学位論文要旨



No 119513
著者(漢字) 荒船,龍彦
著者(英字)
著者(カナ) アラフネ,タツヒコ
標題(和) 光学マッピングを用いた心臓興奮様式に対する通電刺激効果の解析
標題(洋)
報告番号 119513
報告番号 甲19513
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第61号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 教授 土肥,健純
 東京大学 教授 高増,潔
 東京大学 講師 渡邉,浩志
内容要旨 要旨を表示する

心室頻拍/細動(Ventricular Tachycardia, VT)(Ventricular Fibrillation, VF)は心臓突然死につながる重篤な不整脈である。不整脈予防治療としては抗不整脈薬による投薬治療、カテーテルアブレーションなどを用いた焼灼治療がある。だが一旦発生した不整脈を停止させるには、強い電気刺激を心臓へ印加する除細動通電治療が最も効果的であり医療現場でも多く用いられる。近年では埋め込み型除細動器(Implantable Cardiac Defibrillator, ICD)などの微小電極を用いた除細動器が開発され広く使用されている。だが除細動刺激は通電エネルギーが高いために苦痛を伴い、さらに一発の通電刺激で不整脈が停止できない場合は繰り返し除細動を行うため患者への負担が大きい。またVT に対する通電刺激がかえって複雑なVF を誘発してしまう『催細動』の危険性も指摘されている。『低電気エネルギー刺激』で『患者への負担が少なく』かつ『催細動効果の小さい安全な』除細動を行うには、最適な電極配置と刺激タイミングが明らかになる必要があり、それらパラメータを導くための基礎的実験データが必要となる。

正常な心臓の拍動は血液ポンプ機能を駆動するものである。通常一旦発生して心臓全体に伝播し消滅する興奮が、何らかの理由により消滅せずに残って心臓を興奮させ続ける異常興奮伝播現象は『リエントリ現象』と呼ばれ、頻拍/細動の成因として近年着目されてきた。リエントリはその発生機序からいくつかの種類に分類されるが、中でも解剖学的に異常の見られない心筋組織に発生する旋回型の興奮『スパイラルリエントリ』は心室頻拍/細動の成因と考えられている。除細動治療はいわば発生したリエントリを通電刺激によって一旦リセット、もしくは変化させて正常心拍へ回復させる治療方法である。

心筋への通電刺激印加による興奮応答は古くから研究されてきた。心臓への通電刺激がVT/VF を誘発、あるいは停止させることが知られている。加えて、近年のシミュレーション解析や基礎実験の結果によって微小電極による点刺激を心筋組織へ印加した際、電極近傍の数mm の領域に通電印加時間の間、脱分極領域と過分極領域が複雑な形状で分布した分極現象が誘発される事が知られている。あたかも仮想的に複数の電極を配置して通電を印加したかのような本現象は『仮想電極現象(Virtual Electrode Polarization, 以下VEP)』と呼ばれ、心筋線維走向の異方性に起因する電気緊張電位の相互作用によって発生する電界現象と考えられている。VEP からの興奮は、通電印加時に形成される脱分極領域から興奮が伝播開始するmake 興奮、通電印加時に形成される過分極領域から通電終了と共に興奮が開始するbreak 興奮の2種類あり、さらに陽極・陰極刺激で別の現象が発生する。

微小電極を用いた低エネルギー除細動刺激を想定した基礎実験において、このVEP 現象およびVEPからの興奮伝播を詳細に観察することは重要である。従来のVEP 計測システムは、時間・空間の分解能に限界があり、詳細なVEP 現象の検討はされていない。VEP 計測には、・計測の妨げにならない十分小さい電極・刺激印加前の様々な興奮状態を心筋に任意に再現できる・高い時間・空間計測分解能等の課題をクリアする必要がある。

以上より、本研究の目的は・高い時間・空間分解能を両立させたVEP 現象計測システムを構築する・そのシステムを用いたVEP およびVEP から発生する興奮伝播メカニズムの計測と解析を行うと設定した。

VEP 計測システム開発:

活動電位計測には、同時多点計測に優れている、膜電位感受性色素を用いた光学計測法を用いた。Di-4-ANEPPS でウサギ摘出心を染色し、ランゲンドルフ灌流心標本を作成する。主波長500nm の高輝度青緑色LED を励起光源に用い、染色心からの放射蛍光(主波長600nm 付近)を600nm のカットオフ波長を持つロングパスフィルタを通して計測することで心筋細胞の活動電位変化を計測する。

計測部には高速度デジタルビデオカメラを用い、撮影された画像にPCによるオフライン画像処理を施し、興奮伝播をマッピングした。撮影速度は1125fps、画像解像度は256×256=65536 画素、8bit モノクロ256 階調での心臓全体の現象を計測可能なシステムである。

心筋への点刺激印加を行う微小電極として、透明アクリル板上に0.1mm 径白金単極電極を3mm 間隔で正方形に4点配置した埋込み型電極アレイを製作し、0.04mm ウレタンコート銅線で配線した。この透明電極を心臓標本にかるく押し当て、心臓後背部に白金電極板を設置して単極電極のグランドおよび心臓固定に用い、透明電極を通して光シグナル計測と同時に点刺激を印加できるようにした。また先行興奮となる定常刺激とVEP 誘発早期刺激を透明電極の異なる2点から別々に印加することで、刺激印加前の興奮状態を制御した。

まず基礎的な現象を計測するため、静止電位レベルへ陽極・陰極点刺激を加えて形成されるVEP およびVEP からの興奮伝播を計測した。陽極通電印加と共に、電極直下は過分極し、心筋線維走向長軸方向(Longitudinal direction, L 方向)に沿って1〜2[mm]離れた2箇所に脱分極領域が形成された。通電終了と共に脱分極領域からの興奮波面は融合して伝播するAnode Make 興奮を計測した。陰極刺激の場合は電極直下および心筋線維走向短軸方向(Transverse direction, T 方向)に沿ってdogbone 型の脱分極領域が形成され、電極からL 方向へは過分極領域が形成された。通電終了と共に脱分極領域から興奮がそのまま伝播するCathode Make 興奮を計測した。

次に活動電位の受攻期への点通電刺激を計測した。脱分極後から再分極相にかけての活動電位へ点刺激を加えた。陽極刺激の場合、L方向への脱分極、T方向への過分極形成のVEP が発生し、通電終了とともに過分極領域へ周囲の興奮が流れ込み、過分極領域からT方向へ新たな興奮伝播(Anodal Break 興奮)を計測した。陰極刺激の場合は、通電終了とともに電極近傍L 方向に形成された過分極領域から興奮伝播が開始するCathode Break 興奮を計測した。

VEP計測システムとしては従来CCD カメラを用いたものやフォトダイオードシステムが知られるが、いずれも空間・時間の高分解能を両立しておらず、計測シグナルの平滑化や加算平均を行うことでS/Nを向上するあるいはみかけの解像度を上げるなどの処理が必要であった。本システムは空間分解能0.04mm/pixel、時間分解能0.89msec/frame を実現し、点刺激誘発VEP 現象を詳細に観察することが可能である。さらに従来は困難であった心筋興奮中の点刺激による興奮伝播が容易に計測可能である。

VEP 解析:

本計測システムを用い、心筋活動電位の各相へ点刺激を加えてVEP およびVEP からの興奮伝播発生メカニズムについて検討した。心筋線維L方向T方向に進行する先行興奮の再分極相に点刺激を加えた。陽極/陰極刺激ともに点刺激後、VEP の過分極領域からBreak 興奮が発生し、その四端から開始する4つの旋回興奮のうち先行興奮が先に醒める側の2つが衝突し融合して旋回が消滅した。VEP およびBreak興奮はL/T 方向に対して対称に同じ形状・大きさで形成されるため旋回が残ることは無く、先行興奮の伝播方向とVEP の発生位置の相互関係に依存して新たな興奮伝播が生まれることを明らかにした。

さらに心筋線維走向に対して斜め方向に伝播する先行興奮へ点通電刺激を加えた場合形成されるBreak 興奮の対称性が崩れるため、Break 興奮の四端から発生する旋回が残存してスパイラルリエントリへと発展する可能性があることを示唆した。

通電終了と共に開始するBreak 興奮は通電印加と共に開始するMake 興奮と比べて心臓の興奮状態に与える影響が大きく、その発生メカニズムが研究されてきた。先行研究では、Break 興奮が通電時間を数百msec と十分長くした場合に開始する、あるいは刺激閾値近傍の弱い刺激で開始する、という報告がある。本研究は従来の知見に加え、活動電位の再分極相への点刺激によって形成されるVEP の過分極領域からBreak 興奮が開始する事を明らかにし、さらに先行興奮の進行方向に対してVEP による過分極がどの位置に形成されるかによってBreak 興奮の伝播方向、形状が決定されることを示唆した。

本論文をまとめると●高い空間/時間分解能でのVEP 現象の計測が可能な光学マッピングシステムを開発した。VEP 現象を再現性高く計測が可能であり、さらに従来のシステムでは計測が困難であった、興奮中の点刺激誘発VEP 現象の計測が可能となった。●点刺激によって開始する新たな興奮伝播が、先行興奮の進行方向とVEP 形成の相互作用によって決定され、心筋走向L/T 方向に対称な先行興奮の場合は点刺激によってスパイラルリエントリが発生する可能性が低く、一方心筋走向に斜めに伝播する先行興奮への点刺激はスパイラルを発生させやすいことを示した。

本研究は点刺激誘発VEP 現象の解析及び、点刺激誘発VEP による心臓興奮の変化の解析を行い、従来報告されてきた除細動通電時の活動電位変化機序の一端を明らかにし、新たな除細動システムの可能性を提示するものである。

審査要旨 要旨を表示する

論文題目「光学マッピングを用いた心臓興奮様式に対する通電刺激効果の解析」は心筋組織への電気刺激において発生する仮想電極現象(Virtual Electrode Polarization)に伴う複雑な興奮伝播現象を詳細に観察する計測システムの開発、およびそれを用いた再分極相への通電刺激によるVEP に伴う興奮伝播波面変化の解析を行い,電気的除細動研究に対する新たな知見を与えたものである。本研究の成果として,高時間空間解像度を持つ光学マッピングシステムと光学計測を行いながら心筋の任意の箇所に点刺激を印加できる刺激システムを組み合わせた計測・刺激システムの構築し,これにより先行興奮の伝播方向とVEP の発生位置の相互関係に依存して新たな興奮伝播が生まれることを明らかにした。

本論文は6章からなり,第1章では心臓突然死につながる重篤な不整脈である心室頻拍・細動(VT/VF)を停止させる電気的除細動治療のメカニズム解析の先行研究を紹介し,心筋への電気刺激が電極周囲に複雑な分極現象を誘発する『Virtual electrode polarization: VEP(仮想電極現象)』が通電刺激による不整脈発生や停止に重要な役割を演じていることを示し,本現象解析の意義を論じた。第2章では本研究の目的として,高時間空間解像度を持つ光学マッピングシステムと、光学計測を行いながら心筋の任意の箇所に点刺激を印加できる刺激システムを組み合わせた計測・刺激システムの構築ならびに,弱い電気刺激印加による不整脈中の心筋細胞電気的興奮応答を解析することを述べている。第3章では開発したVEP 計測システムについて記述している。第4章では,実際に計測システムを用いて行った様々な心臓興奮下でのVEP 現象の計測と解析について述べている。第5章では本研究で得られた成果とその意義を考察し,第6章で結論を述べている。

従来報告されてきた心臓興奮伝播現象の計測システムとしては、CCD カメラシステムやフォトダイオードシステムが知られているが、いずれも時間・空間分解能が低く、VEP の詳細な観察を阻んできた。論文提出者は高速度デジタルカメラを用いた心筋活動電位光学マッピングシステムと透明板埋込み型微小電極を組み合わせたVEP 計測システムを開発し、摘出心標本上のVEP 現象を、時間分解能0.89[ms/frame]、空間分解能0.04[mm/pixel]という従来に比べ高い時間・空間分解能で計測することに成功している。

心筋組織への点通電刺激誘発VEP 現象から開始する新たな心臓興奮はMake/Break 興奮の2種類あり、さらに陽極/陰極刺激で別の現象が発生する。開発した計測システムにより実験を行い,心筋線維に沿った方向(L 方向)あるいは心筋線維に垂直な方向(T 方向)に進行する先行興奮の再分極相に通電刺激を加えると,陽極/陰極刺激ともに点刺激後、VEP の過分極領域からBreak 興奮が発生し,その四端から開始する4つの旋回興奮のうち先行興奮が先に醒める側の2つが衝突し融合して旋回が消滅すること,ならびにこれらはL/T 方向に対して対称に同じ形状・大きさで形成されるため旋回が残ることは無かったことを示した。また,L 方向に伝播する先行興奮への陰極刺激は、興奮が醒める領域に過分極領域を形成するため最も新たな興奮を発生しやすいことを示した。さらに心筋線維走向に対して斜め方向に伝播する先行興奮への点通電刺激の場合,Break 興奮の対称性が崩れるため,旋回が残存してスパイラルリエントリへと発展する可能性があることを明らかにした。このように先行興奮の伝播方向とVEP の発生位置の相互関係に依存して新たな興奮伝播が生まれることを示した。

本論文は、従来明らかでなかった心筋への通電刺激が誘発するVEP に伴う興奮伝播様式の変化について、先行研究で開発された計測システムをはるかに上回る分解能で計測を行い、詳細に解析したものである。本システムは、ICD などを用いた確実で安全な最適除細動システムを開発するために必要な基礎実験解析を再現性高く詳細に行うシステムである。本論文で得られた知見は今後の除細動研究に大いに貢献する重要な内容であると判断する。

なお,本研究は名古屋大学の児玉逸雄,本荘晴朗,山崎正俊,中川晴道,東京都立大久保病院の柴田仁太郎,東京大学の佐久間一郎,稲田紘,三嶋晶との共同研究であるが,本論文の内容は、論文提出者が主体となって計測システムを作り上げ、VEP 現象の分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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