学位論文要旨



No 119495
著者(漢字) 浜岡,崇憲
著者(英字)
著者(カナ) ハマオカ,タカノリ
標題(和) ゼブラフィッシュにおける視覚系神経回路の可視化
標題(洋) Visualization of Visual Pathways in Zebrafish
報告番号 119495
報告番号 甲19495
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第43号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 河村,正二
 理化学研究所 チームリーダー 岡本,仁
 東京大学 助教授 東原,和成
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 山本,一夫
内容要旨 要旨を表示する

序論

哺乳類、霊長類以外の脊椎動物に見られる中脳の視蓋領域は、網膜の主な投射先であり、視覚情報を処理・伝搬する重要な器官である。また視蓋の各層には様々な形態の細胞が存在し、視覚に限らず、側線や各種体性感覚器を起源とする神経線維が異なる層構造に入力することが知られている。視蓋における細胞を、生きた胚の中で、一細胞のレベルで標識することができれば、視覚情報回路における個々の神経細胞の機能を調べることが可能になる。

近年、緑色蛍光蛋白質(GFP)をレポーターとし、組織特異的なエンハンサーを利用したトランスジェニック系統による細胞の可視化が遺伝学的に可能になり、時空間的な細胞の挙動を生きた個体で観察することが可能になった。著者は、視覚系に特異的に発現する転写因子の発現制御領域を使って、脳の視覚情報処理に関わる神経細胞群でGFPを発現するトランスジェニック・ゼブラフィッシュを作ることに成功した。

CajalによるGolgi染色の例を挙げるまでもなく、神経科学においては、一細胞レベルで神経細胞を生きたまま観察できることは、個々の神経細胞の形態を識別したり、それら神経細胞の詳細なシナプス結合や投射様式を調べるうえで重要である。DiIなどの脂溶性色素やrhodamine-dextranなどの細胞内標識試薬の微量注入による蛍光標識は、この問題に対する一つの解決策であるが、複雑な神経回路網で個々の細胞の標識を行うことは必ずしも容易ではない。またゼブラフィッシュ胚のように急速に発生が進む胚では、発生の限られた時期に、一度に標識できる神経細胞の数は限られてしまう。

そこで著者は、先に述べた視覚系特異的にGFPを発現するためのトランスジェニック・ベクターにさらに加えて、エンハンサーと標識蛍光タンパクの遺伝子との間にloxPによって挟まれた遺伝子断片を挿入し、これを持つ新たなトランンスジェニック・ゼブラフィッシュを作製した。このトランスジェニック系統の胚に、loxPを特異的に認識する組換え促進酵素Creをモザイク状に発現させることによって、視覚系の1個の神経細胞のみで標識タンパクを発現することに成功した。このトランスジェニック系統を応用することで、視蓋領域における神経細胞を一細胞レベルで観察することが可能になった。

ゼブラフィッシュbrn-3a遺伝子の単離および発現解析

著者は、研究の対象となる視蓋の細胞に発現する遺伝子の単離を行った。まず感覚神経の発生に関与し、鳥類や両生類で視蓋および入力元である網膜の網膜神経節細胞に強く発現していることが知られているPOU (Pit-Oct-Unc) ドメイン型のホメオボックス遺伝子brn-3遺伝子を候補とした。

brn-3遺伝子ファミリー間および種間で保存されているPOU-ホメオドメイン領域をdegenerate PCR法により単離し、cDNAライブラリースクリーニングを行い、哺乳類におけるbrn-3aに相同な配列を単離した。ゼブラフィッシュにおけるbrn-3aの発現を、ホールマウント in situ ハイブリダイゼーション法により発生の段階をおって確認を行った。その結果ゼブラフィッシュbrn-3aは、著者が目的とする中脳の視蓋領域、またその視蓋領域へと入力する視神経を投射する網膜神経節細胞などに、受精後30時間前後から発現することを確認した。視蓋領域、網膜の網膜神経節細胞での発現は次第に発現が強くなり、双方の領域に、成魚まで一貫して発現していることに着目し、このBrn-3aの発現制御領域を単離することを目指した。

brn-3a遺伝子の発現制御領域の単離とGFPコンストラクトの作成

ゼブラフィッシュのゲノムライブラリーのスクリーニングを行い、brn-3a遺伝子コード領域を含むクローンを得た。ここからbrn-3a遺伝子の翻訳開始点上流と下流をふくむ隣接配列を得た。上流領域を利用し、GFPをレポーターとしたコンストラクトを作成した。このコンストラクトをゼブラフィッシュ胚に微量注入を行い、GFPの発現を解析したところ、転写開始点上流約4.9kbと第一イントロンとが、ゼブラフィッシュheatshock70 promoter (hsp70) :GFP遺伝子の上流に接続されたコンストラクト (brn3a-hsp70:GFP) を微量注入した際にのみ、Brn-3aの発現を反映するGFPの発現が見られた。そこで、brn3a-hsp70:GFP を用いて、一過性発現の解析およびトランスジェニック系統の作成に用いた。

brn3a-hsp70:GFPからの一過性GFP発現の解析とトランスジェニック系統の作成

受精後1〜2細胞期にbrn3a-hsp70:GFPを微量注入したところ、Brn-3aの発現を反映するGFPの発現が見られた。共焦点レーザー顕微鏡で蛍光観察を行ったところ、受精後40時間頃から視蓋領域、網膜神経節細胞、さらに視蓋よりも腹側部の神経核細胞群などにおいてGFPの発現が確認された。中脳の視蓋領域、網膜の網膜神経節細胞での発現はすべて受精後50時間頃から実体蛍光顕微鏡下でも発現を確認することができるようになり、GFPの発現が強いものに関しては受精後7日目においてもこれらの領域に発現が継続していることが確認された。そこで発生段階における視蓋、網膜神経節細胞の観察が可能になることが期待され、brn3a-hsp70:GFPコンストラクトを含むトランスジェニック系統の作成を行った。結果として、子孫としてトランスジェニック胚を産む2種類のファウンダー魚が単離され、これらからトランスジェニック系統を確立することに成功した。GFP発現を経時観察すると、GFPの発現は受精後32-34時間から網膜神経節細胞や視蓋領域に発現が始まり、視神経軸索が視蓋領域へ投射していく様子や、視蓋領域からの出力系線維が投射していく様子が発生段階を追って観察することができた。発生段階から成魚を通して、GFPによって可視化された一連の神経回路は、網膜の網膜神経節細胞から視蓋領域へと入力し、視蓋からその腹側の神経核を中継して後脳へと投射している様子が観察された。

brn3a-hsp70:XDsRedX-Venus トランスジェニック系統の作成

トランスジェニック系統においては、視蓋領域の発生の様子がGFPによって生きたまま観察できる。しかしながら、個々の細胞の形態や詳細な軸索の伸張の様子を観察するには、GFPを発現する神経細胞が隣接しているため、個々の神経細胞の樹状突起の様子や軸索の投射様式を同定するのは困難である。

そこで、一細胞レベルでの細胞の観察を目標としてbrn3a-hsp70:GFPコンストラクトの微量注入によるモザイク胚作成と、細胞移植によるモザイク胚作成の2つの方法を検討してみた。brn3a-hsp70:GFPコンストラクトの微量注入の場合、トランスジェニック胚作成時の注入濃度では奇形個体が増えてしまった。濃度を低くした場合ではGFPの発現が弱く継続的なGFPの発現が効率よく観察できない。そこでbrn3a-hsp70:GFPトランスジェニック系統胚から野生型胚へ少数の細胞の移植を行ってモザイク胚を作成したが、隣接する細胞群もドナー(トランスジェニック胚)由来となる場合が多く、近隣の複数の細胞でGFPの発現がおこり、一細胞レベルでの観察が困難であった。

P1バクテリオファージ由来の組換え促進酵素Creは、ゲノムで同じ向きに並んだ2つの34bpからなるloxP配列(loxP、X記号で略記)を特異的に認識し、その間で組換えを促進することにより、loxPに挟まれた遺伝子断片をゲノムから切り出す。筆者は、細胞標識にこの原理を応用するために、CreによってloxPの間の蛍光蛋白質が切り出されると別の蛍光蛋白質を発現させるコンストラクトを作製した (brn3a-hsp70:XDsRedX-Venus)。さらに、このコンストラクトを持つトランスジェニック系統を作成し、Creを異所的に発現させるDNAコンストラクトをトランスジェニック系統の胚に一過的にモザイク発現させた。Creが発現しない場合、brn-3aのエンハンサーの制御下でDsRedが発現するので、この胚では視覚系の神経回路網が赤い蛍光を発する。その中で、Creが発現する細胞でのみ、DsRed遺伝子が切り出され、かわりに黄緑色の強い蛍光を発するVenusを発現することになる。その結果、Venusを発現するごく少数の細胞を個別に観察できるようになると期待された。現在までに、ゼブラフィッシュにおいてはCre/loxPの系の有効性は報告されていない。そこでbrn3a-hsp70:XDsRedX-VenusコンストラクトとCMVプロモーターの下流でCreを発現するコンストラクト (pCS2:Cre) を同時に微量注入し、一過性の発現を観察したところ、DsRed と Venus がモザイク状に発現するのが観察された。DsRed が Cre によって切り出されていることを確認するために、微量注入を行った胚からゲノム DNA を抽出し PCR により切り出しが行われていることを確認した。この結果をもとに、筆者はさらに、brn3a-hsp70:XDsRedX-Venusを持つトランスジェニック系統の作成に成功し、このトランスジェニック系統では、brn3a-hsp70:GFPを持つトランスジェニック系統と同様なパターンでDsRedが発現していることを確認した。

brn3a-hsp70:XDsRedX-Venus トランスジェニック系統を利用した一細胞レベルでの神経細胞の可視化の検討

一細胞レベルでの可視化の有効性を確認するために、brn3a-hsp70:XDsRedX-Venus トランスジェニック系統に pCS2:Cre を一過的に微量注入し検討した。pCS2:Cre の濃度を低くして微量注入することにより、DsRed と Venus がモザイク状に発現している個体が観察された。周囲に Venus を発現していない細胞を共焦点レーザー顕微鏡で観察することで、一細胞レベルで標識された網膜神経節細胞の視蓋表層における樹上突起の分岐の様子や視蓋における神経細胞の形態や投射様式を調べられることが示唆された。

結論

著者はゼブラフィッシュにおけるbrn-3aおよびその発現調節領域を単離し、この発現制御領域を利用することで、ゼブラフィッシュにおける網膜から視蓋への入力、視蓋から後脳への入力の様子を顕微鏡下で生きたまま容易に観察することを可能にした。そして現在まで報告されていなかったゼブラフィッシュにおけるCre/loxPの系の有効性をDNAコンストラクトの微量注入による蛍光蛋白質の発現の変化とPCRにより証明した。さらにCre/loxPの系とゼブラフィッシュのトランスジェニック系統を利用することで、一細胞レベルでの神経細胞の可視化の可能性を示唆した。

これらの実験系の確立により、Cre旭酵素を異所的に発現させることで視蓋領域における個々の神経細胞の詳細な分布の様子、形態学的記載、発生学的記載、さらに投射様式が生きた細胞で可能になると期待できる。一細胞レベルでの細胞可視化技術を利用することで、近年、特に集中的に研究されている視蓋領域をモデル系とした、神経活動依存的なシナプス形成の研究などが容易になると考えられる。

ゼブラフィッシュでは近年大規模な突然変異体のスクリーニングが行われ、特に初期発生に関わる遺伝子を中心に、重要な遺伝子が次々と単離されつつある。筆者が確立したトランスジェニック系統は、特に視覚系の行動を司る神経回路の成立機構の究明に大きく貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章はゼブラフィッシュ生体胚における視覚神経回路の可視化について、第2章はゼブラフィッシュ生体胚視覚神経回路のCre-loxP組み換えシステム導入による個別ニューロンの可視化について述べられている。中脳の視蓋領域は視覚情報を伝達・処理する重要な器官であるがその個々の神経細胞の機能に関する知見は乏しい。論文提出者はゼブラフィッシュという発生遺伝学的に優れたモデル動物を用いて、生体中で視蓋の神経細胞を一細胞のレベルで標識することに成功し、これにより個々の視蓋神経細胞の機能を解明することを可能にした。そのために論文提出者はまずゼブラフィッシュの視蓋に発現する brn-3a 遺伝子をゼブラフィッシュから初めて単離した。つづいて brn-3a 遺伝子の発現制御領域を世界で初めて明らかにした。そしてその発現制御領域に蛍光タンパク質マーカー遺伝子GFPを接続してゼブラフィッシュに導入し、視蓋領域を含む視覚系神経細胞群をGFPにより生体中で可視化することに世界で初めて成功した。さらにゼブフフィッシュに初めてCre-loxPシステムを導入して視覚系神経回路蛍光マーカー遺伝子発現系を改良し、一細胞レベルでの神経細胞の可視化に世界で初めて成功した。これにより神経細胞の発生・形成過程、分布の様子、投射様式、神経活動依存的なシナプス形成等の解析を特段に進展させることが可能となった。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク