. Lett. 41, 1509 (1978).J. R. Schrieffer, Theory of Superconductivity (Perseus Books, Reading, MA, 1983).S. Tsuda et al., Phys. Rev. Lett. 87, 177006 (2001).M. Imai et al., Phys Rev. B68, 064512 (2003).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章はMgB2単結晶の角度分解光電子分光研究、第3章はCa(Al0.5Si0.5)2単結晶の角度分解光電子分光研究、第5章はまとめについて述べられている。

MgB2は超伝導転移温度が酸化物高温超伝導体以外では最も高く(約40K)、BCS理論から期待される転移温度の上限付近である。いくつもあるMgB2の特異性の内、マルチギャップは最も特異な性質の1つである。マルチギャップの起源はフェルミ面を構成している電子状態の対称性との関係が指摘されているが実験的には確認されておらず、それぞれのフェルミ面における超伝導ギャップの大きさを明らかにする必要がある。そこで本研究では角度分解光電子分光を用いてフェルミ面ごとに超伝導ギャップの大きさを調べた。また同じ結晶構造を持つCa(Al0.5Si0.5)2(以後CaAlSi)の角度分解光電子分光研究も行った。MgB2の結果と比較し、フェルミ面の対称性とマルチギャップの関係を明らかにすることを目的とした。

高温高圧合成により得られたMgB2単結晶(Tc〜36K)を用いて角度分解分光測定を行った。フェルミ準位近傍の光電子強度分布を観測したところ、M(L)点近傍に弧状の強度が観測された。また第2ブリルアンゾーンのΓ(A)点近傍で円状に強度が観測された。第一原理計算から得たフェルミ面形状を実験結果と比較すると、M(L)点近傍はπバンドからなるフェルミ面、Γ(A)近傍はσバンドからなるフェルミ面であると考えられる。

Γ(A)-M(L)方向に測定して得られた光電子強度分布を調べると、第一原理計算から得たバンド分散とよく一致した。また他の報告では“表面”準位と呼ばれるバンドは顕著には観測されず、これまで難しかった純粋なσバンドの観測に成功した。

σバンド・πバンドそれぞれのフェルミ面上で高分解能測定を行った。ともに超伝導状態ではスペクトル端のシフト(σバンドでは3.6meV、πバンドでは0.9meV)とピーク構造(σバンドでは8meV付近、πバンドでは4meV付近)が観測された。これらはσバンドで大きなギャップが、πバンドでは小さなギャップが開いている直接的な証拠である。

超伝導ギャップの大きさを定量的に評価するために、得られたスペクトルを数値解析した。Dynes 関数を用いた解析によって実験結果をよく再現することができた。測定最低温でのギャップの大きさはΔσ=5.5meV、Δπ=2.2meVであった。これらの結果は電子格子相互作用の運動量依存性がマルチギャップひいては高Tcの起源であるというモデルと矛盾しない。

AlB2構造を持つ系でフェルミ面の対称性とマルチギャップの関係を調べる目的でCaAlSi単結晶(Tc=7.7K)を用いて角度分解光電子分光研究を行った。フェルミ準位近傍の光電子強度分布を調べると、Γ(A)点近傍とM(L)点近傍にそれぞれフェルミ面があることがわかった。これらのフェルミ面は第一原理計算の結果とよく対応し、これらのフェルミ面は、Ca、Al、Siそれぞれの電子が強く混成して出来た3次元的なバンドであることが推察された。それぞれのフェルミ面上で高分解能測定を行った。超伝導状態においてはピーク構造が4meV付近に観測され、スペクトル端のシフトも観測された。超伝導ギャップの大きさを定量的に評価するために数値解析を行った結果、Γ点では1.1meV、M点では1.2meVのギャップが開いていることがわかった。この結果からCaAlSiにおいては異なるフェルミ面上で等しい大きさの超伝導ギャップが開いていることがわかった。

本研究ではMgB2の角度分解光電子分光研究から異なる対称性を持つσバンドとπバンドに異なる大きさの超伝導ギャップが開いていることがわかった。またMgB2と同じ結晶構造を持つCaAlSiでは対称性の等しいフェルミ面が2つあり、それらは等しい大きさのギャップを持つことがわかった。これらの結果は電子格子相互作用の運動量依存性がマルチギャップひいては高Tcの起源であるというモデルと矛盾しない。

なお、本論文題2章は、物質・材料研究機構の高野義彦博士、産業総合研究機構の鬼頭聖博士、伊藤順司博士、物質・材料研究機構の松下明行博士、殷福星博士、大阪大学の播磨尚朝教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者が十分であると判断する。

また、本論文題3章は、物質・材料研究機構の今井基晴博士、産業総合研究機構の長谷泉博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者が十分であると判断する。

従って、本論文の内容は、十分な価値があり、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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