学位論文要旨



No 119503
著者(漢字) 中野,裕昭
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,ヒロアキ
標題(和) 有柄ウミユリ類トリノアシを用いた棘皮動物の体制進化に関する研究
標題(洋) Studies on the Evolution of the Echinoderm Body Plan Using the Stalked Crinoid Metacrinus rotundus
報告番号 119503
報告番号 甲19503
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第51号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 助教授 青木,不学
 東京大学 講師 尾田,正二
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨 要旨を表示する

序論

外胚葉、中胚葉、内胚葉の3つの胚葉をもつ三胚葉性の動物は、環形動物、節足動物、軟体動物などを含む旧口動物と、棘皮動物、半索動物、脊索動物(我々ヒトなどの脊椎動物を含む)を主要な門とする新口動物と大きく2つにわけられる。この三胚葉性動物の成体のほとんどが左右相称な体制をもち、頭部に中枢化した神経系をもつ。しかし、ウニ、ヒトデ、などを含む棘皮動物は例外的に5放射相称で、頭部をもたないなど特異な体制をもち、その体制の進化過程は未解明である。棘皮動物も幼生の時期は左右相称であり、変態を経て5放射相称の成体になる。この個体発生過程を研究することで、棘皮動物や新口動物の体制の進化過程を解明できる可能性がある。

現生の棘皮動物はナマコ、ウニ、ヒトデ、クモヒトデの4綱を含む遊在類とウミユリ綱1綱の有柄類からなり、その5綱のうちウミユリ綱がもっとも祖先的である。そのウミユリ綱は有柄ウミユリ類とウミシダ類とに分類され、有柄ウミユリ類が原始的であることも化石記録や分子系統解析から知られている。よって、有柄ウミユリ類は現生でもっとも原始的な棘皮動物であり、系統的に棘皮動物・新口動物の体制進化過程を解明する上で非常に重要な動物である。彼らは深海性であるために採集・飼育が困難であり生きた個体の研究はほとんどないが、日本の太平洋岸では有柄ウミユリ類トリノアシ Metacrinus rotundus が比較的浅い海に棲息し、私の研究室では以前より水槽での長期飼育に成功していた。私はこのトリノアシを用いて、世界で初めて有柄ウミユリ類の発生の観察に成功したので、第1部ではそれを記載し、その結果から棘皮動物の幼生型の進化について考察する。第2部ではトリノアシを含む棘皮動物3種で個体発生過程における神経系の形成過程を調べ、棘皮動物・新口動物の体制、神経系の進化について得た新たな知見を報告する。第3部ではトリノアシの茎部の再生能力を検証し、反口神経節の重要性を報告するとともに、ウミシダ類の進化について考察する。そして、結論では全3部で得られた結果、知見をまとめ、トリノアシでの実験に基づいてウミシダ類、棘皮動物、新口動物の体制、生活史の進化について考察する。

棘皮動物有柄ウミユリ類トリノアシ Metacrinus rotundus の発生

8〜9月に採集してきた個体から自然放卵・放精が確認された。未受精卵は直径約350μm、黄色、不透明で、海水に浮く。受精膜の形成によって受精が確認された。卵割は全等割である。12℃で飼育すると第一卵割は受精後2.5時間で起こり、以後1時間に1回の割合で卵割が起こる。受精後24時間で釣り鐘状の原腸胚になるが、次第に原口は閉じていく。受精38時間後には孵化する。幼生には繊毛帯が徐々に形成され、3.5日後にはディプリュールラ型幼生の特徴である一筆書き様の繊毛帯を有するオーリクラリア型幼生になる(図1A, B)。6日後から融合、分断、伸長などの繊毛帯の再編成がおこり、4本の環状繊毛帯をもつドリオラリア幼生へと変わる(図1C, D)。10日後からは着底が始まる。着底後、繊毛帯は消失し、幼生は球形になる。その後、ウミシダ類と比べ非常にゆっくりとした速度で茎部が伸長する。

現生の棘皮動物で最も祖先的であるとされる有柄ウミユリ類は、ディプリュールラ型幼生であるオーリクラリア型幼生からドリオラリア幼生へと変化する発生過程をとった。この結果は、棘皮動物と半索動物の共通祖先がディプリュールラ型幼生を有していたとするE. Metschnikoff の仮説に実験的支持を与えた。また、このディプリュールラ型幼生からドリオラリア幼生を経る発生過程は一部のナマコ類やクモヒトデ類と一致することから、私はこの発生様式が棘皮動物にとって祖先的であると提唱する。ウニ綱とヒトデ網ではドリオラリア幼生が削除され、ウミシダ類ではディプリュールラ型幼生が削除されたと考えられる。そして、これまで収斂によって生じたとされていたナマコ綱、クモヒトデ綱、ウミユリ綱のドリオラリア幼生は相同であるとみなされる。

トリノアシ (Metacrinus rotundus) 及び他の棘皮動物の個体発生過程における神経系の形成

棘皮動物の成体は5放射相称で、その神経系も5放射相称であるが、幼生の時期は体制、神経系ともに左右相称である。左右相称の神経系からどのように5放射相称の成体型の神経系が生じるかについてはほとんど報告がないが、この神経形成過程を研究することで、棘皮動物の5放射相称な体制の系統発生過程について新たな知見が得られることが期待される。私はそのことを目的として、有柄ウミユリ類トリノアシ M. rotundus、ウミユリ綱に属するウミシダ類のニッポンウミシダ Oxycomanthus japonicus、及び棘皮動物で有柄ウミユリ類同様オーリクラリア幼生とドリオラリア幼生両方を経る発生様式をもつナマコ綱のマナマコ Stichopus japonicus について、個体発生過程における神経形成過程を、複数の神経抗体を用いて観察した。

M. rotundus では初期オーリクラリア幼生期から前方で神経細胞が確認され、徐々にその数が増加していく。ドリオラリア幼生になると前方表皮の基部側によく発達した幼生神経節とそこから後方に伸びる神経繊維が確認された。また、ドリオラリア幼生期には神経網が体表全体に出現したが、着底間近になるとみられなくなった(図2A, B)。

O. japonicus の神経形成は繊毛帯形成期、及びドリオラリア幼生では M. rotundus と同様なパターンが見られたが、表皮の神経網は確認されなかった。幼生が着底し、シスチヂアン、ペンタクリノイドと発生していくにしたがって幼生神経系は消失し、成体の神経系はそれとは独立に形成された(図2C)。

S. japonicus ではオーリクラリア幼生期に繊毛帯に沿って神経の分布が確認された(図2D)。ドリオラリア幼生への変遷において神経系は繊毛帯とともに著しくその配置を変化させるが、断片化は起こらなかった。ドリオラリア幼生でも繊毛環にそって神経系があるものの、オーリクラリア幼生の特徴を強く残した(図2E)。これらの幼生神経系は、稚ナマコになる頃には消失し、成体神経系はそれとは独立にドリオラリア幼生の内部で形成が始まる(図2F)。

有柄ウミユリ類と同じ綱のウミシダ類、同じ発生様式を示すナマコ綱双方において、幼生の神経系が成体の神経系に取り込まれることはなかった。このことは、棘皮動物共通祖先でも幼生神経が成体神経に取り込まれなかったことを示唆する。また、トリノアシのドリオラリア幼生の表皮で見られた神経網は半索動物等の成体で見られる表皮の神経網と相同な可能性が考えられ、新口動物全体の体制進化を考察する上で重要な指標となる。

トリノアシ (Metacrinus rotundus) の茎部の再生

有柄ウミユリ類の冠部の再生能力については以前に報告があったが、茎部についてはなかった。茎部は棘皮動物の原始的な形質とされており、同門内での体制の進化を考える上で重要であると考えられる。本実験では、冠部の直下で茎部を切り落とした個体でも茎部が再生できることが判明した(図3)。再生過程は基本的には茎部の成長過程と類似していたが、再生された茎部の形態が通常のものと異なる点もあったので、私はこの過程を「再成長 (regrowth)」と名付けた。再成長過程では巻枝の成長が通常よりも早かった。

茎部の再成長では巻枝の成長が加速されたことから、有柄ウミユリ類の生存における巻枝の重要性がホされた。そして、有柄ウミユリ類の茎部の成長過程の各段階が明らかになったことから、ウミシダ類は系統発生過程において茎部の成長が、ある段階で停止してしまう変異によって生じたことが示唆された。また、冠部の最も下にある址板が茎部の成長、再成長に重要であることが示された。冠部の再生にも址板が重要であり、址板内の反口神経節が有柄ウミユリ類の体制の維持に必須であると考えられ、遊在類はその神経節を放棄することで、ウニ、ヒトデ、ナマコなど多種多様な体制への進化が可能になったと考えられる。

結論

現生でもっとも原始的な棘皮動物である有柄ウミユリ類の発生過程の観察に成功した。彼らはディプリュールラ型幼生であるオーリクラリア型幼生からドリオラリア幼生へと変化する発生過程をとった。

トリノアシのドリオラリア幼生は表皮に神経網を有する。

系統的に祖先的であるウミユリ綱と、祖先的な発生様式を残すナマコ綱の両方で幼生神経が成体神経に取り込まれることは観察されなかった。

トリノアシの茎部の各成長段階が判明し、有柄ウミユリ類の体制維持には反口神経節は重要であることが示された。

このように本研究では棘皮動物・新口動物の進化に関する新たな知見が多く得られた。以上の結果・考察と過去の報告を総合すると以下の仮説が考えられる(図4)。

新口動物の共通祖先はディプリュールラ型幼生を有し、変態を経て、左右相称で体表に神経網をもつ底生性の成体になる。棘皮動物ではこの成体のあとに、固着性で放射相称な体制をもつ成体が2次的に付加され、共通祖先の成体はドリオラリア幼生へと変化した。

本仮説は、トリノアシがディプリュールラ型幼生からドリオラリア幼生を経ること、及びそのドリオラリア幼生が体表神経網を有することなど、本研究によって得られた新知見に基づいている。そして、棘皮動物のドリオラリア幼生は新口動物共通祖先の成体由来であるとする、棘皮動物、新口動物の進化研究においてこれまであまり考慮されてこなかった視点を提示する新たなものである。

有柄ウミユリ類トリノアシの幼生 A, B: 受精後3. 5日のオーリクラリア型幼生。A:腹側、B:背側。ディプリュールラ型幼生の特徴である一筆書き様の繊毛帯が確認できる。C, D:受精後10日目のドリオラリア幼生。C:腹側。D:背側。4本の環状繊毛帯をもつ。Bor: 100cm

棘皮動物における神経発生。A, B : トリノアシ。A : 中期ドリオラリア幼生。前方に神経節、体表に神経綱が確認できる。B : 後期ドリオラリア幼生。神経綱が退化している。C : ニッポンウミダ。着底1日後のシスティジアン期。幼生の前方にあった神経節が着底点近くにある。成体の茎部神経が冠部から伸長している。D-F : マナマコ。D :オーリクラリア幼生。繊毛帯にそって神経が存在。E :ドリオラリア幼生。繊毛環にそって神経が存在。F : 稚ナマコ成体神経系が形成されている。

トリノアシの茎部再生系 A : トリノアシ成体。B : トリノアシ成体の模式図。体は冠部 (crown) と茎部 (stalk) に分けられる。茎部は茎板がつらなってできており、茎板には巻枝 (c) の生えている節板 (n) と生えていない節間板 (in) とがある。茎部は、冠部のもっとき下にある址板 (bp) から新たな節板が出現し、その間に節間板が2次的に生じることで成長する。址板内部には反口神経節 (anc) が発達しており、そこから茎部には茎部神経 (sn) が伸長し、冠部の神経ともつながっている。C-F : 茎部の再生系。矢尻:址板:Bar : 1cm。C : 茎部を完全に切り落とした直後の個体。D : Cと同個体、189日後。址板から新たな節板(矢印)が生じた。E : 約5mmほど残して茎部を切り落とした個体。矢印;残っている茎部。F : Eと同個体、87日後。残っていた節板の間には節間板が形成され、址板からは新たな節板(矢印)が生じている。

新口動物の進化に関する仮説。Xのついた発生ステージは体表に神経綱を有することを表す。新口動物の共通祖先はディプリュールラ型幼生を有し、変態を経て、左右相称で体表に神経綱をもつ底生性の成体になる。棘皮動物ではこの成体のあとに、固着性で放射相称な体制をもつ成体が2次的に付加され、元来の成体はドリオラリア幼生へと変化した。トリノアシのドリオラリア幼生の体表の神経綱は半索動物等の成体の体表神経綱と相同であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章は練皮動物有柄ウミユリ類トリノアシの個体発生、第2章はトリノアシ、及び他の棘皮動物の個体発生過程や変態期における神経系の形成・再編成過程、第3章はトリノアシの茎部再生系について述べられている。

第1章では、有柄ウミユリ類の一種、トリノアシの人工受精と発生過程の記載が行われた。有柄ウミユリ類は現生の棘皮動物の中で最も早く共通祖先から分岐し、最もよく祖先的形質が保存されているとされる。このことから、有柄ウミユリ類は棘皮動物や(脊索動物・半索動物・棘皮動物の3門からなる)新口動物全体の起源をさぐる上で重要な生き物であると考えられ、その発生過程の観察は18世紀末に有柄ウミユリ類の現生種が初めて報告されて以来、進化生物学、発生生物学の上で長い間の宿題となっていたテーマであった。本研究の結果、有柄ウミユリ類はディプリュールラ型幼生からドリオラリア幼生へと変わる発生様式を持っていることが明らかになり、棘皮動物の共通祖先もこの発生様式を有していたことが支持された。また、半索動物・棘皮動物の共通祖先がディプリュールラ型幼生を有していたという仮説が19世紀末に提唱されたが、現生で最も祖先的であるウミユリ綱からはそのディプリュールラ型幼生がみつかっていないという問題点があった。本研究はこの問題点を解決し、この仮説に実験的支持を与えた。

第2章では、トリノアシを含む複数の棘皮動物種において個体発生過程における神経系形成過程、再編成過程が調べられた。神経系は体制を考える上で基本となる構造であるので、棘皮動物の体制進化を考える上で重要なマーカーとなる。本研究ではトリノアシ、トリノアシと同じウミユリ綱に属するウミシダ類のニッポンウミシダ、有柄ウミユリ類と同様の発生様式をもつナマコ綱のマナマコの計3種において、個体発生過程における神経形成過程を複数の神経抗体を用いて観察、記載した。その結果、ウミシダ類、ナマコ綱双方において、幼生神経系が成体神経系に取り込まれないことが明らかになった。このことは棘皮動物共通祖先でも幼生神経系が成体神経系に取り込まれなかったこと、そして、系統発生上この2つの神経系は独立に獲得されたことを示唆する。また、トリノアシのドリオラリア幼生には上皮内神経網が確認された。この構造は半索動物等の成体の上皮内神経網と相同な可能性が考えられ、新口動物全体の体制進化を考察する上で重要な指標となる。そして、マナマコの成体神経系はその形成過程において5放射相称ではない時期を経ることが観察され、このことは、棘皮動物の5放射相称性獲得過程において、系統発生上このような時期を経たことを示唆する。

第3章では、トリノアシの茎部再生能力について調べられた。茎部は棘皮動物の祖先的な形質とされており、同門内での体制の進化を考える上で重要であると考えられるが、その再生能力についての報告はこれまでなかった。本研究では冠部の直下で茎部を切り落とした個体でも茎部が再生できることが判明した。この再生には茎部形成プログラムの新たな活性化が不必要であると考えられるので、特殊な再生であることを示すために「再成長」と名付けられた。そして、有柄ウミユリ類の茎部の成長過程の各段階が明らかになったことから、ウミシダ類は系統発生過程において茎部の成長が、ある段階で停止してしまう変異によって生じたことが示唆された。また、冠部の最も下にある址板が茎部の成長、再成長に重要であることが示された。冠部の再生にも址板が重要であること、及びウミユリ綱の再生には神経系が重要であることから、址板内の反口神経節が茎部の成長など有柄ウミユリ類の体制の維持に必須であることが示唆され、遊在類はその神経節を放棄することで、ウニ、ヒトデ、ナマコなど多種多様な体制への進化が可能になったと考えられる。

以上各章で得られた知見により、有柄ウミユリ類からウミシダ類への進化過程ではディプリュールラ型幼生が削除され、茎部成長プログラムの変異によって茎部を欠失したことが示唆された。また、棘皮動物の共通祖先はディプリュールラ型幼生からドリオラリア幼生へと変わる発生様式を有し、各綱の進化過程で幼生の削除が多く起こったことが支持された。そして、棘皮動物のドリオラリア幼生が新口動物全体の共通祖先の成体段階から派生してきたという仮説が提唱された。この仮説は棘皮動物、新口動物の進化研究においてこれまであまり考慮されてこなかった視点を提示する新たなものである。

なお、本論文第1章、及び第3章は日比野拓、原祐子、大路樹生、雨宮昭南との、第2章は中島陽子、雨宮昭南との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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