学位論文要旨



No 119464
著者(漢字) 松野,謙一郎
著者(英字)
著者(カナ) マツノ,ケンイチロウ
標題(和) スピネル型酸化物のフラストレーションと電荷・スピン物性
標題(洋)
報告番号 119464
報告番号 甲19464
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第12号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 助教授 山本,剛久
 東京大学 助教授 廣井,善二
 東京大学 教授 吉沢,英樹
 東京大学 教授 今田,正俊
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、「スピネル型酸化物のフラストレーションと電荷・スピン物性」という題目で、スピネル構造を持つ新物質の合成とそうして得られたスピネル酸化物が持つ新物性の開拓とその解明に関する研究をまとめたものであり、全5章から構成されている。

第1章では、研究の背景と目的が述べられている。本研究の対象となるスピネル型酸化物AlV2O4、GeNi2O4は、共に遷移金属イオンの強い電子相関が起因となって絶縁体化するMott絶縁体である。まず、Mott絶縁体の基本概念と、Mott絶縁体において発生する電荷やスピンの自由度に関して概説する。スピネル格子は強い幾何学的フラストレーションを生み出す格子であるが、幾何学的フラストレーションが電荷やスピンの秩序化に与える効果に関して、これまでになされている数々の研究例を列挙する事によって説明されている。GeNi2O4は磁気的相互作用間に競合が存在する事が本研究によって示唆されているが、磁気的相互作用間の競合によってフラストレーションが発生する磁性体と磁性現象に関して説明されている。

第2章では本研究に用いられた実験の実験方法に関して述べられている。

第3章では、AlV2-xCrxO4の電荷整列とスピンフラストレーションに関する実験結果と考察に関する記述である。スピネル型酸化物AlV2O4はスピネル格子サイト上に平均価数2.5価のVイオンが配置されており、700K以下で2価のV1イオンと4価のV2イオンが個数比3:1で価数分離して、V1イオンで構成されたカゴメ格子層、V2イオンの三角格子層が[111]方向に交互に整列する電荷整列構造を形成する事で電荷の幾何学的フラストレーションを解消する事、このような電荷整列相転移は700K以下での立方晶から菱面体晶への結晶構造相転移を伴うものである事が以前の著者による研究によって明らかにされている。AlV2O4に対してVサイトをCrイオンで置換していく事によって、AlV2O4の電荷整列相がどのように乱され変化していくか、電荷整列相の変化とスピンのフラストレーションがどう対応しているか等を調べた。各Crドープ域のAlV2-xCrxO4の電気抵抗率を測定し、電荷整列転移に相当する、温度依存性の異常を示す温度から電荷整列転移温度のCrドープ量に対する変化を観測した。その結果、Crイオンドーピングの量と共にAlV2O4の電荷整列相は抑えられていき、電荷無秩序相が成長していく事が分かった。さらに室温での放射光粉末X線回折データを用いた結晶構造解析を行い、菱面体晶の電荷整列相と立方晶の電荷無秩序相の境界領域では、二相共存状態にあり、Vイオンの電荷分離の大きさに相当するV-酸素間距離はその相境界付近で一次転移的に急激に失われていき電荷無秩序相に至る事を明らかにした。電荷整列相から電荷無秩序相への変化に関する実空間からの情報を得るために電子線回折実験を行った。その結果、AlV2O4では数千Aスケールの電荷整列ドメインが、二相共存領域に相当するAlV2-xCrxO4x=0.1125では数百Aスケールの電荷整列ドメインと電荷無秩序ドメインが混在する状態に変化していく事が分かった。AlV2O4へのCrイオンドープによる磁気的振舞いの変化を調べ、帯磁率からはどのCrドープ域からも、転移温度が約5Kのスピングラス的振る舞いが見られた。この事はどの組成域でも磁性が幾何学的フラストレーションの支配下にある事を示している。帯磁率測定からはCrドープ依存性がほとんど得られなかったが、比熱測定からはスピングラス転移温度付近でのC/Tの山のピークがCrドーピング量が増えるに伴って急激に低くなっていく事が分かった。この事からCrドーピング量が増加するにつれてスピンエントロピーがより高温から吐き出される、すなわち、フラストレーションがより解消される方向に向かうという事が言える。この原因としては、電荷整列相でのV1イオンのカゴメ格子層とV2イオンの三角格子層の[111]方向への積層構造と、Crドーピングによって生じた電荷無秩序相での立方晶のスピネル格子との残存スピンエントロピーへの影響の違い起因しており、電荷整列相では積層構造によって格子構造がより低次元化した結果、よりフラストレーションが強まり低温までスピンエントロピーが解消されずに残存したものと考えている。

第4章では、GeNi2O4の多段逐次磁気転移に関する実験結果と考察に関する記述である。スピネル型酸化物GeNi2O4は、スピネル格子を形成するBサイトに二価のNiイオンがS=1のスピンを持つ磁性体である。60年代の粉末中性子回折の磁気構造解析の結果から、最低温度でも立方晶で、低温で反強磁性秩序し、スピネル格子上の[111]方向に二倍の長周期構造を持つ磁気構造が報告されている。しかしながら、その磁気的性質に注目した研究は非常に少なく、フラストレーションに着目した研究、正確な磁気転移温度の報告や単結晶を用いた物性報告はこれまでになされていない。本研究ではGeNi2O4の単結晶を作成する事に初めて成功した。正確な相転移温度を調べるために帯磁率、比熱を細かい温度間隔で測定した所、11.4Kと12.1Kという狭い温度範囲に二つの相転移が存在する事を新たに見出した。わずか約0.7Kという温度間隔で相転移が逐次的に起きているという点には注目すべきである。転移温度近傍での結晶構造の変化の有無を調べるため、単結晶放射光X線回折を行った。相転移温度付近で結晶構造相転移は伴わずに立方晶のままである事が判明した。このため、二段の相転移は純粋な磁気相転移であり、立方晶のスピネル格子の下で二段の磁気相転移が発生している事が分かった。GeNi2O4は全スピンモーメントを強制的に直立させるのに45Tもの磁場を要するのに対し、平均化されたマクロな磁気相互作用の強さの目安であるWeiss温度が約8K程度と他の3dスピン系と比べて非常に小さい。また過去に報告されているGeNi2O4の磁気構造は隣接した三角格子層と三角格子層に強磁性的に同じ向きのスピンが配置されるという特殊な反強磁性構造であり、反強磁性的な相互作用だけでなく強磁性的な成分が強く含まれている事が予測され、磁気的相互作用間に競合が存在する可能性がある。相互作用間に競合がある系では狭い温度領域で多段磁気転移が見られるものが幾つかあるが、そうした幾つかの磁気相が競合状態にある系では様々な相が近いエネルギースケールで縮退しているため、わずかな外場で隣接した他の相への相転移が生じたり磁場によって縮退が解けて磁場誘起相転移が生じるような可能性が考えられる。そのような外場として12Tまでの外部磁場を選択し、磁場中比熱測定から二段の磁気相転移の外部磁場印加による変化を調べた。その結果、磁気構造の方向である[111]方向に磁場を印加した時のみ、二段転移の内低温側の転移がさらに二つに分裂する事によってに新たに磁場誘起磁気相転移が生じ、二段の磁気相転移が三段の磁気相転移になる事を発見した。このような磁場誘起相転移は12Tまでの帯磁率測定からも同様に観測された。一方、[111]方向に垂直な[110]方向では磁場誘起相転移は起きずに二段転移のままであった。得られた外部磁場-温度相図から、[111]方向の外部磁場下では・零磁場下から存在した磁気中間 (MI) 相の他に、新たに磁場誘起磁気中間 (MI) 相が低温部に生じている事が確認出来る。わずか2,3Kの間に、常磁性相、反強磁性秩序相、MI相、磁場誘起MI相といった様々な磁気相が立方晶のスピネル格子の下で非常に近いエネルギーレベルで拮抗しながら存在している事が分かった。

第5章では総括として本研究の成果と意義が記述されている。本研究ではこれまでに強相関電子系や幾何学的フラストレーションといった観点からの研究が行われていなかったスピネル酸化物群に新たに着目し、AlV2O4では単相多結晶、GeNi2O4では単結晶試料の合成に初めて成功した。この点からまず、固体化学的な観点からの意義が挙げられる。そしてそれぞれの物質において電荷やスピンといった電子の自由度がスピネル格子上で低温に向けてどのような秩序状態を形成するのかというこれまでに未知だった問題に挑んだ。特に近年、幾何学的フラストレーションが電子の自由度との関係への注目が高まっているが、スピネル格子上での電子の秩序現象に関してこれまでに知られていなかった新たな例を実験的に観測する事に成功したという点、そうした秩序現象の発現機構に迫るために必要な数多くの実験結果を得る事が出来たという点、さらにはそうした研究成果が他の様々な実験家や理論家に新たな研究テーマを提起したという点で、強相関電子系や磁性分野に対する本研究の意義は極めて大きいと言えよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「スピネル型酸化物のフラストレーションと電荷・スピン物性」という題目で、特異な幾何学構造を有するスピネル酸化物の示す新規相転移の発見と相転移の背景のメカニズムが述べられている。全5章から構成される。

第1章では、研究の背景と目的が述べられている。強相関電子系の一般論、幾何学的フラストレーション効果などが要約されている。スピネル型酸化物はもっとも強い幾何学的フラストレーションの系であり、状態の縮退を解消するためのエキゾチック相転移が期待される。これを探索することが本研究の目的である。

第2章では本研究に用いられた実験の実験方法に関して述べられている。

第3章では、AlV2O4の異常な電荷整列転移の発見について述べられている。この物質においてVイオンの平均価数は2.5価である。したがって、電荷配置に対するきわめて強い幾何学的フラストレーション効果が働く。これを解消するために1:1の2価と3価に価数分離代わりに、3:1の2価と4価のValence skipping状態を取ることが明らかとなった。700K以下で2価のV1イオンと4価のV2イオンが個数比V1イオンで構成されたカゴメ格子層、V2イオンの三角格子層が[111]方向に交互に整列する電荷整列構造を形成する。

電荷が固体状態を形成するのに対して、スピン系はカゴメ格子と三角格子の積層に伴うフラストレーションによって液体状態にある。Crドーピングにより電荷整列状態は急速にその姿を消す。その際、スピン系の低温エントロピーの増大が観測され、電荷秩序崩壊に伴う次元性変化と解釈された。

第4章では、GeNi2O4の多段逐次磁気転移に関する実験結果と考察に関する記述がなされている。スピネル型酸化物GeNi2O4は、スピネル格子を形成するBサイトに二価のNiイオンがS=1の局在スピンを持つ磁性体である。60年代の粉末中性子回折の磁気構造解析の結果から、低温では[111]方向に二倍の長周期構造を持つ反強磁性磁気構造を取るとされて来た。本研究ではGeNi2O4 の単結晶を作成する事に初めて成功した。帯磁率、比熱の詳細な測定から、転移は一つでなく、11.4Kと12.1Kという狭い温度範囲に二つの相転移が存在する事を新たに見出した。この逐次転移は磁場中でさらに三つの相転移へとさらに複雑に発展していく。すなわち、この系は複数の相が微妙なバランスで競合する極めてユニークな系であることが明らかとなった。最近接磁気的相互作用と高次の相互作用との拮抗がこのようなGeNi2O4の多段逐次磁気転移現象の起源であると議論されている。

第5章では総括として本研究の成果と意義が記述されている。

なお本論文は高木英典、勝藤拓郎との共同研究であるが論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上、本論文は幾何学的フラストレーションの概念のもとに、スピネル酸化物の物性探索を行い、異常な電荷整列転移や複雑な磁気秩序相競合などの新物性・現象を発見し、その基礎学理を明らかにした。強相関電子系の物性・機能の発現に際して、幾何学的フラストレーションが果たす役割の大きさを明示したという意味で、物性物理学あるいは強相関エレクトロニクスへの貢献は大きい。よって本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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