学位論文要旨



No 119482
著者(漢字) 相澤,浩一
著者(英字)
著者(カナ) アイザワ,コウイチ
標題(和) γ線照射に対するメダカ初期胚の応答解析
標題(洋) Responses of medaka early embryos to γ-irradiation
報告番号 119482
報告番号 甲19482
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第30号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 客員教授 江角,浩安
内容要旨 要旨を表示する

序論

放射線をはじめとする環境変異原はゲノムに様々な損傷を与え、細胞死や突然変異を誘発する。初期胚の細胞は増殖が活発で、放射線に感受性が高い。初期胚細胞にゲノム損傷が起きた場合、その個体は奇形を生じたり、成長後、発ガン等の生存上不利な疾病を発症する危険性が高くなる。したがって初期胚細胞における遺伝情報維持機構を解明することは非常に重要である。Russellらはマウスを用いた研究において、着床前期の初期胚はDNA二本鎖切断を引き起こすとされる高い致死率を示すX線曝露で、生き残った胚は奇形を伴わない正常なマウスに成長することに対し、同線量でも器官形成期になると胎児の死亡率は減少するが奇形と新生児死亡率は増加することを報告した。その後、Norimuraらのp53ノックアウトマウスを用いた実験により、DNA二本鎖切断を持つ細胞は、p53依存性アポトーシスによって自曝し、その穴を正常な細胞が増殖し、補う組織修復による奇形抑制機構の存在が提唱された。哺乳類のモデル生物とは異なり、メダカは受精から孵化までの全発生過程を容易に観察でき、孵化以前の形態形成を観察することができる。当研究室では初期胚における遺伝情報維持機構を解明するためにENUにより生殖系列細胞に突然変異を誘発させたメダカ系統の雄をもとに三世代交配法を行い、魚類において初めて3系統の放射線高感受性変異体系統を作製した。これらは単一の劣性突然変異体であり、生殖能力を保持する。(木暮希望修士論文発表)。本研究ではこの変異体系統メダカのうちのひとつであるRIC1系統を用いて初期胚細胞のゲノム損傷に対する監視機構の解明を目指し、γ線照射に対するメダカ初期胚の応答解析を行った。

メダカMBTの開始時期の決定

アフリカツメガエル、ゼブラフィシュの胚では、接合核からの転写が活性化されるMBT(midblastula transition)を境に種々の環境変異原に対する応答に変化が起こることが報告されている。メダカをモデル実験動物とする利点のひとつに北日本集団と南日本集団間の多型の存在があげられる。つまり転写産物に多型が存在すれば両系統間の父性発現と母性発現を識別することができる。そこで両集団間の多型を利用し父性発現を調べることで、メダカMBTの開始時期を同定した。北日本集団由来HNI系統のEST(expression sequence tag)を無作為に選び(総数187)、HNI系統とT5系統(南日本集団)間で多型がみられるものを33個選んだ。各発生段階由来のcDNAを用いPCR反応を行うことで父性発現を調べた。多型がみられたESTのうち最も早く父性発現が検出された時期は発生段階11であった。メダカの場合においても、発生段階12を境にγ線照射により誘発されるアポトーシス細胞並びに発生遅延が検出された。このことからメダカMBTの開始時期は発生段階11であり、接合核からの転写が始まった後に照射されるとγ線に対する応答が変化することが示唆された。

放射線高感受性変異体を用いたγ線照射に対するメダカ初期胚の応答解析

各発生段階におけるRIC1の放射線感受性

桑実胚期(発生段階8)、初期嚢胚期(発生段階12)並びに器官形成期(発生段階25)の胚にγ線を照射し、孵化率並びに奇形率を調べた。照射したどの発生段階においてもRIC1系統は野生型CAB系統に比べ有意に低い孵化率並びに奇形率を示したことから、RIC1系統は器官形成期のみならず、より早い初期の発生段階においてもγ線照射に対して高感受性であることが示された(表1)。

初期嚢胚期におけるDNA二本鎖切断の再結合

ゲノム損傷を細胞単位で高感度に直接定量できるComet assay中性法を用いて、γ線照射により初期胚細胞に生じたDNAの二本鎖切断の再結合を調べた。Comet assayとは、単一細胞をアガロースゲルに封入し電気泳動することにより、切断されたDNAを細胞核から溶出分離する方法であり、損傷の程度が大きいほど核からのDNAの泳動距離が長くなる。Comet assayを行う胚の発生段階として、胚細胞が容易にばらける初期嚢胚期を選んだ。15.2Gyのγ線を照射し、照射後30分並びに1時間後の胚について解析を行った。その結果、CAB系統ではDNAの二本鎖切断の指標となるTail momentが照射後30分で完全に非照射群のレベルまで下がった。一方RIC1系統では、Tail momentが照射後30分のみならず、照射後1時間でも非照射群のレベルよりも高い値を示した。このことからRIC1系統はDNA二本鎖切断修復機構に関する遺伝子の突然変異体であることが示唆された。

初期嚢胚期におけるγ線誘発アポトーシス

γ線照射に対するメダカ初期胚の応答を調べるために、TUNEL法によりアポトーシス細胞の検出を行った。γ線照射する発生段階には最初にアポトーシスが観察される初期嚢胚期を選んだ。初期嚢胚期の胚に5.1Gyのγ線を照射し、30分後にアポトーシス細胞の検出を行ったところ、CAB系統ではTUNEL陽性細胞が検出された胚の割合が約23.9%であったのに対し、RIC1系統では約63.6%であった。このことからRIC1系統の胚細胞は初期嚢胚期においてγ線照射に対してアポトーシスを起こしやすいことから、DNA二本鎖切断修復をすることができない細胞はアポトーシスにより除去されることが示された。

γ線照射後の孵化率に対するRIC1の母性因子の効果

ほとんどの動物の発生は、まず卵内に蓄えられたmRNAやタンパク質などの母性因子によって制御され、発生が進むにつれ母性因子が枯渇する一方、MBTを過ぎ、接合核由来の因子が出現する。そこで本研究ではDNA二本鎖切断修復に関わる母性因子が初期発生過程にどのように関わるのかを調べるために、4種類の掛け合わせにより得られた胚のγ線照射後の孵化率を調べた。CAB系統、RIC1系統の桑実胚期に2Gyのγ線を照射し孵化率を調べたところ、それぞれ66.7%、0%であった。次にCAB系統の雌にRIC1系統の雄を掛け合わせにより得られた胚の孵化率は65.7%であったのに対し、RIC1系統の雌にCAB系統の雄を掛け合わせることにより得られた胚の孵化率は31.5%であり、有意に低い孵化率を示した。加えて、器官形成期の胚に10.2Gyのγ線を照射し孵化率を調べたところ、桑実胚期の照射の場合と同様に、RIC1系統の雌にCAB系統の雄を掛け合わせることにより得られた胚は、CAB系統の雌にRIC1系統の雄を掛け合わせることにより得られた胚よりも有意に低い孵化率を示した。これらの結果から、メダカ胚ではMBT以前の発生段階のみならず器官形成期においてでさえも、γ線照射後の孵化率を高くする母性因子の効果が持続することが示唆され、またRIC1遺伝子産物は初期の発生段階においてゲノム損傷の監視機構に関わる可能性が推測された。

本研究のまとめ

本研究ではゲノム損傷を誘発するために、主な致死作用がDNAの二本鎖切断によると考えられているγ線を用いた。またすべての初期発生過程を容易に観察することができるメダカをモデル動物として用いた。本研究により以下の事が明らかになった。

メダカのMBTの開始時期は発生段階11であり、ほぼ同時期にγ線照射に対する応答が変化していた

RIC1系統は、器官形成期照射のみならず、より早い発生段階である桑実胚期並びに初期嚢胚期においても放射線高感受性であることが示された。

野生型系統では迅速なDNA修復が行われているが、RIC1系統ではDNA二本鎖切断修復機構に欠陥があることが示唆された。

RIC1系統は初期嚢胚期においてアポトーシスを指標としても放射線高感受性であることが示された。

MBT以前の細胞周期がS期とM期とからなる桑実胚期においてもDNA二本鎖切断修復機構の存在が示唆され、また母性プログラムから胚性プログラムへの転換期であるMBT以降の器官形成期においても、DNA二本鎖切断修復の母性因子効果が持続することが示唆された。

本研究により、卵割期において母性由来の因子によるDNA二本鎖切断修復機構が存在するが、細胞周期停止を伴わないため放射線に対して高感受性であることが示唆された。また、細胞分裂並びに分化が活発でDNA損傷を受けると奇形が発生しやすい器官形成期まで母性因子が深く関わり、奇形や致死を抑制することが明らかになった。

各発生段階にγ線照射した胚の孵化率と奇形括弧内は調べた個体数を示す

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2部からなり、第1部はメダカMBT(midblastula transition)の開始時期の同定とその前後の発生段階におけるγ線照射に対する応答の解析について、また第2部では放射線高感受性変異体系統メダカ(RIC1系統)を用いた解析により、初期胚のγ線照射に対するゲノム損傷監視機構について述べられている。

初期胚は放射線に対して非常に感受性が高いことが知られている。Russellらはマウスを用いた研究において、着床前期の初期胚はDNA二本鎖切断を引き起こすとされる高い致死率を示すX線曝露で、生き残った胚は奇形を伴わない正常なマウスに成長することに対し、同線量でも器官形成期になると胎児の死亡率は減少するが奇形と新生児死亡率は増加することが報告されている。その後、Norimuraらのp53ノックアウトマウスを用いた実験により、DNA二本鎖切断を持つ細胞は、p53依存性アポトーシスによって自曝し、その穴を正常な細胞が増殖し、補う組織修復による奇形抑制機構の存在が提唱された。本論文では初期胚細胞のゲノム損傷に対する監視機構の解明を目指し、ゲノム損傷を誘発するために、主な致死作用がDNAの二本鎖切断によると考えられているγ線を、またマウスやラットなどの哺乳類のモデル生物とは異なり、初期発生全過程を容易に観察することができるメダカをモデル動物として用いている。

まず本論文では、メダカMBTの開始時期を同定している。MBTはS期とM期とから構成される同調的な細胞分裂から、G1期の出現により非同調的な通常の体細胞分裂への転換期であり、その前後でγ線照射に対する応答が変化することを考えた。MBTはG1期の出現だけでなく、接合核からの転写の活性化することで定義されているため、メダカを実験に用いる利点のひとつである北日本集団系統と南日本集団系統間の多型を利用し、メダカEST(expression sequence tag)マーカーの父性発現を調べている。無作為に選んだ総数187の中で両系統間で多型のあるものを33個選び、各発生段階由来のcDNAを用いPCR反応を行うことで父性発現を調べたところ、最も早く父性発現が検出された時期は後期胞胚期であった。次にγ線照射に対する応答をアポトーシス並びに発生遅延の観点から調べたところ、初期嚢胚期を境にγ線照射により誘発されるアポトーシス細胞並びに発生遅延が検出された。これらのことからメダカMBTの開始時期は発生段階11であり、接合核からの転写が始まった後に照射されるとγ線照射に対する応答が変化することを示唆している。続いてRIC1系統を用いた解析では、まずRIC1系統がスクリーニングに用いた器官形成期照射のみならず、より早い発生段階である桑実胚期並びに初期嚢胚期においても放射線高感受性であることを示し、初期嚢胚期におけるTUNEL法の解析によりアポトーシスを指標としても放射線高感受性であることが示されている。また初期嚢胚期におけるComet assay中性法により、野生型系統では迅速なDNA修復が行われているが、RIC1系統ではDNA二本鎖切断修復機構に欠陥があることが示されている。さらに野生型系統との交配実験により、MBT以前の細胞周期がS期とM期とからなる桑実胚期においてもDNA二本鎖切断修復機構の存在が示唆され、また母性プログラムから胚性プログラムへの転換期であるMBT以降の器官形成期においても、DNA二本鎖切断修復の母性因子効果が持続することが示唆されている。本論文により、卵割期において母性由来の因子によるDNA二本鎖切断修復機構が存在するが、細胞周期停止を伴わないため放射線に対して高感受性であることが示され、細胞分裂並びに分化が活発でDNA損傷を受けると奇形が発生しやすい器官形成期まで深く関わり、奇形や致死を抑制することが明らかとなった。

なお、本論文第1部は、A. Shimada、K. Naruse、H. Mitani、A. Shimaとの共同研究であり、本論文第2部は、H. Mitani、N. Kogure、A. Shimada、Y. Hirose、T. Sasado、C. Morinaga、A. Yasuoka、H. Yoda、T. Watanabe、N. Iwanami、S. Kunimatsu、M. Osakada、H. Suwa、K. Niwa、T. Deguchi、T. Hennrich、T. Todo、A. Shima、H. Kondoh、M. Furutani-Seikiとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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