学位論文要旨



No 119472
著者(漢字) 酒谷,誠一
著者(英字)
著者(カナ) サカタニ,セイイチ
標題(和) 神経細胞のイオン動態と膜電位伝搬機構
標題(洋) Neuronal Ionic Dynamics and Membrane-Potential Propagation Mechanism
報告番号 119472
報告番号 甲19472
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第20号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 基盤情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 廣瀬,明
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 金田,康正
 東京大学 助教授 伊庭,斉志
 東京大学 助教授 杉本,雅則
内容要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は序論であり、第2章は細胞内イオン動態と膜電位伝搬、第3章は細胞体の電気的特性の細胞形状依存性とその発火特性への影響、第4章はEPSP(興奮性後シナプス電位)段階および活動電位段階におけるCA3錐体細胞が生じる磁場について、それぞれ述べる。第5章は結論である。

第1章は序論であり、脳計測および神経細胞計測とその理論について簡潔にまとめ、また本論文の目的を述べる。

第2章は細胞内イオン動態と膜電位伝搬と題し、理論的・実験的解析を行った。細胞内の微視的なイオン動態を明らかにするため、イオン濃度と電位の時空間的な定式化を行った。また、細胞内におけるナトリウムイオン動態を実験的に明らかにするために生理実験を行った。ナトリウムイオン感受性色素充填下の細胞体をアルゴンイオンレーザ励起の共焦点顕微鏡で観測することにより、ナトリウムイオンの時空間分布の画像を取得した。得られた画像データに統計処理を施して、ナトリウムイオン濃度の場所ごとの濃度およびその立ち上がり時間に着目して計測した。その結果、SN比が十分ではないものの、膜直下でイオン濃度が顕著に立ち上がる様子が観測されることが少なくないことを示した。また、細胞中心部では立ち上がりが約1秒と極端に遅いことが観測され、これはナトリウムイオンの単純な拡散による遅れと一致することを示した。また実験における低時間分解能を補うために、イオン濃度と電位の式を用いて細胞内のナトリウム濃度分布変化を高時間分解能で計算した。その結果、細胞内では電位勾配がなく、ナトリウムイオンは濃度勾配のみに従うことが明らかになった。またその拡散速度は実験で観測された速度とほぼ等しく、新たに提案した理論の妥当性を裏付ける結果である。またこの理論はさまざまな特性を持つイオンチャネルに拡張可能であり、あらゆる細胞に適用できるため、その有用性は極めて高い。

第3章は、細胞体の電気的特性の細胞形状依存性とその発火特性への影響と題し、細胞内外の浸透圧差による短期的な細胞形状変化が発火特性とくに潜時に与える影響を論じた。まず、細胞形状の影響を効果的に議論するための手法として、マイクロ・コンパートメント・モデルを提案した。1991年Traubによる海馬CA3錐体細胞モデルを基本に、細胞形状を俎上にのせるために細胞体を微細に分割して、さまざまな形状の錐体細胞を考えた。樹状突起にEPSPが印加されたときに、発火のモードと発火に至るまでの潜時に着目して発火特性を数値的に解析している。その結果、膨張した細胞の発火タイミングが遅れ、逆に収縮した細胞の発火タイミングが早まる可能性があることを示唆した。またその原因は細胞膜容量の大きさに依存していることも明らかになった。この結果は、浸透圧差による短期的な細胞形状の変化が発火タイミング調節の一部を担っていることを示すものである。本解析の結果は、細胞内外の浸透圧差による細胞形状変化が緩やかな情報コーディングのひとつとして適切であることを示す結果である。

第4章は、EPSP段階および活動電位段階におけるCA3錐体細胞が生じる磁場と題し、磁場生成の根本原理に関する時空間解析を行った。従来、MEG(Magnetoencephalography : 脳磁図)によって、脳の活動状況のマッピングが行われてきたが、その微視的な脳磁場生成の機構は明らかでなかった。本解析では、イオンチャネルの空間分布を考慮したコンパートメントモデルに基づき、数値解析を行った。とくに、細胞の活動状況をEPSP段階、発火段階、バースト段階およびAHP(After Hyper Polarization : 後過分極)段階に分類したとき、どの段階が磁場生成に支配的であるのか調べた。その結果、バースト段階が支配的であることが明らかになった。これは従来、EPSPが支配的であると考えられてきたことと異なり、新しい知見である。また、バースト電位が樹状突起を逆伝搬する際に、微妙なタイミングで磁場の相殺が起こることも示した。

以上これを要するに、本論文は計算論的神経科学の分野でいくつかの新しいモデルを提案・導入し、神経細胞の膜電位伝搬とイオン動態およびそれに伴う電磁場生成に関する解析を行い、またその一部については生理実験も行って結果を対照したもので、新しい神経生理学的知見を提供するとともに今後の計算論的神経科学および実験的神経科学に新たな方向を示したものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は序論であり、第2章は細胞内イオン動態と膜電位伝搬、第3章は細胞体の電気的特性の細胞形状依存性とその発火特性への影響、第4章はEPSP(興奮性後シナプス電位)段階および活動電位段階におけるCA3錐体細胞が生じる磁場について、それぞれ述べている。第5章は結論である。

第1章は序論であり、脳計測および神経細胞計測とその理論について簡潔にまとめ、また本論文の目的を述べている。

第2章は細胞内イオン動態と膜電位伝搬と題し、理論的・実験的解析を行っている。まず、細胞内イオンの時空間変化と膜電位伝搬との関係について理論的解析を行っている。細胞内の微視的なイオン動態を明らかにするため、イオン濃度と電位の時空間的な定式化を行った。膜電位伝搬に影響を与える電界は、細胞膜直下に集中的に現れることから、イオンの流動が細胞膜近傍に限局する可能性があることが示唆された。その点を実験的に明らかにするために生理実験を行った結果について述べている。ナトリウムイオン感受性色素充填下の細胞体をアルゴンイオンレーザ励起の共焦点顕微鏡で観測することにより、ナトリウムイオンの時空間分布の画像を取得した。得られた画像データに統計処理を施して、ナトリウムイオン濃度の場所ごとの濃度およびその立ち上がり時間に着目して計測した。その結果、ナトリウムイオン濃度上昇は細胞膜近傍で顕著であり、SN比が十分ではないものの、膜直下でイオン濃度が顕著に立ち上がる様子が観測されることが少なくないことが示された。また、細胞中心部では立ち上がりが約1秒と極端に遅いことが観測され、これはナトリウムイオンの単純な拡散による遅れと一致することが示された。実験における低時間分解能を補うために、イオン濃度と電位の式を用いて細胞内のナトリウム濃度分布変化を高時間分解能で計算した。その結果、細胞内では電位勾配がなく、ナトリウムイオンは濃度勾配のみに従うことが明らかになった。またその拡散速度は実験で観測された速度とほぼ等しく、新たに提案した理論の妥当性を裏付ける結果である。またこの理論は一般的にどんな細胞にも適用することが可能であり、その有用性は極めて高いと考えられる。

第3章は、細胞体の電気的特性の細胞形状依存性とその発火特性への影響と題し、細胞内外の浸透圧差による短期的な細胞形状変化が発火特性とくに潜時に与える影響を論じている。まず、細胞形状の影響を効果的に議論するための手法として、マイクロ・コンパートメント・モデルを提案している。1991年Traubによる海馬CA3錐体細胞モデルを基本に、細胞形状を俎上にのせるために細胞体を微細に分割して、さまざまな形状の錐体細胞を考えている。また発火特性に大きな影響を与える軸索もモデルに取りこんでいる。そして樹状突起にEPSPが印加されたとき、発火のモードと発火に至るまでの潜時に着目して発火特性を数値的に解析している。その結果、膨張した細胞の発火タイミングが遅れ、逆に収縮した細胞の発火タイミングが早まる可能性があることを示唆した。またその原因は細胞膜容量の大きさに依存していることも明らかになった。この結果は、浸透圧差による短期的な細胞形状の変化が発火タイミング調節の一部を担っていることを示すものである。本解析の結果は、細胞内外の浸透圧差による細胞形状変化が緩やかな情報コーディングのひとつとして適切であることを示す結果である。

第4章は、EPSP段階および活動電位段階におけるCA3錐体細胞が生じる磁場と題し、磁場生成の根本原理に関する時空間解析を行っている。従来、MEG(Magnetoencephalography:脳磁図)によって、脳の活動状況のマッピングが行われてきたが、その微視的な脳磁場生成の機構は明らかでなかった。本解析では、イオンチャネルの空間分布を考慮したコンパートメントモデルに基づき、数値解析を行っている。とくに、細胞の活動状況をEPSP段階、発火段階、バースト段階およびAHP(After Hyper Polarization:後過分極)段階に分類したとき、どの段階が磁場生成に支配的であるのか調べた。その結果、バースト段階が支配的であることが明らかにされた。これは従来、EPSPが支配的であると考えられてきたことと異なり、新しい知見である。また、バースト電位が樹状突起を逆伝搬する際に、微妙なタイミングで磁場の相殺が起ることも示されている。

なお、本論文第2章の一部は、岡崎国立共同研究機構生理学研究所坪川宏助教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上これを要するに、本論文は計算論的神経科学の分野でいくつかの新しいモデルを提案・導入し、神経細胞の膜電位伝搬とイオン動態およびそれに伴う電磁場生成に関する解析を行い、またその一部については生理実験も行って結果を対照したもので、新しい神経生理学的知見を提供するとともに今後の計算論的神経科学および実験的神経科学に新たな方向を示したものであって、情報学とくに神経生理情報学の発展に貢献するところが少なくない。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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