学位論文要旨



No 119496
著者(漢字) 日野,成実
著者(英字)
著者(カナ) ヒノ,ナルミ
標題(和) ミトコンドリアRNAの変異による疾患の分子機構
標題(洋)
報告番号 119496
報告番号 甲19496
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第44号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 東原,和成
 東京大学 講師 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

序論

ミトコンドリア病は、個体の活動に必要なエネルギーの約90%を供給するミトコンドリアの機能異常に起因する疾患の総称である。ミトコンドリア病は、遺伝子病のなかで最も患者数が多く、脳、心臓、骨格筋などのエネルギー需要の高い器官を中心に機能不全をもたらし、時には死に至るような深刻な症状をもたらす。ミトコンドリアは、核とは別の独自のゲノムと、細胞質とは別の独自の翻訳系を有している。ヒトミトコンドリアゲノムには翻訳系に不可欠な全てのtRNA、2種類のrRNA、そして呼吸鎖酵素蛋白群の一部がコードされている。ミトコンドリア病は核ゲノムにコードされたミトコンドリアに関わる遺伝子変異が原因の場合もあるが、多くの場合はミトコンドリアゲノムにコードされた遺伝子変異が原因である。なかでもミトコンドリアtRNA(mt tRNA)遺伝子変異は数多く報告されており、ミトコンドリアrRNA(mt rRNA)遺伝子変異は、多くの患者で見つかっている。

ミトコンドリアtRNA遺伝子変異による疾患

ミトコンドリアtRNA遺伝子変異に関しては、病原性点変異によるmt tRNAのプロセシング効率の低下、アンチコドン修飾塩基の欠落、アミノアシル化効率の低下などが報告されている。本研究では、乳児致死性心筋症(fatal infantile cardiomyopathy)患者から見出された、ミトコンドリアtRNAIle遺伝子paragraphの4269位のAがGに置換された変異(A4269G)に着目し、点変異がtRNAに及ぼす構造変化とそれに付随するtRNA機能低下について解析した。A4269G変異は、核ゲノムの影響を排除するため、HeLa細胞からミトコンドリアDNAを完全に除去したρ0HeLa細胞と、脱核した患者の線維芽細胞を融合させた、人工融合細胞サイブリドを用いた研究がなされている。A4269G変異をもつサイブリドはミトコンドリア蛋白質合成活性の喪失、それが原因と考えられる呼吸鎖酵素活性の低下が報告されている(Hayashi et al. J.Biol.Chem. 1994, 269)。また変異tRNAIleの細胞paragraph定常状態量は通常の半分に低下しており、細胞paragraphで非常に不安定であるということも見出されている。

これらの解析から、変異tRNAIleの異常な不安定性が機能的なtRNAIleの減少を招き、発症の直接の原因となっているのではないかと考えた。tRNAの熱融解曲線測定の結果(図1-1)、変異tRNAIleは正常型tRNAIleより融解温度が2.5℃低く、熱安定性が低下し、生理学的温度37℃においてすでに構造緩んでいることが明らかとなった。またミトコンドリアヌクレアーゼ(S100)によるtRNAIleの切断パターンの比較から、変異tRNAIleはT-ステムの構造が変化していることが示唆された(図1-2)。

翻訳因子EF-TuはアミノアシルtRNAをリボソームに運搬する蛋白質である。EF-TuのtRNA認識部位はアクセプターステムとT-ステムであることから、4269位の点変異はEF-Tuとの相互作用に影響を与えている可能性を考えた。アミノアシルtRNAIleとEF-Tuとの結合能をゲルシフトアッセイで調べたところ、変異tRNAIleのEF-Tuに対する解離定数は正常型tRNAIleの約2倍であり、変異tRNAIleはEF-Tuに対する結合能が低下していることが見出された(図1-3)。

以上のことから、A4269G変異によりtRNAIleの構造が変化し、細胞paragraphで非常に分解されやすくなるため、tRNA分子の定常状態量が正常な場合の半分に低下していると考えられる。また変異tRNAIleは、たとえ分解を免れてもEF-Tuとの結合能が低下しているので、実際に翻訳反応に参加できる変異tRNAIle量はさらに低下していると考えられる。翻訳反応に参加できるtRNAIle量の低下はミトコンドリア翻訳停止、それに基づく呼吸鎖酵素活性の低下を招き、発症にいたる原因の一つとなると考えられる。

ミトコンドリアrRNA遺伝子変異による疾患

ミトコンドリアゲノムにコードされたミトコンドリアリボソーム(ミトリボソーム)小サブユニットの12S rRNA 遺伝子の1555位のAがGに置換された変異(A1555G)は、ストレプトマイシンに代表されるアミノグリコサイド系抗生物質(AG)誘発性難聴の症状を示す。AGは、健常者でも投与量が多いと副作用として難聴を誘発するが、A1555G変異がある場合は低投与量でも不可逆的な難聴を誘発する。AGは原核生物型リボソームと結合し、翻訳における誤りを誘発する抗生物質である。ミトリボソームは原核生物型であるため、AGの標的となり、ミトコンドリア翻訳系の異常を引き起こすことが発症の原因ではないかと考えた。

A1555G変異をもつ患者の細胞核をHeLa核に置き換えた細胞(サイブリド)を使用し、AG存在下で培養したところ、変異をもつ細胞ではより低AG濃度での生育阻害(図2-1)、呼吸鎖活性の顕著な低下が観察された。AG存在下でのミトコンドリア翻訳活性と産物を、細胞質の翻訳を停止させ、35Sメチオニンを用いてパルスラベルで見たところ(図2-2)、A1555G変異をもつ細胞では、変異をもたない細胞より翻訳効率の低下が大きいことがわかった。またA1555G変異をもつ細胞では変異をもたない細胞では見られない、移動度の異なるバンドが検出され、AGにより誤翻訳が誘発されていることが示唆された。これらのことからAGはミトコンドリアの翻訳系に直接作用し、A1555G変異はAG感受性を高めることを明らかにした。

大腸菌リボソームにおいてA1555位は16S rRNAの1491位にあたり、この部位はGでAG感受性を示す(図2-3)。つまり大腸菌野生株は遺伝型、表現型ともにA1555G難聴患者と同じであり、難聴患者のモデル生物として用いることができるのではないかと考えた。そこでまず、健常者モデルの大腸菌G1491A変異株を作製し、難聴患者モデルの大腸菌野生株とAG感受性を比較したところ、予想通りG1491A変異株は野生株よりAG感受性が低いことが示され、大腸菌野生株を難聴患者のモデル生物として使用することの妥当性が示された。実際に、β-ガラクトシダーゼを用いた翻訳精度を測定するレポーターアッセイによりG1491A変異株(健常者モデル)は野生株(難聴患者モデル)よりAGによる誤翻訳が起きにくいことを明らかにした。

A1555位はAG結合部位であるとともに、翻訳の精度を調節している領域に位置している。その近傍に位置するリボソーム蛋白質S12もまたAG結合に関与しており、翻訳の精度も調節している。原核生物ではS12蛋白質のいくつかのアミノ酸変異はAG耐性変異として報告されている。これらの知見から、ミトコンドリアゲノムにコードされた12S rRNAのA1555G変異によるAG感受性の上昇や、翻訳精度の低下を、核ゲノムにコードされたリボソーム蛋白質S12の改変によって相補できるのではないかと考えた。そこで既に原核生物においてAG耐性をもたらすことが報告されている変異(K71R)を導入したmt S12蛋白質を大腸菌野生株(難聴患者モデル)で発現させたところ、AG感受性の緩和が観察された(図2-4)。この結果は、遺伝子操作が不可能なミトコンドリアDNAの病的変異を治療タンパク質を導入することで改善できる可能性を示唆し、将来的な遺伝子治療の可能性も含めて更なる研究を展開していきたい。

結論

乳児致死性心筋症から見出されたmt tRNA遺伝子病原性変異のひとつであるA4269G変異の解析を行い、構造変化による不安定化、翻訳因子EF-Tuとの結合能の低下を見出した。これらのことが相乗的にミトコンドリアの翻訳機能の不全を誘起し、発症へと至るのであろう。また本研究において見出したこれらの現象は他のmt tRNA遺伝子変異にもあてはまる可能性があり、ミトコンドリア病発症のひとつの分子機構であると考えられる。

アミノグリコサイド系抗生物質(AG)誘発性難聴に由来するmt rRNA遺伝子病原性変異のひとつであるA1555G変異の解析を行い、アミノグリコサイドがミトコンドリア翻訳系に作用していること、この変異によりアミノグリコサイド感受性が向上することを細胞レベルで明らかにした。またミトコンドリアゲノムにコードされたrRNAの変異 (A1555G) を、核ゲノムにコードされたミトコンドリアリボソーム蛋白質S12の改変により相補できる可能性を見出した。

1-1熱融解曲線の測定

1-2ヌクレアーゼ・プロービング

1-3ゲルシフトアッセイ

2-1ストレプトマイシンの細胞障害活性

2-2ストレプトマイシン存在下でのミトコンドリア翻訳活性(パルスラベル)

2-3 Decoding center of human mitochondria and E.coli rRNA

2-4 S12蛋白質変異によるAG感受性の変化

審査要旨 要旨を表示する

ミトコンドリア病は、患者数の最も多い遺伝子病であるにも関わらず、原因遺伝子変異が多様であることから、分子機構も様々であることが予想されており、明確な発症機構が未解明な疾患である。現在、有効な治療法もない。

本論文では、ミトコンドリア病発症の分子機構の解明、新規治療法開発への寄与を期待して、ミトコンドリア病を発症させるミトコンドリア(mt) tRNAとrRNAの変異による分子機構の研究を行なっている。

序章では、ミトコンドリア病の症状や原因遺伝子変異についての概論を述べている。

第1章は、mt tRNA遺伝子変異による疾患の分子機構について述べている。ミトコンドリア病を発症させるmt tRNA遺伝子変異の中には、tRNAのプロセシング、転写後修飾、CCA配列付加、アミノアシル化を阻害するものが報告されている。本論文では乳児致死性心筋症患者で見出されたmt tRNAIle遺伝子のA4269G変異について解析を行なっている。まず上記のステップのなかで、未解析であった部分の解析を行ない、とくに大きな阻害が見られないことを示している。そこでこの変異が及ぼす影響について、さらに詳細な解析を行なっている。その結果、この変異はtRNAの構造、特にT-ステムを不安定化させる事が示されている。そしてこの構造変化はヌクレアーゼによる分解を促進すること、伸長因子EF-Tuとの結合能を低下させることを明らかにしている。またこれらの実.験結果をふまえ、発症機構について考察を行なっている。

第2章はmt rRNA遺伝子変異による疾患の分子機構について述べている。本論文で述べられている12S rRNA遺伝子のA1555G変異については、多くのアミノグリコシド(AG)誘導性難聴患者から報告されており、発症機構の解明が強く期待されている。本論文ではまず核DNAの影響を排除できる、核をHeLa核に置き換えた人工融合細胞サイブリドを使った解析を行なっている。そしてA1555G変異がAGであるストレプトマイシン(SM)やゲンタマイシン(GM)に対する感受性を高める効果があることを示している。またこの変異があるとSMによって、ミトコンドリア蛋白質合成能が低下し、さらに誤翻訳が誘導されやすいことを示し、それに付随してミトコンドリア蛋白質の定常状態量の低下、ミトコンドリア呼吸鎖酵素活性の低下も見出している。後半ではA1555GとAGが引き起こす分子機構についてより詳細に解析するために大腸菌を難聴患者のモデル生物と見立てた実験について述べている。A1555位は大腸菌では1491位にあたり、大腸菌野生株においてこの部位はGでAG感受性を示す。つまり大腸菌野生株は遺伝型、表現型ともに難聴患者タイプといえる。そこで健常者モデルの大腸菌G1491A変異株を作製し、あわせて解析を行なっている。その結果、健常者モデルであるG1491A変異株は難聴患者モデルである野生株と比較して、AG感受性が緩和されており、SMやGMによる誤翻訳誘導も低く抑えられていることを示している。

AGと原核生物のリボソームの構造解析から、AGはリボソームのデコーディングセンターと呼ばれるコドンーアンチコドン対合の場に結合するが、rRNAのA1555位にあたる部位やリボソーム小サブユニットの構成成分であるS12蛋白質もまたこの部位に位置している。またいくつかのS12遺伝子変異はAG耐性変異として報告されている。本論文ではこれらの知見から、A1555G変異によるAG感受性の向上を核にコードされたmt S12蛋白質の変異によって緩和できないかと考え、このことを大腸菌をモデル生物として検証している。その結果、AG耐性に寄与すると考えられる変異を導入したmt S12蛋白質を発現させた大腸菌ではAG感受性の緩和が示された。現在はミトコンドリアDNAを直接操作することは不可能であるため、遺伝子治療の可能性は開けていない。本論文では、mt DNAにコードされたrRNAのA1555G変異によるAG感受性の向上を、核にコードされたmtS12蛋白質の改変によって相補できる可能性を示しており、今後治療法開発に寄与するものと期待される。

終章では、本論文の2つの遺伝子変異についての分子機構の解析についての総括を述べている。

以上、本論文は2つのミトコンドリア病を発症させるmt RNA変異がもたらす詳細な分子機構の解析を述べたもので、発症の分子機構解明と、治療法開発に大きく寄与すると考えられる。

なお、本論文第1章は、鈴木 勉氏、安川 武弘氏、清尾 康志氏、渡辺 公綱氏、上田 卓也氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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