学位論文要旨



No 119504
著者(漢字) 大越,美香
著者(英字)
著者(カナ) オオゴシ,ミカ
標題(和) 子ども時代の自然体験と動植物の認識に関する研究
標題(洋) Study on relationship between experience in nature and recognition of animals and plants in childhood
報告番号 119504
報告番号 甲19504
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第52号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊谷,洋一
 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 助教授 春山,成子
 東京大学 助教授 斉藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

序章

背景と目的

子ども時代の遊び等を通した自然体験は,自然を理解し,感性の発達に寄与すると野外教育・環境教育の分野などで言われている.しかし子ども時代の体験がどう記憶され,自然の認識に影響を与えているのかは明らかになされていない.そこで本研究では現在の大人が子ども時代に体験した自然遊びと生活文化,それに関わる動植物の記憶に着目し,(1)自然遊びの特徴をとらえ、その変化の要因を自然環境・社会環境との関連から捉え,(2)子どもの自然体験と動植物の認識(存在に認識・空間認識・季節の認識)との関係を明らかにし,以上2点から自然遊びの特徴と,子ども時代の自然体験が自然認識に及ぼす影響をとらえることを目的とした.さらに本研究では,調査方法に児童の参加機会を取り入れることによって,環境教育プログラムの構築も試みた.

調査対象地

対象地は茨城県霞ヶ浦流域にある2地域で,水辺地域として潮来市南部(以下,潮来),里山地域として鉾田町南部と小川町の一部(以下,鉾田)である.選定理由は,この2地域は昔からの集落が比較的残り,3世代が同居する家庭も多く,両地域とも自然の保全・復元,環境教育等を行っている市民団体・NPO団体が活動しており,児童による聞き取り調査も実施可能であっためである。

調査の方法

社会環境・自然環境の基本調査

地形図による土地利用判読.文献調査(町史,センサス等の統計資料など)

児童による聞き取り調査

児童が両親や祖父母に対して,質問用紙を利用しながらインタビューをするという方法である.参加児童は潮来246人・鉾田152人,聞き取り対象者は潮来224人・鉾田214人である.質問用紙の内容は,生誕年,出身地,性別等の属性,自然環境の変化のほか,(1)それぞれの空間(林・草原・水辺)別に季節ごとの「遊び」について,(2)季節別の動植物の利用に関する生活文化について,(3)当時生育していた植物・動物を空間ごとに問うものである.

カタログ調査

動植物の写真をまとめた冊子状のカタログを作成した。50代以上の現地出身在住の人にカタログを見せ,子ども当時のその動植物の生育の有無,写真の動植物を利用した遊びと季節,生活文化などについて訊ねた (潮来21人,鉾田9人).写真に用いた動植物は,潮来では水辺の植物と魚貝類,鉾田では野山の植物と昆虫類,鳥類,魚貝類の写真を用いて行なった.

児童に対するアンケート調査

児童の聞き取り調査は潮来が質問シート作成のための予備調査,鉾田が事前・事後授業を含めた一連のプログラムを行なう実施調査の位置づけである.聞き取り調査参加児童に対しては,調査を行なった感想(潮来・鉾田)のほか,鉾田のみ児童の動植物の認識・普段の外遊びに関するアンケート調査を行った.

自然環境と社会環境の変遷

文献調査および土地利用の変化から自然環境および自然環境の変化の要因となった社会環境の変遷について時系列的にまとめた。その結果,潮来地域の水辺を中心とした自然環境の変化の要因には、主に洪水の被害を防ぐための公共工事による護岸の変化、川の干拓による農業用地の確保、ベットタウン建設による人口増加と農薬や化学肥料による水質の悪化が深く関係していた。遊び空間に最も大きな影響を与えたのは、1960年代以降に行われた土地改良事業によるえんまの埋め立てである。それに追い打ちをかけた水質汚染は1960年代後半から急激に進み、1970年代には水質(COD)最悪を記録するまでになった。従って、潮来地域では、1960年代以降に生まれた人は、これらの影響を受けて水辺遊びが貧困化したと考えられる。

鉾田地域では1950年代後半から化石燃料が普及し、化学肥料も広く一般的に使われるようになり、近代化が進んだ。1960年代以降、森林の資源的価値が低下すると、手入れがされなくなった森林は林床にアズマネザサが生い茂り,人々の入り込みを困難にするばかりでなく、明るい林床を好む草本類が減少し松枯れの被害を増大させるなど、森林景観を著しく変化させた。しかしその変化は自然遷移による変化であり,急激には進まなかった。次に、1980年代のバブル経済期に利用価値の少なくなった森林をゴルフ場や住宅地に転用する動きも見られた。それでもなお、鉾田地域には多くの森林や土地改良未整備の谷津田が残っており、従って、鉾田地域の里山は急激ではなく、徐々に変化しており、遊び空間や動植物の減少も緩やかに行われたと考えられる。

遊びと生活文化の変遷

児童の聞き取り調査で得られた遊び,動植物の利用を,被験者の生誕年を5年ごとに区切って整理し,第一章で示された社会・自然環境の変化と合わせ考察した.その結果,動植物を対象とした遊びを見ると,魚貝類の捕獲に関する遊びが水辺遊びに,植物の採集と昆虫の捕獲に関する遊びが里山に多く見られ、それぞれの空間と結びつきの強い遊びが見いだされた。次に、遊びは生活と密着しており、それらの子どもの遊びは,自然環境の変化にともなって衰退したものもあるが,生活文化などの社会環境や,子どもの興味の変化にともなって変化した遊びもみられることが明らかになった。

自然体験と動植物の存在認識

本章では,動植物の存在認識にかかる自然体験を明らかにした。まず児童による聞き取り調査で得られた当時の動植物(認識)と遊び・動植物の利用(体験)の回答を世代ごとに集計した後,魚介類・鳥類・植物類・昆虫類・小中型動物に分けて分析し,体験と認識の関係を外観した.認識された動植物の遊び体験の有無,利用の有無,その他認識要因となりうる特徴(鳴き声,花など)の有無についてまとめ,それらの要素と認識の関係の強さを示した.

次にカタログ調査の会話から動植物の種類ごとに捕獲(採集)の仕方・空間の描写・動植物そのものに対する表現(手触り・味など)を分析することで,動植物の認識と体験の関係の確認を行なった.その結果,魚貝は食体験と捕獲体験が最も認識に関係している。鳥は大型の水鳥が視覚的体験,小型の鳥が捕獲体験や聴覚的体験(鳴き声)だが、視覚的体験だけでは認識が難しい。小・中型動物は出会うという視覚的体験で認識する。昆虫は捕獲体験が認識に最も関連する。害がある昆虫も認識される。植物は水生植物が材料としての利用,その他は採集体験と食体験が最も認識と関連し、花の目立ち等の視覚的体験による認識もやや見られることが明らかになった。

遊びと空間認識

本章では遊びを通した動植物との接触体験と空間認識の関わりについて明らかにした。まず、児童による聞き取り調査で得られた遊びを林・草地・水辺の空間ごとにまとめ、空間ごとの遊びの特徴を把握した。次にカタログ調査で遊び対象となった動植物の生息空間について訊ね,遊びを通した空間認識を分析した。その結果,各空間に特徴的な遊びが抽出され,それは動植物の生息環境と合致し,また遊び対象となる植物や昆虫の生息空間は詳細に認識されているなど,遊びを通した空間認識の強さが示された。

自然体験と季節の認識

本章では,自然体験の季節性がどのように認識されているのかを明らかにした。まず,児童による聞き取り調査で得られた遊びを季節ごとにまとめ、その季節に特徴的な遊びととらえて抽出した.次に,カタログ調査から,動植物の種類ごとに捕獲(採集)した季節の表現方法を分析し,季節の認識と遊びの関連をとらえた。その結果,遊びの中での季節性は植物と昆虫を中心に見られ,植物と昆虫は,それ自体が季節の象徴となっていた.魚貝を対象とした遊びは季節性が顕著ではなく,季節の認識は,遊びで「とる」行為の時期(夏休み等の暦)と気候によっていた。

児童による聞き取り調査の環境教育としての評価

本研究は調査方法に児童による聞き取り調査を導入している.この方法は,「遊び」をキーワードに,児童が従前の地域の自然とその関わりを知り,さらに世代間の交流を促すことをねらいとした学習プログラムとも言える。まず,予備調査(潮来)として質問シートに書かれた児童の感想をまとめ,質問シートの評価を行なった.次に学習プログラムを考案し,実施した(鉾田).実地調査では,当地域の子どもの自然の接触経験,認識経験の実態を把握した後,児童の感想からプログラムが児童に与えた影響を分析し,教材活用のための課題について考察した。その結果,潮来で行なった予備調査から,児童は具体的な場所を示すことで,現在と昔との比較が容易になることがわかった.

鉾田地域における学習プログラムの実施から,児童は聞き取り調査を行なうことによって,その地域の基本的情報を得,自然環境に関心を持ち,分からない動植物について調べることができるが,季節の認識ができない.したがって,自然の理解や認識に繋げるためには,このプログラムを事前学習として行い,次に季節に応じた体験学習をする必要があることが明らかとなった。

本研究の結論

子ども時代の体験や当時の動植物は,予想以上によく記憶されていた.動植物の認識は,視覚だけでなく,食べるという行為とそれにともなう味覚を中心として,捕獲・採集行為,鳴き声を聞く聴覚などとも深く関わっていることが分かった.また,季節の認識も植物や生きものとの関わりと深く関係していた.さらに,子ども時代の遊びを通して,川の構造を具体的に説明することができるなど,空間の特徴をよく記憶しており、自然遊びと空間との結びつきを確認することができた。このように子ども時代の遊びを通した自然体験が,動植物の存在認識,空間認識,季節の認識にどのように影響を与えているのか,その一端を明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、序章終章を含め8章からなり、序章では研究の背景目的・調査対象地・調査研究方法について述べている。

第1章では、調査対象とした茨城県「潮来地域」と「鉾田地域」の2域について、文献調査ならびに土地利用調査を通じて自然環境と社会環境の変遷について分析考察を行っている。その結果、潮来地域の水辺を中心とした自然環境の変化の要因には、洪水防止の公共事業である護岸工事、川の干拓、ベッドタウンの建設による人口増加と農薬や化学肥料による水質の悪化が深く関与していることを、鉾田地域では、1960年以降、森林の資源的価値が低下すると、手入れが放棄され林床にアズマネザサが生い茂り、松枯れが増大するなど森林景観が変化はしたが、その変化は急激でなく数多くの谷津田なども残り里山が残存していることを明らかにしている。

第2章では、児童の聞き取り調査で得られた遊び、動植物の利用を、被験者の生誕年を5年ごとに区切って整理し、1章で明らかにした自然環境社会環境の変化と合わせて考察を加えている。その結果、魚介類の捕獲に関する遊びが水辺地域に、植物の採集と昆虫の捕獲に関する遊びが里山に多くみられ、自然空間と結びつきの強さが明らかにされ、さらに遊びは生活と密着しており、生活文化などの社会環境や子どもの興味の変化とも関係していることを明らかにしている。

第3章では、自然体験と動植物の存在認識との関係の分析を行っている。まず、児童による聞き取り調査結果から、遊びの体験を世代ごとに魚介類、鳥類、植物類、昆虫類、小中型動物に分けて整理し、認識された動植物の遊び体験の有無、利用の有無、認識要因を明らかにしている。さらにカタログ調査を実施した結果から、魚介は食体験と捕獲体験が最も認識と関係しており、鳥類は大型の水鳥が視覚的体験、小型の鳥が捕獲体験や聴覚的体験と関係していること、小中型動物は出会いという視覚的体験、昆虫は捕獲体験、植物は採集体験と食体験と関係していることを明らかにしている。

第4章では、遊びと空間認識について分析を行っている。児童による聞き取り調査から林、草地、水辺空間ごとに遊びの特徴を把握し、カタログ調査から遊びの対象となった動植物の生息空間を明らかにしている。その結果、遊びの対象となる植物や昆虫の生息空間が詳細に認識されていること、魚介は漁法や水への接触などを通して間接的に空間認識されていることを明らかにしている。

第5章では、自然体験と季節認識について分析を進めている。児童による聞き取り調査から得られた遊びを季節ごとに整理し、カタログ調査から季節の認識を把握して両者の関連性を考察している。その結果、遊びの中での季節性は、植物と昆虫それ自体が季節の象徴となっていること、特に花は、他の動植物の採集時期の指標となっていることを明らかにしている。それに対して魚介と季節性の関係は顕著でないことを示している。

第6章では、児童による聞き取り調査そのものの環境教育的評価を行っている。本研究の特徴である児童が両親祖父母に従前の自然環境と遊びについて聞き取るというアンケート調査によって世代間交流を行う環境教育的効果、さらにその結果を参考にした学習プログラムを作成して児童に直接自然との接触体験、認識経験を尋ねる方法によって、学習プログラムそのものの効果について検討している。その結果、児童は聞き取り調査を行うことによって、地域の基本的情報を獲得し、自然環境に興味を持つことが明らかになる一方、自然の理解や認識に繋げるには事前学習だけでなく体験学習が必要なことを明らかにしている。

終章では、研究の結果をまとめ結論を整理している。

以上、本論文は、子どもが両親祖父母にアンケートするという独自で信頼性の高い調査方法によって、自然環境認識の解明を試みており、オリジナリティが高く評価できる。さらに現地調査ならびにカタログ調査を実施して、遊びと空間認識、自然体験と季節認識との関係を明らかにしている。また、環境教育的見地から学習プログラムの検討も試みている。その内容および結果は、自然環境学分野における学術的価値が高く評価できる。また、環境教育分野への応用にも十分貢献するものと考えられる。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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