学位論文要旨



No 119478
著者(漢字) 長縄,美香
著者(英字)
著者(カナ) ナガナワ,ミカ
標題(和) ダイナミック陽電子断層像からの時空間的血液情報の抽出 : 因子分析的アプローチ
標題(洋) Extraction of Spatio-temporal Blood Information from Dynamic Positron Emission Tomography Images : A Factor Analysis Approach
報告番号 119478
報告番号 甲19478
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第26号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 眞溪,歩
 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 森下,真一
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東北大学 教授 出口,光一郎
 都立老人総合研究所 主任研究員 木村,裕一
内容要旨 要旨を表示する

核医学診断法の一つである陽電子断層像 (Positron Emission Tomography, PET) は,15O, 18Fのような放射性同位体で標識した薬剤を患者に投与し,薬剤の体内における挙動を断層像として得る.本論文では18Fで標識したフルオロデオキシグルコース(FDG)を薬剤とする脳PET画像を対象とする.FDGはグルコース代謝計測に用いられる薬剤である.グルコース代謝活性の異常を伴う腫瘍やアルツハイマー病の診断においてFDG-PET画像の有用性は高い.

ダイナミック収集で得られる画像列を考える.ダイナミック収集とは,薬剤が組織に集積していく経過を撮影する方法である.撮影で取得した画像列は,動脈血漿中の放射能濃度 (plasma time-activity curve, pTAC) と組織中の放射能濃度 (tissue time-activity curve, tTAC) との和から成ると考えられる.〓 ここでXはPET画像列行列である.行は各時刻で撮影されたボクセル値を示し,列はボクセル値の時間変化を示す.列ベクトルcpとctはpTACとtTACを表し,列ベクトルspとstは各ボクセルに対して脳血管の占有率を示す画像(血液体積画像)と脳組織の占有率を示す画像(組織画像)を表す.またNはノイズ行列である.血液体積画像は15O標識の一酸化炭素によってPET装置で計測できる.脳血管が各ボクセルを占める割合はわずかであり,血液由来の放射能濃度はPET画像中の外乱と見なすことができる.

pTACとtTACの関係は,pTACを入力,tTACを出力とするコンパートメントモデルで記述される.コンパートメント間の薬剤の移動速度定数をパラメータとする連立1次微分方程式を解く(動態解析)ことによってパラメトリック画像を生成し,パラメータを組み合わせて局所脳グルコース代謝率を始めとする機能的な指標を計算できる.pTACは主に,カテーテルを留置して動脈採血を行い,放射能濃度をカウントすることによって測定される.しかし,カテーテルの挿入は患者に大きな苦痛を与え,動脈採血は余分な人員と処理時間を要する.また,術者は患者の血液を扱う際に被爆するという危険を伴う.したがって臨床的観点から,カテーテルを用いる持続的動脈採血の省略への要請は高い.本論文では,PET画像列にわずかに含まれている血液中の放射能濃度に関連する成分を,因子分析モデルに基づく統計的信号処理を用いてPET画像列から抽出する方法について述べる.以下,各章の概略を示す.

第1章では,PET画像列の動態解析における動脈採血の役割とその臨床上の問題点について述べる.動脈採血省略に関する既存手法を簡潔に説明し分類する.また,動脈採血の省略を行うための新しい提案方法について簡単に述べる.これらの方法はそれぞれ,独立成分分析 (Independent Component Analysis, ICA) とアンサンブル学習 (Ensemble Learning, EL) に基づく方法である.

第2章では,まずPETの測定原理と薬剤の種類について述べる.次に,コンパートメントモデルと動態解析の方法,特に脳グルコース代謝率と血液体積の推定方法について述べる.さらに,持続的動脈採血の手続き,及び,動脈採血の省略に関して既に提案されている方法の詳細を説明し,その問題点を指摘する.

第3章では,ICAとELのアルゴリズムを説明する.ICAは成分の統計的独立性を利用して成分分離を行う方法であり,ELは各成分の事前分布を仮定して事後分布の近似分布を導き,事後分布と近似事後分布のKLダイバージェンスを最小化することによって成分を推定する方法である.

第4章では,ICAに基づくpTACと血液体積画像の推定法(Extraction of the pTAC using ICA, EPICA)について詳述する.EPICAは,血液体積画像と組織画像の確率分布の独立性を利用して推定を行う.ICAをそのまま適用して成分分離を行ってもpTACは正しく推定されないため,データの前処理とICAのコスト関数を工夫する必要がある.EPICAではデータの前処理として,分布を対称にする負画像の追加と時間積分値による各ボクセルの規格化を行う.規格化によって組織画像のボクセル値は1あるいは-1に集められ,血液体積画像の分布は裾の長い分布に変換される.これは画像間の分布の差を強調する効果を持つ.ICAのアルゴリズムとして,FastICAのdeflation法を採用する.このアルゴリズムは射影追跡法と類似していて,成分を1つずつ推定する.同時に成分を推定する場合と異なり推定誤差が累積するため,先に推定した成分ほど推定誤差は小さい.したがって,pTAC抽出の問題のように推定したい成分があらかじめ決まっている場合,推定誤差を少なくできる.ICAのコスト関数は,ロバスト性の観点から飛び値の影響を受けない関数が良いとされるが,EPICAでは裾の長い分布に敏感な非線形関数を設計する.EPICAのコスト関数は飛び値を評価する項とボクセル値が零付近に集まるのを防ぐ罰則項から構成され,その形状は2つのパラメータによって決定される.EPICAの評価のため,ノイズを重畳したシミュレーションデータと臨床データを用いて3種類の実験を行った.まず,コスト関数の種類による推定pTACの変化を調べた.飛び値の影響を受けにくい関数の場合,推定pTACの尾部が大きくずれた.次に,コスト関数を決定するパラメータと推定pTACとの関係を調べた.罰則項の影響を大きくするようにパラメータを変化させると,推定pTACの波形の尾部がより急速に減少することを確認した.また,データにEPICAを適用したところ,図1に示すようにpTACは正しく抽出された.血液体積画像は負の値を含んだが,その空間分布は実測の画像に良く類似していた.臨床データに関心領域を張り,関心領域内で加算平均した時系列データについて動態解析を行ったところ,実測pTACと推定pTACを用いて計算した局所脳グルコース代謝率は高い相関を示した.

第5章では,ELに基づくpTACと血液体積画像の推定法(Extraction of the PTAC using EL, EPEL)について詳述する.EPICAで推定した血液体積画像には負の値が含まれていた.この問題を解決するため,非負条件を課し,画像間の独立性を最大化するELを用いる.ELはまず,推定したい成分の性質を事前分布で仮定し,事後分布の近似分布を解析的に導く.次に真の事後分布と近似事後分布のKullback-Leiblerダイバージェンスを最小化することによって推定を行う.EPELでは,pTACに切れた正規分布,血液体積画像に片側指数分布を事前分布として仮定する.これらの事前分布はpTACと血液体積画像の非負性を保証する.第4章と同様にシミュレーションデータと臨床データを用いて3種類の実験を行った.まず,事前分布の選択による推定pTACの変化を調べた.正規分布をpTACあるいは血液体積画像のどちらか一方に仮定すると推定結果に負の値が含まれてしまうことを確認した.ELはICAのようにデータの次元と同じ数の成分を推定するという制約を持たない.そこで,成分数を2あるいは5と仮定してEPELを適用した.どちらの場合においても血液由来の成分と組織由来の成分が確認され,5と仮定した推定結果のうち,残り3つの成分の分散は非常に小さかった.最後に,データにEPELを適用したところ,図1に示すようにpTACと血液体積画像が正しく推定され,血液体積画像には負の値が含まれなかった.また,臨床データに設定した関心領域について動態解析を行った.実測pTACと推定pTACで計算した局所脳グルコース代謝率は,EPICAと同様に高い相関を示した.

第6章では,既提案の因子分析法であるFADS及びNMFと比較を行った.FADSの推定したpTACの波形は実測のpTACと大きく異なり,NMFの推定したpTACの尾部は,実測のpTACと離れていた.FADSとEPICAは斜交回転を行い成分を求めるという点が共通しているが,FADSの推定が失敗した原因として,非負条件だけで回転を決定することとPET画像列の次元圧縮の際にpTACの情報の大部分を落としていることが考えられる.また,NMFとEPELはどちらもモデルの対数尤度を利用しているが,EPELと違ってNMFは各成分の分布を仮定しないため推定がうまく行かないと考えられる.

第7章では,EPICAとEPELの推定pTACを用いて,動態パラメータのパラメトリック画像を生成し,実測pTACで生成した画像と比較を行った.臨床的観点からは,推定pTACの形状が実測と似ているだけでなく,動態パラメータが推定pTACを用いて正しく計算されることが重要である.実際の計算例を示すために,臨床データに対して動態解析を行った.図2に3つのpTACで推定した局所脳グルコース代謝率のパラメトリック画像を示す.EPICA推定のpTACから生成したパラメトリック画像はEPELの場合と比較して,実測pTACから生成した画像とより一致した.

第8章では,提案手法を総括する.因子分析モデルに基づいて推定したpTACには振幅の不定性があり,振幅の絶対値は一点採血によって決定されるが,一点採血のサンプリング時刻についても言及する.第7章までの結果より,EPICAとEPELはpTAC推定の実用的な方法であると言える.

EPICAとEPELを用いて臨床データから推定したpTAC(実線)と血液体積画像.実測したpTACはひし形でプロットした.

実測pTAC, EPICAによる推定pTAC, EPELによる推定pTACを用いて臨床データから計算した局所脳グルコース代謝率のパラメトリック画像.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,8章から構成される.

第1章では,陽電子断層像(Positron Emission Tomography, PET)によって得られたPET画像列の動態解析における動脈採血の役割とその臨床上の問題点について述べている.動脈採血省略に関する既存手法を簡潔に説明し分類している.

第2章では,まずPETの測定原理と薬剤の種類について述べている.次に,コンパートメントモデルと動態解析の方法,特に脳グルコース代謝率と血液体積の推定方法について述べている.さらに,持続的動脈採血の手続き,及び,動脈採血の省略に関して既に提案されている方法の詳細を説明し,その問題点を指摘している.

第3章では,独立成分分析 (Independent Component Analysis, ICA) とアンサンブル学習 (Ensemble Learning, EL) のアルゴリズムを説明している.

第4章では,ICAに基づく血液成分の推定法(Extraction of the pTAC using ICA, EPICA)について詳述している.撮影で取得した画像列は,動脈血漿中の放射能濃度(plasma time-activity curve, pTAC)と組織中の放射能濃度との和から成ると考えられる.血液の占める割合を表す画像を血液体積画像,組織の占める割合を表す画像を組織画像と呼ぶ.EPICAは,血液体積画像と組織画像の確率分布の独立性を利用して推定を行う.ICAをそのまま適用してもpTACは正しく推定されないため,データの前処理とICAのコスト関数を工夫する.EPICAではデータの前処理として,分布を対称にする負画像の追加と,画像間の分布の差を強調する時間積分値による規格化を行う.EPICAのコスト関数は分布の裾を評価する項とボクセル値が零付近に集まるのを防ぐ罰則項から構成される.EPICAの評価のため,ノイズを重畳したシミュレーションデータと臨床データを用いた実験では,pTACは正しく抽出された.血液体積画像は負の値を含んだが,その空間分布は実測の画像に良く類似していた.また,臨床データに関心領域を張り,関心領域内で加算平均した時系列データについての動態解析では,実測pTACと推定pTACを用いて計算した局所脳グルコース代謝率は高い相関を示した.

第5章では,ELに基づく血液成分の推定法(Extraction of the PTAC using EL, EPEL)について詳述している.EPICAで推定した血液体積画像には負の値が含まれていた.この問題を解決するため,非負条件のもとで画像間の独立性を最大化するELを用いる.ELはまず,推定したい成分の性質を事前分布で仮定し,事後分布の近似分布を解析的に導く.

次に真の事後分布と近似事後分布のKullback-Leiblerダイバージェンスを最小化することによって推定を行う.HPELでは,pTACに切れた正規分布,血液体積画像に片側指数分布を事前分布として仮定する.これらの事前分布はpTACと血液体積画像の非負性を保証する.第4章と同じデータを用いた実験の結果,pTACと血液体積画像が正しく推定され,血液体積画像には負の値が含まれなかった.また,臨床データに設定した関心領域についての動態解析では,実測pTACと推定pTACで計算した局所脳グルコース代謝率は,EPICAと同様に高い相関を示した.

第6章では,既提案の因子分析法であるFADS及びNMFと提案手法の比較を行っている.FADSの推定したpTACの波形は実測値と大きく異なり,NMFの推定したpTACの尾部は実測値と大きく離れていた.EPICAとEPELは実測値により類似したpTACを推定した.

第7章では,EPICAとEPELの推定pTACを用いて,動態パラメータのパラメトリック画像を生成し,実測pTACで生成した画像と比較を行っている.臨床的観点からは,推定pTACの形状が実測と似ているだけでなく,推定pTACを用いて動態パラメータを正しく計算することが重要である.実際の計算例を示すために,臨床データに対して動態解析を行ったところ,EPICAによる推定pTACから生成した局所脳グルコース代謝率のパラメトリック画像はEPELの場合と比較して,実測pTACから生成した画像とより一致した.

第8章では,提案手法を総括している.第7章までの結果より,EPICAとEPELはpTAC推定の実用的な方法であると言える.

以上のように,本論文は,PET画像列を統計的信号処理手法によって解析し,医学的に重要な動態解析に必要となる動脈血漿中の放射能濃度変化を抽出したものであり,複雑理工学上貢献するところが大きい.なお,本論文の第4,5,7章は,眞溪歩,木村裕一,石井賢二,織田圭一,石渡喜一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析及び検討を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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