学位論文要旨



No 119519
著者(漢字) 安田,洋介
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ヨウスケ
標題(和) 高速多重極境界要素法による大規模音場予測に関する研究
標題(洋) Study on Large-Scale Sound Field Analysis using Fast Multipole Boundary Element Method
報告番号 119519
報告番号 甲19519
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第67号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐久間,哲哉
 東京大学 教授 神田,順
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 崔,恒
 東京大学 助教授 坂本,慎一
内容要旨 要旨を表示する

今日,騒音防止計画,室内音響計画といった音環境計画において,その物理的基礎となる音場の予測は重要な役割を担っている.音場予測手法は実験的手法と数値解析手法とに大別されるが,大掛かりな実験設備が不要なこと,任意形状・任意条件が扱えること,設計変更への対応が容易なことなど数値解析手法のメリットは大きい.設計実務,環境アセスメント,研究領域などの様々な側面から汎用的な数値解析手法の開発が望まれている.

数値解析手法は幾何音響的手法と波動音響的手法に大別される.幾何音響的手法は音の波動性を考慮しないため厳密性に欠ける反面,多くの計算機能力を必要とせず,現在でも大規模な空間を扱う際の現実的な手法として用いられている.一方,波動音響的手法は有限差分法(FDM),有限要素法(FEM),境界要素法(BEM)に代表され,いずれも理論的に音の波動性を考慮したものであるため,空間領域,周波数領域共に高精度な予測が可能である.近年の計算機能力の向上に伴い,今日では室内音場解析,騒音伝搬解析,振動場との連成まで考慮した建築部材による散乱・反射音場の解析,アクティブ音場制御への適用等,様々な形で波動音響的手法の応用が試みられている.その反面,実空間への幅広い適用という点では未だ問題を抱えている.

波動音響的手法の最大の問題点は,大規模問題において計算量・必要記憶容量が必然的に膨大となることである.このため計算機能力の制約から,周波数領域・空間領域共に解析範囲を限定されるか,あるいは2次元解析に止まらざるを得ないのが現状である.近年のコンピューターの進歩に伴い, FDM,FEMなどの波動音響的手法による大規模解析が行われつつあるものの,いずれも試行的段階であり,汎用化には至っていない.

FEMやBEMで最終的に得られる連立方程式の解法としては直接解法・反復解法があるが,BEMのような密行列の連立方程式を解く場合,問題の自由度をNとすると計算量は直接解法を用いた場合O(N3),適切な反復解法を用いた場合でもO(N2)となる.必要記憶容量に関しては行列保持の必要からO(N2)となる.これらが解析問題の大規模化に伴って著しい量となることは明白である.従って,行列ベクトル積の演算部を改善しない限りBEMで大規模問題を扱う際の計算効率の向上は図れない.

ところで,1983年にRokhlinによって大自由度のポテンシャル問題のための高速多重極アルゴリズム(fast multipole algorithm: FMA)が提案されている.これはまず多体問題に応用され,同分野の高速解法として発展してきたが,近年天体物理学,分子動力学,流体力学等の分野においても大規模問題解析への活用が進められている.FMAはポテンシャルの多重極化及びグループ化に基づいて計算効率を高める手法であり,その拡張として段階的な多重極化に基づく手法(multilevel FMA: MLFMA)も考案されている.一方でBEMによる大規模解析への応用も試みられており,様々な支配方程式に基づくBEMへの適用研究が始まっている.従って,音響問題のためのBEMに関しても,FMAの導入により計算量・必要記憶容量の大幅な節約が期待できると考えられる.その一方,従来のBEMと比較して検討すべき項目は多く,手法の汎用化のためには,多重極展開の数値的取り扱いやソース点・観測点のグループ化の方法,さらには反復解法に付随する収束の問題などを系統的に検討し,適切な設定方法を確立していく必要がある.これらの適切な設定なしでは得られた結果の計算精度の信頼性が得られないばかりか,計算効率の向上も見込めない可能性がある.

以上のような背景から,音響問題のための高速多重極アルゴリズムを導入したBEMは,大規模波動音場解析,ひいては各種の音響設計及び評価を行う上で大いに有用と考えられる一方,特に手法の汎用性という点から未だ研究段階にあるといえる.このような状況を踏まえ,本研究では目的を以下のように設定する.

1)境界要素法による3次元での大規模音場予測を目指し,計算効率の大幅な低減のための高速多重極アルゴリズムを多段階に適用した境界要素法,即ち高速多重極境界要素法(fast multipole boundary element method: FMBEM)を構築すること. 2)数値解析や理論的考察による検討を通して手法の汎用性及び音響問題における適用性向上のための様々な知見を取得すること.

以下に本論文の構成を示す.

第1章では,研究の背景及び既往関連研究の概観を行った上で,本研究の目的について述べた.また,本論文の構成について示した.

第2章では,本研究の基礎となる3次元音場のためのFMBEMの解析アルゴリズムを具体的に構築した.はじめにBEMによる音場の定式化を行った.次に多重極展開の基礎理論について概説した後,BEMに高速多重極アルゴリズムを多段階に適用するための階層セル構造について述べ,これに基づく要素間の影響評価構造について述べた.これらを踏まえ,BEMの各影響関数をFMBEMにより再定式化し,FMBEMの具体的な数値計算アルゴリズムを提示した.定式化は基本型(BF)のみならず,薄板解析に有用である法線方向微分型(NDF),外部問題の解の一意性を保証するBurton and Millerによる方法のそれぞれについて行った.最後に,問題の自由度のオーダーで評価した計算効率の理論的概算を通して,従来のBEMに比べて大幅な効率化が実現可能なことを示した.

第3章では,前章で構築した解析アルゴリズムをコンピューターに実装し,理論解と比較可能な音響管解析に適用することで,アルゴリズムの有効性を計算精度及び計算効率の両観点から検証した.FMBEM解析が理論解,BEM解析と良く対応すること,FMBEMがBEMに比べて計算効率を大幅に向上できる手法であることを確認した.一方,任意の問題に適用するためには多重極展開を数値的に近似するための計算パラメータを適切に設定する必要があることを示した.

第4章では,任意問題にFMBEMを適用するにあたり必須となる,多重極展開の数値的取り扱いのための各種計算パラメータについて検討した.本パラメータの適切な設定なしではFMBEMの計算精度は保証されない.まず,本手法の基礎となる3次元音場基本解の多重極展開について,厳密解との比較による精度の検討を通して,解析上意味を持つ無次元波数及び本手法で想定され得るセルの位置関係によらず高精度となる各種設定式を経験式の形で提案した.次にこれらの設定を用いたFMBEMにより数値解析を行い,計算効率の観点から設定条件の妥当性を検証した.検証は第2章で示した各定式化それぞれについて行った.

第5章では, FMBEMの持つ性能を最大限引き出す上で重要となる階層セル構造の設定に関して検討した.FMBEMはBEMと異なり,問題の自由度のみならず多重極展開並びに階層セル構造の設定により計算効率が変化する.階層セル構造に関しては,解析対象に対するセル構造の配置や階層化のレベルを解析対象の形状ごとに適切に設定する必要がある.はじめに,境界形状を考慮した階層セル構造の効率的な設定に関して検討した.階層セル構造の設定に特別に配慮しない場合,1次元的な境界形状に対してFMBEMによる効率化が損ねられることを数値解析結果から示した後,理論的概算及び数値解析によるケーススタディを通して複数の設定を比較検討し,有効な設定を提案した.数値解析結果により,1次元的な境界形状の問題においても本設定を用いることで2,3次元的な形状の場合と同程度の効率化が可能となることを示した.次にFMBEMの計算効率を最適化するためのセル構造の階層化レベル設定法について検討した.最下位レベルセル内平均節点数に着目し,理論的考察及び数値解析から,計算量及び必要記憶容量を最適化する最下位レベルセル内平均節点数が問題の節点数によらずそれぞれ一定となることを示し,これにより最適階層化レベルの算出が可能なことを示した.最後に,階層セル構造の応用的な利用法として,音場解析においてしばしば扱われる,対称形となる音場に対する効率化手法を構築した.対称面1面に対して計算量及び必要記憶容量をおよそ半減する効率化アルゴリズムを構築した後,数値解析により計算精度並びに計算効率を検証した.

第6章では,FMBEMで前提となる反復解法の収束性に関する検討を行った.反復解法の収束はFMBEMの全計算時間に直接的に影響するため,実用的な観点からこれをある程度予測できることが望ましい.しかしながら,一般にBEMで得られるような非エルミート行列に対しては,反復解法の収束性は与えられた問題の性質に大きく依存すると言われている.ここでは反復解法の収束性に関して,FMBEMによる音響問題の解析に限定した上で,反復解法の種類,定式化,解析対象の形状及び境界条件,問題の自由度の影響について検討した.検討は数値解析により行い,内部問題,外部問題のそれぞれについて,単純形状,複雑形状の解析対象を設けた.また,反復解法の収束改善のための様々な方法についてその効果を検討した.最終的に,個々の音響問題の解析に適した反復解法の選定と,収束改善のための適切な設定を行うための知見として整理した.

第7章は総括であり,本論文の成果と共に今後の課題について述べた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「高速多重極境界要素法による大規模音場予測に関する研究」と題し,7 章から成る.計算力学分野の研究成果である高速多重極アルゴリズムを,従来の波動音場解析手法である境界要素法(BEM)に適用することで,計算効率を飛躍的に向上させた「高速多重極境界要素法(FMBEM)」を開発している.また同手法について,その汎用化のための適切な設定法の検討,及び音響問題における適用性向上のための検討を行っている.本手法により,従来計算機能力の制限から実質的に不可能であった大規模波動音場予測が大いに身近なものとなることから,本研究は各種の音響設計,環境評価を行う上で大いに有用と考えられる.

第1 章「序」では,研究の背景,既往研究,研究の目的を述べた上で,本論文の構成について示している.

第2 章「解析アルゴリズムの構築」では,本研究の基礎となる3 次元音場のためのFMBEMの解析アルゴリズムを具体的に構築している.BEM による音場の定式化の後,多重極展開の基礎理論と,これをBEM に多段階に適用するための階層セル構造について述べ,これらを基にFMBEM の具体的な数値計算アルゴリズムを提示している.定式化は通常使用される基本型のみならず,薄板解析に有用な法線方向微分型,外部問題の解の一意性を保証するBurton and Miller による方法についても行っている.最後に,問題の自由度のオーダーで評価した計算効率の理論的概算を通して,従来のBEM に比べて大幅な効率化が実現可能なことを示している.

第3 章「解析アルゴリズムの有効性の検証」では,前章で構築した解析アルゴリズムをコンピューターに実装し,理論解と比較可能な音響管解析に適用することで,アルゴリズムの有効性を計算精度及び計算効率の両観点から検証している.FMBEM 解析が理論解,BEM 解析と良く対応すること,FMBEM がBEM に比べて計算効率を大幅に向上できる手法であることを確認している.

第4 章「多重極展開の設定条件に関する検討」では,FMBEM の計算精度に影響を及ぼす,多重極展開の数値的取り扱いのための各種計算パラメータについて検討している.まず,本手法の基礎となる3 次元音場基本解の多重極展開について,厳密解との比較による精度の検討を通して,解析上意味を持つ無次元波数,及び本手法での計算単位であるセルの位置関係によらず高精度となる各種設定式を経験式の形で提案している.次にこれらの設定を用いたFMBEM により数値解析を行い,計算効率の観点から設定条件の妥当性を検証している.

第5 章「階層セル構造に関する検討」では, FMBEM の計算効率に影響を及ぼす階層セル構造の設定について,その影響の把握と適切な設定法の提案を行っている.はじめに,境界形状を考慮した階層セル構造の効率的な設定に関して検討している. 解析対象の形状が1 次元的な場合FMBEM による効率化が損ねられることを数値解析結果から示した後,理論的概算及び数値解析によるケーススタディを通して複数の設定を比較検討し,形状によらず有効な設定を提案している.次にFMBEM の計算効率を最適化するためのセル構造の階層化レベル設定法について検討している.最下位レベルセル内平均節点数に着目し,理論的考察及び数値解析から,計算量及び必要記憶容量を最適化する最下位レベルセル内平均節点数が問題の節点数によらず一定となることを示し,これにより最適階層化レベルの算出が可能なことを示している.最後に,階層セル構造の応用的な利用法として,音場解析においてしばしば扱われる,対称形となる音場に対する効率化手法を構築している.

第6 章「反復解法の収束性に関する検討」は,FMBEM による解析を行う上で前提となる反復解法の収束性及びその収束改善法に関するものである.FMBEM による音響問題の解析に限定した上で,反復解法の種類・定式化・解析対象の形状及び境界条件・問題の自由度の影響,並びに前処理及び各種初期設定値による収束改善効果を数値解析を通して比較検討している.最終的に,個々の音響問題の解析に適した反復解法の選定と,収束改善のための適切な設定を行うための知見として整理されている.

第7 章「総括」では,本論文の成果と共に今後の課題について述べている.

以上,本論文は,計算効率の大幅な向上を可能とする手法の構築に止まらず,その実用的な運用・設定までを詳細に検討した内容となっている.波動音場解析手法の適用対象の拡大に大きく寄与しており,音響設計・環境アセスメント・性能評価等,良好な音環境を追求・創出するための様々な場面で応用が期待され,環境学上貢献する所少なくない.

よって,本論文は,博士(環境学)の学位申請論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/108