学位論文要旨



No 119485
著者(漢字) 宇田川,剛
著者(英字)
著者(カナ) ウダガワ,ツヨシ
標題(和) leaderless mRNA の翻訳開始機構の解析
標題(洋)
報告番号 119485
報告番号 甲19485
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第33号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 助教授 宇垣,正志
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 田口,英樹
内容要旨 要旨を表示する

序論

翻訳開始は遺伝子発現制御に関与する重要なステップである。そのメカニズムは真核生物、原核生物、古細菌で異なっているが、翻訳過程における遺伝子発現調節は、一般的にmRNAのリボソームへの結合、開始コドンの選択を伴う開始複合体の形成に依存している。原核生物では翻訳開始は大きく3つのステップに分けられる。まず、70Sリボソームが開始因子IF3、IF1によって、30S及び50Sサブユニットに解離される。次に、mRNAとfMet-tRNA-IF2複合体がランダムな順序で30Sサブユニットに結合し30S開始複合体が形成される。最後に、50Sサブユニットが30S開始複合体に会合し、70S開始複合体が形成される。この複合体はアミノアシルtRNAをAサイトに受容し、ペプチド鎖伸長のプロセスへと移行する。

このような翻訳開始経路のモデルは開始コドン上流に5'リーダー配列を伴う典型的なmRNAをもとに構築されてきた。特に原核生物においてSD配列は翻訳開始の効率に大きく寄与するものと考えられてきた。しかしながら、全ての生物界において5'リーダー配列をもたず5'末端に開始コドンが位置するmRNA(leaderless mRNA)の存在が報告されている。これらのmRNAは明確なリボソーム結合部位をもたないにも関わらず生体内で効率よく翻訳される。leaderless mRNAの翻訳開始機構は未だ明確ではないが、これまでの研究から以下の2つのモデルが提唱されている。1)leaderless mRNAの翻訳は開始因子IF3とリボソームタンパク質S1またはそのいずれか欠いた30Sサブユニットによって開始される。2)leaderless mRNAの翻訳は解離していない70Sリボソームによって直接開始される。

そこで本研究では、大腸菌の翻訳に必須な因子のみからなる生体外タンパク質合成系(PUREシステム)を用いて、leaderless mRNAの翻訳開始機構を明らかにすることを目的とした。

PUREシステムにおけるleaderless mRNAの翻訳

まず、PUREシステムにおいてleaderless mRNAの翻訳活性を検討した。その結果、leaderless mRNAのモデルとしてよく研究されているlファージの cI mRNA、及びジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)のリーダー配列を除いた人工的なleaderless mRNA(dhfr-AUG)はPUREシステムでも効率よく翻訳されることが示された(Table、Fig. 1)。これらの結果は、少なくとも大腸菌ではleaderless mRNAの翻訳は通常の翻訳因子のみで十分行われることを示している。また、dhfr-AUG mRNAの5'末端へ5または10塩基を付加したmRNA(dhfr-plus5、-plus10)は翻訳されなくなることから、leaderless mRNAの翻訳においては開始コドンが5'末端に位置することが重要であることが明らかとなった。

leaderless mRNAの翻訳開始複合体

cI mRNAは30Sサブユニットよりも70Sリボソームに安定的に結合することが報告されている。そこで、leaderless mRNAの30Sサブユニット及び70Sリボソームへの結合能をfilter binding assayによって確かめた。その結果これまでの報告と一致して、leaderless cI及び、dhfr-AUG mRNAはfMet-tRNA存在下で30Sサブユニットよりも70Sリボソームと安定的な複合体を形成した。また、70Sリボソームへの結合は開始因子の有無にほとんど影響されなかった。そこで次に、この70S-leaderless mRNA複合体が実際に翻訳伸長プロセスへ移行可能な複合体かどうかを、開始、伸長反応を分割したsingle-roundの翻訳系を用いて検討した。その結果、この複合体は開始因子非存在下でも伸長過程に移行できることが明らかになった。一方、リーダー配列をもつmRNAの場合、開始因子非存在下では翻訳活性を示さなかった。そこで次に、leaderless mRNAの翻訳が30Sサブユニットと70Sリボソームのどちらで効率よく開始されるのかを、同様の手法で調べた(Fig.2)。まず、30Sサブユニット或いは70Sリボソームと、mRNA、fMet-tRNAで複合体を形成し、そこに伸長に必要な因子と、30Sサブユニットで複合体を形成させた場合には50Sサブユニットを共に加え、single-roundの翻訳を行った。その結果、5'リーダー配列を持つmRNA(Fig.2C、E)は30S、70Sのどちらの複合体を形成しても翻訳効率に差はなかったのに対し、leaderless mRNA(Fig.2B、D)の翻訳は30Sサブユニットの場合に著しく低下した。

これらの結果は、leaderless mRNAの翻訳はサブユニットの解離を経ずに70Sリボソームによって開始されることを強く示唆している。一方、5'リーダー配列をもつmRNAの翻訳は、既知のモデルのように30Sサブユニットによって開始されると考えられる。

leaderless mRNAの翻訳における開始因子の影響

開始因子は70Sリボソームの30S、50Sサブユニットへの解離、開始tRNA、適切な開始コドンの選別に重要な役割を担っている。IF3はこれら全てに関わる因子と考えられている。一方、leaderless mRNAの翻訳はIF3を強制発現することによって阻害されることが報告されている。Blasiらは、これは30S開始複合体形成においてIF3が5'末端の開始コドンを正規なものとして認識しないためであると考えられている。また、この阻害にはリボソームタンパク質S1が必要とされることから、彼らはleaderless mRNAの翻訳開始がIF3とS1或いはそのいずれかを欠いた30Sサブユニットによって行われるというモデルを提唱している。しかし、彼らはIF3とS1の関係について複合体形成の実験のみを行っているにすぎず、翻訳レベルで検証を行っていない。そこで、leaderless mRNAの翻訳におけるIF3の影響をS1-freeリボソームを用いて検討した(Fig.3)。その結果、高濃度のIF3はleaderless mRNAの翻訳を阻害したものの、Blasiらのモデルに反してその阻害はS1-freeリボソームでも回復しなかった。この結果は、IF3によるleaderless mRNAの翻訳阻害が、30S開始複合体形成の阻害によるものではないことを示唆している。むしろ、これは過剰なIF3による70Sリボソームのサブユニット化によるものと考えられる。実際、leaderless mRNAの翻訳阻害がおこるIF3の濃度以上ではショ糖連続密度勾配遠心による解析で、70Sリボソームのサブユニット化が観察された。

開始因子IF2はホルミル化されたaアミノ基を認識してfMet-tRNAをリボソームに運び、サブユニットの会合を促進する因子である。leaderless mRNAの翻訳はIF2によって特異的に促進されることが報告されている。本研究でも、leaderless mRNAはリーダー配列をもつmRNAに比べIF2依存性が高いことが示された。さらにホルミル基転移酵素の基質となるホルミルドナーを除いて翻訳を行うとleaderless mRNAの翻訳のみが顕著に阻害された。

開始tRNAは伸長tRNAとの競合が無い条件ではそれ自身でPサイトに適切に結合することができる。そこで、過剰なfMet-tRNA存在下の翻訳における開始因子の要求性を検討した。その結果、leaderless mRNAの翻訳は過剰なfMet-tRNAによって選択的に促進され、その条件では開始因子非存在下でも効率よく翻訳が行われることが明らかになった(Fig.4)。一方、リーダー配列をもつmRNAの翻訳活性はfMet-tRNAの濃度にほとんど変化を受けなかった。

これらの結果は、leaderless mRNAの翻訳はfMet-tRNAのリボソームへの結合に大きく依存しており、70S-fMet-tRNA複合体が十分に形成されていれば、開始因子を必要としないことを示している。さらに、開始因子を必要としないという結果は、サブユニットの解離を経ず、70Sリボソームによる翻訳が開始されることを示唆している。一方、リーダー配列をもつmRNAでは、その開始コドン及び開始コドン上流の配列を30Sサブユニット上に適切に配置させるのに開始因子によるサブユニット化が必要なのだと考えられる。

まとめ

本研究ではleaderless mRNAの翻訳が70Sリボソームのサブユニットへの解離を経ずに、mRNAが直接70Sリボソームに結合し開始することを明らかにした。また、leaderless mRNAの翻訳開始においてはfMet-tRNAが70Sリボソームに結合し、その後にleaderless mRNAが結合するというステップで進行することが示唆された(Fig.5)。これは5'リーダー配列をもつmRNAがランダムな結合プロセスを経るのと対照的である。おそらく、明確なリボソーム結合部位をもたないleaderless mRNAの場合、fMet-tRNAのアンチコドンによる5'末端の開始コドンの認識が翻訳開始において重要なステップとなるのだろう。

Translation of leaderless and leadered mRNAs by the PURE system

Translation efficiencies of leaderless and leadered mRNA complexed to the 30S subunit or the 70S ribosome in the presence or absence of IFs

Effect of IF3 and the ribosomal protein S1 on the translation of leaderless and leadered mRNAs

Requirement for IFs of cI and dhfr-Eps mRNA translation in the presence or absence of excess fMet-tRNA amounts

Simplified model describing the translation initiation pathways used by leaderless (A) and leadered mRNA (B)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、leaderless mRNAの翻訳開始機構の解析について述べられている。リボソームによるタンパク質の合成(翻訳)は生命における最も古い基盤のシステムである。また、そのメカニズムに関する研究は1950年代から行われている生命科学における最も古典的なテーマのひとつである。特に、翻訳開始は翻訳過程において最も複雑なステップであり、これまで精力的に研究が行われてきた。しかしながら、論文提出者が本論文で題材に扱ったleaderless mRNAは、従来の翻訳開始のモデルでは説明がつかない存在であった。論文提出者は本論文において、leaderless mRNAの翻訳開始機構について、大腸菌の翻訳に必須な因子のみからなる生体外タンパク質合成系であるPUREシステムを用いて解析を行った。PUREシステムは再構成系であるため、系内の反応を明確に把握することが可能である。さらに、論文提出者はPUREシステムを改変することで、翻訳開始から伸長までの反応を一連して追跡することができるsingle-roundの翻訳系を構築して、leaderless mRNAの開始複合体について翻訳レベルでの詳細な解析を行った。leaderless mRNAの翻訳開始経路については、これまでに二つのモデルが提唱されていた。一つめは通常のmRNAと同じく30Sサブユニットによって開始されるというモデルだが、leaderless mRNAの30S開始複合体形成は開始因子IF3とリボソームタンパク質S1の協調作用によって阻害されることから、この経路にはこの両者またはいずれかが関与しないはずであると考えられていた。もう一つはleaderless mRNAの翻訳は70Sリボソームによって直接開始されるというモデルである。たしかにleaderless mRNAは70Sリボソームに対して高い結合能をもつがことが示されており、本論文でも同様の結果が得られている。しかし、翻訳開始において、サブユニットの解離は必須なステップであると考えられており、70Sリボソームとleaderless mRNAの複合体は非特異的なものではないかとも考えられていた。このように、現段階ではleaderless mRNAの翻訳開始機構はいまだ明確ではなかった。論文提出者は、第2章において、leaderless mRNAの開始複合体について解析を行っており、leaderless mRNAと70Sリボソームの複合体が、実際に翻訳を行うことができる活性な複合体であることを証明している。さらに、leaderless mRNAの翻訳は、30Sサブユニットよりも70Sリボソームによって効率よく開始されることを明らかにした。第3章では、leaderless mRNAの翻訳における開始因子の影響を検討している。特に、IF3はleaderless mRNAの翻訳開始機構を理解する上で鍵となる因子であり、その影響を詳細に検討している。その結果、論文提出者は、leaderless mRNAの30Sサブユニットによる開始経路を否定するに十分な結果を得ている。第4章では、これらの結果をもとに、leaderless mRNAの翻訳開始経路について総合的な考察が行われている。論文提出者は、本論文において、leaderless mRNAの翻訳が、サブユニットの解離を経ず、70Sリボソームによって直接開始されることを明らかにした。この結果は、これまで固定的であると考えられてきた翻訳開始経路が、実際には、柔軟なメカニズムで進行されていることを示しており、翻訳開始機構の理解に新たな知見をもたらしたと判断される。また、第4章では、leaderless mRNAに由来についても考察が行われおり、leaderless mRNAが進化的にも興味深い存在であることが記されている。以上のような本論文の内容は、この分野における顕著な進展をもたらしたと判断される。

なお、本論文は上田 卓也氏、清水 義宏氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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