学位論文要旨



No 119555
著者(漢字) 松沼,美穂
著者(英字)
著者(カナ) マツヌマ,ミホ
標題(和) ヴィシー政権下フランスにおける帝国プロパガンダと国民統合
標題(洋)
報告番号 119555
報告番号 甲19555
学位授与日 2004.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第505号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,庸子
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 池上,俊一
 東京大学 助教授 石田,勇治
 東京大学 助教授 森山,工
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、第二次世界大戦下にヴィシー政権がフランス本国国民を対象として行った、植民地帝国を顕揚するプロパガンダを、政権が存在した全期間を通して検討することで、国家存亡の危機のなかで国民統合の要として帝国に重要な役割が付与された様相を、具体的に明らかにしようとするものである。

 植民地はフランス史研究において長らく周辺化されてきた領域であり、また植民地プロパガンダ研究のなかでのヴィシー時代、およびヴィシーのプロパガンダ研究のなかでの植民地という視角もともに、いまだ本格的には研究されていない。しかし第二次世界大戦中、フランス国家は専門的な担当部署を政府内に整備しこれを中心として、本国国民の対植民地関心を高めるための国家事業を大々的に展開した。対独敗北と外国軍隊による国土の分断占領、国内外の抵抗運動およびその弾圧により、分裂の危機に瀕するフランスを統治する、敗北から生まれたヴィシー政権は、フランスの国民統合と植民地帝国とを、国策のなかで極めて意識的に緊密に結び付けたのである。この時代を対象に、実証的な史料分析によって先行研究の間隙を埋めようとする本稿では、これまでの植民地プロパガンダ研究が主として注目してきた、言説やイメージの側面だけでなく、プロパガンダ政策の決定や、その実行のために動員される活動資源、情報の流通過程や組織といった問題に、大きな関心を払う。用いられる史料は、ヴィシー政権の植民地プロパガンダ担当部署だった、植民地庁内の植民地経済事務所の公文書が中心となるが、その活動に深くかかわった外部民間団体や地方自治体・商工会議所などの文書、新聞報道なども参照することによって、時代の全体像を描き出すことが目指される。

 体制の非民主的性格と戦争とに起因する特殊性が、前時代から連続する要素の上に築かれたこと、連続性と非連続性のいわば不可分性が、ヴィシーの帝国プロパガンダの基底をなしていた。前時代より継続しているという帝国の性格こそが、これに対する支配権を持つ政権の正統性を強めるのであり、帝国プロパガンダに尽力すべき理由であった。この政権は、19世紀に起源を持つ組織を整備する形で、帝国の意義を国民に訴えるための機関を立ち上げ、これを中心とする国家セクターの比重が飛躍的に高まったことが、ヴィシー時代の帝国プロパガンダの機構的特徴となった。そしてそこでは、祭典の広域的な同時開催や移動博覧会、帝国「原住民」の展示などが端的に示したように、前世紀以来の植民地プロパガンダの歴史のなかで蓄積された手法や構想を、国家が地方や民間を動員して拡大再編したという様相が、しばしばみられた。

 共和主義を否定し人種主義を公認したことは、イデオロギー的基礎の点でのヴィシー政権の帝国プロパガンダの特徴だった。しかし植民地帝国を建設してきたのは第三共和政であり帝国を称えることはその遺産の継承であるということに、ヴィシーは終始口を閉ざした。そこでは表面的には、先立つ時代に植民地支配を称揚した論法からの明白な転回は提示されなかった。ヴィシーは人種論に立脚して、帝国現地ならびにフランス本国で人種隔離といえる差別政策を実行したが、劣等人種とみなした「原住民」によって主に構成される帝国を顕揚するにあたっては、支配者と被支配者の人種的断絶を強調するような表現を打ち出したわけではなかった。むしろそこでは、フランスと帝国の一体の結び付きが、前面に押し出され表現されたのである。ヴィシー政権は、史上類のない国家存亡の危機という非連続的な時代状況のなかで、フランスが再生するための政治的・国際的・精神的な基盤として帝国に改めて目を向け、フランスと帝国の一体性、両者の「共同体」という観念を、フランスの根幹をなす性質として国民の前に提示した。本国と帝国の一体性は、ヴィシー政権の正当性の基盤をなしその帝国政策を基礎付ける命題となり、植民地統治論に止まらず、本国フランス人向けのプロパガンダ政策においても中枢に位置した。その結果、一方で肌の色に基づく人種の優劣を唱えていた権力は、各々の人種や階層が役割を与えられ差異を内包する一個の共同体という帝国像を、国民に向けて打ち出した。

 帝国を称える大行事やより日常的な働きかけにおいて、重要な対象としてとり上げられた人々の集団という切り口から、帝国プロパガンダの方法や内容を検討する作業が、本稿の特色のひとつである。体制全体の前衛と位置付けられ帝国プロパガンダの対象としても最重視された青年層に向けては、一部のエリートが帝国に託し得る希望を通じて、全ての国民に、帝国とそれを有する政権への、信頼と希望を持たせることが目指され、エリートと大衆の間で異なる役割期待が示された。しかしこの意図の正確な伝達は容易ではなく、多人数を組織的・効率的に動員できる学童に焦点が移されていった。植民地行政と教育行政の連携による学校教育への浸透は、ヴィシー政府の帝国プロパガンダの大きな特色となった。女性は、帝国との貿易再開後の消費者予備軍としてもっとも注目されたが、帝国に対する女子の意外に積極的な関心は、職業的志向を持つ一部の女性によって、数少ない自己実現の舞台として帝国が捉えられたことを窺せる。

 帝国への希望に国民を結集しようとする行為の、ドイツのフランス人捕虜収容所での展開は、将来帰国して国家建設の中核を担うはずの国民を、故郷の同胞と同じ帝国顕揚行事を通じて体制を支持する国民共同体に組み入れることを目指した。これに対して在仏帝国「原住民」兵士・労働者への働きかけは、その反仏感情が宗主国政府に脅威を感じさせた帝国出身者の集団の、フランスへの忠誠を調達するための行為であったが、これが本国国民向けの帝国プロパガンダと結合した。本国で見ることのできる最も具体的な帝国像である彼らの存在は、フランスと帝国の一体性という命題を最も明確に表現できる場面を演出した。

 こうした多岐にわたる活動を、国の末端まで到達させるための組織・人脈網として、「海洋植民地連盟」という一民間団体が、特筆すべき役割を演じた。その理由として、ドイツ占領当局の許認可取得、また国家直属のプロパガンダという印象を与えないほうが国民に受け入れられ易いという配慮、などが推定される。反対者を排除し決定と実行の権限を独占した体制は、非政府的部門を前面に出し自らは後景に退く形を取ることで自らの意思を伝えるプロパガンダを継続する、という政策手段を選んだのである。フランス史上でも特殊に非民主的抑圧的な政府によるプロパガンダでも、受け手および担い手としての国民の受容あるいは参加の意志との相互作用の上で、成立していた。

 ヴィシー政権が帝国支配権を実質的に失って以降にも継続した帝国プロパガンダは、戦争終結過程への対応として構想・実施された意味で、この戦争の期間という時代のうちでの新局面に入った。戦争後にも帝国を維持することと、内戦の危機も感じられるほどに分裂した国論を、この帝国維持という目標を軸に政治的・社会的立場のいかなる断絶をも超越して一致団結させることが、帝国プロパガンダ政策担当者の意志であった。そこでは帝国との紐帯を主張するための新しい論理が提示された。それは「自然な」共同体であり、一時的な政治状況などには左右されない、精神的・歴史的・文化的結合であった。政治的実態を失った観念のみの結び付きは、しかしまさに現実より強固な永遠不変のものと説明された。

 そして、ヴィシー時代の闇からフランスを解き放ち国の統一を回復した新権力は、フランスの解放に対する帝国の貢献と、水平的な関係下での共存共栄という未来像を示すことで、フランスの統治者としての自己と植民地支配の継続とを内外に正当化しようとし、帝国プロパガンダを行った。それは担当組織や内容の点で、ヴィシー政権の活動と少なからず連続し、何よりも、既存の秩序を根本的に破壊してフランスを新生させるという展望のなかで帝国に重要な位置が与えられることが、共通していた。そこでは、フランスを統治する権力の正統性を証明すると同時に、国際的な危機に直面したときに国民の大国願望を満たすことで国論を糾合しようとして提示される帝国という機能が、体制の変動を越えて一貫していた。自由フランスが常に敵対者を意識したことだけでなく、戦中戦後を通じた官僚・統治機構内の人的連続性、そして何よりも国民がフランスと帝国の一体性というメッセージをそれまで4年間聞き続けていたことは、帝国との共同体が新生フランスの像として打ち出され、政治的に実現される、重要な布石だったはずだ。

 フランスの存続の前代未聞の危機、長期占領の苦悩を引き受けたヴィシー政権は、国民を自らの下に結集する核として帝国を採用し、帝国と一つの共同体をなすフランスに国民の意識を同一化させようとして、あらゆる活動資源を動員して帝国を顕揚したのであった。フランスの危機を救う帝国、帝国との共同体によるフランス再生というヴィジョンを、ヴィシーの帝国プロパガンダが結晶化させ、それは共和国の再興とともに廃棄された国民革命理念とは異なり、解放の時代に引き継がれていった。

審査要旨 要旨を表示する

 「ヴィシー政権下フランスにおける帝国プロパガンダと国民統合」と題した本論文は、我が国のフランス史研究においては開拓的といえる領域の問題構成にとり組んだ労作である。第二次世界大戦下の親ドイツ政権ヴィシー政府のもとで、きわめて積極的に「帝国プロパガンダ」が推進されており、これはフランスという国家アイデンティティをめぐる危機を超克する試みの一環として展開されていた。ヴィシー研究のなかでも看過されてきたこの事実を、本論文は膨大な一次史料を用いて検証する。「プロパガンダ政策が決定・実施される過程」に照準を合わせて現場の再構成を試みる、その堅実な作業が、松沼氏の本領といえる。内容構成は以下の通りである。

 序論:表題に掲げられた語彙「帝国」および「プロパガンダ」の本論文における用法を定義。エクス・アン・プロヴァンスの国立公文書館海外部門分館Centre des Archives d'Outre-Merの植民地史関係史料を中心とする調査対象の概要が示され、さらに先行研究との関係において研究課題の設定が行われる。

 第1章:第三共和政期下の植民地プロパガンダを歴史的に概観したのち、ヴィシー政権にとって「帝国」がいかなる意義をもちえたかを確認し、次にプロパガンダの担い手となった諸組織の構成と機能を検証する。「情報宣伝庁」の他、「植民地庁」の内部に設置された部局AEC(植民地経済事務所)が、主たる検討対象となる。

 第2章:AECの活動として実行もしくは企画された帝国祭典の具体例を見る。「海外フランス週間」の行事において打ち上げられた主要な企画「博覧会列車」を、豊富な史料に基づき再現する。またAECが直接にかかわるものではないが、「帝国」顕揚を目的とした大規模な行事、マルセイユ見本市や「フランス戦士団」記念式典などが紹介される。

 第3章:「学校」「青年」「女性」という区分を立てて情報の受け手を分類し、それぞれの対象にしたがって、プロパガンダ活動の技術的な側面や送られるメッセージが特化されている事実を検証する。また活動の現場において多大の貢献をなしたLMC(海洋植民地連盟)に注目する。これは第一次世界大戦の直後から存続しつづけた、最有力の植民地アソシアシオンであり、ヴィシー政権は、この民間団体を積極的に活用した。

 第4章:戦時下に生じた特殊な集団に対するプロパガンダ活動を検証する。ドイツ領内に拘束されたフランス人捕虜を対象とした活動、および在フランスの帝国兵士・労働者を対象とした活動である。

 第5章:ヴィシー政権が実質的に「帝国」に対する支配権を失った1943年以降も「帝国プロパガンダ」は着実に続行された。その実態を、活動目標の変容、組織の改変、等の視点から記述する。

 結論:戦争終結にいたるまで「帝国との精神的な紐帯」を謳いつづけたプロパガンダの活動は、重大な見直しを迫られることなく、解放後の新政権にひきつがれる。第三共和政からヴィシー政権へ、そしてヴィシー政権から第四共和政へという国内政治の断絶は、一方で「帝国」という主題を継承することにより、ある種の「連続性」を保証されたのである。

 本論文の意義は、まず着眼点と問題構成の新鮮さにあるといえよう。フランス近現代史研究のなかで、植民地や海外領土の存在は、長らくマージナルな問題とみなされてきた。また国内政治については、当然のことながら、共和政の研究が中心を占め、対独敗戦を契機に成立した短命なヴィシー政権が、歴史研究の対象として注目を浴びるようになったのは、ようやく近年のことにすぎない。フランスにおける新しい学問的な潮流に棹さして、植民地プロパガンダの調査検討という課題を設定したことにより、本論文は独自の研究基盤を確保したとみなされる。

 松沼氏は、未踏査の一次史料を精力的に調査して、植民地帝国を中核に据える「国民統合」というヴィシー政権のイデオロギーを摘出することに成功した。また従来のプロパガンダ研究が、発信されたメッセージの内容分析に傾きがちであったのに対し、情報発信の組織や機構、とりわけ発信の現場に着目して、検証作業を行ったことも本論文の特徴である。さらに、ヴィシー政権が存続した全期間にわたり、「帝国」の主題化をめぐる諸条件の推移を、通時的な視点から検討したという点においても、本論文は先行研究を越える広がりをもつ。このことにより、本論文は、ヴィシー研究史の間隙を埋めると同時に、植民地史にも新たな研究の視角を切り開いたと評価できる。

 口述審査においては、以下のような問題点や弱点が指摘された。

1.方法論について:(1)一次史料のコーパスとしての記述が不足していること (2)原文のまま忠実に引用・再現された一次史料が殆どないこと (3)筆者自身の用語ではない語彙や表現に「引用符」をつけるという手続きが不足しているため、論述の責任が曖昧な「自由間接話法」的文体に陥る傾向があること等、「実証性」をめざす歴史論文としての技法上の欠陥がいくつか指摘された。

2.調査・分析について:(1)プロパガンダの内容に関してのイデオロギー分析が不足している。とりわけ「国民革命」や「人種隔離政策」等、ヴィシー政権固有の政治理念との関連が明確にされていない。これは第三共和政と第四共和政への「方向転換の軸」としてのヴィシー政権の位置づけという問題にもかかわる重要な論点のはずである。(2)情報の受け手に関しても、プロパガンダの効果や帝国意識の変貌などをめぐり、より具体的な検証が俟たれる。(3)原住民プロパガンダ(第四章)、1943年以降の状況変化や帝国の未来像(第五章)について、さらなる調査・分析が期待される。

3.視野の広がりについて:(1)ドイツ占領下という特殊な条件に関しての調査が不足している。(2)ド・ゴールの「自由フランス」において展開されたプロパガンダと「帝国」の主題化についての基礎的な知見が欠けている。こうした大枠の展望が不足しているために、論述が時に推論的あるいは恣意的なものになっている。

 これらの指摘や関連の質問に対する松沼氏の回答は、総じて満足すべきものであった。本論文は、ヴィシー時代のフランス史研究において、今後つねに参照されるべき業績となることは間違いなく、したがって本審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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