学位論文要旨



No 119514
著者(漢字) 岡田,純一
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,ジュンイチ
標題(和) 均質化法に基づく細胞モデルからの心臓の有限要素解析
標題(洋)
報告番号 119514
報告番号 甲19514
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第62号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 佐久間,一郎
内容要旨 要旨を表示する

序論

研究の背景及び目的

近年の細胞生物学,分子生物学の進歩は心臓の詳細な構造や機能を微視的レベルで明らかにしつつある.しかし,個々の研究からはそれぞれの知見が心臓のポンプとしての統合的な機能を維持していく上でどのような意義を持ち,他とどのように相互作用しているかという像は見えてこない.現在もなお急速に集積の進むミクロ情報を統合化し,心臓が動的安定状態(正常機能)を維持していくための複雑なダイナミックスを解明する上での有力な手段が計算科学である.本研究の目的は,細胞生物学・分子生物学における成果をマルチスケール有限要素解析により統合することにより,それらが心臓のポンプとしての最終機能を維持していく上でどのような役割を果たし,どのように相互作用しているかという全体像を明らかにすることであり,ひいては各種心臓病の合理的治療や創薬へと応用することにある.

なお心臓を対象としたこれまでのシミュレーションとしては,電気現象解析については Winslow ら[1],心臓の構造解析についてはHunter ら[2],血流解析についてはVierendeel ら[3],連成解析については著者ら[4]の研究が挙げられる.また,生体材料の均質化法としては,Hollister ら[5]により骨に,Breulsら[6]により培養筋細胞の2 次元解析に適用した例が報告されている.

本研究の概要

心臓は形態学的には数億個の心筋細胞がバスケットの網目状に結合することにより形成されている.細胞間は電気的,力学的に接続されており,電気的に興奮が伝播することによって各細胞が協調して収縮し心臓全体としての拍動,血液拍出が実現される.細胞から臓器・器官へ接続するためには,細胞をその構成要素から再現した電気・化学・力学マルチフィジックスモデルが必須となる.そして分子レベルからの現象を反映した細胞の機能をシミュレートし,その結果を組織や臓器・器官ひいては個体のシミュレーションへとマルチスケールにつなげる必要がある.我々はまず,筋小胞体からのCa2+流出に始まる心筋収縮機構を生理学方程式と構造有限要素解析を連成することにより心筋細胞シミュレータを開発し,これを用いて不整脈の原因になり得るといわれる細胞内Ca2+ wave の解析を行った.次に,この細胞モデルの幾つかがギャップジャンクションを介して結合したミクロモデルを考え,これが心臓マクロモデルの任意の点において方向性を持って周期的に配置していると仮定する.この仮定により,心臓へ均質化法を導入し,「細胞レベルからの心臓の有限要素解析」を行った.

心筋細胞の有限要素解析

心筋細胞のモデル化

心筋細胞は,長さが約100μm,直径が5〜20μm ほどの円柱状をしている.細胞の周りは細胞膜に覆われており,内部には直径1μm ほどの筋原繊維が長軸方向に束になって配列している.筋原繊維は,Z 帯と呼ばれる隔壁によって筋節 (Sarcomere)に周期的に区切られている.この構造をFig.2 に示すように有限要素でモデル化する.細胞膜は細胞骨格も含めてMITC シェル要素で,細胞内はソリッド要素でモデル化し,構成式は共にST.Vanent 超弾性モデルを用いる.Z 帯,筋原繊維はトラス要素を用いることによりモデル化する.筋原繊維には,ミオシンからなる太いフィレメントとアクチンなどからなる細いフィラメントが並行に規則正しく配列している.心筋細胞の興奮に伴い,細胞内のCa2+濃度が上昇すると,2 つのフィラメントの間にクロスブリッジが形成され,心筋収縮力が発生する.この過程をreaction-diffusion equation にLR-model[7]の細胞内部分とNegroni モデル[8]を組み合わせることによりモデル化した(Fig.1 参照).解析では筋原繊維に対応するトラス要素1 つ1 つにNegroni モデルを対応させ,有限要素解析から計算される歪と,Negroni モデルから計算される発生収縮力,剛性を弱連成で結合した.

心筋細胞の有限要素解析結果

Fig.3に正常な心筋収縮,及びCa2+ wave 伝播に伴う心筋細胞収縮の数値解析結果を示す.色の変化は細胞内の[Ca2+]の変化を表す.解析結果は実際の細胞と定性的に一致した.モデルは,Ca2+ wave の伝播と,Ca2+ wave の衝突に伴う消失を再現した.また,SR 内のCa2+貯蔵量の増加に伴い,伝播速度は線形的に増加し,Ca2+とTnC の親和性と伝播速度には負の相関関係がある事を確認した.また,Ca2+wave が伝播する間,細胞の長さを一定に保つと無負荷状態に比べ,Ca2+ wave 伝播速度は上昇し,Sarcomere 収縮波伝播速度は低下した(Fig.4 参照).最初のCa2+ release を核の近くに設定すると,Ca2+wave はspiral 状の複雑な挙動を示す波に発達する.これはCa2+ wave が潜在的に不整脈惹起性の現象であることを示唆している(Fig.5 参照).

均質化法による心臓の有限要素解析

モード重ね合わせを利用した均質化法による心臓の有限要素解析

心臓の機械的活動と電気的活動との間には双方向の密接な関係が存在することから,両者連成して取り扱う必要がある.興奮伝播現象の支配方程式であるバイドメインモデルにLR モデル(心筋細胞の電気生理方程式),Negroni モデル(心筋の興奮収縮連関モデル)を組み合わせるたものに,均質化法を適用し,各巨視的積分点において, 心筋細胞内の筋原繊維の,発生収縮力,剛性を計算し,それを基に単一細胞の解析と同様のメカニズムによりミクロモデルの収縮解析を行う.ミクロモデルの変形は興奮収縮現象の均質化に基づき心臓マクロモデルの変形に反映される.得られた収縮量を興奮伝播解析にfeed back させることにより,興奮伝播現象の均質化法と,興奮収縮現象の均質化法を弱連成的に結合した.この際,心筋細胞は,計算量削減のため単一細胞のモデルに比べ単純化し,筋原繊維をトラス要素,細胞内マトリクスをsolid 要素によりモデル化する(Fig.7 参照).細胞膜は,solid 要素の剛性を変えることにより表現する.また,非線形均質化法では,ミクロ構造とマクロ構造との間で,各荷重増分毎に諸量の交換が必要となり,膨大な計算量が必要となることから,本解析では既知の特性変形モードを重ね合わせる事により,増分反復毎に特性変形を再計算することなく近似する事により計算量の軽減化を行った[9].

均質化法による心臓の有限要素解析結果

均質化法により得られる心筋の特性と実際の心筋の比較行った.等尺性収縮,細胞内[Ca2+]を変化させての引張試験などの代表的な力学試験をコンピュータ上で行った所,解析結果は実験結果と定性的に一致した(Fig.9 参照).このことから,均質化法による細胞モデルからの心筋の有限要素解析の妥当性が確認された.これを踏まえ,心筋片を想定した平板と,Fig.6 に示すような軸対象心臓左心室モデルに対し適用した.結果,計算コストの限界から現状では,微視,巨視とも荒いメッシュによる解析にならざるを得ないが,実際の現象と比較しても概ね良好な解析結果を得た.Fig.8 に軸対象心臓左心室モデルの解析結果を示す.色の変化は細胞内[Ca2+]を表す.

結論

心筋細胞内のCa2+拡散と興奮収縮連関機構を組み合わせた三次元心筋細胞シミュレータを開発した.シミュレータは実際の現象を定性的に再現した.また.Ca2+ wave の3 次元的な性質,筋収縮による変調効果,複雑な波の形態への発展における核の役割を明らかにした.

モード重ね合わせを利用した均質化法を心臓に適用することにより,心筋細胞の構造,力学特性を反映させた心臓の有限要素解析を行った.均質化法によって得られる心筋の力学特性は,実際の心筋の特性と定性的に一致した.また,簡単なモデルではあるが,心臓左心室の解析を行い,良好な結果を得た.

心筋細胞電気生理モデルの概要

細胞の有限要素モデル

心筋細胞収縮の有限要素解析

変形によるCa2+ wave 伝播速度の変化

Spiral Ca2+ wave

心臓の有限要素モデル

均質化法における細胞の有限要素モデル

均質化法による心臓左心室の有限要素解析

心筋構成式に関する検討

Winslow, R. L., et al., IBM Systems Journal, Vol. 40, No. 2, (2001) ,pp.342-359.Hunter, P.J., et al., Computational Methods in Bioengineering, ASME, BED, (1988), p387-397.Vierendeel, J., et al., Journal of Biomechanical Engineering, ASME, Vol.122(2000), pp.667-674.Watanabe, H.,et al., JSME Int.J.Ser C, Vol. 45(2002), No.4, pp.1003-1012.S.J.Hollister, N.Kikuchi, Comput., Mech. 10 (1992) 73-95.R.G.M.Breuls., et al., ASME J. Biomech. Eng.,Vol.124(2002),pp.198-207Negroni, J. A. Lascano, E. C.,J. Mol. Cell. Cardiol., Vol. 28, (1996), p.915-929.Luo CH., Rudy Y. ; Circ. Res. Vol.74(1994), pp.1071-1096山本雅史,久田俊明,野口裕久;日本機械学会論文集(A 編), 67 巻(2001), pp.1877-1884
審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「均質化法に基づく細胞モデルからの心臓の有限要素解析」と題し5章よりなる.

近年の細胞生物学,分子生物学の進歩は心臓の詳細な構造や機能を微視的レベルで明らかにしつつある.しかし,個々の研究からはそれぞれの知見が心臓のポンプとしての統合的な機能を維持していく上でどのような意義を持ち,他とどのように相互作用しているかという像は見えてこない.現在もなお急速に集積の進むミクロ情報を統合化し,心臓が動的安定状態(正常機能)を維持していくための複雑なダイナミックスを解明する上での有力な手段が計算科学である.本研究の目的は,細胞生物学・分子生物学における成果をマルチスケール有限要Ca2+] Ca2+]素解析によって統合することにより,それらが心臓のポンプとしての最終機能を維持していく上でどのような役割を果たし,どのように相互作用しているかという全体像を明らかにするための方法論をNegroni確立することであり,ひいては各種心臓病の合理的治療や創薬への応用の可能性を示すことにある.

第1章は,序論であり,本研究の背景,目的及び関連分野における従来の研究を述べている.

第2章では,心筋収縮のメカニズムとそのモデル化について述べている.心臓は形態学的には数億個の心筋細胞がバスケットの網目状に結合することにより形成されている.細胞間は電気的,力学的に接続されており,電気的に興奮が伝播することによって各細胞が協調して収縮し心臓全体としての拍動,血液拍出が実現される.この際に各心筋細胞で起こる電気生理現象を,細胞膜を出入りするイオン電流および,細胞内のCa2+の挙動を定める方程式系であるLR2000モデルと筋原繊維の収縮を表すNegroniの四状態モデルをCa2+項を通じて連成させる事により表現した.次に,このLR-Negroniモデルを心室壁全体を有限要素離散化した積分点に配置し,細胞間のギャップ結合,及び細胞外間質液を通じての伝播までを考慮したbi-domainモデルにより相互に接続する.以上を解くことにより,膜電位の脱分極が引き起こす各細胞内Ca2+濃度と発生収縮力の時空間分布が求められる.

第3章では,心筋細胞内のCa2+ wave伝播の特徴,メカニズムを解明するため,細胞膜,筋原繊維,Ca2+ release sitesを伴うZ帯を別々の構造でモデル化した心筋細胞の3次元シュミレータを開発した.細胞の形状は,高さ100μmの円筒形を仮定し,2μmの間隔でZ帯に分割した.細胞内のCa2+ の挙動をReaction-diffusion equationにLRモデルの細胞内部分とNegroniモデルを組み合わせることによりモデル化した.解析では筋原繊維に対応するトラス要素ひとつひとつにNegroniモデルを対応させ,有限要素解析から計算される歪と,Negroniモデルから計算される発生収縮力,剛性を弱連成で結合した.解析結果は,Ca2+ウェーブの3次元的な性質,筋収縮による変調効果,複雑な波の形態への発展における核の役割を明らかにした.

第4章では,均質化法による心臓の有限要素解析について述べている.興奮伝播現象の支配方程式に均質化法を適用する事により,各巨視的積分点において心筋細胞内の筋原繊維の発生収縮力,剛性を計算し,それを基に単一細胞の解析と同様のメカニズムによりミクロモデルの収縮解析を行う.ミクロモデルの変形はモード重ね合わせ型の均質化法に基づき巨視的心室モデルの運動へと接続される.このようにして得られた心筋に対し等尺性収縮,細胞内[Ca2+]を変化させての引張試験,quick-release,quick-strechなどの代表的な力学試験をコンピュータ上で行った結果,解析結果は実験結果と定性的に一致した.次に,心筋片を想定した平板と,心臓左心室の解析を行った.結果,実際の現象と比較しても概ね良好な結果を得た.

第5章「結論」では以上の成果を総括している.

以上を要するに、本論文は心筋細胞から心臓に至るマルチスケール解析の理論的枠組みを開発し、その可能性を示したものであり、計算科学、医学・生理学の貢献するところが大きい。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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