学位論文要旨



No 119497
著者(漢字) 平田,久笑
著者(英字)
著者(カナ) ヒラタ,ヒサエ
標題(和) リンゴステムグルービングウイルスの遺伝子発現機構に関する研究
標題(洋) Studies of the gene expression strategies of the apple stem grooving virus genome
報告番号 119497
報告番号 甲19497
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第45号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 助教授 宇垣,正志
 東京大学 講師 鈴木,勉
内容要旨 要旨を表示する

植物ウイルスは、秩序だった遺伝子発現によって 宿主特異的な感染から発病に至るまでのプロセスを、実に巧妙に制御している。カピロウイルス属のタイプ種であるリンゴステムグルービングウイルス(Apple stem grooving virus: ASGV)は、リンゴやカンキツのほかユリにも感染するという広い宿主範囲を有するが、その遺伝子発現機構は明かでない。ASGVのゲノムは6496塩基からなるプラス1本鎖RNAであり、ほぼ全長にわたるORF1には、RNA複製酵素 (replicase: Rep) に特徴的な保存配列と外被タンパク質 (coat protein: CP) の保存配列が認められる241 kDa タンパク質をコードする。また、ゲノムの3'末端寄りに ORF1 と重複する ORF2 は、ウイルスの細胞間移行に関わる移行タンパク質 (movement protein: MP) とウイルスゲノムから発現するタンパク質をプロセスするプロテアーゼ (protease: Pro) の保存配列を含む 36 kDa タンパク質 (p36) をコードする(図1)。本研究では ASGV のゲノムにコードされる遺伝子の機能を探るとともに、その発現機構を明らかにすることを目的として行った。

CPおよびp36の発現機構の解析

ASGV 感染植物に存在するウイルス RNA の解析を目的として、ノーザンブロット解析を行った。その結果、ゲノム RNA に相当する 6.5 kb の RNA のほかに、それぞれ CP と p36 のサブゲノム RNA と推定される1.0 kbと2.0 kbのRNAが検出された。1.0 kbのサブゲノムRNAから発現が推定されるCPの分子量は 27 kDa であり、これは ASGV 粒子から検出される CP の分子量と一致した。これらサブゲノム RNA から推定される CP コーディング領域および p36 遺伝子の翻訳開始コドンを他のコドンに改変した変異株を構築したところ、いずれも感染性を消失した。以上から、CPおよび p36 は ASGV の感染に必須なタンパク質であり、それぞれサブゲノムRNAを介して発現することが示された(図1)。

p36の機能解析

感染に関わるp36 の機能解析を目的として MP と Pro それぞれの保存配列にアミノ酸置換を導入して検定植物 Chenopodium quinoa における病原性を比較した。その結果、MP 保存配列の変異株はすべて感染性を消失したが、Pro保存配列の変異株では感染性に影響しないものも確認された。一方、プロモータの下流に p36 と green fluorescent protein(GFP)との融合タンパク質の遺伝子を接続したコンストラクト(p36-GFP)を構築し植物細胞に導入したところ、既知の MP に特徴的な細胞paragraph局在、すなわち微小管や原形質連絡への局在を示した。また、MP の保存配列を改変した変異 p36-GFP では、その局在性が失われるものが認められた。以上の結果より、p36はMPであることが示された。

DNA 修復系欠損大腸菌株を用いたウイルスゲノムへのランダム変異導入による新規変異株の作出

CP は、先の解析によりサブゲノム RNA を介して発現することが明らかになったが、ゲノム構造上は Rep との融合タンパク質としても発現することが予想される。そこで、ORF1 における遺伝子発現機構をより詳細に調べる目的で、ASGV のゲノム全長へのランダム変異導入を試みた。感染性転写 RNA 合成用のゲノム全長 cDNA クローンを DNA 修復系欠損大腸菌株に導入・培養することによってランダム変異を導入したのち、それらの集団を正常大腸菌株に導入して個々の変異株を固定・分離した。任意に選択した変異 cDNA クローン50株をテンプレートとして感染性ウイルス RNA を合成し、C. quinoa における病原性をもとにスクリーニングした結果、病原性を消失した非感染変異株を6株、野生株よりもやや軽微な病徴を発現する弱毒変異株を2株、感染性を示すが病徴を発現しない無病徴変異株を1株単離した。これらの変異株に関して、ゲノム RNA の全塩基配列を決定したところ、各変異はゲノム全長にわたりランダムに挿入されていた。以上の結果より、植物ウイルスに初めて応用した本法は、従来の変異導入法より簡便かつ効率的であると考えられた。

1塩基のサイレント変異による病原性の変化に関する解析

ランダム変異導入により作出された無病徴変異株 (ASGV-RM21) は、塩基配列解析の結果、Rep の保存配列の直下にあるゲノムの4646番目の塩基 (nt 4646) に、1塩基のサイレント変異 (GGU; Gly→GGC; Gly) を有するのみであった。ウェスタンおよびノーザンブロット解析により感染植物組織paragraphにおけるウイルス量を比較したところ、ASGV-RM21では野生株に比べてウイルス複製量の低下が示されたことから、ASGV の nt 4646の1塩基変異はウイルスゲノムの複製効率に影響することが示された。ウイルスゲノムのサイレント変異によって病徴が劇的に変化する現象は、これが初めて見出された例である。

nt 4646付近に予測される RNA の高次構造と病原性の関連

nt 4646付近のゲノム RNA の二次構造を解析した結果、この塩基を含み41塩基からなる強固なステムループ構造が予測され(図1)、ASGV-RM21 では1塩基置換によってステムループ構造が変化することがわかった。さらに、nt 4646を野生株のUからAあるいはGに置換した変異株 ASGV-U4646A、ASGV-U4646G、およびその周辺の別の部位に1塩基置換によるサイレント変異を導入した変異株 ASGV-G4616C、ASGV-U4631C、ASGV-G4649A を作出した。これらいずれの変異株も野生株とは異なる RNA 二次構造が予測され、病原性およびウイルス複製量は野生株に比べて低下していた。以上の結果から、このステムループ構造がRepの発現に関与していることが示唆された。

ORF1にコードされる Rep 領域の発現様式の解析

ゲノム RNA の二次構造の変化が Rep の翻訳レベルの調節に影響している可能性を検証するため、ゲノム RNA の in vitro 翻訳解析を行った。その結果、ORFの全長に相当するタンパク質に加えて、ステムループ構造の周辺で翻訳を終えた場合とサイズが一致する短いタンパク質のバンドが検出され、ORF1は翻訳の際に、途中に予測されるステムループ構造付近で、何らかの機構により一部翻訳を終止した短いタンパク質を発現することが示唆された。一方、病原性の低下をもたらすサイレント変異を導入したコントラクトでは、ORF全長のタンパク質に対する短いタンパク質の発現レベルは野生株より低下する傾向が見られた。このことより、ASGV の病原性の低下は、ステムループ構造の変化に伴う両タンパク質の発現レベルの変化と相関していると推測された。

ステムループ構造周辺で翻訳が終止する機構を調べる目的で、プロモータ、開始コドン、ステムループ構造周辺配列に続き、3通りのフレームに各々GFP遺伝子を結合したコンストラクトを構築し、植物細胞に導入した結果、開始コドンに対してプラス1フレームに結合したGFPは発現しなかったが、in-frame(±0フレーム)及びマイナス1フレームに結合した GFP の発現が認められた。以上の結果より、ORF1 が翻訳される際、ステムループ構造とその周辺の配列によりある頻度でマイナス1フレームシフトが起こり、その直後のマイナス1フレームの終止コドンで翻訳を終止した短いタンパク質 (transframe protein: TFP) と、フレームシフトせずに翻訳を続けた結果、長いタンパク質 (frame protein: FP) が発現することが示された(図1)。フレームシフト翻訳により翻訳を終止する短いタンパク質が発現する機構は、ウイルスではこれが初めて見出された例である。

ウイルス感染に必要なFPの発現領域の解析と他のウイルスとの進化的関連

ORF1 の翻訳の際、フレームシフトによって発現する TFP は、Rep の保存配列の全てを含むこと、またORF1の3'末端にコードされるCPはサブゲノムRNAから翻訳されることから、ASGV の感染には FP は ORF1 全長の融合タンパク質として翻訳される必要がない可能性がある。 そこで、感染に必要な FP の発現領域を解析した。翻訳されるFPの長さをTFPとほぼ同じになるように0フレームに終止コドンを導入した変異株を作出したところ、この変異株は感染性を消失した。一方、ORF2 と重複する ORF1 領域 に終止コドンを導入した変異株 は、FP が ORF1 全長融合タンパク質として発現しないにもかかわらず感染性を示し弱い病徴を発現した。すなわち、ASGV の感染は TFP のみでは成立しないが、FP は ORF1 全長の融合タンパク質として発現する必要はなく、感染に必須なCPはサブゲノム RNA から発現することが示された。このように終止コドンによって ORF1 が分かれた ORF 構成は、カピロウイルス属と近縁なトリコウイルス属のウイルスに見られ(図2)、 両属の進化的な関連性が示唆された。

以上、本研究において、ASGV にはゲノムの ORF 構造からは予測されない遺伝子の発現機構と病原性の制御機構が存在することを明らかにした

ASGVの遺伝子発現のモデル

カビロウイル変異とトリコウイルのクノム構造の比較

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、9 chaptersから構成され、各chapterの概要は以下の通りである。

イントロダクション

植物ウイルスは、秩序だった遺伝子発現によって宿主特異的な感染から発病に至るまでのプロセスを、実に巧妙に制御している。カピロウイルス属のタイプ種であるリンゴステムグルービングウイルス(Apple stem grooving virus: ASGV)は、ORF1に複製酵素(Rep)と外被タンパク質(CP)、またORF2には移行タンパク質(MP)とプロテアーゼ(Pro)の保存配列が認められるが、各遺伝子発現機構は明らかでない。本研究ではASGVのゲノムにコードされる遺伝子の機能を探るとともに、その発現機構を明らかにすることを目的として行った。

材料と方法

本研究に用いた材料と実験手法について記されている。

CPおよびp36の発現機構の解析

ノーザンブロット解析と変異導入解析を行い、外被タンパク質(CP)およびORF2から発現するp36はASGVの感染に必須なタンパク質であり、それぞれサブゲノムRNAを介して発現することが示された。

p36の機能解析

ORF2に認められるMPとProそれぞれの保存配列にアミノ酸置換を導入した変異ウイルスの病原性を比較したparagraph、MP保存配列の変異株はすべて感染性を消失した。また一方、green fluorescent protein (GFP)との融合タンパク質としてP36を植物細胞に導入・発現させたところ、MPの保存配列に依存して、既知のMPに特徴的な細胞内局在を示し、以上のparagraphより、p36はMPであることが示された。

DNA修復系欠損大腸菌株を用いたウイルスゲノムへのランダム変異導入による新規変異株の作出

遺伝子発現機構をより詳細に調べる目的で、DNA修復系欠損大腸菌株を用いてASGVのゲノム全長へのランダム変異導入を試みた。そのparagraph、病原性を消失した非感染変異株を6株、野生株よりもやや軽微な病徴を発現する弱毒変異株を2株、感染性を示すが病徴を発現しない無病徴変異株を1株単離した。それぞれの変異はゲノム全長にわたりランダムに挿入されており、植物ウイルスに初めて応用した本法は、従来の変異導入法より簡便かつ効率的であると考えられた。

1塩基のサイレント変異による病原性の変化に関する解析

作出された無病徴変異株は、Repの保存配列の直下にあるゲノムの1塩基にサイレント変異を有するのみであり、解析のparagraph、この変異はウイルスゲノムの複製効率に影響することが示された。また、変異部位付近には、この塩基を含む強固なステムループ構造が予測され、Repの発現に関与していることが示唆された。ウイルスゲノムのサイレント変異によって病徴が劇的に変化する現象は、これが初めて見出された例である。

なお、Chapter5は、LuXiaoyun、山次康幸、宇垣正志、難波成任らとの、またChapter6は上記研究者と鍵和田聡との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

ORF1にコードされるRep領域の発現様式の解析

ゲノムRNAのin vitro翻訳解析、また一方でステムループ構造周辺配列に続き翻訳フレームを違えてGFP遺伝子を結合したコンストラクトの構築と植物細胞における発現解析を行った。そのparagraph、ORF1が翻訳される際、ステムループ構造とその周辺の配列によりある頻度でマイナス1フレームシフトが起こり、その直後の終止コドンで翻訳を終止した短いタンパク質(trans frame protein: TFP)と、フレームシフトせずに翻訳を続けた長いタンパク質(frame protein: FP)が発現することが示された。フレームシフト翻訳により翻訳を終止する短いタンパク質が発現する機構は、ウイルスではこれが初めて見出された例である。

ウイルス感染に必要なFPの発現領域の解析

ORF1の途中に終止コドンを導入した変異株を複数作出して解析したparagraph、ASGVの感染はTFPのみでは成立しないが、FPはORF1全長の融合タンパク質として発現する必要はなく、感染に必須なCPはサブゲノムRNAから発現することが示された。

考察

ORF1に終止コドンを導入したparagraph、Rep領域とCP領域が分かれたORFの構成は、カピロウイルス属と近縁なトリコウイルス属のウイルスに見られる。本研究では、ASGVの遺伝子の機能と発現機構に関して明らかにしたparagraph、両属の進化的な関連性が示唆された。

以上の知見は、植物ウイルス学のみならず広くウイルス学に貢献するものであり、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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