学位論文要旨



No 119547
著者(漢字) 畑中,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ハタナカ,ケンイチ
標題(和) 農村におけるウィンターツーリズムの意義および地球温暖化による影響
標題(洋)
報告番号 119547
報告番号 甲19547
学位授与日 2004.04.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2800号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 助教授 塩沢,昌
内容要旨 要旨を表示する

1.序論(序章)

 農村において、過疎化・高齢化が進行しており、地域社会の崩壊が懸念されている。農村において、定住を可能にする産業・社会基盤の形成が求められるが、その実現は一般に困難である。なかでも積雪寒冷農村は、冬季の交通途絶により、出稼ぎが慣例化しているなど、安定的な産業・社会基盤の形成にとってとりわけ不利な条件を抱えている。

 その積雪寒冷農村にあって、農閑期における副業の機会をもたらすなど、安定した雇用の場の創出に寄与してきた数少ない産業の一つが、スキー場に代表されるウィンターツーリズムである。

 しかるに近年、地球温暖化の進行が予想され、懸念されている。IPCC(1998)は地球温暖化の影響下で、積雪も減少することが予想されるとしており、ウィンターツーリズム、さらには積雪寒冷農村の経済におよぶ影響が懸念される。

 地球温暖化が、スキー産業に及ぼす影響を調べた研究事例は、十分ではない。スキー産業に及ぶ地球温暖化の影響を調査した先行研究はいずれもヨーロッパまたは北米を事例地域とするものであり、アジア地域を対象として取り上げた研究は存在していない。また、農村計画の観点からスキー産業をとり上げ、地球温暖化による影響の程度を調べた研究事例も、きわめて少ない。

 以上より、農村計画の観点から、日本の農村におけるウィンターツーリズムの重要性を明らかにし、かつ、地球温暖化によるウィンターツーリズムへの影響の程度を明らかにすることを、本論文の目的とした。

 ツーリズムとは、World Tourism Organisation(1993)の定義によれば、「旅行をし、通常の生活圏の外にある場所に、継続的に、一年以内の期間にわたって滞在する行動」のことである。ウィンターツーリズムとは、ツーリズムのうち、季節性を伴い、主として冬季に営まれるものを指す。ウィンターツーズムは温泉旅行や避寒旅行など、スキー以外の余暇・観光活動も包含する。しかし本論文では、上に述べた背景及び目的から、スキーを、特に取り上げた(日本における普及の度合いにかんがみ、アルペンスキーおよびスノーボードのみを対象とした)。

 また本論文における分析の単位は、特別の必要が生じない限り、中気候地域および小気候地域とした。中気候地域あるいは小気候地域は、次のようにさだめた。

 まず日本全体を、1)北海道、2)東北、3)東日本、4)西南日本の4つに区分した(以後、大気候地域またはLCRと記す)。区分の基準は、緯度の違いと、スキー場の多寡とによる。

 次に、季節風による影響をカバーするために、大気候地域を分割し、1)日本海側、2)中央部、3)太平洋側の3つ(東北のみ2つ)に分けた(以後、中気候地域またはMCRと記す)。

 地域区分の最小単位(小気候地域)は、基本的には都道府県とした。都道府県を分割して小気候地域を設定する場合には、市町村界を用いた。

2.ウィンターツーズムの農村における意義(第1章〜第3章)

 第1章から第3章において、ウィンターツーリズムの農村における重要性を明らかにした。まず第1章において、日本の農村の現状を整理した。上級地方自治体に関する、OECD(1994)の農村地域/準農村地域/都市化地域の定義を小気候地域に適用し、各カテゴリ間における所得(課税対象所得額)の格差を調べた。また、人口の分布の推移(1965〜)を調べたところ、農村地域から都市化地域への人口の流出は継続していることが確認された。

 第2章においては、日本のスキー場開発の経緯を整理し直した。

 まず、日本全体におけるスキー場の標高の特徴を明らかにした。標高の高い、大規模なスキー場は長野県・新潟県・群馬県・岐阜県・北海道をはじめとする、東日本以北の一部の地域に集中している。また、スキー場の立地する小気候地域の土地そのものの垂直分布との比較における、スキー場の標高の相対的な高さを計算した。低緯度の地域ほど、スキー場の標高の相対的な高さは高いことが明らかになった。

 次に、日本におけるスキー場開発の過程を整理し直した。呉羽(1999)は、日本のスキー場開発の過程は4つの時期(1911-1959、1960-1979、1980-1992、1993年以降)に区分されるとしている。この時期区分を用いて、時期区分ごとの新規開発スキー場の標高・所在地域を整理し直した。その結果、(i)日本のスキー場は開発が進展する以前の段階(1960年代以前)から東日本に偏在していたこと、(ii)呉羽(1999)のいう「展開期」(1960-1979)および「発展期」(1980-1992)において、新規に開発されたスキー場の標高分布・所在地域の分布が類似性を示すこと、が明らかになった。

 第3章においては、ウィンターツーリズムがOECD(1994)の定義する農村の経済に及ぼす影響の大きさを推計した。レジャー白書所収のスキーに関するデータ(地域別参加率、年間平均参加費用)をもとに、日本全体における観光消費額を推計した。スキーへの参加に関連して支出される年間の消費金額は、日本全体で1.6兆円(2000年)〜2.2兆円(1995年)に達するものと推計された。また、スキーにより訪問客の受け入れ地域に生じる収入(以後、「スキーによる収入」)を、スキー場ごとの訪問客数と1人1回当たり平均参加費用をもとに推計した結果、日本全体で1.2兆円に上ることが明らかになった。スキーによる収入の地域内総生産に対するシェアは農村において大きく、最大で1.2%になる。

3.地球温暖化の影響下におけるウィンターツーリズム(第4章)

 第4章においては、ウィンターツーリズムが、予想される地球温暖化の下でこうむる影響の大きさの程度を調べた。

 IPCC(2001)によれば、地球温暖化に付随する気温上昇は、冬季においては年平均以上に顕著である。1961-1990年平均と比較して、寒帯アジアにおいては、2020年代に2.7℃、2050年代に5.5℃、2080年代に8.0℃の気温上昇が予想される(エアロゾルの影響を考慮しない場合)。また温帯アジアにおいては、2020年代に1.7℃、2050年代に3.3℃、2080年代に5.1℃の気温上昇が予想される(エアロゾルの影響を考慮しない場合)。

 また降水量については、寒帯アジアおよび温帯アジアのいずれの地域においても、増加することが予想される。1961-1990年の平均と比較して、2050年代に、寒帯アジアでは24%、また温帯アジアでは13%、それぞれ降水量の増加が生じることが予想される(エアロゾルの影響を考慮しない場合)。

 以上の予想をもとに、エアロゾルの影響を考慮する場合としない場合の平均をとって、気温上昇および降水量増加のシナリオとした。

 一方、1965年11月から1995年4月までの、30冬季の気温・降水量・積雪(降雪深・最深積雪・降雪深の階級別積雪日数)データの月別値をもとに、月平均の気温および降雪深を出力する経験モデルを構築した。モデルの構築(パラメータの推定を含む)については、チェコ共和国在住のリスクアナリストであるパベル・カラムザ氏の全面的な助力を得た。

 月平均気温のモデル化は、次式のパラメータを中気候地域別に推計することにより行った。月平均気温(MCR,月)=a*標高+{1+1(月)}歯緯度+{y+y(月)}*西暦年+定数(MCR)+定数(月)+定数…(1)

 ただし、a,1,yはモデルのパラメータ。またカッコは、カッコ内の変数に対する依存性を示す。

 これをもとに、2020年、2050年、および2080年のそれぞれについて、スキー場ごとに月平均気温を求めた。その上で、1月の月平均気温が3℃を上回り、降雪深予測モデルが適用できなくなるスキー場の比率を中気候地域別に算出した。北海道、および太平洋側を除く東日本においてはスキー場の数・観光消費額ともに減少ゼロのまま推移したが、東北(2080年)において、スキー場の数が70%、観光消費額が50%、それぞれ減少する(基準年=1995年)という推計を得た。

4.考察及び結論(終章)

 日本の農村において、ウィンターツーリズムは直接的な収入の意味でも、雇用の場としても、決して小さくない比重を占めている。しかし試算の結果、東北地方において、2080年前後に1995年と比較してスキー場の数が30%、スキーによる収入が50%減少することが推定された。

 東日本および北海道においては、スキー場数・スキーによる収入とも、減少はゼロのまま推移した。ただし予想されている地球温暖化において、冬季の気温上昇は年平均の気温上昇よりも急激であり、かつ寒帯における気温上昇は温帯における気温上昇よりも急激であると言われている。とりわけ北海道における地球温暖化の影響については、さらに検討を加える必要がある。

[参考文献]IPCC(1998): The Regional Impacts of Climate Change: An Assessment of Vulnerability.Special Report of IPCC Working GroupIIWorld Tourism Organisation(1993): OECD(1994): Creating rural indicators,Territorial scheme and definitions,p.23,OECD,Paris呉羽正昭(1999): 日本におけるスキー場開発の歴史と農山村地域の変容,日本生態学会誌49(3),pp.269-275IPCC(2001): Climate Change 2001: Impacts,Adaptation and Vulnerability,p.421
審査要旨 要旨を表示する

 ウィンターツーリズムは中山間地域の経済の振興に寄与している数少ない有力な産業の一つである。しかし地球温暖化が予測されており、ウィンターツーリズムに及ぼす影響が懸念される。地球温暖化が個別の具体的な産業、あるいは地域に及ぼす影響を事前に評価することは、地球温暖化の影響研究における重要な課題であるが、ウィンターツーリズムに及ぼす地球温暖化の影響を評価した研究事例は現在、アジア地域においては、著者による一例を除いて皆無である。本論文は、ウィンターツーリズムを代表する活動であるスキーについて、日本の農村における経済上の意義を明らかにし、かつ、地球温暖化による影響の評価を行った論文である。

 序章では、本論文の分析に用いる地域の単位である、大・中・小の各気候地域を定義している。大及び中各気候地域は気候の違いをカバーするために設定したもので、大気候地域は日本列島内部における緯度の不均一に、中気候地域はモンスーンゆえの降雨特性の不均一に、それぞれ対応する。小気候地域は大および中の各気候地域に適合するよう定めたデータの表象単位である。

 第1章では、OECDが1994年に提案したスキームに従って小気候地域を農村地帯/準農村地帯/都市化地帯の3つに分類した後、日本全体における人口分布の不均等を、気候地域および上記3分類に即して論じている。また、日本の農村における第一次産業の重要度を、総産出額および従業者数の二点について検討している。

 第2章では、スキー場の立地の特徴を数・規模・標高および総開発面積に着目して整理している。また、スキー場の平均標高とスキー場が立地する中気候地域内最高標高とを比較したとき、低緯度かつ太平洋側の中気候地域ほど、地域内最高標高付近に立地するスキー場の割合が高いことを明らかにしている。

 第3章では、スキー場が所在地域の経済全体に占める大きさを検討している。まず、スキー場における集客数(スキー場訪問客数)を推計し、日本全体で6700万人(1995年)との結果を得た。次に、スキー場現地で消費される1回・1人当たりの金額を、スキー場訪問に要する所要交通費を差し引いて求めた。所要交通費は6600円、現地で消費される1回・1人当たりの金額は11000円と推計された。以上をもとに、スキー場現地で消費される金額を推計し、日本全体で0.75兆円(1995年)との結果を得ている。さらに、スキー場現地における消費額の地域内総生産に対するシェアを、地域全体、農村のみ、山間地域のみのそれぞれについて求めた。シェアは地域全体で平均0.15%、農村のみで平均0.78%、山間地域のみで平均3.6%となり、スキー場現地における消費額が農村、とりわけ山間地域において、より大きな比重を占めることが確認された。

 第4章では、地球温暖化の進行がスキー場の数、およびスキー場現地における消費に及ぼす影響を調べている。まず、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第三次報告書所収の気温・降水量変化を参考に、気温および降水量の変化シナリオを設定した。次に、1965年以降30年間の実測データ(月別値)より作成した統計モデルを用いて、2000年・2020年・2050年・2080年の各時点における1月の平均気温を、スキー場ごとに予測した。1月の平均気温が3℃を上回るスキー場は2000年時点においては、西南日本の日本海側を除いてごく少数(5%未満)であることを確認した上で、1月の平均気温が3℃を上回るスキー場は経営不可能になるとの仮定にもとづき、「経営可能なスキー場」数の変化、およびスキー場現地における消費額の変化を検討している。「経営可能なスキー場」数の減少は、最大(2080年代)で約70%に達すること、スキー場現地における消費額は日本全体では0.65兆円までしか低下しないこと、「経営可能なスキー場」数およびスキー場現地における消費額の減少は東北以南の日本海側の中・小気候地域で顕著になることが推計された。

 終章では、本論文の成果を確認するとともに、本論文の成果より得られる示唆を論じた。スキー場現地における消費の減少が全体としてごくわずかにとどまり、また、「経営可能なスキー場」の数の減少に比しても緩慢だった理由は、多くの中気候地域において、地球温暖化の進行が大規模スキー場より小規模スキー場を先に「経営不可能」にするためであると推測された。

 以上要するに本論文は、スキー場が日本の農村および山間地域に有する経済的意義、ならびに、地球温暖化の進行がスキー場およびスキー場現地の経済に及ぼす影響の事前評価、および事前評価の結果から得られる示唆について論じたものであり、応用上、学術上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク