学位論文要旨



No 119571
著者(漢字) 鄭,盛充
著者(英字)
著者(カナ) ジョン,ソンユン
標題(和) 有害渦鞭毛藻Cochlodinium polykrikoidesに対する海洋細菌由来の殺藻物質に関する研究
標題(洋) Studies on Algicidal Compounds from the Marine Bacteria against the Harmful Dinoflagellate, Cochlodinium polykrikoides
報告番号 119571
報告番号 甲19571
学位授与日 2004.05.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2802号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 福代,康夫
 東京大学 助教授 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 魚介類の養殖は世界的に広く行われているが、時として赤潮発生により、多大な被害をうけることで世界的な社会問題となっている。韓国でも赤潮による養殖魚介類に対する被害が多数報告され、中でも渦鞭毛藻Cochlodinium polykrikoidesは韓国各地で赤潮を形成し、養殖魚介類の大量斃死を引き起こしているが、同時に現場海域では海洋細菌によると推測されるC.polykrikoidesの消滅も観測されている。近年、殺藻活性を持つ海洋細菌を微生物農薬として赤潮防除に利用する方法が注目されており、この方法は海洋生態系に及ぼす影響が少なく、二次汚染のない環境にやさしい赤潮防除方法と考えられる。海洋細菌による赤潮の消滅は、細菌より分泌される殺藻物質によると推測されているが、今までに単離・構造決定された殺藻物質は高度不飽和脂肪酸を除いては無く、その殺藻メカニズムに関する知見も少ない。

 以上のような背景に基づき、本論文ではC.polykrikoidesの赤潮発生海域から、同種に対する殺藻活性を示す細菌を分離し、殺藻物質の単離・構造決定を行った。さらに、殺藻物質について殺藻活性を明らかにするとともに、他の海洋生物に及ぼす影響について検討した。その概要は以下の通りである。

1.殺藻細菌のスクリーニング

 韓国Masan湾のC.polykrikoides赤潮発生海域において、1年を通じてMicroplate MPN法を用いて殺藻細菌のスクリーニングを行った。C.polykrikoidesは9月に特に優先種として出現し、10月には消滅したのに対し、C.polykrikoidesに対する殺藻細菌の数は9月に最も増え4.8x 103 cells/ml(前月の約30倍)となり、赤潮が消滅する10月に2.O x 102 cells/m1まで減少した。したがって、9月に赤潮発生海域から得られる殺藻細菌がC.polykrikoidesの赤潮の消長に関与するものと考え、主として9月に現場海域において殺藻細菌の株の分離を行った結果、110株の殺藻細菌を得ることができた。

2.16SrDNA塩基配列分析による殺藻細菌の系統分類

 Microplate MPN法を用いた殺藻細菌のスクリーニングにより得られた110株の殺藻細菌のうち、強い殺藻活性を示した20株を選択し、16SrDNA塩基配列による系統分類を行った。その結果、殺藻細菌は主にFirmicutes、Actinobacteriaおよびγ-Proteobacteriaの3グループに属することが明らかになった。また、C.polykrikoidesに対し最も強い殺藻活性を示した菌株はBacillus subtilisと非常に近縁であったため、Bacillus sp.SY-1株と命名した。

3.Bacillus sp.SY-1由来の殺藻物質mycosubtilin類の構造決定および海洋生物に及ぼす影響

 Bacillus sp.SY-1の培養ろ液より、溶媒分画、ODSカラムクロマトグラフィー、逆相HPLCにより、C.polykrikoidesに対する殺藻活性を指標に殺藻物質の精製を行い、mycosubtilin類(1-3)を得ることができた。化合物1-3の分子式はHR-FABMS解析より、それぞれC49H76N12O14、C50H78N12O14、C51H80N12O14と決定され、平面構造はアミノ酸分析の他、各種2次元NMRスペクトルの解析により決定された。構成アミノ酸の絶対立体の決定は、Marfey法およびキラルGC分析により行い、各々1molのD-Tyr、D-Asn、L-Gln、L-Pro、D-Serおよび2molのL-Asnで構成されることが判明した。化合物2および3は既知のmycosubtilin類であったが、1は新規物質であり、その分子量に基づいてMS 1056(1)、MS 1070(2)、MS 1084(3)と命名した。1-3はC.polykrikoidesに対してそれぞれLC50=2.3、0.8および0.6μg/mlと極めて強力な殺藻活性を示した。この他、6種の渦鞭毛藻と2種のラフィド藻に対しても強い殺藻活性を示した。また、最も強い活性を示したMS 1084(3)の有害赤潮生物以外の生物に対する増殖阻害活性を調べた結果、2種のカビと2種の酵母に対しては強い活性を、藍藻Microcystis aeruginosaとSynechococcus sp.には弱い活性を示したが、6種の細菌および4種の緑藻には全く活性を示さなかった。

4.Bacillus sp.SY-1およびDietzia sp.SY-2由来の殺藻物質bacillamideとtryptamineの単離、構造決定および海洋生物に及ぼす影響

 Bacillus sp.SY-1の培養ろ液より、mycosubtilin類とは異なる殺藻物質としてbacillamide(4)およびtryptamine(5)を単離した。4の分子式はHR-FABMS解析よりC16H15N3O2Sと決定され、1H-15N HMBC法を含む各種2次元NMR解析から、4はチアゾール環を含む新規トリプタミン誘導体であり、その平面構造は4と決定された。BacillamideとtryptamineのC.polykrikoidesに対する殺藻活性はそれぞれLC50=3.2および12.7μg/mlであった。また4は殺藻細菌Dietzia sp.SY-2からも単離することができた。インドールアルカロイドは天然界に広く存在し、抗生物質として知られているものが多いことから、4、5およびその類縁体であるtryptophanとserotoninの赤潮生物に対する殺藻活性を検討した。4、5は渦鞭毛藻とラフィド藻に対して強い殺藻活性を示したが、tryptophanとserotoninは赤潮生物に対してほとんど活性を示さなかった。また4について、赤潮生物以外の海洋生物に対する影響を調べた結果、緑藻、藍藻、珪藻、細菌、カビ、酵母に対しては50μg/mlまで全く増殖阻害活性を示さなかった。

5.Dietzia sp.SY-2由来の新規殺藻物質[Ile5,Asp7]surfactinの構造決定および海洋生物に及ぼす影響

 殺藻細菌Dietzia sp.SY-2の培養ろ液から、溶媒分画、ODSカラムクロマトグラフィー、逆相HPLCを用い、C.polykrikoidesに対し殺藻活性を示す新規環状ペプチド[Ile5,Asp7]surfactin(6)を単離し、その構造決定を行った。6の分子式はHR-FABMS解析よりC51H89N7O13と決定され、平面構造はアミノ酸分析、各種2次元NMRスペクトルの解析により6と決定された。Marfey法により6は、1molのL-Glu、L-Leu、L-Val、L-Ile、L-Aspおよび2molのD-Leuで構成されることが判明し、各アミノ酸残基の結合様式をHMBCとNOESY相関により決定したが、D-、L-Leuの帰属は末決定である。6は既知のsurfactinと比べ二つのアミノ酸が異なる新規物質である。C.polykrikoidesに対して6はLC50=6.2μg/mlの殺藻活性を示した。また6は赤潮生物以外の生物には顕著な増殖阻害活性を示さなかった。

 以上、渦鞭毛藻C.polykrikoidesの赤潮発生海域から分離され、この渦鞭毛藻の赤潮消長に関与すると考えられる海洋細菌から新規化合物を含む6つの殺藻物質を単離し、それらの構造を明らかにすることが出来た。これらの物質はC.polykrikoides以外の赤潮藻に対しても選択的な殺藻活性を示したものの、赤潮藻以外の海洋生物に対してはほとんど活性を示さなかった。このことは天然物化学、赤潮藻の生態・生理学の観点からみて非常に興味深い結果であると同時に、安全で環境にやさしい赤潮駆除法の開発を目指す上での重要な知見となり得ると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 魚介類の養殖は広く行われているが、時として赤潮発生により、多大な被害をうけることで世界的な社会問題となっている。韓国でも赤潮による養殖魚介類に対する被害が多数報告され、中でも渦鞭毛藻Cochlodinium polykrikoidesは韓国各地で赤潮を形成し、養殖魚介類の大量斃死を引き起こしているが、同時に現場海域では海洋細菌によると推測される同種の消滅も観測されている。近年、殺藻活性を持つ海洋細菌による赤潮防除が注目されており、また生態学的にも興味深い生物間相互作用と考えられる。海洋細菌による赤潮の消滅は、細菌より分泌される殺藻物質によると推測されるが、今までに単離・構造決定された殺藻物質は高度不飽和脂肪酸を除いてはなく、その殺藻メカニズムに関する知見も少ない。

 このような背景に基づき、本論文ではC. polykrikoidesの赤潮発生海域から、同種に対する殺藻細菌を分離し、殺藻物質の単離・構造決定を行ったもので、その概要は以下の通りである。

 第一章では、韓国Masan湾の赤潮発生海域において、通年殺藻細菌のスクリーニングを行っている。C. polykrikoidesは9月に優占種として出現し、10月には消滅した。殺藻細菌は9月に最も増え前月の約30倍となり、赤潮が消滅する10月には大きく減少した。そこで、9月に現場海域において殺藻細菌株の分離を行い、110株の殺藻細菌を得ている。

 第二章では、強い殺藻活性を示した20株を選択し、16S rDNA塩基配列による系統分類を行った。その結果、殺藻細菌は主にFirmicutes、Actinobacteriaおよびγ-Proteobacteriaの3グループに属することを明らかにした。また、C. polykrikoidesに対し最も強い殺藻活性を示した菌株はBacillus subtilisと高い相同性を示し、Bacillus sp. SY-1株と命名した。

 第三章では、Bacillus sp. SY-1の培養ろ液より殺藻物質の精製を行い、mycosubtilin類 (1-3)を単離し、構造決定を行っている。1-3は各々1 molのD-Tyr、D-Asn、L-Gln、L-Pro、D-Serおよび2 molのL-Asnで構成されることを明らかにしている。化合物2および3は既知物質であったが、1は新規物質であった。1-3はC. polykrikoidesに対してそれぞれLC50 = 2.3、0.8および0.6 (g/mlと強力な殺藻活性を示した。この他、6種の渦鞭毛藻と2種のラフィド藻に対しても強い殺藻活性を示した。また、最も強い活性を示した3はその他2種のカビと2種の酵母に対しては強い増殖阻害活性を示し、2種の藍藻には弱い活性を示したが、6種の細菌および4種の緑藻には全く活性を示さなかった。

 第四章では、Bacillus sp. SY-1の培養ろ液よりbacillamide (4)およびtryptamine (5)を単離し、構造決定を行っている。各種2次元NMR解析から、4はチアゾール環を含む新規トリプタミン誘導体であった。bacillamideとtryptamineのC. polykrikoidesに対する殺藻活性はそれぞれLC50 = 3.2および12.7 (g/mlであった。また4は殺藻細菌Dietzia sp. SY-2からも単離している。4、5は渦鞭毛藻とラフィド藻に対して強い殺藻活性を示したが、類縁体のtryptophanとserotoninは赤潮生物に対してほとんど活性を示さなかった。また4は緑藻、藍藻、珪藻、細菌、カビ、酵母に対しては50 μg/mlまで全く増殖阻害活性を示さなかった。

 第五章では、殺藻細菌Dietzia sp. SY-2の培養ろ液からC. polykrikoidesに対し殺藻活性を示す新規環状ペプチド[Ile5,Asp7] surfactin (6)を単離し、その構造決定を行っている。6は1 molのL-Glu、L-Leu、L-Val、L-Ile、L-Aspおよび2 molのD-Leuで構成され、既知のsurfactinと比べ二つのアミノ酸が異なる新規物質である。C. polykrikoides に対して6はLC50 = 6.2 μg/mlの殺藻活性を示した。また6は赤潮生物以外の生物には顕著な増殖阻害活性を示さなかった。

 以上本研究においては、渦鞭毛藻C. polykrikoidesの赤潮発生海域から分離され、その消長に関与すると考えられる海洋細菌から新規化合物を含む6種の殺藻物質を単離し、それらの構造を明らかにした。これらの成果は学術上および応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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