学位論文要旨



No 119512
著者(漢字) 三村,泰成
著者(英字)
著者(カナ) ミムラ,ヤスナリ
標題(和) グリッド環境における人工物の最適設計に関する研究
標題(洋) Study on Optimum Design of Artifacts on the Grid
報告番号 119512
報告番号 甲19512
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第60号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 助教授 白山,晋
 東京大学 助教授 鈴木,克幸
 東京大学 助教授 奥田,洋司
内容要旨 要旨を表示する

Grid コンピューティング

コンピュータは現代の科学の研究に不可欠であり,大規模計算へのニーズは常に存在する.大規模解析を実現するためのツールの第一候補としてあげられるのは,超並列計算機のような大型計算機である.一方,近年のパーソナルコンピュータとネットワーク技術の性能向上は著しく,複数台のパーソナルコンピュータを接続して1つの並列計算機システムを構築したPCクラスタも登場してきた.上記の2種類の計算機環境は,基本的には単一運用システムであり,LAN内で1つの組織によって管理されるものである.大規模な単一システムは,購入価格が高いだけでなく管理コストも小さくない.PCクラスタは,大型計算機などと較べると安価であり,より一般層に並列計算環境を提供してくれるものではあるが,購入,管理コストは必ずしも安くはない.これに対し最近では,“Grid コンピューティング”と呼ばれる新しい計算機運用モデルが注目されている.これは1つの機関だけで計算資源を独占するのではなく,広い地域に配置された計算資源を結びつけ,広域的に分散/並列計算を行うモデルであり,現在テストベッドを構築・維持するという形で欧米を中心に盛んに研究が推し進められている.これらの研究は Grid 環境の整備が目的であるが,その一方で,どのように実際の科学技術計算へ応用するのかといった応用分野の研究は,まだ数が少ないのが現状である.

工学設計のコンピュータ支援

設計とは,「人間が必要とする機能を1つの人工物(システム)として具体化する過程」と定義でき,この過程は一般的には以下のような手順で行われる.手順1人工物が機能する環境を理解し,目的・要求仕様を把握する.手順2人工物を実現するための技術手段を具体化し,設計案を決定する.手順3得られた設計案の評価を行い,結果が不満足であれば手順2のステップにもどり,他の設計案を探索する.もっとも単純な設計作業では,要求を満足するまで手順2, 3が試行錯誤的に繰り返される.現在では,上記の設計作業をコンピュータで支援することが一般的になっている.例えば,「CAD による設計データの作成,保存」,「数値解析による物理現象の定量的,定性的な評価」,「最適化手法を用いた設計解の探索」など様々な形で利用されている.しかしながら,全ての工程を統一的に自動化することは困難であり,設計における繰り返し作業は,現在でもかなりの部分が手作業で実行されることが多いのが実状である.これは設計という作業が多くの総合的な知識を必要とすることから,1人の人間で仕事を完成させるのが不可能になりつつあるにもかかわらず,速やかに協調することが可能な環境が整えられていないからであると考えられる.CADデータ,最適設計支援環境などの規格統一のニーズは常に強くあるが,各分野や業界で歩調を合わせることがほとんどなく,結果として統一されていない.Grid コンピューティングという新たな計算基盤は,この現状を打破する可能性を有していると考えられる.

本研究の目的と意義

Grid 環境は,複数の組織から提供された計算資源をネットワークで接続し,一つのシステムとして運用する.したがって,一般的に非均質な計算機の集合体であり,障害も発生しやすい不安定な環境と言える.これが応用分野の研究を実現する上で大きなハードルとなっている.しかしながら,もしこの環境で運用できるシステムを実現できれば,本当の意味での人間の協調環境の実現に近づけると考えられる.それゆえ,この環境に最適設計システムを実現することの意義は大きい.そこで本研究では,Grid 環境における最適設計システムを実現すことを目的とする.

Grid 環境を使いこなすためには,以下のような課題を克服する必要がある.

依存性の少ない非同期処理の実現

ロバストかつ効率的な目的達成手法の実現

設計過程には非同期的に分散処理できる作業が多く含まれており,Grid 環境に適した分野の1 つであると考えられる.例えば,事前に設計案を複数用意しておけば,その評価計算は,ほとんどの場合依存性がなく非同期に分散実行できる.実際に Grid 環境で設計支援システムを実現するには,多くの障壁が存在するが,本研究では以下の要件を満たすことで克服する.

要件1:Grid 環境に適した最適化手法の開発要件2:物理現象を把握するための解析ツールの整備要件3:評価計算の非同期実行環境の実現この要件を満たすために以下の研究を行った.

Grid 環境に適した最適化手法の開発

Grid 環境では障害が発生しても安定して最適化計算を継続できる必要がある.遺伝的アルゴリズム (GA) は確率論的手法の1つであり,このような障害に強い手法である.しかしながら,GAは傾斜法などと較べると精度,探索効率が著しく悪いのが一般的である.そこで本研究では,実数値GAの新たな交叉法である2次計画交叉 (QPX) と平滑化スプラインを用いた適応的応答曲面法 (ARSSS) を開発した.そしてテスト関数とトラス構造最適化の解探索の結果を比較することで,傾斜法と同等以上の性能と精度で解探索を実現できることを示した.また,QPXとARSSSを用いた分散計算モデルの検討も行い,評価計算の並列化,母集団の並列化が可能であることも明らかとした.

大規模有限要素解析ツールの整備

最適設計では,設計案の評価を繰り返し行う必要があり,そのためには形状モデルを容易に変更可能な数値解析ツールが必要とされる.本研究では,解析ツールとして大規模有限要素解析システムADVENTUREを使用し,形状モデラには,そのモジュールであるADVENTURE_CADを用いた.CAEソフトウェアは,一般的に高価であり,ソフトウェアを同時並行に利用せねばならない Grid 環境ではライセンスの問題が大きい.ADVENTUREはオープンソースでありこの部分も回避できる.

Grid 環境における最適設計システムの実現

ここでは,2つの Grid 環境,マルチクラスタ環境とITBL環境の上に最適設計システムの構築を試みる.評価計算の並列化を考える.最適化エンジンは評価計算の遠隔呼出しを並行に実行する必要があり,なおかつ,エラー処理を同時並行に実行する必要がある.それゆえ同時並行に評価計算を遠隔実行し,監視する thread をPOSIX Thread を用いて実装した.また,これを独自に実装することで,多様な遠隔呼出しルールに対応可能である.上記の非同期処理は非常に複雑になるので,APIを統一し,容易に利用可能なフレームワークも構築した.

マルチクラスタ環境での評価計算の遠隔呼出しには,GridRPC システムであるNinfを用いて実装し,ITBL環境では,thread がジョブマネージャへのジョブ投入,結果の回収を管理する形態で実装した.そしてコネクティングロッドの最適設計問題を解くことでその性能を検討した.

さらに「母集団の分散化」への検討も行い,複数の最適化エンジンがサンプル点を交換しながら協調計算を行う非同期分散並列計算モデルを提案した.

階層型分散最適設計の提案

上述では評価計算に関しては,1つの解析モデルとして取り扱っている.設計対象によっては,解析問題を分割することができ,評価計算自体を分散処理できる.例えば,多くの物理現象を考慮する場合には,解析を複数同時に実行できるし,アセンブリ構造の機械では部品を別々に解析できたりなどである.ここでは,全体解析モデルと詳細解析モデルを考慮するようなコネクティングロッドの極限設計を例に取り,非同期分散最適化エンジンと評価計算の分散処理を組み合わせた具体的な問題設定を検討する.これにより,Grid 環境のような高度な分散環境でどのような最適設計を実践するかを示した.

まとめ

本研究では,「Grid 環境中に最適設計システム」を構築することを目指し,まず,Grid 環境に適した最適化手法QPXとARSSSを開発した.次に解析環境を整備し,それらを非同期分散実行する管理システムを開発した.そしてこの環境上で,実際に最適設計問題を実行することでその性能や問題点を明らかにした.また,階層型分散最適設計の問題設定を検討し,Grid 環境をどのように利用すべきかを示した.

本研究で用いられるツールは,必ずしも標準規格ではないし,方法論にしても,今すぐに標準化できるようなものでもない.それゆえ,如何なる規約もトップダウン的に提示したわけではないが,Grid 環境という高度な分散環境において,実際に稼働可能なシステムを構築することで分散設計環境モデルを提示し,Grid 環境に必要な機能や要件を明らかにした.これはプロトコルや標準化の実現に対して,ボトムアップ的に寄与するものと言える.

審査要旨 要旨を表示する

最近,「Gridコンピューティング(以下 Grid と称す)」と呼ばれる新しい計算機運用モデルが注目されている.これは1つの機関だけで計算資源を独占するのではなく,広い地域に配置された計算資源を結びつけ,広域的に分散/並列計算を行うモデルであり,現在テストベッドを構築・維持するという形で欧米を中心に盛んに研究が推し進められている.これらの研究は Grid 環境の整備が目的であるが,一方で,実際の科学技術計算への応用研究は,まだ数が少ないのが現状である.そこで本研究では Grid 環境上に人工物設計支援環境を実現することを目指している.人工物(システム)の設計には多くの知識と経験が必要とされ,多くの人とソフトウェアが協調しなければならない.Grid 環境は高度な分散協調環境であり,設計支援環境を実現することで Grid の可能性を引き出すことが期待できる.

Grid 環境は従来の計算機環境にはない多くの課題を内在しているが、コンピュータによる設計支援についても解決せねばならない課題が多い.本研究では,まず,Grid 環境,設計支援環境の現状を分析し,それに適した利用形態と実現のための要件を提示し,それらを実現する形で研究を進めた.

本論文は,以下の7つの章から構成されている.

第1章は序論であり,本研究の背景と位置付けをまとめている.

第2章では,まず,Grid 環境の現状とその問題点について述べられている.それらの分析の結果,Grid 環境では「依存性の少ない仕事を非同期に安定して実行する」ような利用形態が望ましいことが提示された.工学設計は分散実行できる仕事を多く含んでいるおり,この利用形態に合致する.しかしながら Grid 環境上で工学設計を実現するためには,まず,支援システムを実現することが必要である.そこで本章では,「要件 1:Grid環境に適した最適化手法の開発」,「要件 2:物理現象を把握するための解析ツールの整備」,「要件 3:評価計算の非同期実行環境の実現」という3つの要件が提示された.

第3章は,要件1を満たすべく新たに開発された最適化手法について述べたものである.非線形数理計画問題は傾斜法での解探索が効率的であるとされているが,不安定な Grid 環境では機能しない可能性が高い.一方,確率論的手法はロバスト性に優れているものの,精度と効率が極めて悪い.本章ではこれらの中間的な手法である「2次計画交叉(QPX)」,「 平滑化スプラインを用いた適応的応答曲面法(ARSSS)」が新たに提案され,テスト関数を用いて検証することで,Grid 環境での利用に適していることが示された.

第4章では,要件2を満たすために, Grid 環境で最適設計を実現するためのツールの整備と自動解析の実現について述べられている.広域環境では用いられるツールのライセンスが問題となるが,本研究ではオープンソースである設計用大規模並列有限要素法解析システムADVENTUREを用いてこれを回避している.

第5章は,要件3を満たすために,Grid 環境上の最適設計システムの実現について述べたものである.Grid 環境では,ハードウェア,ソフトウェアの障害が発生しても仕事を続けることができねばならない.本研究では,まず,Grid 環境下で障害が発生しても,それらを回避しつつ安定して評価計算を非同期実行できるシステムが実現された.最適化エンジン(QPX, ARSSS)はこれらを利用して実現される.実際に運用された Grid 環境は,「マルチクラスタ環境(複数のPCクラスタ)」と「ITBL環境(複数の大型計算機)」である.マルチクラスタ環境では,遠隔呼び出しツールとしてGridRPCであるNinfが用いられ,コネクティングロッドの最適設計を実現することでシステムの有用性が検証された.ここでは同志社大学と東京大学に存在するPCクラスタを用いて実験を行い,実際にネットワークの接続を切断することで耐故障性に優れていることが示された.ITBL環境では,ジョブマネージャに対して「ジョブの投入と結果の監視」作業を非同期に実行することで評価計算の非同期実行を実装され,原子力研究所のPrimePower(関西研)とOrigin3800(那珂研)を用いて最適設計システムを実現することでその有用性が示された.

第6章では,コネクティングロッドの極限設計を例に取り,非同期分散最適化エンジンと評価計算の分散処理を組み合わせた具体的な問題設定が検討された.これにより,Grid 環境のような高度な分散環境で,どのような最適設計が実践できるが実証された.

第7章は結論であり,本研究で得られた成果をまとめた章である.

以上を要するに,本論文は,Grid 環境における高度な工学設計支援環境を実現することを目指し,その実現までに越えねばならない問題を分析し,その解決策を明確にした上で,実際に最適設計システムを構築することで,その実現可能性を明らかにしたものである.用いられたツールや方法論はすぐに標準化できるようなものではないが,Grid 環境という高度な分散環境において,実際に稼働可能なシステムを構築することで分散設計環境モデルを提示し,Grid 環境に必要な機能や要件を明らかにした点で価値が高い.今後の人工物や人工システムの設計支援環境及び Grid 研究の発展に寄与するところが少なくない.

よって本論文は博士(環境学)の学位請求論文として合格と認められる.

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