学位論文要旨



No 119480
著者(漢字) 濱口,航介
著者(英字)
著者(カナ) ハマグチ,コウスケ
標題(和) メキシカンハット型結合を持つフィードフォワード 神経回路網における時空間ダイナミクス
標題(洋) Spatio-temporal Dynamics of Feedforward Neural Networks with Mexican-Hat type Connectivity
報告番号 119480
報告番号 甲19480
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第28号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 西田,友是
 東京大学 助教授 村重,淳
 東京大学 助教授 堀田,武彦
 東京大学 助教授 久恒,辰博
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

動物は脳内の神経回路網で外界情報を処理し,行動や反応を行う.この外界情報の多くは視覚,聴覚(感覚系)や速度や加速度(運動系)に代表されるアナログ情報を含んでいる.これらの情報を安定かつ迅速に行動に反映させることが生物の生存にとって重要である.実際の神経細胞は主として電気的なスパイク発火によるデジタル的な情報表現を行っていると考えられ,計算論的神経科学の一つの目的は神経の情報表現を明らかにすることである.

神経細胞は同一の刺激に対しても様々な応答を示す,非常に信頼性の低い情報処理ユニットである.このようなユニットを用いつつも,安定かつ迅速な処理が可能な情報コーディングモデルとして,フィードフォワードネットワークを用いた同期発火伝播のモデルがある.このモデルでは同期発火状態が安定に伝わるが,アナログ情報が伝達できないなどの幾つかの問題点が既に指摘されている.

そこで本論文では,メキシカンハット型の結合を持つフィードフォワード型ネットワーク(MHFN)の様々な性質について調べる.メキシカンハット型結合とは網膜や視覚野など至る所に存在する機構であり,刺激の空間情報を表現可能な局所的結合である.フィードフォワード型ネットワークのような単純な結合形態は現実的ではないという反論もあるが,できるだけシンプルなモデルでどのような情報表現が可能かを調べ,網羅することには意義があると考えられる.

本論文では,第2章でMHFNモデルを積分発火形ニューロンモデルを用いて構成し,1) 刺激の空間アナログ情報コーディング,2) 刺激強度のアナログ情報コーディング,の二つが同時に可能なモデルを提案し,数値計算を用いてその性能を調べる[1].第3章では空間情報コーディングを行うモデルに限定し,McCulloch-Pittsニューロンモデルを用い理論的にMHFNモデルの性質を調べた[2].第4章では,神経細胞の発火の不確実性がネットワークの結合そのものから起こりうることを示し,3章のモデルを拡張して理論的にその性質を調べた[3].

信号強度情報の伝達

第2章で用いるニューロンモデルは積分発火型ニューロンで,図1(A)に示すネットワーク構造を持っている.結合は全てフィードフォワードかつメキシカンハット型である.以下のようにモデルを与える.〓式(1)は積分発火ニューロンモデル,I(x,t)は位置x,時刻tでの入力電流,ξはホワイトノイズ.ω(x)は距離x離れた所にあるニューロン同士の相互作用である.α(x',t)は位置x'にあるニューロンの時刻tにおける出力.これに加え,第一層にあたえる入力空間分布〓をガウス分布であたえると,入力強度I0が強い程,発火集団のサイズが増える事がわかった.図1(B)はある信号強度I0があたえられたときにxに位置するニューロンの発火時刻t(x)をプロットしたものである.入力強度I0が強いほど第一層の神経場の発火領域は増加する.図2(A)には発火パターンの典型的な伝搬の様子をラスターグラムによって示した.信号強度I0が小さいときには発火する集団も小さいが,I0が大きい時は発火する集団も大きくなる.図2(B)は各層毎のスパイク発火の平均数を初期値入力強度I0を変えてプロットしたものである.神経集団の発火率,あるいは発火した面積が安定にフィードフォワードネットワークを伝わることがわかる.

第2章では,MHFNモデルを用いて信号の空間情報と共に強度情報をコーディングが可能である事を示し,論文では発火状態は完全同期せず発火パターンは必ず時間のずれをともなうことを明らかにした[1].

MHFNモデルの理論

第3章ではMHFNの理論を構築する.メキシカンハット型の空間構造を余弦関数表示すると,発火状態をフーリエ展開した時のフーリエ係数と系の状態を記述する巨視的変数が同一の表現となり,閉じた発展方程式を記述する事が出来る.これによって解析的にMHFNモデルを解く事を可能にしている.ここで用いるモデルはMcCulloch-Pittsニューロンモデルであり,以下のように定める.〓ここでΘはステップ関数.θは〓の値をとる.Jlθθ'はl層目,位置θ'のニューロンからl+1層目,位置θのニューロンへの結合強度である.hは発火の閾値である.Jlθθ'をメキシカンハット型の関数にするため,以下のようにおく.〓このとき,発火の発展は以下に定義する3つの巨視的変数,〓によって発火の発展は巨視的変数の発展方程式として記述され,〓とすれば〓(9)と書ける.ここで〓である.このモデルを用いてパラメータ△=0.5, h=0.25で固定した時のネットワークの安定な発火状態を求めた.4つの代表的な(J0,J2)のパラメータを選び,発火状態が神経層を遷移する様子を,図3(A)に示す.図中のそれぞれの直線は,ある初期値のもとでの発火状態の遷移を表し,一つの丸が一つの層の発火状態に対応する.ここで興味深いのは図3(A1)の領域である.この領域には3つのアトラクタ(非発火状態,一様興奮,孤立局在興奮)が共存している.これは初期入力に依存してネットワークの発火状態が大きく異なる事を意味する.系の持つ安定な発火状態ははJ0-J2に依存する.その安定状態を相図(図3B)として示す.h=0.25に固定し,△=0.25,0.5,0.75 の三通りについて,J0, J2を変化させた.図中のNは非発火状態のみが安定な領域.Lは,非発火と孤立局在興奮の安定な領域.Uは非発火と一様発火の安定な領域.Cは非発火に加え,一様と孤立局在興奮の共存する領域である.第3章では,MH型結合のパラメータJ0, J2, △が発火状態にあたえる影響を調べ,異なる発火状態の共存領域を発見した[2].

共通ノイズを受けるMHFNの理論

この章ではネットワークの結合強度のゆらぎから作られる,共通ノイズと呼ばれるノイズによって,陽にノイズ電流を加えなくともネットワークの発火状態が確率的に遷移することを示す.我々の戦略は3章と同様,MH型結合の記述を余弦関数を用いることで,各層の発火状態を巨視的変数で記述する方法を用いる.式(11)の結合強度に相関ノイズを生み出すwlθ',を加え,以下のようにおく.〓ここで〓はシナプス前細胞だけに依存するガウシアンノイズである.この共通ノイズは一般に言われる共通入力と同等のものであるが,この共通入力はガウス分布に従ってばらつく.本論文ではその性質を反映しこれを共通ノイズと呼ぶ.また各層毎にノイズは独立である.パラメータ(J0,J2)=(-0.75,3)での,二十層目における発火確率の分布を図4(A)に示す.また図4(B)にr202=0.05,0.14,0.22における切断面を示す.解析解とモンテカルロシミュレーションの結果はよく一致する.これらの結果から,このパラメータ領域では孤立局在興奮と一様発火の間の様々な発火状態を取り得る事がわかる.第4章では相関ノイズが巨視的変数のセルフアベレージングを破る事で発火の発展が確率的になることを理論的に示した.さらに第4章では,共通ノイズによって引き起こされる相関の空間パターンが従来の予想とは異なる多峰性の分布を持つ事(図4(C))や,確率共振的な現象(図4(D))について報告する[3].

結論

本論文では以下の事を行った.1) MHFNモデルが空間および強度アナログ情報をコードできる事を示した.2) 巨視的変数を持ちいたモデルでMHFNモデルの解析解を求めた.3) 発火のゆらぎの原因の一つである,結合由来のノイズ成分を共通ノイズとして取り出し,その影響を解析的に調べた.

第一の結果は,アナログ信号強度コーディングに関する新しい結果である.第二の結果はMH型結合の分布が発火パターンにあたえる影響を明らかにし,異なる発火状態の共存が可能であることを示した.最後の結果は共通ノイズという概念を用いて確率的に遷移する発火状態の分布を求め,共通ノイズの機能的役割りについて明らかにした.

(A) : 2,3,4章に共通するネットワークアーキテクチャ:各層は一次元,周期境界条件を持つ.各層内には再帰的結合はなく,次の層にメキシカンハット型強度で結合している.(B) : Tstimの方形波入力を受けたときの第一層目のニューロンの発火時刻t(x)を時刻に対してプロット.信号強度が強いほど発火面積は広い.

(A) : MHFNモデルの発火のラスターグラム.(B):スパイク数 the number of spikes を入力強度I0を変えた時の10層目までの経層発展.

(A) : 発火の遷移図.番号1,2,3,4はそれぞれ(J0,J2)=(-0.75,3), (0.2,3), (-0.75,1), (0.2,1)に対応している.(B) : 発火状態の相図.4つの状態,非発火状態(N),一様興奮(U),孤立局在興奮(L)およびその共存状態(C)を示す.

(A) : p(r200,r202). (B):r202=0.05,0.14,0.22 における切断面.(C) : 20層目における相関の空間構造.二峰のピークを持つ.(D) : 確率共振的現象.安定固定点(r*0,r*2)=(0.6,0.25)の周辺に収束するレイヤーの分布を相関ノイズ強度δを変えてプロットした.

K. Hamaguchi, and K. Aihara, "Quantitative Information Transfer through Layers of Spiking Neurons Connected by Mexican-Hat type Connectivity", Neurocompuring, 2004, (in press).濱口航介,岡田真人,山名美智子,合原一幸,“メキシカンハット型結合を持つSynfire Chainの理論”,電子通信情報学会論文誌D-II, 2004,(投稿中).K. Hamaguchi, M. Okada, M. Yamana, and K. Aihara, "Correlated Firing in a Feedforward Network with Mexican-Hat type Connectivity", 2004, (in prepataion).
審査要旨 要旨を表示する

外界から我々の脳に入力する情報の多くは,視覚,聴覚,速度や加速度に代表されるアナログ量から構成される.ところが神経細胞は主として電気的なスパイクによるデジタル情報表現を行っている.本研究は,デジタル情報表現を用いる神経回路網が,いかにして外界のアナログ情報を安定かつ迅速に処理するのかを神経回路の非線形動力学の観点から明らかにすることを目的としている.

大脳のいたる所で広く見られる現象に神経集団が同期して発火する同期発火がある.この同期発火が安定に伝播するモデルに,フィードフォワード型神経回路網がある.このモデルの利点は単純な構成で同期発火状態を安定に伝え得る事である.一方,短所として,アナログ情報が伝達できない,神経集団である利点が活かされていない,など幾つかの問題点が指摘されていた.

そこで本論文では,より生物学的に妥当かつ解析可能な単純さを持つモデルとして,メキシカンハット型の結合を持つ,フィードフォワード型神経回路網(FFMH)を用いて上記の問題を解決し,その性質について理論的に解析した.メキシカンハット型結合とは網膜や視覚野,聴覚野など大脳皮質の至る所に存在する結合の様式を指し,刺激の空間情報を表現・伝達可能な局所的結合である.

本論文は,全5章よりなる.以下,本論文の構成に沿って研究の概要を述べる.

第1章では,神経細胞のモデル,本研究の背景,目的について述べている.

第2章では積分発火形ニューロンモデルを用いてFFMHモデルを構成し,1)刺激の空間アナログ情報コーディング,2)刺激強度のアナログ情報コーディング,の二つが同時に可能なモデルを提案し,数値計算を用いてその性能を調べている.本章では強度が空間的にガウス分布で与えられた様々な刺激を考える.ここで,刺激の空間アナログ情報とはガウス分布の位置,刺激の強度とはガウス分布の峰の高さである.従来モデルでは,ガウス分布の分散はほぼメキシカンハットの分散と同じ大きさであったが,従来の値より大きな値を用いることで,発火状態は進行波状になり,メキシカンハット型結合のエッジ検出フィルターとしての性質を押える事ができる.この性質を用いて入力強度に依存して発火の領域を広げる事が可能になった.この結果は,従来の入力強度に依存しない情報処理とは異なり,入力強度依存の情報処理に関して得られた実験結果を説明し得るものである.

第3章では,解析的にFFMHの性質を調べるため,マカロク・ピッツ型ニューロンモデルを用いてこれを構成した.結合は余弦関数を用いて表現される.これは数学的に簡便であり,同時に活動状態の巨視的変数を単純な形で与えるためである.その結果3つの巨視的変数に関する閉じた発展方程式が導出され,各神経細胞全ての発火状態を知る必要はなくなる.これを用い,一様な発火,孤立局在興奮,非発火状態が安定に存在する事,さらにそれらが共存するパラメータ領域の存在を明らかにしている.これは同一のネットワークにおいても入力条件の違いによって異なった発火状態が安定に得られる事を意味する.

第4章では,第3章のモデルを発展させ,各神経細胞の性質の不均一性を導入する. 不均一性は前シナプス依存の結合強度のバラツキとして与えられ,これが後シナプス層ではガウス分布する共通なノイズ入力として現れる.この共通ノイズの影響により発展方程式は,巨視的変数の確率分布の発展方程式として求められる.これを用いて理論と数値計算の分布が一致する事が確かめられた.また共通ノイズは各神経細胞に共通の入力であるため,層内さらに層間の神経の発火に相関が生じる.その結果,従来仮定されていた単峰性ではない,多峰性の相関構造を持つ事が示されている.さらに共通ノイズの機能的役割として,システムの発火状態を安定な状態へ早く導くという結果を得た.これはこれまで信号検出における文脈で語られていた確率共振と同様の新しい現象である.

第5章においては本論文の総括と結論が述べられている.

以上を要するに,本論文はFFMH型のモデルを用いて従来のモデルでは実現できなかった同期発火による2種類のアナログ情報コーディングを実現すると共に,その発火状態の理論的解析を行ない神経回路網としての性質を明らかにしたものである.この結果は,神経科学における未解決問題の一つである,時空間情報表現の機構に対する理解を深めるものである.これは神経科学そして複雑理工学に貢献する所が大きい.なお,第二章は合原一幸,第三章,第四章は岡田真人,山名美智子,合原一幸との共同研究であるが,論文提出者が主体となり解析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって、博士(科学)学位を授与できると認める.

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