学位論文要旨



No 119546
著者(漢字)
著者(英字) Kraus Francois Jean
著者(カナ) クラウス フランソワ ジーン
標題(和) キチナーゼ過剰発現イネにおけるいもち病抵抗性増強の分子機構に関する研究
標題(洋) Molecular mechanism of blast disease resistance in chitinase over-expressing rice plants
報告番号 119546
報告番号 甲19546
学位授与日 2004.04.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2799号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 助教授 宇垣,正志
 茨城大学 教授 阿久津,克己
内容要旨 要旨を表示する

 イネは世界の主要な主食作物のひとつであり、病害抵抗性品種の開発はイネの安定生産にとってきわめて重要である。1999年,Nishizawaらはイネの2種の内在性クラスIキチナーゼ(Cht-2,Cht-3)を過剰発現させた形質転換イネにおいて,イネの最重要病原菌であるイネいもち病菌Magnaportheg griseaに対する抵抗性が増強されることをはじめて示した。このようなアプローチを最大限に活用するためには,キチナーゼ過剰発現イネにおけるいもち病抵抗性増強の分子機構を解明する必要がある。この機構については,現在,以下のような3つの可能性が考えられている。すなわち,(1)病原菌の感染以前に,キチナーゼの構成的な過剰発現が他の防御応答遺伝子群の連鎖的な発現を誘導している,(2)病原菌の感染時に,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁から遊離した過剰のキチンオリゴマーがエリシターとして働き,防御応答遺伝子群のより早期あるいはより強力な発現を誘導している,(3)病原菌の感染時に,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁の分解が促進され,菌の生育が,直接,より強固に阻害される。

 そこで本研究では、上記の仮説を検証するため,キチナーゼ過剰発現イネならびに非形質転換イネについて,これらの傷害ならびに病害に対する応答を,12種の防御応答遺伝子の発現パターンを分析することによって比較・解析した。対象とした遺伝子は,4種のキチナーゼ遺伝子(クラスI:Cht-2,Cht-3;クラスIII:Chi3a,Chi3b),2種のグルカナーゼ遺伝子(β-1,3;1,4:Gns1;β-1,3:Iglu),Pathogenesis-related protein1遺伝子(PR1),プロベナゾール誘導遺伝子(PBZ1),フェニルアラニンアンモニアリアーゼ遺伝子(PAL),カルコンシンターゼ遺伝子(CHS),リポキシゲナーゼ遺伝子(LOX),ペルオキシダーゼ遺伝子(POX)である。得られた結果の概要は次のとおりである。

1.非形質転換イネにおける防御応答

 1.1 傷害応答 小片に切断した非形質転換イネ(Oryza sativa L.japonica cv Nipponbare(Pi-a)の葉における防御応答遺伝子の発現を解析したところ,Chi3a,Iglu,PR1,PBZ1,PAL,CHS,POXなど多くの遺伝子の誘導発現が認められた。サリチル酸(SA)の前駆物質であるフェニルアラニン(PA)を加えた場合には、PALの発現は促進されたが、他の遺伝子の発現は抑制された。同一品種の懸濁培養細胞では,葉に比べてChi3bが強く発現している一方,PR1の発現は認められなかった。

 1.2 病害応答 最初に,懸濁培養細胞を用いて,防御シグナル物質やキチンエリシターの添加6時間後の防御応答遺伝子の発現を解析したところ,0.1〜1mMのSAはCht-3の発現のみをやや促進したが,5mM以上の濃度では毒性を示した。また,0.5mMのエテフォンあるいは0.1〜1mMのジャスモン酸(JA)はいずれもCht-3,Chi3b,PALの発現をやや促進した。一方,2〜8merの混合キチンオリゴマーを処理した場合には、0.01μg/m1以上の濃度でCht-3,Chi3a,Chi3b,PAL,PBZ1の発現を強く誘導した。なお、この際、SAやPAの添加による相乗効果は認められなかった。また,キチンエリシター添加後の各遺伝子の発現の時間的経過には,遺伝子ごとに差異が認められた。イネの葉にいもち病菌の親和性レース(007)を噴霧接種し、その後5日間に渡って防御応答遺伝子の発現を追跡したところ,菌の感染によってPR1,PBZ1,LOX発現が強く活性化する一方,Cht-3,Chi3a,Chi3b,Igluはわずかに発現が促進されるにすぎないことが示された。

2.キチナーゼ過剰発現イネにおける防御応答

 2.1 DNAマイクロアレイによる発現解析 非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネ(cvNipponbare)を用いて,DNAマイクロアレイによって発現の上昇あるいは抑制が認められた多数の遺伝子を検出し、それらについてさらにノーザン解析をおこなったが、両方の解析結果が一致する遺伝子クローンは得られなかった。

 2.2 傷害応答 小片に切断した非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネの葉における防御応答遺伝子の発現を比較・解析したが,両者の間に顕著な差異は認められなかった。

 2.3 病害応答 最初に,キチナーゼ過剰発現イネのイネ白葉枯病菌Xanthomonas oryzae pathovar.oryzaeに対する抵抗性をせん葉接種法によって検定したが、抵抗性の増強はまったく認められなかった。また,非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネ由来の懸濁培養細胞を用いて,キチンオリゴマー添加後の防御応答遺伝子発現の時間経過を比較・解析したが,両者の間に顕著な差異は認められなかった。さらに,非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネの葉に,いもち病菌の非親和性レース(001)あるいは親和性レース(007)を噴霧接種し、その後5日間に渡って26SリボゾームRNAを指標とした菌の増殖量と各防御応答遺伝子の発現を比較・追跡したところ,非親和性レースでは,両方のイネとも菌の増殖量がきわめて少なく、また、防御応答遺伝子の発現パターンにも顕著な差異は認められなかった。一方,親和性レースでは,キチナーゼ過剰発現イネにおいて菌の増殖が非形質転換イネよりも明らかに抑制されていたが、それにもかかわらず、両方のイネの間で導入キチナーゼ遺伝子の過剰発現の有無を除いて,他の防御応答遺伝子の発現パターンには顕著な差異が認められなかった。

 以上の結果から,キチナーゼ過剰発現イネが示すいもち病抵抗性の増強は、β-1,3;1,4グルカナーゼ過剰発現イネの場合(Nishizawa et al.2001)とは異なり,キチナーゼの構成的な過剰発現によってあらかじめ他の防御応答遺伝子が発現誘導されていることによるのでも,また,過剰のキチンオリゴマーが防御応答遺伝子群のより早期あるいはより強力な発現を誘導していることによるのでもなく,結局,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁の分解が促進され,菌の発育が,直後,より強固に阻害されることによってもたらされているのであろうと結論づけられた。

審査要旨 要旨を表示する

 1999年,Nishizawaらはイネの2種の内在性クラスIキチナーゼ(Cht-2,Cht-3)を過剰発現させた形質転換イネにおいて,イネいもち病菌Magnaporthe griseaに対する抵抗性が増強されることをはじめて示した。この機構については,現在,以下のような3つの可能性が考えられている。すなわち,(1)菌の感染以前に,キチナーゼの構成的な過剰発現が他の防御応答遺伝子群の連鎖的な発現を誘導している,(2)菌の感染時に,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁から遊離した過剰のキチンオリゴマーがエリシターとして働き,防御応答遺伝子群のより早期あるいはより強力な発現を誘導している,(3)菌の感染時に,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁の分解が促進され,菌の生育が,直接,より強固に阻害される。

 そこで本研究では,上記の仮説を検証するため,キチナーゼ過剰発現イネならびに非形質転換イネについて,これらの傷害ならびに病害に対する応答を,12種の防御応答遺伝子の発現パターンを分析することによって比較・解析した。対象とした遺伝子は,4種のキチナーゼ遺伝子(クラスI:Cht-2,Cht-3;クラスIII:Chi3a,Chi3b),2種のグルカナーゼ遺伝子(β-1,3;1,4:(Gns1;β-1,3:Iglu),Pathogenesis-related protein 1 遺伝子(PR1),プロベナゾール誘導遺伝子(PBZ1),フェニルアラニンアンモニアリアーゼ遺伝子(PAL),カルコンシンターゼ遺伝子(CHS),リポキシゲナーゼ遺伝子(LOX),ペルオキシダーゼ遺伝子(POX)である。得られた結果の概要は次のとおりである。

1. 非形質転換イネにおける防御応答

 1.1 傷害応答 小片に切断した非形質転換イネ(Oryza sativa L.japonica cv Nipponbare(Pi-a)の葉では,Chi3a,Iglu,PR1,PBZ1,PAL,CHS,POXなど多くの遺伝子の誘導発現が認められた。同一品種の懸濁培養細胞では,葉に比べてChi3bが強く発現している一方,PR1の発現は認められなかった。

 1.2 病害応答 懸濁培養細胞について防御シグナル物質やキチンエリシターの添加6時間後の遺伝子発現を解析したところ,0.1〜1mMのSAはCht-3の発現のみをやや促進した。また,0.5mMのエテフォンあるいは0.1〜1mMのジャスモン酸(JA)はいずれもCht-3,Chi3b,PALの発現をやや促進した。一方,2〜8merの混合キチンオリゴマーを処理した場合には、0.01μg/ml以上の濃度でCht-3,Chi3a,Chi3b,PAL,PBZ1の発現を強く誘導した。イネの葉にいもち病菌の親和性レース(007)を噴霧接種し,その後5日間に渡って遺伝子発現を追跡したところ,菌の感染によってPR1,PBZ1,LOX発現が強く活性化する一方,Cht-3,Chi3a,Chi3b,Igluはわずかに発現が促進されるにすぎなかった。

2. キチナーゼ過剰発現イネにおける防御応答

 2.1 DNAマイクロアレイによる発現解析 非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネ(cv Nipponbare)を用いて,DNAマイクロアレイによって発現の上昇・抑制が認められた遺伝子を検出し,それらについてノーザン解析をおこなったが,両方の解析結果が一致する遺伝子クローンは得られなかった。

 2.2 傷害応答 小片に切断した非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネの葉における遺伝子発現を比較・解析したが,顕著な差異は認められなかった。

 2.3 病害応答 キチナーゼ過剰発現イネのイネ白葉枯病菌Xanthomonas oryzaepv.oryzaeに対する抵抗性をせん葉接種法によって検定したが,抵抗性の増強はまったく認められなかった。また,非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネ由来の懸濁培養細胞について,キチンオリゴマー添加後の遺伝子発現の時間経過を比較・解析したが,両者の間に顕著な差異は認められなかった。さらに,非形質転換イネおよびキチナーゼ過剰発現イネの葉に,いもち病菌の非親和性レース(001)あるいは親和性レース(007)を噴霧接種し,その後5日間に渡って26SリボゾームRNAを指標とした菌の増殖量と各防御応答遺伝子の発現を比較・追跡したところ,非親和性レースでは,両方のイネとも菌の増殖量がきわめて少なく,また,防御応答遺伝子の発現パターンにも顕著な差異は認められなかった。一方,親和性レースでは,キチナーゼ過剰発現イネにおいて菌の増殖が非形質転換イネよりも明らかに抑制されていたが,それにもかかわらず両方のイネの間で導入キチナーゼ遺伝子の過剰発現の有無を除いて,他の防御応答遺伝子の発現パターンには顕著な差異が認められなかった。

 以上の結果から,キチナーゼ過剰発現イネが示すいもち病抵抗性の増強は,結局,過剰に存在するキチナーゼによって菌体細胞壁の分解が促進され,菌の生育が,直接,より強固に阻害されることによってもたらされているのであろうと結論づけられた。これらの成果は学術上・応用上の価値もきわめて高く,特に防除の面においても今後非常に役立つ知見であり,高く評価される。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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