学位論文要旨



No 119515
著者(漢字) 小柴,信子
著者(英字)
著者(カナ) コシバ,ノブコ
標題(和) 多孔質超弾性体血管における血流とLDL輸送のマルチフィジックスシミュレーション
標題(洋)
報告番号 119515
報告番号 甲19515
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第63号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 助教授 大島,まり
内容要旨 要旨を表示する

厚生労働省「人口動態統計」によると,日本人の死因は癌と肉腫などの悪性新生物が第1位を占めるが,これに続く血管の障害に起因する第2位の心疾患と第3位の脳血管疾患の割合は合計すると,悪性新生物をしのぐ高率になっている.心疾患のうちの多くを占める虚血性心疾患(心筋梗塞,狭心症)や脳血管障害の半数をしめる脳梗塞は,いずれも動脈硬化を基盤とする病変である.このほかにも動脈硬化に起因する病変は,いずれも致命的である.動脈硬化に起因するさまざまな症状は動脈硬化性疾患と総称される.高齢化社会にあって動脈硬化性疾患の予防と治療はきわめて緊急で重要な課題となっている.臨床的に重要なタイプの動脈硬化はアテローム性(粥状)タイプである.粥状動脈硬化の発症には,複雑なステップや要因が絡んでいるが,おおむね次のような経過をとることが知られている.白血球(単球)が血管内膜を覆う内皮細胞層を通過して血管壁内部でマクロファージ細胞に変化し,LDL(低比重リポ蛋白)などの脂質を取り込む.脂質を取り込んだマクロファージは細胞内に大量の油滴をもつ泡沫細胞となり,粥状動脈硬化症を発症する.動脈硬化症が進行すると動脈内膜の硬化と動脈の狭窄が進行する.

動脈硬化は動脈のあらゆる部分に発症するのではなく主動脈の分岐部や湾曲部に限局し,好発部位があることが知られている.これら好発部位は血流が乱れやすい場所であり,この部位が血流・せん断応力などにより生理的・生化学的な影響を受けていると考えられている.血管壁は剛体でなく,粘弾性を有する変形可能な組織である.血管壁の力学的性質と血流の挙動とは互いに密接に影響を及ぼしあっている.血流の拍動流は血管壁の力学的性質の非線形性の効果を強く受ける.一方,流れの局部的擾乱などの血行力学的因子が内皮細胞表面における血中成分の透過性を変え,血管壁の力学的性質を変化させる.血流による流体力と血管壁の変形の相互作用が,粥腫形成に重要な役割を果たすとされている.しかし,動脈硬化の発生機序・進展に関して未解明な部分が多く残されており,in vivo(生体内)in vitro(試験管内)in silico(計算機実験)の各方面から解明に向けたアプローチが試みられているが,特にin silicoにおいての血行力学的アプローチが望まれている.

本研究では,ALE(Arbitary Lagrangian Eulerian)法に基づく非線形有限要素法により,血流と粘弾性的に変形する血管壁の流体構造連成解析をまず行う.さらに流体構造連成解析で得られた流速場・変位場を基に,血液中および血管壁のLDL輸送解析を行い,血流形態・血管壁の変形が,血管内腔と血管壁内のLDL濃度分布に与える影響を検討する.本研究は,健常血管における血管壁・血流の力学的特性,および血管内腔と血管壁でのLDL濃度分布に関して理解を深めることにより,粥状動脈硬化の限局性と発症機序の解明に血行力学の分野から貢献できることを目的とする.以上のような研究の背景と目的を第1章で述べた.

血管壁は,平滑筋や弾性・膠原線維等の構造骨格と細胞組織液(重量比約60 %〜70 %)で構成されている.生体血管壁の特徴である粘弾性特性を考慮するため,血流のみならず血管壁内の組織液の流れもLDL 輸送の観点から重要であるため,固相と液相の二相からなる飽和多孔質超弾性体として血管壁をモデル化する.従来血管壁モデルとして採用されている剛体壁のモデルより厳密に実際の血管壁構造に近いモデルを構築することができる.多孔質体は,互いに連絡のある間隙組織をもつ物質で,構造骨格(skeleton=solid+pores)と間隙流体(pore fluid)の混合体(mixture)から成る.間隙流体の応力は粘性を無視して圧力のみ,混合体の応力は歪みにより生じる各応力成分と圧力の和からなるとする.間隙流体の,固相との相対的な流れ場を決定する方程式としては,流速が圧力勾配と透過係数の積により与えられるDarcy 則を採用する.血管壁の粘性は間隙流体の流れにより表現する.以上の関係を連続体力学に基づきTotal Lagrange 法により定式化し,次に有限要素法で離散化し,多孔質超弾性体の血管壁有限要素モデルを構築した.この血管モデルと血液( Navier-Stokes 流体)の連成解析を強連成法で行い,血管内腔血液と血管壁内組織液の両方の流れの場を同時に解く.この連成方程式における独立変数は,血液の速度と圧力,構造骨格(境界面では流速と一致)の速度と変位,間隙流体の圧力(構造骨格の圧力に等しい)と間隙流体の構造骨格に対する相対速度である.静的解析手法は増分型Newton Raphson 法,非線形方程式の動的解析手法には,構造解析における代表的な陰解法であるNewmark-β 法及び流体解析におけるPMA(Predictor-Multicorrector-Algorithm)法を適用し,メッシュ制御法を用いた.以上の多孔質超弾性体の定式化・有限要素式と流体構造連成方程式について,第2章と第3章でまとめた.

上記の流体構造連成解析の結果に基づき,血管内腔と血管壁内でのLDL輸送解析を行う.LDL輸送は一般的には血流による受動的な移流と,分子運動による能動的な拡散に支配されるため,移流拡散方程式を解く.このときの移流項に,流体構造連成解析により得られた血管内腔血液と血管壁内組織液の流速を用いる.血管内皮の水透過速度は,血管内腔と血管壁の境界における血管壁内組織液の流速とする.流入口には一定濃度,流出口の面法線方向の濃度勾配は0,血管内腔と血管壁との境界には,水透過速度とLDLの透過特性を考慮したLDLの物質収支を表す式をRobin(混合型)境界条件として与える.移流拡散方程式の安定化手法としてSUPG(Streamline-upwind Petrov-Galerkin)法を,動的解析手法として,Crank-Nicolson法を適用した.以上の移流拡散方程式について,第4章でまとめた.

以下の解析例について,第5章でまとめた.

構造解析に関して,Confined圧縮問題について多孔質超弾性体の検証解析を行い,多孔質超弾性体で粘弾性効果が実現できることを確認した.LDL 濃度分布について,2次元直血管の解析を行い,血管内腔と血管壁の境界において濃度が高くなること,レイノルズ数が小さくなると濃度が高くこと,拡散係数が小さくなると濃度が高くなること,透過流速が大きくなると濃度が高くなること,透過流速が0のとき境界表面の濃度は高くならないことを確認した.

粥状動脈硬化が好発するヒト右冠状動脈湾曲部の実形状に近いモデルで,超弾性体と多孔質超弾性体の2種類の流体構造連成解析を行った.動脈内腔の断面の直径は.3.53mm,動脈壁厚さは動脈内腔直径の10%とした.動脈の流入口の流速分布はHagen-poiseulle 流れを仮定し,1 周期1 秒で拍動する流速,流出口は1 周期1 秒で拍動する圧力を与えた.このモデルにより以下の結果が得られた.流速場は湾曲部下流内側で逆流が見られた.壁せん断応力は湾曲内側で最大,湾曲下流側面で大きく,入口下流上面と逆流のある湾曲下流内側で小さかった.血管壁相当応力は,湾曲後方内側で最大となった.血管壁内部の間隙流体の流速場は湾曲部で速くなり,血流・血液圧力の拍動周期と間隙流体の運動には位相差があった.また,血流場には超弾性体と多孔質超弾性体では大きな違いは見られなかった.しかし,多孔質体超弾性体では間隙の存在により半径方向および軸方向のひずみが超弾性体より大きかった.動脈壁の相当応力は両者で同程度であったが,圧力は多孔質超弾性体が大きかった.

上記の連成解析の結果に基づいてLDLの移流拡散について濃度解析を行った.LDLの濃度は血管内腔と血管壁との境界では,せん断応力の小さい入口後方と湾曲部下流の内側の濃度が高く,拍動する流速に応じて,この濃度と位値は変動した.血管壁内のLDL濃度は血管内腔に比べておよそ1桁小さいが,血管内腔と血管壁境界のLDL濃度が高い部分では高くなっている.血管壁内では,最も境界に近い層に最大濃度がみられた.この部分にLDLが蓄積されることを示唆している.

ヒト右冠状動脈湾曲部について,半径一様のケースと,半径が10%変化するケースについて流体解析を行い,得られた血流場に基づきLDL濃度解析を行った.流速場には,湾曲内側の逆流する範囲が半径が変化するケースでは広い傾向がみられたが,大きな違いは見られなかった.LDLの濃度分布は半径一様のケースでは,入口後方外側・湾曲後方内側・出口外側で高い濃度が,半径が変化するのケースでは,入口後方外側・湾曲後方内側で高い濃度が見られた.LDLが高濃度となる部分は,管径の微妙な違いにより大きく異なり,濃度分布が流れ場の影響を大きく受けることが示され,動脈硬化病変により狭窄のある血管では,LDL濃度分布が健常血管とは異なることを示唆している.流速がほぼ0の位置では拡散が支配的であるため,きわめて高い濃度になりLDLが蓄積することが示された.半径一様のケースと半径が10%変化するケースの両者とも,入口外側に比べ湾曲下流内側の濃度が高くなっている.湾曲内側の方がLDLの濃縮程度が高いことは,湾曲内側の方が動脈硬化が多発することと関連することを示唆している.

以上から,血管内腔と血管壁でのLDLの蓄積に関し,生体の血管をより厳密にモデル化した血管壁と血流の相互作用を考慮した連成解析の重要性が示された.各章および本論文の結論を第6章でまとめた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「多孔質超弾性体血管における血流とLDL輸送のマルチフィジックスシミュレーション」と題して6章よりなる。

近年,アテローム性動脈硬化発症に重要な役割を果たしていると考えられているLDLなどの物質輸送の数値シミュレーションが進められているが,本論文は、動脈内腔と動脈壁のLDL(低比重リポ蛋白)の輸送を正確に予測することを目的として,血流と飽和多孔質体としてモデル化された血管壁との相互作用を考慮した流体構造連成問題と,それに基づく移流拡散問題の解析を可能とする数値シミュレーションシステムを開発し,開発したシステムを冠状動脈の実形状モデルに適用することにより,拍動をともなう血流や血管壁内部の間隙流と血管壁の変形がLDL輸送に与える影響について検討したものである.

第1章においては,序論として本研究の背景と目的が述べられている.ここで論文提出者は,アテローム性動脈硬化の発生機序を解明することの意義をのべるとともに,血流と血管壁に関する研究活動,血液と血管壁の物質輸送に関する研究活動をまとめることにより,アテローム性動脈硬化の発生を解明する解析手段として,血管壁を多孔質超弾性体として定式化することの重要性を述べている.

第2章において,論文提出者は,生体を構成する物質形態として間隙が流体で満たされた飽和多孔質体について説明し,血管壁を多孔質超弾性体としてモデル化する際の基礎式を示し,有限要素式を導いている.その際,生体における飽和多孔質体では間隙流体も構造も非圧縮性を示すことから多孔質超弾性体は非圧縮性として定式化している.

第3章において,本研究のひとつの柱である流体・構造連成解析の基礎式が導かれる.ALE法による有限要素流体解析の基礎式, total Lagrange 法による多孔質超弾性体の有限要素構造解析の基礎式が示され,強連成法を適用した場合の構造・流体連成問題に対する基礎式が導かれている.非線形方程式の代表的静的解析手法である増分型 Newton Raphson 法と非線形方程式の動的解析手法として,構造解析における代表的陰解法である Newmark-β法及び流体解析における PMA(Predictor-Multicorrector-Algorithm) 法を適用したメッシュ制御法を用いた構造・流体連成問題の解析手法が示されている.

第4章において,本研究のもうひとつの柱であるLDL輸送を記述する移流拡散方程式の基礎式に基づいて有限要素定式化され,移流拡散方程式を解析する際の安定化手法として SUPG(Streamline-upwind Petrov-Galerkin) 法が示されている.また,動脈内腔と動脈壁の濃度場解析に関する境界条件が説明されている.

第5章では,本研究において開発した解析コードを,多孔質超弾性体,血流と血管壁の連成解析,移流拡散の諸問題に適用し検証している.血管壁を多孔質超弾性体としてモデル化することにより生体血管の粘弾性特性が多孔質体の間隙流により表現されることが検証されている.この検証を踏まえて,アテローム性動脈硬化が好発する実形状のヒト右冠状動脈について血管壁と血流を連成解析し,得られた血管内腔血液と血管壁内の間隙流体の流速場を用いて移流拡散方程式を解いてLDL濃度分布が解析されている.血管壁を多孔質超弾性体でモデル化した場合,超弾性体に比べて,(1)拍動にともなう血管壁の厚さのひずみは大きく,周方向のひずみは小さく,軸方向では多孔質超弾性体では伸張方向,超弾性体では短縮方向となること,(2)血流場は,湾曲の内側で逆流・還流がみられること,(3)湾曲の内側ではせん断応力が小さく,低せん断応力領域が、超弾性体では多孔質超弾性体より広いことが解析されている.LDL濃度の解析では,血流場で逆流・還流がみられ,せん断応力が小さい湾曲の内側で高濃度となることが示されている.多孔質超弾性体では,血管内腔と血管壁の間に拍動にともなう透過流の流入・流出が解析され,血管内腔から血管壁への流出のみを仮定した超弾性体に比べて,LDL濃度が低いことが解析されている.

第6章において本論文全体の結論が述べられている.

以上を要するに,本論文は、多孔質超弾性体に基づく流体構造連成数値シミュレーションシステムと,移流拡散解析システムを開発し,LDL輸送を解析した結果,拍動をともなう血流場の解析にあたり血管の変形を考慮することの重要性を示し、また血管壁内部の間隙流体と血液の間の透過流の挙動がLDL輸送に影響することを実証することにより血流と血管壁との相互作用について新たな知見を与えたものであって、医学・生理学、計算科学に貢献するところ大である。

従って、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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