学位論文要旨



No 119498
著者(漢字) 松村,直人
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,ナオト
標題(和) 成体の大脳新皮質に存在するネスチン陽性細胞の分化特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 119498
報告番号 甲19498
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第46号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 助教授 後藤,由季子
内容要旨 要旨を表示する

序論

現在、日本が抱える社会問題の1つに、少子高齢化問題があげられる。これからの将来、増えることが予測される老人病には、脳血管障害やアルツハイマー病など、脳回路の傷害を伴う疾患が多く含まれる。障害を受けてしまった脳回路の回復のためにはニューロンの再生が有効な手段となるが、健常時の大人の脳paragraphにおいてはニューロン新生が起こっている領域は、いくつかの特殊なケースを除けば、海馬歯状回と嗅球に限られている。また、脳血管障害やアルツハイマー病などの神経疾患において、大脳新皮質領域で自然治癒的なニューロンの再生が起こっているかどうかは依然として不明である。このため、現在の神経疾患に対する再生医療の手段としては、神経幹細胞を移植することによって、損傷を受けた中枢神経系の領域のニューロンを補い、治療をすることが一般的な治療手段として試みられている。

しかし、神経幹細胞の移植という治療法には、解決しなければならない多くの問題が存在する。それらの問題とは、移植細胞に対して自己免疫を起こすという点、移植した神経幹細胞のニューロンへの分化誘導が困難であるという点、外科的手術による患者への負担が大きいという点、流産した胎児より神経幹細胞を得る手段に対する倫理面の解決という点、ホストとドナーの細胞が統合し、適した神経回路を形成して、機能することできうるのかという点、などである。このように数多くの問題を抱える移植治療に対し、これらの問題を回避するための治療法を開発する必要がある。我々は、その治療法として、脳組織にparagraph在している神経幹細胞を賦活化することにより、ニューロンを再生させることができれば、上記の問題を回避することが可能となると考えた。本研究では、移植に対するもう一つの再生医療の手段となるであろう、paragraph在性神経幹細胞の賦活化ということについて、成体の大脳新皮質において可能であるかを検証するための実験を行った。そして最近、当研究室において、この大脳新皮質領域に、神経幹細胞マーカーの一つであるネスチンタンパク質を発現している細胞が存在しているということが示された。ネスチンタンパク質は、成体の側脳室や海馬歯状回に存在する神経幹細胞にも発現している有効な神経幹細胞マーカーである。これは、成体の大脳新皮質領域においても、神経幹細胞としての性質を保持している細胞が存在しているのではないか、ということを示唆させる結果である。このネスチン陽性細胞がニューロンへの分化機構を保持していれば、paragraph在性の神経幹細胞の賦活化による神経疾患の治療に用いることが可能となるのではないかと期待される。

本研究では、ネスチンタンパク質を神経幹細胞のマーカーとして選定し、成体の大脳新皮質領域にparagraph在するネスチン陽性細胞を分離し、培養系においてその性質を調査することで、この細胞がどのような分化特性を有しているかについて検証した。また、将来的に、大脳新皮質にparagraph在する神経幹細胞を活用し、当部位の神経回路の再生を実現するためには、その領域にparagraph在する前駆細胞のニューロンへの分化誘導が必要である。そのため、発達期の脳において発現がみられ、ニューロンの分化に関わる転写因子であるニューラルbHLHを導入することにより、ニューロン分化が誘導されるかを調べた。

成体マウス大脳皮質の灰白質領域からの神経幹細胞群の分離法の開発

これまで、成体の大脳皮質領域より分離した神経系前駆細胞が、ニューロンへの分化機構を保持していることか示されている(Palmer et al., 1999; Nunes et al., 2003)。しかし、これらの実験系は、どちらも白質を含む実験系であるため、灰白質においてニューロン分化機構を保持している細胞が存在しているのかは不明である。アルツハイマー病や虚血により損傷を受ける領域は、主に表層の灰白質領域であるため、灰白質領域において、ニューロンへの分化機構を保持する細胞の存在を確認することが重要である。そこで、我々は、灰白質領域のみを分離し、その領域にparagraph在する神経系前駆細胞を解析するため、新たな解剖法の開発を試みた。そして、今まで使われていた既存法と、我々が新たに開発した改良法を用い、大脳新皮質領域を分離し、回収された神経系前駆細胞を培養し、細胞の性質を比較することにより、正確性の確認を行った。

その結果、既存法では、ニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトがそれぞれ多数存在していることから、白質領域の細胞および、側脳室の神経幹細胞が混入している可能性が示唆された。そのため、側脳室より分離した神経幹細胞を、同様の培養法で培養し、分化後の細胞の性質を調査した。この結果、同様に多くのニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトが分化誘導されることが確認された。これら結果から、既存法を用いた実験系に確認されたニューロンやアストロサイトは、白質領域の細胞および、側脳室の神経幹細胞が混入した可能性が考えられる。新たに開発された改良法では、多くの細胞が成熟したオリゴデンドロサイトへと分化していることが確認された。ニューロンとアストロサイトへ分化している細胞はごくわずかしか存在していなかった。この改良法における分化後の細胞の性質は、すでに報告されている成体ラット皮質領域の分裂細胞の性質と同様に(Levinson et al., 1999)、多くの細胞がオリゴデンドロサイトへと分化していることから、正確に灰白質領域が切り取られたと考えられる。

ネスチン陽性細胞の増殖特性

成体の脳paragraphにおいて、神経幹細胞としての性質である自己増殖能と多分化能を保持している細胞は、側脳室と海馬歯状回のみに存在している。しかし最近、当研究室において、成体の大脳新皮質領域に、神経幹細胞のマーカーであるネスチン陽性細胞が存在していることが明らかとなった。大脳新皮質領域のネスチン陽性細胞が、他の領域の神経幹細胞と同様の性質を保持していることが明らかとなれば、大脳新皮質領域のparagraph在性の細胞を用いた再生医療という点で、有用な結果となる。そのため、本章では、第一章で確立した解剖法を用い、大脳新皮質の灰白質領域に存在する神経幹細胞群を分離、回収し、培養系において、ネスチン陽性細胞の自己増殖能を調査した。

培養中、BrdUを固定前の3日間添加し、免疫染色を行った結果、増殖している細胞に対するネスチン陽性細胞の割合は77%であった。これは、増殖能を保持している細胞の多くがネスチン陽性細胞であることを示す結果となった。さらに、これらのネスチン陽性細胞がどのような細胞的特質を保持しているかを確かめた。その結果、67%のネスチン陽性細胞がNG2を発現していた。そのため、多くのネスチン陽性細胞がオリゴデンドロサイト前駆細胞としての性質を保持していることが示された。

ネスチン陽性細胞の分化特性

健常体における成体の大脳新皮質領域において、ニューロン新生は起こらないとされている。本章では、成体の大脳新皮質の灰白質領域より分離したネスチン陽性細胞が、ニューロンへの分化機構を保持しているかを調査した。

その結果、分化誘導後の各々の細胞の割合は、ニューロンマーカーであるTuj-1を発現している細胞が19.3%、MAP2が8.6%、アストロサイトマーカーであるGFAPが3.5%、オリゴデンドロサイトマーカーであるO1が60.5%であり、オリゴデンドロサイトとしての性質を示す細胞が最も高い割合を占めた。また、分化誘導後に生じたニューロンは、確かにネスチン陽性細胞から分化したのか確かめるため、分化誘導初期の細胞を固定し、ネスチンタンパク質および初期のニューロンマーカーであるTuj-1を用いて、免疫染色を行った。その結果、Tuj-1を発現しているネスチン陽性細胞を確認することかできた。これは、ネスチン陽性細胞よりニューロンへ分化している過程と考えられる。

培養系においてニューロン分化機構を保持している細胞の存在が示された。しかし、現在、成体の大脳新皮質領域において、ニューロン新生は起こらないとされている。このため、組織paragraphでは、このニューロン分化機構が、何らかの原因で抑制されていると考えられる。このため、神経幹細胞がニューロンへ分化する際に発現がみられるニューラルbHLH転写因子を導入することによって、ニューロン分化機構を活性化することができるかどうかを調べた。そのため、分離した神経幹細胞群へ、レトロウイルスベクターを用いニューラルbHLHであるMash1、NeuroD1、Neurogenin1を導入した。

この結果、Mash1、NeuroD1を導入した細胞に対して、50%以上の細胞がMAP2陽性であり、細胞paragraphに保持されていたニューロン分化機構が活性化されたと考えられる。これは、発達期におけるニューロン分化機構が、成体脳の細胞にも保存されていることを示唆する結果となった。次に、ニューラルbHLHを導入した細胞が、ニューロンとしての電気生理的性質を保持しているかを確かめるため、パッチクランプを行った。

この結果、NeuroD1を導入した細胞において、幼若なニューロンにみられるナトリウムカレントがみられ、形態的なニューロン分化だけでなく、電気生理的な性質も獲得している事が示された。これらの結果は、組織paragraphでニューロン分化機構を保持している細胞をターゲットとし、ニューラルbHLH転写因子を活性化させる処置を施すことによって、大脳新皮質領域でのニューロンの再生を実現できる可能性を見出せる結果となった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章は成体マウス大脳新皮質の灰白質領域のみを分離する解剖法、第2章は灰白質領域に存在するネスチン陽性細胞の細胞特性、第3章はネスチン陽性細胞の分化特性について述べられている。

第1章については、ニューロンへの分化機構を保持している細胞が存在しているか未だ明らかではない、灰白質領域を解析するために必要な解剖法を開発している。方法として、今まで使用されていた既存法と、新たに開発した解剖法を用い、両解剖法を比較することによって、正確に大脳新皮質の灰白質領域を分離することができているかを検証している。その結果、既存法においては、灰白質領域以外の細胞の混入と考えられる多くのアストロサイトが存在していることを示している。一方、改良法においては、以前に報告された、成体ラットの皮質領域の分裂細胞の性質と同様に、多くの細胞がオリゴデンドロサイトへと分化していることを示している。このため、改良法は、正確に灰白質領域のみを分離する解剖法であること示した。現在、白質領域においては、多分化能を有する細胞が存在することが示されているが、神経疾患による障害は、主にニューロンが存在している灰白質領域である。このため、白質の混入を避けられる、本論文の新たな解剖法は、灰白質領域に存在する細胞の解析に有効な解剖法であるといえる。

第2章については、成体の大脳新皮質領域に、神経幹細胞の有効なマーカーの1つである、ネスチンタンパク質を発現している細胞が存在していることに注目し、その細胞の性質について研究している。ネスチンタンパク質は、性質上、細胞の分化後にその発現が著しく減少してしまうことがわかっている。そのため、組織内に散在しているネスチン陽性細胞を、パーコール密度勾配遠心法を用いることによって回収し、培養系において性質を調査している。その結果、大脳新皮質の灰白質領域に存在しているネスチン陽性細胞は、増殖能を保持していることを明らかにした。また、多くのネスチン陽性細胞は、オリゴデンドロサイトの前駆細胞のマーカーとして用いられているNG2を発現しており、側脳室領域に存在しているネスチン陽性細胞とは、異なる性質を保持していることを示した。大脳新皮質に存在しているネスチン陽性細胞については、まったくその性質が明らかではなかった。そのため、本研究は、脳内に存在しているネスチン陽性細胞の性質を理解するうえで、有益な結果であると判断される。

第3章については、ネスチン陽性細胞の分化特性について、特にニューロン分化に焦点を絞り研究している。その結果、大脳新皮質の灰白質領域より分離した細胞において、ニューロンへの分化機構を保持している細胞が存在していることを示した。増殖中のネスチン陽性細胞において、ニューロンマーカーであるTuj-1を発現している細胞が一部確認されたことから、ニューロン分化機構を保持している細胞の少なくとも一部は、ネスチン陽性細胞である可能性を示している。一方、現在、成体の大脳新皮質領域において、ニューロン新生は起こらないとされている。このため、組織内では、このニューロン分化機構が、何らかの原因で抑制されているのではないかと考え、次の実験において、神経幹細胞がニューロンへ分化する際に発現がみられるニューラルbHLH転写因子を導入することによって、ニューロン分化機構を活性化することができるかどうかを検証している。この結果、ニューラルbHLH転写因子であるMash1、NeuroD1を導入した細胞に対して、ニューロンへの分化誘導が活性化されていることを示した。また、ニューラルbHLHの導入により、ニューロン分化機構が活性化された細胞において、ニューロンとしての電気生理的性質を保持しているかを検証するため、パッチクランプ法を行っている。この結果、NeuroD1を導入した細胞において、ニューロンにみられるナトリウムカレントが確認され、形態的なニューロン分化だけでなく、電気生理的な性質も獲得している事が示された。よって、これらの結果から、組織内でニューロン分化機構を保持している細胞をターゲットとし、ニューラルbHLH転写因子を活性化させる処置を施すことが可能となれば、大脳新皮質領域でのニューロンの再生を実現できる可能性を見出した。これらの研究は、神経疾患に対する新たな再生医療手段として、将来期待できる結果を示したと判断できる。したがって、論文提出者は、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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