学位論文要旨



No 119569
著者(漢字) 榊,俊吾
著者(英字)
著者(カナ) サカキ,シュンゴ
標題(和) 知識ストックマネジメントによる持続的経済成長の可能性に関する研究
標題(洋)
報告番号 119569
報告番号 甲19569
学位授与日 2004.04.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 博人社第441号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,修
 社会情報研究所 助教授 田中,秀幸
 社会情報研究所 助教授 岡崎,毅
 社会情報研究所 助教授 石崎,雅人
 情報学環 助教授 陳,呈
内容要旨 要旨を表示する

 きわめて広義に捉えれば、経済活動とは、須らく知識がそのすべての活動のベースになり、生産設備、経営組織形態、経営戦略、人的管理、その他のノウハウ一般に至るまで、知識を人的・物的ストックとして、一連の経営資源に体化するプロセスである。ここにストックとしての知識がもたらす成果を時間を通じてよりよく享受して行くために、この知識ストックをどのように更新していくべきかという政策課題が生まれる。このプロセスにおける知識の管理すなわち知識の生産資本ストックとしてのマネジメントは、経営上の、およびマクロ経済的な科学技術政策の最大かつ中心的課題のひとつであるといえる。そしてこうしたプロセスの中核を担うのは、研究開発活動、あるいは広義のイノベーション活動である。

 従来のイノベーション研究の中で具体的な政策プログラムを提案する部分においてその中心的なテーマを構成しているのは、「知識」の創造と普及を促進するために、個人的な活動をベースとしたネットワークや、研究機関、産業界、中央・地方政府、あるいはNPO等から構成される、組織間の交流の仕組みを制度化した組織的な基盤形成であり、そしてこうした実行プログラムに関心が集中している嫌いがある。もちろん「知識」の流通を具体的な組織形態として機能させることをねらいとする政策プログラムは、社会的厚生水準を持続的に向上させていくために実効的な役割を担うきわめて重要な要素である。

 しかし、視点を定量的な側面に転ずると、より素朴で、基本的な政策プログラムがこれまでのイノベーション研究、あるいは科学技術政策研究では十分に議論されていないのではないか、という点に気付く。それは、限られた資源を、いずれの領域に、どのような比率で配分すれば、社会的厚生基準の観点から、かつ時間を通じて、より望ましい経済状態を実現できるかという、技術革新をめぐる古典的な問題である。本稿では、この古典的な問題を、新しい知識の領域と既存の知識の領域の間で意思決定される資源配分問題として構成する。そして限定された枠組みではあるが、その時間を通じた資源配分をコントロールするための実効的な基準の提案、制御の方法、持続的成長を実現する資源配分比率について、一定の解答を得ることに成功した。

 本稿では、すでに述べたイノベーション研究・政策の問題背景を踏まえ、また目的を具体化していくために、以下5章からなる本文と、3部構成の補論によって議論を展開していく。

 第1章では、次章以降でシミュレーション分析・実証分析を展開していく上での議論の前提として、持続的経済成長のマクロ調整メカニズムとしてのイノベーション・システムに求められる資源配分上の要件を整理するとともに、これまでイノベーションをめぐる議論の中心であった組織的な仕組みの現状と政策について既存の研究成果を基にまとめていく。まずイノベーションの特性を明らかにしたうえで、イノベーション・システムを、静学的な効率性を促進するものとシュンペータリアン的な効率性を促進するものとに分けて、それぞれに求められる要件、問題点等について議論する。そして最後にイノベーション・システムを整備していく際、これらの効率性をめぐる政策論を日米のこれまでのイノベーション政策を事例に検討し、組織論的な観点から配慮すべき点についてまとめた。

 続く第2章、第3章では、イノベーションに伴う資源配分問題への解答を試みるために、シミュレーションモデルを構成する。その概要ならびにいくつかの仮定については第2章で検討し、モデルのフォーマルな構成については第3章で行なう。第1章で分類したイノベーションの特性に即して言えば、持続的な経済成長は、シュンペータリアン的効率性を促進することで技術経済パラダイムを転換し、同時に静学的効率性を促進することで技術革新の成果を国民経済全体に普及させ、生産体制、組織、制度を整合的に整備していくという、資源配分上の両立性を模索することによって実現される。すなわち、マクロ経済的に普及の進んでいない、きわめて限界生産性の高い革新的な知識ストックの探索に資源を配分すると同時に、限界生産性は低いがマクロ経済的に普及の進んだ既存の知識ストックに資源を配分することで、経済全体の厚生水準を向上させ、長期的に高い経済成長を維持するよう、両者の資源配分を制御するという政策課題が生まれることになる。第2章および第3章では、イノベーションの要件である不確実性は捨象する一方、歴史的経路依存性を射程とした「決定論的」な枠組みで考え、「静学的効率性」と「動学的効率性」をめぐる資源配分上の制御を実現するモデルを構成することが目的である。

 第4章では、第2章および第3章で構成したモデルによってシミュレーションを行ない、その結果がまとめられている。シミュレーション結果を通じて本章では、第一に、知識ストック(技術)の転換による持続的成長経路の存在性、およびその条件として研究開発の収益がごく少数の主体に集中する分布の歪みが必要な点を明らかにしている。第二に、持続的成長経路における知識ストックの選択経路の性質として次の点を明らかにしている。すなわちある知識ストックが経済システム全体を支配する技術になっているとき、GDPの成長率は相対的に低下し、技術開発の方向性である知識ストック選択比率は分散化する傾向にある。逆にある知識ストックから他の新しい知識ストックへと転換する時期には、GDPの成長率は相対的に上昇し、知識ストック選択比率は新しい知識ストックに集中化する傾向にある。第三に、知識ストックの価値を償却率で制御することによって持続的な経済成長経路に導くことが可能であり、その制御条件を明らかにしている。すなわち特定の知識ストックがシステム全体に普及を始める生産性の上昇過程では、償却率を低く制御することで静学的効率性を高めるような資源配分を促進させ、逆に、特定の知識ストックが経済システム全体に普及して生産性が低下しはじめる時期には、償却率を上昇させながら動学的効率性を高める資源配分を促進させる必要がある。第四に、償却率の時系列はシステム全体に占める動学的効率性を促進するための資源配分上の比率を表しており、このウェイトは長期的に低い水準で推移する。すなわち長期的には、静学的効率性を促進するための資源配分上のウェイトを高く維持する一方、新たな技術に転換するための資源配分である動学的効率性のウェイトは相対的に低い水準で十分である可能性を指摘している。

 第5章では、第4章で得られたシミュレーション結果に関して、わが国の長期時系列データから検討を加えている。第一に、研究開発の収益分布の歪みが1990年代におけるわが国の上場企業の有価証券報告書データから確認された。第二に、技術の多様化と画一化という現象が限界生産性と有意な関係にあることが、わが国の1969〜2000年度にいたる上場製造業における有価証券報告書データから確認された。第三に、知識ストックの償却率を有形固定資産の取得価格ベースの除却率で見たとき、有価証券報告書のデータからシミュレーション結果に整合的な関係が確認された。特に、90年代後半に限界生産性が急落した時期には除却率を上昇させて資本ストックの転換を図っている様子が見られ、持続的成長のための制御条件が少なくともわが国の上場製造業企業に関しては満たされていると考えられる。第四に、民間企業資本ストック統計から見たわが国のマクロの除却率の推移は、上場企業のそれとはかなり異なる経過をたどっており、シミュレーション結果の示唆する制御条件を満たしていない可能性が指摘される。1990年代半ば以降、上場企業に関しては除却率の上昇が示唆するようにIT化に対応したストック転換への取り組みが顕著に認められるにもかかわらず、企業数にして99%を超える非上場企業からなる日本経済の幅広い裾野でのIT化への取り組みの遅れによって、IT化への技術転換がもたらすパフォーマンスが日本経済全体として享受できていない。そればかりか、この上場企業と非上場企業との間にある、知識ストックが規定するシステム間の不整合によって、生産性がいっそう阻害されている可能性、いわば「システム間不整合の非効率性」が発生している。

 最後に、A、B、Cの各補論では本文を補完する結果がまとめられている。補論Aでは研究開発の収益(リターン)と限界生産性を規定するパラメータを設定するに当たり、また補論Bでは技術転換を通じた持続的成長経路の性質について、それぞれシミュレーション結果の詳細をまとめている。補論Cでは本稿のモデルの一部を構成する完全償却経路の性質として、時系列のカオス性とアトラクターのフラクタル性について生成データを基に検討を加えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、序章、5つの章、結論をまとめた終章、シミュレーションの数理的詳細を述べた3つの補論、そして参考文献リストから構成されている。これまでイノベーション活動に関する研究蓄積は、膨大ではあるが、定量的な研究は必ずしも十分な成果をみていない。本論は、限られた資源を、いずれの領域に、どのような比率で配分すれば、社会的厚生基準の観点から、かつ時間を通じて、より望ましい経済状態を実現できるのか、というイノベーション活動に関する重要問題を、新しい知識領域と既存の知識領域の間で意思決定される資源配分問題として再構成し、時間を通じた資源配分をコントロールするための実効的な基準の提案、制御方法、持続的成長を実現する資源配分比率について、数理モデルによるシミュレーションを用いて理論的および実証的な考察を展開し、定性的かつ定量的に有意義な結論を得ることに成功している。

 まず第1章では、既存の先行研究の成果をまとめ、シミュレーション分析及び実証分析を行う前提として、イノベーション・システムに求められる資源配分上の要件を整理し、イノベーション・システムを、「静学的効率性を促進するもの」と「シュンペータリアン的な効率性を促進するもの」に分けて、それぞれの要件と問題点について議論している。続く第2章と第3章では、第1章の考察を踏まえて、イノベーションに伴う資源配分問題への解答を試みるためにモデルを構築している。第4章では、第2章及び第3章で構成したモデルによってシミュレーションを行い、その結果がまとめられている。すなわち、第1に、知識ストックの転換による持続的経済成長経路の存在を証明し、第2に、ある知識ストックが経済システム全体を支配する技術になっているとき、GDPの成長率は相対的に低下し、知識ストック選択比率は分散化する傾向にあり、ある知識ストックから別の知識ストックへの転換が多く見られる時期には逆のことが起こることを明らかにし、第3に、知識ストックの価値を償却率で制御し、持続的経済成長経路に導くことが可能であり、その制御条件を明らかにしている。第4に、長期的には静学的効率性を促進するための資源配分上のウェイトを高く維持し、新たな技術に転換するためのシュンペータリアン的効率性のウェイトは相対的に低水準で十分であることを明らかにしている。そして第5章では、第4章で得られたシミュレーション結果に関して、日本について膨大な長期時系列データを用いて実証的に検討を行い、第4章で解明した結論を実証的に確認し、それに基づく提言を行っている。

 本論文は、情報学、マクロ経済学、ミクロ経済学に関する研究蓄積に学問的基盤をおき、その上で統計学、複雑系シミュレーション学、経営学など関連する研究領域の重要な先行研究を十二分に踏まえて、イノベーション問題を知識ストック配分問題として再構成し、数理モデルを構築し、シミュレーション分析によってイノベーション活動の定量的分析に成功している。本論文は、これまでの先行研究の成果を十二分に踏まえ、イノベーションに関する問題構成を更に前進させ、かつ有意義な結論を導き出しており、問題構成の学術的意義および社会的意義ともに高く、厳密な論理的展開が行われ、立論および分析アプローチともに独自性を有している。できるだけ早く国際的学会において発表すべき、高い水準の論文である。よって審査委員会は、本論文が高い学術的意義を有し、博士(社会情報学)の学位に相当するものと判断する。

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