学位論文要旨



No 119557
著者(漢字) 木立,尚孝
著者(英字)
著者(カナ) キリュウ,ヒサノリ
標題(和) RNA転写過程の理論的研究
標題(洋)
報告番号 119557
報告番号 甲19557
学位授与日 2004.04.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第507号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 浅井,潔
内容要旨 要旨を表示する

 近年の生物データの爆発的増大により、それから生物学的知識を抽出するための技術の必要性は益々増大している。本研究では、RNAの転写に関する三つの話題について、数理的なモデルを構築し、それを実際のデータに対して検証するという理論的研究を行った。

 まず、細胞のRNA転写過程において、DNAの張力や捩じれなどの外力が、転写速度にどのような影響を与えるかをとりあげた。RNAポリメラーゼが、DNAからRNAを合成する時に、DNAのらせん構造によって、RNAポリメラーゼはDNAの周りを何度も回転しなければならない。この回転を妨げる障害があるとき、DNAは捩じれを起こすので、この時RNAポリメラーゼは、回転のトルクを受けながら転写を行うことになる。捩れたDNA上の転写は、実験的には、ガラス板などにRNAポリメラーゼを固定し、端にビーズをつけたDNA断片をそのRNAポリメラーゼに転写させることで実現させることができる。この場合には、回転の抵抗は、ビーズの流体との粘性抵抗により生じることになる。また、抗癌剤などで、Topoisomerase等のDNAの捩れを解消する酵素の活性が阻害されているがん細胞などでも、流体相互作用や周りのたんぱく質との相互作用により、DNAの捩れが生じていると考えられ、その様な場合の転写においても、RNAポリメラーゼが受ける回転抵抗は重要になると考えられる。私は、まず最初に、たくさんのRNAポリメラーゼの平均化された振る舞いを記述する粗視化された力学的・化学運動論的モデルを立て、その性質を調べた。その後、これまでに行われた実験とモデルを比較した。その結果DNAにかかる張力と、ねじれの二つの外力は、系との結合の仕方が違っており、それによって、捩れの抵抗は、NTP濃度が十分大きい時の最大転写速度を著しく下げるが、張力は最大転写速度に影響を与えないことも明らかになった。

 次に、原核生物において転写開始のシグナルとなるプロモータ配列の違いが、対応する転写発現量つまりプロモータ強度にどのように影響するかをマイクロアレイデータを用いることで調べた。プロモータ配列と強度の間の関係は、1980年代に数多くの研究がなされた。これらの研究は、配列と強度の間に強い相関があることを明らかにしたが、その骨の折れる実験方法のために、任意の生物種の何百ものプロモータに対して実験を行うことは不可能であった。ところが近年のマイクロアレイデータの増加のおかげで、数千もの遺伝子発現情報をそのDNA配列と比較出来るようになった。私はこれに動機づけられて、大腸菌マイクロアレイデータを使ったプロモータ配列・強度間の関係の抽出を行った。具体的には、これらの関係を重み行列の方法を用いてモデル化し、その各成分をサポートベクトルマシンで最適化するということを行った。それにより得られた結果は、コンセンサス配列に近いプロモータ配列は強度が大きいこと、プロモータの-35領域は-10領域に比べて強度への影響が大きいことなど従来の研究で知られている結果を再現するとともに、次のような新たな結果も得ることが出来た。プロモータ配列の各塩基位置からのプロモータ強度への寄与は、其々の場所の塩基保存度から予想されるよりも遥かに変化に富むこと、-35領域の最初の3つの塩基位置と-10領域の1,2,5,6番目の塩基位置はプロモータ強度に強く影響すること、その一方で、-35領域の4,6番目と-10領域の2番目の塩基位置は、塩基の保存度にも拘らずあまりプロモータ強度に影響しないこと。15bp-19bpの範囲内では、スペーサ長の変化は保存領域からの寄与に比べて、強度への影響は小さいこと、プロモータ領域のある塩基が、コンセンサスに一致しないときのプロモータ強度の現象の程度は、塩基の種類により大きく異なることなどである。私はまた、プロモータ配列からのプロモータ強度の予測と比べて、実際の遺伝子発現量が大きく異なっているデータを見ることで、転写制御を受けている可能性のある遺伝子をいくつか同定した。これらの結果は、マイクロアレイデータが手に入る以前に行われていた、塩基出現頻度の解析や、プロモータごとの塩基置換実験によっては得られなかった結果である。私の方法は、プロモータ配列が知られていて、マイクロアレイデータが手に入る他の原核生物に対しても適用可能である。

 最後に、近縁種ゲノムを比較する際に、遺伝子領域で適当な塩基置換パターンを用いてアライメントを行う方法について取り上げた。近年、様々な生物種のゲノムがシークエンシングされ、それによってゲノムを対象とした生物情報解析でも比較ゲノムが大きな話題となってきている。比較ゲノムを行う際に、それぞれのDNA領域が、他方のDNAのどの領域に対応しているかを関連付けるアライメントの技術が非常に重要である。私は、たんぱく質をコードしている領域に特徴的な塩基置換パターンがどのような統計的性質を持っているのかを研究した。通常DNA配列のアライメントをするためには、アライメントのよさを置換行列と呼ばれる行列を用いて評価する。このスコア行列は、DNAの塩基置換パターンから決定される。しかしDNA配列がどこも同じ塩基置換パターンを持つわけではなく、DNAの各領域にどのような生物の情報が記録されているかによってDNAの置換パターンは異なったものとなってくる。例えば、たんぱく質がコードされている領域は、そうでない領域に比べて、たんぱく質の機能が保たれるような進化的圧力が加わっているので、この領域ではアミノ酸を変えるような置換が起こりにくくなる。一つのアミノ酸は、3つの隣接したDNAによりコードされているので、この領域での塩基の置換行列は、隣接する3塩基の置換パターンを取り入れたものであるべきである。このたんぱく質コード領域で、一塩基ごとの置換パターンのみしか考慮に入れない置換行列でアライメントを行うと、アライメントのスコアの閾値を低くとった場合には、コード領域同士で、フレームがずれたようなアライメントが出来るという問題がおこる。反対に閾値を高く取ると、コドンの3文字目の塩基が頻繁に置換を起こしてスコアを押し下げるコード領域では、進化的に関連しているのにアラインされないという問題が出てくる。私は、コドン同士の置換パターンから置換行列をつくり、このコドン-コドンの置換行列を用いてアライメントを行えば、これらの問題をおこさない良いアライメントが得られることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本博士論文(課程博士)は「RNA転写過程の理論的研究」と題し、(1)DNAの捩れの下でのRNA 転写、(2)マイクロアレイデーターを用いた転写開始のシグナルとなるプロモーター配列の転写発現量への影響、(3)DNA配列のアライメントの統計的解析、の3つのテーマーの研究結果を統合した構成になっている。

 (1)のDNAの捩れの下でのRNA転写では、転写速度にDNAの張力や捩れなどの外力がどのように影響するか理論的に数理モデルを用いて研究した。実験的には端にビーズを附加したDNA断片を用いて、ビーズの粘性抵抗による回転の抵抗を計り、RNAポリメラーゼの転写速度を求められるが、この実験との比較も行なった。Ribonucleoside Triphosphate(NTP)とピロリン酸(PPi)の比をパラメーターに、化学反応式に基づいて外力の影響を理論的に論じた。その結果、回転トルクが、転写速度の最大値を著しく減少させる事を見い出した。また、張力はそれに反し、10pNを超えるまでは、最大転写速度に影響しないことも判明した。今までに、単に張力の影響を論じた研究はあるが、この論文で示されたように、回転の影響を論じた点は新しい結果である。

 (2)マイクロアレイデーターを用いた転写開始シグナルとなるプロモーター配列の転写発現量への影響では、大腸菌のRNAポリメラーゼのσ70のプロモーター配列とプロモーター強度との関係を論じた。この関係を抽出する統計学習的方法を新たに提案し、その統計方法が、プロモーター強度zと結合エネルギーE=WN(Wは重み行列)の関係が線形であるとするモデルを採用する事により、実際に有効である事を示した。この研究はマイクロアレイデーターの有効活用の道を開くものとして重要な研究である。

 (3)DNA配列のアライメントの統計的解析では、比較ゲノムを行なう際に指針となるアライメントを定量的にあらわす置換行列として、コドン同士の置換行列を研究した。実際にゲノム情報を用いて、開発したアルゴリズムにより解析を行ない、この方法が実際に機能することを示した。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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