学位論文要旨



No 119487
著者(漢字) 柿澤,茂行
著者(英字)
著者(カナ) カキザワ,シゲユキ
標題(和) ファイトプラズマのタンパク質膜輸送系およびその基質に関する研究
標題(洋)
報告番号 119487
報告番号 甲19487
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第35号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 宇垣,正志
 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

序論

ファイトプラズマは700種以上の植物に病気を引き起こす重要な植物病原細菌である。主にヨコバイにより伝搬され、感染・発病した植物に萎縮・叢生・黄化・緑化・葉化などの特徴的な症状を引き起こす。しかし人工培養に成功していないことからその研究は困難であり、その検出・診断はもっぱら病徴観察・昆虫伝搬試験・電子顕微鏡観察などに頼っていた。近年、ファイトプラズマDNAの分離とその解析が可能となり、ファイトプラズマ研究はここ数年で著しい進展を見せている。

ファイトプラズマは細胞壁を持たず、また宿主の細胞内に寄生するため、菌体表面に存在すると予想される物質輸送系は、宿主である植物や昆虫との相互作用に極めて重要な役割を果たしていると予想される。しかし、これまでファイトプラズマにおける膜タンパク質の解析はほとんど行われていなかった。そこで本研究では Candidatus Phytoplasma asteris, OY strain を用い、そのタンパク質膜輸送系を構成する因子の解析と、その基質となるタンパク質についての解析を行った。

Sec system の構成タンパク質遺伝子のクローニングと発現解析

細菌におけるタンパク質膜輸送系については大腸菌や枯草菌などで複数の系が報告されているが、その中で Sec system のみが生存に必須である。そこで本研究ではこの Sec system に着目した。大腸菌の Sec system は、SecA、SecY、SecEの3因子のみで機能する(図1)。そこでOYより、それらの遺伝子のクローニングを試みた。OYより抽出したゲノムDNAよりゲノミックライブラリを作製し、すでに知られている遺伝子構成上の特徴を利用して目的のクローンを選抜し、それらをシークエンスすることにより、secA遺伝子を含む5506bpのDNA断片、secY遺伝子を含む2200bpのDNA断片、secE遺伝子を含む2374bpのDNA断片をそれぞれ得た。

その発現を調べるため、SecAタンパク質の一部を大腸菌で大量発現させ、精製タンパク質試料を用いて抗SecAポリクローナル抗体を作出した。その抗体を用いて、健全またはOY感染植物由来の抽出タンパク質に対してウェスタンブロット解析を行ったところ、感染植物に特異的に、SecAタンパク質の配列から予想される分子量と一致する96kDaのバンドが確認された。このことから、感染植物組織内でOYのSecAタンパク質が発現していると考えられた。以上の結果、ファイトプラズマに Sec system が存在することが強く示唆された(図1)。

Immunodominant membrane protein遺伝子のクローニングとSec systemによる輸送

次いで、Sec system によって輸送されるタンパク質の候補を調べた。既報のファイトプラズマのタンパク質から、他の細菌のSec systemに認識されるシグナル配列を持つものを検索したところ、aster yellows ファイトプラズマ(Ay)のimmunodominant membrane protein(IDP)のN末端にそれと思われる配列を見出した。IDPはファイトプラズマに特有の機能未知の膜タンパク質であり、菌体表面に多量に存在することから重要な機能を持つと考えられ、ファイトプラズマ研究における焦点の1つとなっている。これまで数種のファイトプラズマよりIDP遺伝子がクローニングされているが、その詳細な解析は全く行われていなかった。そこで、IDPがSec systemを介して輸送されている可能性を考え、OYよりIDP遺伝子を含む2364bpのDNA断片をクローニングした。OYのIDPは、そのN末端とC末端に膜貫通領域を1つずつ持ち、膜タンパク質であると推定された。またそのN末端には、AYのIDPと同じくSec systemのシグナル配列と思われる配列が認められた(図2)。

次にIDPを大腸菌で大量発現し、抗IDPポリクローナル抗体を作出した。IDPを発現させた大腸菌内でIDPがSec systemによって輸送されているならば、シグナル配列の切断されたIDPが内膜と外膜の間であるペリプラズムに蓄積していると予想されるため、IDP発現大腸菌を細胞質画分とペリプラズム画分とに分画し、抗IDP抗体を用いてウェスタンブロット解析を行った。その結果、予想通りシグナル配列の切断されたIDPがペリプラズム画分に局在していたことから、IDPは大腸菌のSec systemによって輸送され、輸送に伴いそのシグナル配列が切断されると考えられた(図3)。

また作製した抗IDP抗体を用いて、健全またはOY感染植物由来の抽出タンパク質に対してウェスタンブロット解析を行ったところ、感染植物に特異的にバンドが確認された(図4)。その分子量はシグナル配列の切断されたIDPの推定分子量と一致したため、感染植物に存在するIDP、すなわちファイトプラズマが発現しているIDPも、そのシグナル配列が切断されていると推定された。ファイトプラズマにSec systemが存在することと併せて考えると、IDPはファイトプラズマのSec systemによって細胞表面に輸送されている可能性が高い。以上の結果は、IDPのシグナル配列が大腸菌とファイトプラズマ双方のSec systemによって認識され得ること、さらには、両Sec systemによって認識されるシグナル配列に共通性があることを示唆する。

Immunodominant membrane proteinに認められた適応進化

OYとAY由来のIDP遺伝子の塩基配列を比較したところ、サイレントな変異頻度(synonymous substitution rates : dS) よりもアミノ酸置換を伴う変異頻度(nonsynonymous substitution rates : dN) がより高かった。一般に、アミノ酸置換変異はタンパク質の機能に影響を及ぼす可能性が高く、またサイレント変異は多くの場合中立であるため、通常の遺伝子ではサイレント変異頻度のほうが多い。ある遺伝子においてアミノ酸置換変異のほうが多いのは、そのアミノ酸置換によって適応度が上昇する場合、すなわち適応進化(正の選択)が起こっている特殊な場合である。そこで、IDPに適応進化が起こっているかどうかを検証するため、互いに近縁な6種類のファイトプラズマ (OY、OY-M、OY-NIM、MD、PaWB、AYBG) より IDP 遺伝子および隣接する数遺伝子をクローニングし、既報のAYの遺伝子と共にそれらのdSとdNとを比較した。この手法はdN / dS<1は負の淘汰、dN / dS=1は中立、dN / dS>1は適応進化をそれぞれ示すという理論に従っている。比較には、遺伝子全長の平均でdN / dSを計算する手法 (Nei-Gojobori method) と、コドン毎にdN/dSを計算する最尤法による手法を用い、それぞれMEGAまたはPAMLプログラムを便用した。その結果、どちらの手法によってもIDP遺伝子のみdN/dSが1を大きく超え、隣接する遺伝子のdN/dSは全て1未満になったことから、IDP遺伝子に特異的に明確な適応進化が認められた(表1)。また、最尤法による解析の結果、正の選択を受けていると推定されたアミノ酸サイトはIDPの中央領域、つまり宿主の細胞質側へと露出している領域に多く認められたことから、IDP遺伝子にかかる正の選択圧は宿主との相互作用によって引き起こされている可能性が示唆された。さらに、ファイトプラズマの宿主範囲と生活環を考慮に入れると、IDP遺伝子にかかる選択圧は植物宿主よりは昆虫宿主との相互作用による可能性が示唆された。以上の結果は、昆虫-ファイトプラズマ間における相互作用において、IDPが非常に重要な役割を担っている可能性を強く示唆する。

結論

ファイトプラズマよりタンパク質膜輸送系である Sec system の構成因子の遺伝子をクローニングし、その発現を調べ、ファイトプラズマにおける Sec system の存在を示した。ファイトプラズマより機能の推定できる膜タンパク質の遺伝子が単離されたのは初めてである。また、その基質の候補として、ファイトプラズマ菌体表面に多量に存在するIDP遺伝子を単離し、IDPが大腸菌およびファイトプラズマの Sec system により輸送されることを示唆した。これは、大腸菌とファイトプラズマの Sec system に認識されるシグナル配列に共通性があり、既存のシグナル配列推定プログラムを用いることによりファイトプラズマの分泌タンパク質の網羅的探索が可能であることを示唆する。ファイトプラズマに近縁な枯草菌においては、種々のタンパク質分解酵素、植物の細胞壁を消化する酵素などが Sec system を介して分泌されている。ファイトプラズマにおいてもこのようなタンパク質が輸送されているならば、その病原性に関与している可能性があり、さらなる解析が期待される。さらに、IDPに強い正の選択圧がかかっていることを見出し、その選択圧が昆虫宿主との相互作用によって引き起こされている可能性を提唱した。このことは、IDPがファイトプラズマにとって非常に重要な機能を担っている可能性を強く示唆しており、その解明が期待される。本研究により、これまで全く未知であったファイトプラズマの膜タンパク質における新知見を得ることができ、宿主-ファイトプラズマ間の相互作用やその病原性の解明への道を開く基礎的知見を得ることができた。

ファイトプラズマにおけるSec systemの模式図。大腸菌等における研究より、この3因子のみが分泌系に必須な因子であることがわかっている。

IDPの hydropathy profile と、膜貫通領域および Sec system のシグナル配列の推定。Sec system のシグナル配列は、+charge、膜貫通領域、切断配列 Ala-X-Ala という3つのモチーフより成る。

抗IDP抗体を用いたウェスタンブロッティング。1, 3: vector のみを導入した大腸菌、2, 4: IDP発現大腸菌、1, 2: 細胞質画分、3, 4: ペリプラズム画分。シグナル配列を持つ、または持たないIDPの位置を黒と白の矢頭でそれぞれ示した。

抗IDP抗体を用いたウェスタンブロッティング。H: 健全植物、D: OY感染植物由来タンパク質。黒および白い矢頭は、図3.と同様。

IDP遺伝子全長の平均で計算したdN/dS。ハイフンは、dSがゼロであったため計算できないことを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は序論、第2章は Sec system の構成タンパク質遺伝子のクローニングと発現解析、第3章は Immunodominant membrane protein (IDP) 遺伝子のクローニングと Sec system による輸送、第4章はIDPに認められた適応進化、第5章は総合考察について述べられている。本論文は、重要な植物病原細菌でありかつ培養が困難なファイトプラズマを材料として研究を行っている。ファイトプラズマは細胞壁を持たず、宿主の細胞内に寄生するという特徴から、その菌体表面に存在する物質輸送系は宿主との相互作用に重要な役割を果たすと予想し、本論文では Candidatus Phytoplasma asteris, OY strain (OY)のタンパク質膜輸送系の解析と、その基質タンパク質についての解析を行っている。第1章において、ファイトプラズマの歴史や特徴について詳細に述べられている。

第2章においては、ファイトプラズマのタンパク質膜輸送系の構成因子のクローニングとその発現解析について述べられている。細菌におけるタンパク質膜輸送系については他の細菌で複数の系が報告されているが、その中で Sec system のみが生存に必須であるため、本論文ではこの Sec systcm に着目して研究を行っている。OYより抽出したゲノムDNAよりゲノミックライブラリを作製し、すでに知られている遺伝子構成上の特徴を利用して目的のクローンを選抜し、それらをシークエンスすることにより、secA、secY、secE 遺伝子のクローニングに成功している。またその発現を調べるため、SecAタンパク質の一部を大腸菌で大量発現させ、抗 SecA ポリクローナル抗体を作出した。抗体を用いたウェスタンブロット解析および免疫組織化学的解析により、感染植物組織内におけるOYのsecAタンパク質の発現を証明した。これらの結果は、ファイトプラズマにSec systemが存在することを強く示唆するものである。

第3章においては、ファイトプラズマのSec systemによって輸送される候補であるIDP遺伝子のクローニングと、その輸送形態の解析について述べられている。まず、既報のファイトプラズマのタンパク質から、他の細菌のSec systemのシグナル配列を持つものを検索し、候補として得られたAYファイトプラズマのIDPを元に、OYよりIDP遺伝子をクローニングしている。次にIDPを大腸菌で大量発現し、抗IDPポリクローナル抗体を作出した。抗体を用いたウェスタンブロット解析により、IDPが大腸菌とファイトプラズマ双方のSec systemによって輸送されている可能性を示唆する結果を得ている。これらの結果より、両Sec systemによって認識されるシグナル配列の共通性について論じている。

第4章においては、ファイトプラズマのIDPにおける適応進化の解析について述べられている。まず6種類のファイトプラズマよりIDP周辺の遺伝子をクローニングし、それらのサイレントな変異頻度 (dS) とアミノ酸置換を伴う変異頻度 (dN) とを比較している。比較には、遺伝子全長の平均でdN/dSを計算する手法と、コドン毎にdN/dSを計算する最尤法による手法を用いている。その結果、どちらの手法によってもIDP遺伝子に特異的に明確な適応進化が認められたと論じている。また、最尤法による解析の結果、正の選択を受けていると推定されたアミノ酸サイトはIDPの中央領域、つまり宿主の細胞質側へと露出している領域に多く認められたことから、IDP遺伝子にかかる正の選択圧は宿主との相互作用によって引き起こされている可能性を示唆している。これらの結果は、昆虫-ファイトプラズマ間における相互作用において、IDPが非常に重要な役割を担っている可能性を強く示唆するものである。

第5章においては、本論文の全般にわたる広範な考察が述べられている。本研究により、これまで全く未知であったファイトプラズマの膜タンパク質における新知見を得ることができ、宿主-ファイトプラズマ間の相互作用やその病原性の解明への道を開く基盤的知見を得ることができたと考えられる。

なお、本論文第2-5章は、難波成任氏・宇垣正志氏・大島研郎氏・宮田伸一氏・久保山勉氏・西川尚志氏・鄭煕英氏・澤柳利実氏・土崎常男氏・田中穣氏・岸野洋久氏・魏薇氏・鈴木志穂氏・嵐田亮氏・中田大介氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および執筆を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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