学位論文要旨



No 119556
著者(漢字) 細入,勇二
著者(英字)
著者(カナ) ホソイリ,ユウジ
標題(和) 淡水産巻貝Lymnaea stagnalisの巻型決定遺伝子の同定を目指した遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 119556
報告番号 甲19556
学位授与日 2004.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第506号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 池内,昌彦
内容要旨 要旨を表示する

 後生動物の多くは広い範囲の動物門にわたって左右相称であり、その多くは左右非対称な器官を持っている。これに対し、軟体動物の巻貝は、左右非相称であり、体軸がねじれて発生する珍しいボディプランを持っている。自然界に存在する巻貝のほとんどは右巻であるが、正常な左巻の種も存在する。また、非常に稀に、淡水産巻貝と陸産巻貝の中に、同一種内に右巻と左巻の二型性を持つ種が報告されている。このように体の器官のすべてが左右で鏡像対称になっている正常な個体が存在する例は動物門全体を通しても非常に特異な例であり、この巻貝の右巻左巻を決定している遺伝子は未だ同定されていない。Lymnaea peregraは左右二型が種内に見られるそうした稀な種の1つであり、右巻個体と少数の左巻個体の両方を含む野生集団が存在する。この種を用いた遺伝学的交配実験から、巻貝の巻型はそれを生んだ母親の遺伝子型によって決定されること(遅滞遺伝)、また巻型決定遺伝子は染色体上の単一の遺伝子座位上に存在することが示唆されている。巻型決定遺伝子には右巻と左巻の対立遺伝子が存在し、L.peregraでは遺伝学的に前者が優性である。Lymnaea peregraの近縁種であるLymnaea stagnalisにも右巻と少数の左巻個体の両方を含む野生集団が存在している。

 当研究室では本種の右巻、左巻の個体群を実験室で飼育、維持しており、本研究では淡水産巻貝L.stagnalisの巻型決定遺伝子の同定を目指して実験を行った。遺伝学的手法を用いて巻型決定遺伝子を同定するため、右巻系統と左巻系統(以後簡便のため、各々の系統をR系統、G系統と呼ぶ)の間で交配を行った。P世代の交配から得られるF1個体のうち、右巻の個体はR個体の産んだ個体であり、左巻の個体はG個体の産んだ個体である。左巻のF1個体のみを選別して育成した。得られた左巻F1個体が産卵を開始した時点で個別に隔離して飼育した。F1個体が右巻と左巻のどちらを産むか、胚の巻型を調べた結果、巻型が確認できた111個体のうち71%が右巻を産んだ。これらの右巻を産むF1個体(以後H(Hybrid)と呼ぶ)が、P世代の交配によるものか確かめるため、F1個体について右巻R系統特異的に発現を示す遺伝子の発現を調べた。その結果、右巻を産むF1個体では発現が確認され、左巻を産むF1個体(以後Fと呼ぶ)では確認されなかった。このことからH個体は交配により生まれたものであること、F個体はG個体の自家受精により産まれたものであることが分かった。同時にヘテロな状態の母貝Hが右巻を産むことから巻型の遺伝様式はLymnaea peregraと同様右巻が優性であることが強く示唆された。また、得られH26個体、F19個体でR系統に特異的なAFLPマーカーを調べたところ、すべてのH個体で確認でき、F個体ではすべての個体において確認できなった。このことは、巻型決定遺伝子の浸透率が100%近いことを示している。

 次にH個体を新たなG個体に戻し交配し、F2世代の個体群の養成を行った。F1個体群を作製したときと同様、得られた卵繭のうちG個体の産んだ左巻個体のみを育成することで、左巻Gが母親であるF2個体を選別した。また、各F2個体に関して、右巻を産む個体か左巻を産む個体か各個体の産んだ胚の巻型を調べた後、肝臓/生殖巣のサンプルからgDNAとRNAの抽出を行った。このようにしてF2約300個体のRNAとDNAからなるコレクションを構築した。

 得られたF2個体には、戻し交配により、巻型決定遺伝子座に関して、ヘテロな個体(K)と劣勢ホモ接合体である個体(J)と、自家受精による左巻を産む個体(G;selfed)の3つの場合が考えられる。H個体とG個体の戻し交配から、右巻、左巻を産む個体の両方が得られている時期と、左巻を産む個体のみが得られている時期があり、交配が成功している時期と、失敗している時期があることが示唆された。左巻を産む個体のみが得られた時期については自家受精によって得られた個体と見なし、それ以外の個体と区別した。このような自家受精の可能性のある左巻を産むF2(G)を排除すると、右巻と左巻を産むF2個体の比はほぼ1:1の分離比を示した。これらの個体において、F1の時と同様にR特異的遺伝子の発現を調べ、これらの遺伝子の発現が確認された個体はR由来の遺伝的寄与が確認できたことから、交配によって得られた個体であることが示された。以後の解析にはこれらの交配によって得られた個体を用いた。

 次に、これらのF2個体群において、遺伝的分離を示すDNAマーカーをAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法を用いて検出した。AFLPはDNAを特定の制限酵素で切断し、切断されたDNA断片をPCRによって増幅し、増幅されたDNA断片の長さの違いを検出する手法である。制限酵素で切断したDNA断片のPCRを行う際に、制限酵素認識配列とアダプター配列に数塩基のアンカーをつけたプライマーで増幅して行う。増幅された産物を電気泳動によって分離し、フィンガープリントを分析することによってサンプルの多型を検出する方法である。この手法は解析対象の生物の遺伝配列情報を必要としないという利点を持っている。

 F2個体群から抽出したgDNAを様々な組み合わせのプライマーセットを用いてAFLPを行い、これらのうち、バンドの数が豊富なプライマーセットを選んで次の実験に用いた。選んだプライマーセットを用いてR、G各4個体、K、J各20個体に関してAFLPを行った。その結果、F2個体群において遺伝的分離を示すDNAマーカーを約200個見出した。このうち、巻型決定遺伝子と挙動をともにするマーカー、つまり、巻型決定遺伝子と連鎖しているAFLPマーカーを3個確認することができた。これら3つの巻型決定遺伝子と連鎖するマーカーの巻型決定遺伝子からの遺伝学的距離を調べるため、K85個体、J99個体を用いて、AFLPを行い、これらのマーカーと巻型決定遺伝子との間の組換え率を求めた。求めた組換え率から、3つのマーカーの巻型決定遺伝子からの遺伝学的距離求めた。それぞれの巻型決定遺伝子からの遺伝学的距離は約1cM、5cM、11cMであった。この3つのマーカーを簡便のため、A、B、Cとする。AとBのマーカーでは巻型決定遺伝子との間で、共通の個体で組換えが起きていた。また、Cのマーカーに関してはAとBの共通の個体では組換えが起きていなかった。このことから、AとBの2つのマーカーは巻型決定遺伝子から見てゲノム上の同じ側に存在しており、Cのマーカーはその反対側に位置していることが示唆される。これらのことから、巻型決定遺伝子はAのマーカーとCのマーカーの間に存在している単一遺伝子座であることが示された。また、今回得られたF2個体のうちK個体をさらに新たなG系統に戻し交配させていくことで、連続的に戻し交配を行い、G系統の遺伝的背景に、巻型決定遺伝子座に関してのみR系統の遺伝子を持つコンジェニック系統の確立を目指し、現在F4の戻し交配を行っている。

審査要旨 要旨を表示する

 自然界に存在する巻貝のほとんどは右巻であるが、正常な左巻の種も存在する。巻貝の胚はらせん卵割様式で卵割を行い、右巻と左巻の種ではその卵割の方向が鏡像対称的であることが100年以上前に観察されている。また、淡水産巻貝と陸産巻貝の中に、非常に稀に同一種内に右巻と左巻の二型性を持つ種が報告されている。こうした巻貝の1種である淡水産巻貝Lymnaea peregraでは右巻と左巻の古典的交配実験が行われており、その遺伝学的挙動から、巻型決定遺伝子は遅滞遺伝という遺伝様式で遺伝する単一遺伝子であることが約80年前に示唆されている。さらに、このL.peregraの右巻の1細胞期胚の細胞質を左巻の胚に移植すると、らせん卵割の方向が逆転することが20年以上前に報告されており、この巻型決定因子と巻型決定遺伝子の関係が示唆されている。しかし、この巻貝の巻型決定遺伝子は未だに同定されていない。細入氏は巻型決定遺伝子の遺伝学的手法による同定を目指し、第1章ではL.peregraと同じ科に属する淡水産巻貝Lymnaea stagnalisの右巻と左巻の交配を行ってF2個体群を養成し、これを用いた巻型決定候補遺伝子の判定システムを構築した。第2章ではDNAマーカーを数多く作出することにより、巻型決定遺伝子近傍の連鎖地図の作製を行った。その結果、巻型決定遺伝子に関するいくつかの遺伝学的知見を得た。

 第1章では巻型決定遺伝子の同定を目指し、はじめにL.stagnalisの右巻系統と左巻系統(以後、各系統をR、Gと称す)の間で交配を行った。P世代の交配から得られるF1個体のうち、G個体の産んだ左巻のF1個体のみを選別して育成した。得られた左巻F1個体が右巻と左巻のどちらを産むか、胚の巻型を調べたところ、多くの個体は右巻を産んだ。左巻を産むF1個体は自家受精によるものと考えられ、右巻を産むF1個体(以後H(Hybrid)と称す)が、P世代の交配の結果であるか確かめるため、F1個体について右巻R系統特異的に発現を示す遺伝子の発現を調べた。その結果、右巻を産むF1個体では右巻系統特異的遺伝子の発現が確認された。このことによりH個体は交配により生まれたものであることを確認した。また、同時にヘテロな状態の母貝が右巻を産むことから巻型の遺伝様式はL.peregraと同様右巻が優性であることが強く示唆された。さらに、得られたF1個体についてR系統に特異的なDNAマーカーを調べたところ、すべてのH個体で確認できた。こうした遺伝学的解析から、巻型決定遺伝子を含む全ての遺伝子座において右巻系統と左巻系統のヘテロ接合体である個体が必ず右巻を産むことが示され、巻型決定遺伝子の浸透率がほぼ100%であることが示された。このことは巻貝の巻型が母親の遺伝型によって完全に支配されており、母親となる貝から卵母細胞へと巻型決定因子が伝えられていることを示している。

 次に、戻し交配個体群の養成を行った。得られたF1個体を新たなG個体に戻し交配し、得られたF2個体群のうち、左巻個体のみを育成することで、左巻Gが母親であるF2個体を選別した。各F2個体に関して、右巻を産む個体か左巻を産む個体か各個体の産んだ胚の巻型を調べた後、肝臓/生殖巣のサンプルからgDNAとRNAの抽出を行った。このようにしてF2約300個体のRNAとDNAからなるコレクションを構築した。

 得られたF2個体群は自家受精による左巻を産む個体である場合と、交配の結果巻型決定遺伝子を受け継いだか否かに応じて、巻型決定遺伝子座位に関してヘテロな個体である場合と劣勢ホモ接合体である場合の3つの場合が考えられる。左巻を産む個体のみが連続して得られた時期については自家受精によって得られた個体と見なし、それ以外の個体と区別した。このような自家受精の可能性のあるF2個体を排除すると、交配の結果であると推定される右巻と左巻を産むF2個体の比はほぼ1:1の分離比を示した。このように遺伝的分離比は、巻型決定遺伝子座が単一であると仮定した場合の期待値に沿うことが示された。これらの個体において、R特異的遺伝子の発現を調べた結果、発現が確認された個体はR由来の遺伝的寄与が確認できたことにより、交配によって得られた個体であることが示された。以後の解析にはこのような交配によって得られた個体を用いた。こうした個体群をパネルとして用いることにより、巻型決定遺伝子の候補となる遺伝子の連鎖判定を行うことで、その遺伝子が巻型決定遺伝子であるかどうかを判定することができる。このように細入氏は巻型決定候補遺伝子の連鎖判定システムの構築を行った。

 第2章ではこれらのF2個体群を用いて、AFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法によって遺伝的分離を示すDNAマーカーの作出を行った。AFLPはDNAを特定の制限酵素で切断し、切断されたDNA断片をPCRによって増幅し、増幅された産物のフィンガープリントを分析することによってサンプルの多型を検出する方法である。この手法は解析対象の生物の遺伝配列情報を必要としないという利点を持っている。

 F2個体群から抽出したgDNAについて様々な組み合わせのプライマーペアーを用いてAFLPを行い、その結果、F2個体群において遺伝的分離を示すDNAマーカーを数百個見出した。このうち、巻型決定遺伝子と強く連鎖するAFLPマーカーを3個確認した。これらのマーカーのうち、最も巻型決定遺伝子との組み換え率が少なかったマーカーの巻型決定遺伝子からの遺伝学的距離は約1cMであった。また、巻型決定遺伝子と連鎖している他の2つのマーカーについてそれぞれ巻型決定遺伝子との組換え個体を比較することによって、巻型決定遺伝子は全ゲノム領域のうち、これらのAFLPマーカーに挟まれた特定の領域に存在する単一遺伝子座であることが示された。

 従って、本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると審査委員会は認め、合格とした。

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