学位論文要旨



No 119548
著者(漢字) 黒木,信一郎
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,シンイチロウ
標題(和) 青果物のガス交換メカニズムに関する基礎研究
標題(洋)
報告番号 119548
報告番号 甲19548
学位授与日 2004.04.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2801号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大下,誠一
 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 助教授 芋生,憲司
 東京大学 助教授 後藤,英司
内容要旨 要旨を表示する

 収穫後の青果物の呼吸作用(ガス交換)に及ぼす環境要因としては、主に収穫からの時間、温度、湿度、O2濃度、CO2濃度、C2H4濃度の6要因が挙げられ、各環境要因の影響に関しては、これまでに数多くの研究報告がなされている。特に、ガス環境がガス交換の生化学的プロセスに及ぼす影響の解明についての学術的成果は著しく、ミトコンドリア内酵素タンパク質の活性の誘導など、遺伝子発現の原因究明にまで及んでいるものもある。しかしながら、一方で青果物組織へのO2の供給、および発生したCO2の組織外への排出を考慮した研究、すなわちガス交換の物理的プロセスに言及した研究は極めて少なく、既往の研究のほとんどは青果物内部の空間構造やガス環境をブラックボックス化した、見かけ上のガス交換について議論したものである。このため、呼吸速度の時間依存性や外環境変動時の応答性、限界O2濃度の理論的証明等、生化学的プロセスのみでは説明できない未解明の課題が依然として残されている。従って、細胞レベルで行われる呼吸反応と組織内ガス拡散との総和であるガス交換現象に及ぼす環境要因の影響を、より精緻に理解するためには、生化学的プロセスのみならず、青果物内部のガス拡散プロセスにも言及する必要があると考えられる。また、生化学的、物理的プロセス双方を考慮した青果物のガス交換メカニズムの解明は、これまで明らかにされてきた生化学的プロセスに関する知見に対して再解釈を与えることも期待される。

 以上の事柄を鑑みて、本論文では、キュウリ果実を対象として、収穫後における青果物のガス交換特性について、特にその物理的プロセスを解明することを目的とした。

 第1章では研究の背景について触れ、収穫後における青果物のガス交換の物理的プロセスが現状ではブラックスボックス化されていることを指摘し、青果物内部のガス拡散プロセスを解明する必要性について述べた。

 第2章では、青果物組織内のガス拡散の支配的な通路であると考えられる細胞間隙、特に気体で満たされた細胞間隙(gas-filled intercellular space)の体積およびその経時変化を定量的に把握することを試み、青果物組織内のガス拡散の場の情報を取得した。供試材料はキュウリ果実とし、貯蔵条件は20℃、飽和湿度の環境下で5日間とした。見かけ密度を水置換法により、真密度をピクノメータ法によって測定し、空隙率の算出を行った結果、空隙率は収穫後の時間経過に伴い減少する傾向が認められ、またgas-filled intercellular spaceの体積も減少することが示された。次にX線μCTを用いて、貯蔵1日目および5日目のキュウリ果肉組織切片の断層画像を平面分解能2.48μm、スライス厚2.48μmで500枚取得し、3次元画像の再構築を行った。これにより、キュウリ果肉組織内に複雑に発達したgas-filled intercellular spaceのネットワーク構造を可視化すると共に、「gas-filled intercellular spaceは植物組織内に立体網目状に発達している」というこれまでの仮説を実験的に証明した。さらに、貯蔵1日目および5日目におけるgas-filled intercellular spaceのサイズ分布の計算を行った結果、貯蔵期間の経過に伴い、キュウリ果肉組織内のgas-filled intercellular spaceの細分化が進行することが示された。またこれは、収穫後における生体膜の劣化により細胞内水が漏出し、細胞間隙が一部分断されたためであると考察された。

 第3章では、青果物の有効ガス拡散係数測定について検討し、不活性ガスであるNeを利用することによって同一個体の連続的な計測を可能とする非破壊的かつ非侵襲的な有効ガス拡散係数測定法を考案した。本計測法は、密閉容器内に青果物と共に所定量のNeガスを封入した後、経時的に容器内Ne濃度の実測を行い、その濃度変化を与える青果物組織の有効ガス拡散係数を反応拡散方程式に基づき数値的に決定するという方法である。計測の結果、キュウリ果実の有効ガス拡散係数は、収穫後の時間経過に従い低下することが明らかとなった。またこの結果は第2章にてgas-filled intercellular spaceの細分化が観察されたことから、ガス拡散の主要な通路である細胞間隙のうち、気体で満たされている部分(gas-filled intercellular space)が減少し、逆に液体で満たされた部分(liquid-filled intercellular space)が増加したことによるガス拡散抵抗の増大が原因であると考えられた。これにより、青果物組織内部の空間構造とガス拡散特性の関係が明らかとなった。

 第4章では、外気から取り込んだO2が組織内部で消費される過程である青果物のガス交換モデルを、反応拡散方程式の適用により構築し、その有効性について検証した。なお、モデル式中の反応項には、種々の酵素反応が関与する呼吸現象のモデルであることを考慮してMichaelis-Menten型の反応速度式を与えた。拡散項のパラメータには、前章で得られたNeの有効ガス拡散係数をGrahamの法則によってO2の有効ガス拡散係数へと換算した値を与えた。まず、貯蔵1日目の反応項パラメータを、大気条件下における貯蔵1日目のキュウリ果実個体のガス交換速度の実測値に対して非線形回帰することにより同定した。続いて、同定された反応動力学定数であるミカエリス定数Kmおよび最大反応速度Vmaxを用いて、外環境のO2濃度に任意の値を与えてガス交換速度の推算を行った結果、シミュレーション結果は実測値と良好に一致し、外環境の種々のO2濃度に対するキュウリ果実のガス交換速度の表現に本モデルが有効であることが示された。

 また、追熟型を除く青果物に一般的に認められる、収穫後の時間経過に伴うガス交換速度の漸減現象について、ガス交換の物理的プロセスおよび生化学的プロセスが及ぼす影響をそれぞれ数値シミュレーションによって検討した。その結果、キュウリ果実においては、果実内部のガス拡散速度の低下のみによって5日間の貯蔵期間中におけるガス交換速度の減少分の15%程度が説明されることが示された。これは、果実内部のガス濃度が相対的に低下するためであると考えられた。一方、生化学的プロセスである反応速度は、収穫後の時間経過に伴い呼吸基質濃度あるいは呼吸に関連する酵素濃度を制限要因とする低下傾向を示し、またその変化は貯蔵1日目と5日目との間で顕著であった。以上により、収穫後におけるキュウリ果実のガス交換速度においては、生化学的プロセスの影響が支配的であることが示された。

 以上、本研究ではキュウリ果実を対象とし、青果物組織内に存在するgas-filled intercellular spaceの3次元可視化、および青果物の有効ガス拡散係数の計測を通して、青果物のガス交換の物理的プロセスを明らかにした。また反応拡散方程式の適用により、物理的プロセスを考慮した青果物のガス交換の数理モデルを構築すると共に、収穫後におけるキュウリ果実のガス交換速度に対する、物理的プロセスおよび生化学的プロセスのそれぞれの寄与を計算機シミュレーションによって明示し、収穫後における青果物のガス交換速度の時間依存性について理論的な解釈を与えた。

審査要旨 要旨を表示する

 青果物の貯蔵・流通過程における環境要因が、収穫後の青果物の呼吸作用(ガス交換)に与える影響に関する研究報告は数多い。しかしながら、既往の研究のほとんどは青果物内部の空間構造やガス環境をブラックボックス化した、見かけ上のガス交換について議論したものであり、青果物組織へのO2の供給、および発生したCO2の組織外への排出を考慮した研究、すなわちガス交換の物理的プロセスに言及した研究は極めて少ない現状にある。このため、呼吸速度の時間依存性や周囲環境変動時の応答性、限界O2濃度の理論的証明等、未解明の課題が依然として残されており、収穫後の青果物の生理作用に合理的な解釈を与える上では、ガス交換における生化学的プロセスおよび物理的プロセスの双方を考慮して論じる必要があると考えられる。

 以上の事柄を鑑みて、本論文では、キュウリ果実を充実した果肉組織を持つ青果物の一つとして取り上げ、収穫後における青果物のガス交換特性について、特にその物理的プロセスを解明することを目的とした。

 本論文は5章から構成され、第1章では研究の背景について触れ、収穫後における青果物のガス交換の物理的プロセスが現状ではブラックスボックス化されていることを指摘し、青果物内部のガス拡散プロセスを解明する必要性について指摘した。

 第2章では、青果物組織内のガス拡散の支配的な通路であると考えられている細胞間隙、特に気体で満たされた細胞間隙(gas-filled intercellular space)の体積およびその経時変化について検討し、空隙率およびgas-filled intercellular spaceの体積が収穫後の時間経過に伴い減少することを示した。またX線μCTを用いて、貯蔵1日目および5日目のキュウリ果肉組織切片の断層画像を平面分解能2.48μm、スライス厚2.48μmで500枚取得し、果肉組織の3次元画像を再構築した。これにより、キュウリ果肉組織内におけるgas-filled intercellular spaceを可視化し、それらが複雑に発達したネットワーク構造を形成していることを明らかにした。さらに、貯蔵1日目および5日目におけるgas-filled intercellular spaceのサイズ分布を比較することにより、貯蔵期間の経過に伴いキュウリ果肉組織内のgas-filled intercellular spaceの細分化が進行することを明らかにした。

 第3章では、青果物の有効ガス拡散係数測定について検討し、不活性ガスであるNeを利用することによって同一個体の連続的な計測を可能とする非破壊的かつ非侵襲的な有効ガス拡散係数測定法を考案した。本計測により、キュウリ果実の有効ガス拡散係数が、収穫後の時間経過に伴い低下することを明らかにした。またこの低下の理由は、第2章にてgas-filled intercellular spaceの細分化が観察されたことから、ガス拡散の主要な通路である細胞間隙のうち、気体で満たされている部分(gas-filled intercellular space)が減少し、逆に液体で満たされた部分(liquid-filled intercellular space)が増加したことに起因するガス拡散抵抗の増大であることを示した。以上により、青果物組織内部の空間構造とガス拡散特性の関係を定量的に示した。

 第4章では、外気から取り込んだO2が組織内部で消費される過程である青果物のガス交換モデルを、Michaelis-Menten型の反応速度を適用した反応拡散方程式により構築し、周囲環境の種々のO2濃度に対するキュウリ果実のガス交換速度の表現に本モデルが有効であることを示した。また、追熟型を除く青果物に一般的に認められる、収穫後の時間経過に伴うガス交換速度の漸減現象について、ガス交換の物理的プロセスおよび生化学的プロセスが及ぼす影響をそれぞれ数値シミュレーションによって検討し、キュウリ果実に関しては、組織内におけるガス拡散係数の低下のみにより、5日間の貯蔵期間中におけるガス交換速度の減少分の15%程度が説明されること、したがって収穫後におけるキュウリ果実のガス交換速度においては、生化学的プロセスの影響が支配的であることを示した。

 以上、本研究ではキュウリ果実を対象とし、青果物組織内に存在するgas-filled intercellular spaceの3次元可視化、および有効ガス拡散係数の計測を通して、青果物のガス交換の物理的プロセスを明らかにした。また反応拡散方程式の適用により、物理的プロセスを考慮したガス交換の数理モデルを構築すると共に、収穫後におけるキュウリ果実のガス交換速度に対する、物理的プロセスおよび生化学的プロセスのそれぞれの寄与を数値シミュレーションによって明示し、収穫後における青果物のガス交換速度の時間依存性について理論的な解釈を与えたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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