学位論文要旨



No 119463
著者(漢字) 松崎,弘幸
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,ヒロユキ
標題(和) 強相関擬一次元系における光誘起相転移の探索
標題(洋)
報告番号 119463
報告番号 甲19463
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第11号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岡本,博
 東京大学 助教授 野原,実
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 教授 末元,徹
 分子科学研究所 助教授 米満,賢治
内容要旨 要旨を表示する

近年、物質科学の分野において、光によって相転移や巨視的な電子物性を制御しようという試みが盛んになされている。この光誘起相転移と呼ばれる現象は、有機電荷移動錯体TTF-CAをはじめとして、共役系高分子や遷移金属化合物で精力的に研究され、これまでに様々な電子物性(光学特性、磁性、誘電性、伝導特性 etc)を光で制御できる可能性が示されてきた。現在、様々な物質において光誘起相転移の探索が行われているものの、実現例は数少ないのが現状である。

本論文では、光誘起相転移の探索の舞台として一次元系に着目する。一次元系では、電子の運動は一次元空間に閉じ込められる為、電子間の相互作用が増大する。また、パイエルス転移やスピンパイエルス転移に代表されるように電子やスピンと格子との相互作用の効果もしばしば顕著にその物性に表れる。特に、電子間に強いクーロン相互作用の働く強相関一次元系では、光照射によって生成した電子励起や光キャリアが、強い電子相関やスピン格子相互作用を通して、周囲の電子(スピン)系の巨大かつ高速な変化をもたらすことが予想され、新規な光誘起相転移を探索する上で格好の物質群であると考えられる。本論文では、このような観点から、以下に示す有機分子結晶や一次元遷移金属錯体などの強相関一次元系を対象として、レーザ分光を含めた分光学的手法を用いて、光誘起相転移の探索とそのメカニズムの解明を行った。

スピンパイエルス系有機ラジカル結晶における光誘起反磁性-常磁性転移の探索

有機ラジカル結晶TTTA(=1,3,5-trithia-2,4,6-triazapentalenyl)は、分子(S=1/2)が一次元的にスタックした構造をもち、低温で二量体化を起こして、常磁性相から反磁性(スピンパイエルス)相へ転移する。この転移は巨大な温度履歴(Tc↓=230K, Tc↑=305K)を有し、またサーモクロミズム(高温相:赤紫色,低温相:黄緑色)を示す。本研究では、光誘起反磁性-常磁性転移の実現とその機構の解明を目的として、ナノ秒パルスレーザ光照射実験と光伝導および発光スペクトルの時間分解測定を行った。

図1にスタック方向に垂直な偏光でのラマン散乱スペクトル(296K)を示した。1350cm-1付近のピークはC=Nの伸縮振動モードである。低温(LT)相(296K)において、ナノ秒パルスレーザ光(パルス幅6ns)を1パルス照射すると、結晶は黄緑色から赤紫色に変化し、照射後のラマンスペクトル(破線1')は、高温(HT)相のそれに(実線2)に良く一致する。すなわち、ナノ秒パルスレーザ光照射によって、低温相から高温相への相転移が誘起できることが分かった。さらに、同様な相転移を11Kにおいても確認した。

次に、光誘起LT-HT転移に関して、変換効率(φ)の励起密度及び波長依存性の詳細な実験を行った。図2(a)のように、φは励起密度に対して閾値(Ith)を持って非線形に変化しており、励起状態間の協同的相互作用が重要であることを示唆している。各励起エネルギーでのIth(黒丸)を図2(b)に示した。破線はスタック方向の吸収スペクトル(α)であり、1.8eVと2.2eV付近のピークは、それぞれ二量体内および二量体間の電荷移動(CT)遷移に相当する。Ithは、励起エネルギーの増加とともに減少しており、転移は加熱効果ではなく、光によるものである事を示している。光伝導励起スペクトルを図2(b)(白丸)に示した。光伝導が増加するにつれてIthは減少しており、生成した光キャリアがCT励起子に比べて、より効率的に相転移を誘起している事を示唆している。光キャリアおよびCT励起子は、二量体化を解放する励起状態であり、これらの蓄積によってLT-HT転移が誘起されると考えられる。また、発光の時間分解測定から、励起子の寿命を20ps以下と見積もれる。すなわち、CT励起子は、その速い寿命のためにパルス幅(〜6ns)の間には大部分が緩和する。一方、高エネルギー励起によって生じた光キャリアは、強い電子(スピン)格子相互作用によって安定化し比較的長い寿命を有するものと予想される。このような両者の寿命の違いが相転移効率の励起波長依存性に反映されていると考えられる。

一次元ハロゲン架橋複核遷移金属錯体における電子相制御と光誘起相転移の探索

一次元ハロゲン(X)架橋複核遷移金属(M)錯体は、金属2個とハロゲンが交互に並んだ一次元物質であり、Mのdz2軌道とXのpz軌道から一次元電子系が形成される。この錯体では、平均原子価相、電荷密度波(CDW)相、電荷分極(CP)相、交互電荷分極相など多彩な電子相の存在が予想されている。本研究では、組成変化によって幅広い構造制御が可能な系(R4[Pt2(pop)4I]nH2O)に注目し、X線構造解析、分光測定、磁性測定を系統的に行い、その電子相図(図3)を明らかにした。この系では、Iを介したPt問の距離d(Pt-I-Pt)が長い時には、常磁性のCP相が安定となり、短くなると反磁性のCDW相が安定となる事が分かった。

次に、得られた相図をもとに、CP相にある錯体について、高圧下の分光測定から圧力誘起相転移の可能性を吟味した。その結果、[(C2H5)2NH2]4[Pt2(pop)4I]においてCP相からCDW相への圧力誘起相転移を見出した。[図4(a)]さらに、光による相転移の可能性を調べる為に、二つの相が安定及び準安定となるヒステリシス領域で光照射実験を行った。図3-3(b)のa, bの状態での変換効率の励起密度依存性を示したものが図4(b)である。一次元鎖方向に平行な偏光で、cw光(1.96eV, 2,41eV)を8ms照射した場合には、CDW→CPの転移が効率よく生じる事が分かった。一方、CP→CDWの転移は、1.96eV及び2.41eV励起では、パルス幅及び強度を変えても観測する事が出来なかったが、2.71eV, 30sの励起条件下では転移が起きる事が分かった。このようなCDW→CPとCP→CDWの変換効率の顕著な違いは、それぞれの相における光励起状態の違いから定性的に理解される。

一次元ハロゲン架橋遷移金属錯体における光誘起電荷密度波-モットハバード絶縁体転移の探索

一次元ハロゲン架橋遷移金属錯体は、遷移金属(M)と架橋ハロゲン(X)が交互に並んだ一次元物質である。M=Pdの錯体では、Pd2+とPd4+が交互に並んだCDW状態が基底状態となり、Pd3+のモットハバード(MH)状態は通常では安定には存在しない。本研究では、まずNiとの混晶によってMH状態が安定化する系([Ni1-xPdx(chxn)2X]X2, X=Cl, Br)に着目し、磁性測定と分光測定を精密に行い、詳細な電子相図を求めた。この結果から、Pd錯体に微量のNiの導入(〜15%)する事によって、CDW状態からMH状態への転移が起こること、さらに電子状態と光学遷移の相関を明らかにした。次に、得られた分光データをもとに、反射型フェムト秒ポンプ-プローブ分光法を用いて、[Pd(chxn)2Br]Br2において、光誘起CDW-MH転移の探索を行った。光励起直後の差分スペクトルΔσ(0.25ps)[図5(c)]は、基底状態の変化に伴うスペクトル変化[図5(b)]に良く一致しており、光励起によって、瞬時にCDW相中にMH相が形成されている事を示している。また、誘導吸収(図5灰色部)強度の比較から、全体の約55%が過渡的にMH相に変換し、その効率は一光子当たり約22Pdサイトにも及ぶ事が分かった。光誘起相転移のダイナミクスにおいては、サブピコ秒の時間領域でのコヒーレントな振動現象を観測される[図6(a)]。反射率変化ΔR(0.60eV)は、瞬時応答(<140fs)を示した後、周期T=360fs(90cm-1)の振動構造へとつながる。この振動は、ハロゲンの変位に関連した光学フォノンによるものと推測される。振動の振幅のスペクトル[図6(b)黒点]は、Pd3+ドメインの光生成に伴う反射率変化ΔR(0.25ps)(図6(b)破線)スペクトルに類似していることから、振動の原因は光生成したPd3+ドメインにおいてPd間の電荷移動に結合した光学フォノンによって、電子状態がコヒーレントに変調を受けている為であると解釈される。一方、緩和過程は、一次元鎖中をランダム拡散する励起対の対消滅過程で良く記述され、励起密度に対してほぼ線形に変化する。

以下に、本研究で得られた成果をまとめる。

(1)TTTAでは、ナノ秒パルスレーザ光励起によって永続的な磁気転移と色変化を同時に起こすことに成功した。また、相転移効率と光伝導の励起波長依存性の比較から、この転移が光キャリアの蓄積によるスピンパイエルス不安定性の抑制によって誘起されることを明らかにした。(2)沃素架橋複核Pt錯体において、組成変化による格子定数の制御によって、CDW(反磁性)相とCP(常磁性)相が安定に存在することを実験的に明らかにした。また、磁性と光学的性質が同時に変化するCDW相とCP相の間の圧力誘起相転移および光誘起相転移を見出した。(3)臭素架橋Pd錯体において、反射型フェムト秒ポンププローブ分光法を用いて、光誘起CDW-モットハバード絶縁体転移を見出した。ここでの特に重要な成果は、相転移に関連した協同的な電子-格子系のダイナミクスを表す超高速コヒーレント振動を観測した点であり、今後マルチパルスを使った相転移のコヒーレント制御などの新しい展開が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

近年、物性科学の分野において、光によって物質の相転移を誘起し、巨視的な電子物性を制御しようという試みが注目を集めている。このような現象は光誘起相転移と呼ばれており、物性物理や物理化学の分野で活発な研究が進められている。また、この現象は、応用上の観点から光スイッチング素子の新しい動作原理としても期待されている。これまで、有機電荷移動錯体、共役系高分子、遷移金属化合物において光誘起相転移が見出されているが、その実現例は少なく、その機構についても十分に理解されていないのが現状である。

本論文は、以上の背景を踏まえ、強相関一次元系と呼ばれる物質群を対象として、新規な光誘起相転移の探索を目指したものである。一次元系では、電子の運動が閉じ込められるために、電子間の相互作用の効果が増大する。また、パイエルス転移やスピンパイエルス転移に代表されるように電子と格子との相互作用の効果もしばしば顕著に現れる。このような一次元系の中で、特に電子間に強いクーロン相互作用が働く強相関電子系では、光照射によって生成した電子励起や光キャリアが、強い電子間相互作用と電子(スピン)格子相互作用の効果を通して、周囲の電子(スピン)系の巨かつ高速な変化をもたらすことが予想される。

本論文は6章からなる。以下にその内容を要約する。

第1章には、序論として、論文の目的と概要、一次元電子系の基本的な性質、光誘起相転移のこれまでの研究が概説されている。

第2章には、各種分光測定、および、磁性測定の方法が述べられている。

第3章では、一次元有機ラジカル結晶TTTAにおける光誘起相転移の探索について述べられている。この物質は、温度低下とともに二量体化を起こし、常磁性相から反磁性(スピンパイエルス)相へ転移する。また、この転移は、室温近傍で巨大な温度履歴を示す。本研究では、光誘起反磁性-常磁性転移の実現とその機構解明を目的として、ナノ秒パルスレーザ光励起実験、光伝導測定、および、時間分解発光測定が行われた。その結果、温度履歴の内部の温度、および、転移温度以下の極低温において光誘起反磁性−常磁性転移が生じることが見出された。さらに、転移効率と光伝導の励起波長依存性の比較から、この相転移が光キャリアの蓄積によるスピンパイエルス不安定性の抑制によって誘起されることが明らかにされた。

第4章では、ヨウ素架橋複核白金錯体における光誘起相転移の探索について詳述されている。この物質では、白金二原子とヨウ素一原子が交互に並んだ一次元鎖がその物性を支配している。本研究では、まず、カウンターイオンを変化させた約20種類の物質について、系統的な分光測定と磁性測定が行われた。その結果、ヨウ素を介した白金間距離が長い物質では常磁性の電荷分極(CP)相が、短い物質では反磁性の電荷密度波(CDW)相が基底状態となることが明らかとなった。次に、CP相にある錯体について、高圧下の分光測定が行われ、[(C2H5)2NH2]4[Pt2(pop)4I]においてCP相からCDW相への圧力誘起相転移が見出された。さらに、二つの相がそれぞれ安定および準安定となるヒステリシス領域で光照射実験が行なわれ、CDW→CPおよびCP→CDWの両方向で光誘起相転移が生じることが明らかとなった。後者の効率は、前者に比べ小さいが、その違いは、各相における光励起状態の性質の違いによって理解できることが示された。

第5章では、臭素架橋パラジウム錯体おける光誘起相転移の探索について述べられている。この物質では、CDW状態が基底状態であるが、少量のパラジウムをニッケルに置換することによってモットハバード(MH)状態に転移することが明らかにされた。この結果から、光励起によって三価の状態を作り出すことにより、CDWからMH状態への転移を誘起することが着想された。フェムト秒ポンプ-プローブ分光測定の結果から、光励起直後に一光子で二十金属原子を超える広い領域にわたって、CDWからMH状態への転移が生じることが明らかとなった。さらに、この転移では、光励起直後に集団的な電荷移動がきわめて高速に生じ、それに引き続いて臭素の変位に対応したコヒーレント振動が生じることが見出された。これらは、この系の光誘起相転移が強い電子相関に基づく電子的な機構によって支配されていることを示す重要な結果である。

第6章には、本論文の結論が述べられている。

以上のように、本論文では、強相関一次元系において三種の新規な光誘起相転移を見出しており、この種の物質群の光機能性材料としての新しい可能性を開拓したものである。また、様々な分光測定を通してその機構に関して詳細な知見が得られており、物性科学分野への貢献は大きいものと考えられる。したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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