学位論文要旨



No 119566
著者(漢字) 曹,峰
著者(英字)
著者(カナ) ソウ,ホウ
標題(和) 中国古代における「名」の政治思想史研究
標題(洋)
報告番号 119566
報告番号 甲19566
学位授与日 2004.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第438号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 助教授 小島,毅
 東京大学 助教授 横手,裕
 東京大学 助教授 大西,克也
 大東文化大学 教授 池田,知久
内容要旨 要旨を表示する

目的

 戰國中晩期から漢代初期にかけて、「名」は極めて流行し、相當に重要視とされたテーマである。政治思想の立場から見ると、このテーマは大體二つの道筋に分かれ、一つは言語の角度からのもの、もう一つは名分制度の角度からのものである。この二つの角度に共通點があり、それは兩者の目標がともに秩序と規則の形成に目指しているということのである。思想の統一、等級制度と社會分業の完備、また臣下の督責、このような君主專制制度の存亡と關連する問題がいずれも「名」と關係する。當時の著作を見ると、「名」に言及がないものには、却って奇異な印象を覺えてしまう。このような「名」に對しての關心の高さが、名に驚くほど高い評價を與えることになった。こうした「名」に關する奇妙な現象の要因は、實は法治國家形成過程において、規範・準則の役目とその意義を過剩に求め崇拝したからと考えられる。逆に言えば、それはまさに君主地位が不安定で、法治國家の體制が完備してないということの證明ではなかろうか。本論は、上編において、「名」に關するもっとも重要な政治問題を提示し、下編において、孔子の「正名」説、『荀子』の正名篇、『管子』四篇と『韓非子』四篇、馬王堆帛書『黄帝四經』、『尹文子』を取り入れ、個別な分析と研究を行った。全體を通して戰國中晩期から漢代初期までの「名」に關する政治思想を研究することを目的としている。

上編 「名」に關する各種の政治問題

第一章 名稱に關する政治禁忌

 本章は「名稱と人の間における禁忌」と「名稱と物の間における禁忌」二つの問題を檢討した。「名」という概念が中國古代思想においてこのような高いところに位置づけられるのは、明らかに歴史の早期に存在した、「名」が「物」の内實を把握して規定しているという神秘な觀念と密接な關係があると考える。それ故、後の時代の名思想はこうした神秘な觀念の展開或いは延伸であると言ってもよい。名稱に關する禁忌は社會に與えた影響は多くの面に渡る。第一、現實政治の中で名分制度の重要的一環として効力を發揮した。第二、謚號などの名稱の活用は支配者が人神關係を通して生まれつきの政治資源を獲得する手段となった。また、「聖人」だけ物を知ることができ、物に名付けることができるような神話を作る目的は、やはり君主が直ちに權力の頂點に立たせるようにするためである。

第二章 政治思想としての「正名論」・「名實論」・「形名論」

 この三論はみな二つの體系を有しており、知識論であると同時に政治學でもある。長い間に、「名實論」の思想史的價値が無制限に擴大され、「名實論」に關する解釋はかなり複雜化されてしまう。これは主に二つの傾向として表われている。第一の傾向は、思想上の「名實紛爭」と政治上の治亂とを竝行して關連づける理論を作り上げる。第二の傾向は、歴史上の思想家或いは政治家を分類し、それぞれに「唯心論派」・「唯物論派」、或いは「名優先派」・「實優先派」という枠に無理矢理入れてしまう。筆者はこの二つの傾向の危害を指摘した上で、政治思想としての「名實論」は、「名」がどんな對象に向いているのか、「實」にどんな意義を與えたのか、誰が對象に「名」を賦與したのか、なぜ賦與するのか、「名」にどのような働きを期待したのか、ということに關心を持つと考える。「形名論」は「正名論」「名實論」より遲い時代に登場したもので、特に黄老思想との關係は深い。なぜ黄老思想家が「形名論」を重視したのか、なぜ「名實論」と「形名論」を同質の傾向を持つのか、筆者は思想史の角度からその原因を分析した。

第三章 二種の名家

 「名家」を研究對象とするなら、まったく異なる二種類の名家を區分することが必要。實用主義的な色彩を有し、名思想を利用して專制君主のために謀略をめぐらして、諮問に對して政策を提供する後期の名家は「事實判斷」を從事する早期の名家に對して、まずは批判し、その次は利用するという姿勢を取っている。現代の名家の研究、特に論理史における名家の研究は、二種類の名家を一つに混同してしまい、後者を利用して前者を研究する傾向がかなり強いが、このような歴史事實を無視する傾向は非常に危險であると考える。

第四章 「名」と「法」の接點

 戰國中晩期から漢代初期にかけて、「名」と「法」が屡々同等な位置に置かれ、「名」と「法」が竝列され、對應されるという現象は非常に興味深い。この研究も實に中國古代法思想研究の重要な一環であろう。「正名」には極めて高い確定性があり、一旦確定されたら容易に變更できない性質を有し、この點において、「名」と「法」は同質の性格を持っている。統治者の立場から言うと、「名」と「法」は二つの異なる統治手段であり、役割分擔も違う。場合によって「名」は「法」の前提に立つこともある。「名」は確定で、不變の制度として、あるべき姿とされている。それに對し、「法」は具體的な實施手段とされている。

下編 個別の分析と研究

第一章 孔子「正名」の再檢討

 筆者は大量の例を擧げて、以下の觀點を証明した。即ち、假に『論語』子路篇における孔子「正名」を信頼できる資料としても、それが「名分論」、「名實論」と直接關係があることは證明できない。『論語』の「正名」に樣々な解釋が與えられた理由は、ほぼ間違いなく後人が後代の「正名」觀に依託して孔子について臆測したからか、あるいは名思想發展史の過程にのっとって孔子の「正名」を虚構から一歩一歩實體にしていったからである。筆者は、孔子の「正名」の原意は非常に簡單で、「名」に關する具體的な規範を打ち立てるなどということではなく、單に歴史上始めて言語の政治に對する重要性に氣づいた、あるいはそれを指摘しただけなのではと考える。つまり、孔子は政治家として、名の不確定性・恣意性が政治にもたらす影響に氣づいた。言語が正確にその真意を表すことができない、あるいは人に正確に傳えることができない時に生ずる政治的な影響を予見した。從って、その意義は主に言語と政治の關係の發見にある。ただ、孔子は言語を統一しなければ政治も統一できないと指摘したが、その解決方法までは生み出せなかった。

第二章 荀子「正名」篇の研究

 從來の研究は『荀子』正名篇そのものの内容及び『荀子』という書物の思想的展開に依據して進められた研究は非常に少なく、外在的なものから『荀子』正名篇に強引に與えられた解釋が甚だ多い。故に、外在的な理論的枠組を排除し、正名篇本來の姿を復元したうえで、『荀子』正名篇の中國古代思想史における眞の地位を與える作業が必要になる。

 荀子は決して論理學の體系を打ち立てようとしたのではなく、また論理學においてなにか新しい貢獻があったとも言えない。荀子は名の由来については關心を抱いてはおらず、彼の着眼點はむしろ「約」にあった。つまり一般の「名」が不確定性・曖昧性・恣意性という特徴を持つことに對して、荀子が社會に認知され、規範的效果があり、「名」と「實」との一致がもう動かない「約名」・「實名」・「善名」だけが「正名」になる資格があることを強調する。「約名」・「實名」・「善名」が論理學的に必ず成立するかについては、荀子は拘らない。

 荀子正名篇の最も大きな意義は、彼が他者に先駆けて言語についての覇權を樹立することの政治的重要性を提起したことにある。その目標は、權力によって「齊言行」、即ち語言を規範化し、また規範化された言語によって權力を強化することであった。荀子にとって正名を獲得することは權力の源泉の一つであって、「名」は一種の外在的規範として、「禮」や「法」と共に政治的作用を發揮し得るものであった。

第三章 『管子』四篇と『韓非子』四篇に見える名思想の研究

 本章は主に『管子』四篇と『韓非子』四篇に見える統治者と「名」との關係についてを分析した。『管子』四篇は「道」「物」二元構造論及び君主と臣民の「知」に根本的な違いがあるという原理によって展開された體系性のある實用的政治哲學である。それは「道」・「名」・「法」などの概念及び相互關係に關する論述によって、專制君主が權力の頂點に登れることに理論上の根據を提供した。君主と「名」の關係は、即ち「道」と「名」の關係であり、「名」は「法」と同じく、「道」が「萬物」を把握する際に用いられた道具にすぎない。『韓非子』の場合はさらにこの政治哲學を「循名責實」、「形名參同」のような、わかりやすくて行動しやすい實戰理論として展開した。

第四章 いわゆる『黄帝四經』に見える「名」の研究

 これまでの大多數の論著には『黄帝四經』の概念や構造に對する分析に大きな問題が存在していると考えている。つまり『黄帝四經』の三大概念――「道」・「名」・「法」について、「道」・「法」だけを重視して、「名」を輕視している。『黄帝四經』の思想構造について、「道法」關係の二元構造だけを分析して、「道名法」關係の三元構造は分析していない。『黄帝四經』において、「道」は最上位の範疇であり出發點であり、「名」・「法」がそれによって根據付けられる。「名」は「道」から「法」までの媒介・過渡的段階であり、「法」は最終的目標であり手段である。この三者は相まってどれも缺かせないものである。

第五章 『尹文子』に見える名思想の研究

 「名」の政治思想史にとって、『尹文子』は重要な著作である。なぜなら『尹文子』には「名」に關する政治思想が非常に集中して論じられており、しかも名思想の立場からすると、それは一學派の見解を打ち破って名・儒・法・道・黄老諸家を越え、「事實判斷」と「價値判斷」の二大領域を超越しており、これは先秦秦漢時代の文獻にあっては極めて少ないからである。筆者は、『尹文子』に見える早期名家、法家、道家、黄老思想家の影響を分析した上で、名思想上で體現した集大成の性格を檢討した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、古代中国の諸子の思想にみられる「名」というテーマについての研究である。この「名」に関しては、これまで主として「名家」と呼ばれる学派等で説かれた論理学に絡んで論及されるのが通例であったが、本論文は戦国中晩期から漢代初期における政治思想とのかかわりの重要性を発見し、従来にない斬新な観点から研究を行ったものである。

 本論は二編からなり、まず上編において、「名」にかかわる古代の重要な政治的問題を示しつつ、「名」の政治思想史の枠組み・体系作りを試みている。そして下編において、「名」の思想史上最も重要な言説として、孔子の「正名」説、『荀子』の正名篇、『管子』四篇と『韓非子』四篇、馬王堆帛書『黄帝四経』、『尹文子』を取り上げ、それぞれの場合に即した個別的な分析と研究を行っている。上・下編は互いに証明あるいは補足しあう構造にもなっている。

 全体としての問題設定に窺える見識に加え、各所で論じられている諸問題――「形名論」は「正名論」や「名実論」より遅く現れて黄老思想と関係深いこと、前期・後期の二種類の名家を考えるべきこと、「名」と「法」は同質の性格をもつ場合のあること、孔子の「正名」説は実際には「名分論」や「名実論」と直接の関係がないこと、君主専政制度にとって「道」―「名」の関係が必要であったこと、『黄帝四経』の思想構造は「道」「名」「法」三者の関係から分析すべきこと、「名」の政治思想史において『尹文子』は特に重要なテキストであること――等に対する考察は、それぞれ要所を剔抉した本論文の優れた部分と認められる。

 同じ文章の引用が全篇で何度となく繰り返されるなど、文章記述の技術的な問題等はあるが、2000年余り看過もしくは誤解されてきた思想史の一側面について、検討を加えつつ、伝統的な諸文献と近年の出土資料をほぼ的確に用いて明らかにし、古代思想史の全体像にも再考の必要を感じさせる内容は十分に評価できるものである。よって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に相当すると判断する。

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