学位論文要旨



No 119572
著者(漢字) 楊,元稙
著者(英字)
著者(カナ) ヤン,ウォンジク
標題(和) ニューラルネットワークによる履歴推定手法を利用したサブストラクチャ・オンライン地震応答実験手法の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 119572
報告番号 甲19572
学位授与日 2004.05.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5847号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中埜,良昭
 東京大学 教授 壁谷澤,寿海
 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 助教授 大井,謙一
 東京大学 助教授 塩原,等
内容要旨 要旨を表示する

 建築物の地震応答を実験的に再現する手法は,(1)振動台を利用する動的実験手法,(2)準静的載荷実験とコンピュータによる応答計算を併用するオンライン地震応答実験法,の2つに大きく分類される。厳密には(2)の一手法であるサブストラクチャ解析法の概念を導入した,(3)サブストラクチャ・オンライン地震応答実験(以下,SOT(Substructure On-line Computer Testing))法も近年では一つの実験手法として確立されつつある。とくにSOT法は構造物を構成する部材あるいは部分架構のみを載荷実験対象とし,その他の部分の応答を解析的に評価することにより構造物全体の擬似動的挙動を再現することが可能な手法として,他の実験手法にはない特徴を有しており注目を集めている。本手法を用いれば,実験の省力化や試験体の縮尺率の緩和が図れるほか,縮小模型のみでは応答の把握が困難であった地盤-上部構造連成系の相互作用の問題を扱うことなども可能となる。従って,SOT法は構造物全体を対象とする手法と比較して,合理性,経済性の面において優れるのみならず,より広範な実験対象を扱い得る手法と位置づけられる。しかしながら,SOT法では載荷実験を行わない解析部分について何らかのモデリングが不可欠となる。現状では,解析部分の応答特性は過去の実験結果に基づいて提案された比較的単純な各種の数学モデルにより置換されるのが通例であるが,これらの数学モデルを用いた解析結果が個々の構造物の応答をどの程度正確に再現しているかについては依然として問題を提起せざるを得ない。とくに載荷実験と数値解析を併用する本手法は,実験結果の信頼性が解析結果の信頼性に直接依存するため,解析部分のモデリングについては十分慎重に取り扱う必要がある。

上記のような問題を含む一方で,SOT法による構造実験では,実験の進行とともに時々刻々実験データが得られるため,予め定式化された確定的な数学モデルではなく,載荷実験から得られるデータをリアルタイムに反映するモデルを解析部分に用いることも理論上は可能である。ただし,これを実現するアルゴリズムはまだ確立されておらず,従って,現在一般に用いられるSOT法はその大きな利点の一つである実験結果をリアルタイムに解析部分に反映し得る特徴を十分に活かせていない。そこで,載荷実験部分から時々刻々得られるデータをリアルタイムにモデリングし,これを解析部分に適用する新たなSOT法のアルゴリズムを開発できれば,SOT法の利点を最大限に活かし得る実験手法が実現できるのではないかと考えた。本研究は,上記の発想を実現すべく,載荷実験から得られるデータをリアルタイムにモデリングし,オンライン実験に反映し得る新たな実験手法とそのためのアルゴリズムの提案を目的としたものである。

 本論文は本論6章と付録3章より構成される。以下に,本論文の内容を構成に従って各章ごとにまとめて示す。

 第1章「序論」では,建築物の地震応答を扱う代表的な実験手法の1つであるサブストラクチャ・オンライン地震応答実験は,構造物を構成する部材あるいは部分架構のみを載荷実験対象とし,その他の部分の応答を解析的に評価することにより構造物全体の擬似動的挙動を再現することが可能な手法であり,実験の省力化や試験体の縮尺率の緩和が図れるなどの利点があることを述べた。次いで,本実験手法では載荷実験を行わない解析部分について何らかのモデリングが不可欠であり,そのモデリングについては十分慎重に取り扱う必要があること,さらに従来のサブストラクチャ・オンライン実験では解析部分の応答特性に単純な数学モデルが用いられるため,対象構造物の真の応答を再現し得ない可能性があることを述べた。本研究ではこの解決策として載荷実験部分から時々刻々得られるデータをリアルタイムにモデリングし解析部分に適用する方法を提案した。また,本研究に関連のある既往の研究などを紹介するとともに,最後に本論文の構成を記した。

 第2章「階層型ニューラルネットワーク」では,階層型ニューラルネットワークの基本概念とその学習アルゴリズムであるBP(Back Propagation)法とWL(Whole Learning)法について紹介し,具体的な数値計算手法を示した。また,入力データの基準化方法がニューラルネットワークの推定精度に与える影響について検討した。入力データの基準化は,一般によく用いられる[0.0〜1.0]の範囲よりも[-0.5〜0.5]の範囲で行う方が適切であることを,学習が終了した階層型ニューラルネットワークの推定可能領域を定式化することにより明らかにした。次にBP法とWL法の学習精度と学習速度の比較を行い,WL法がBP法よりも学習精度が高く学習時間も短いことを示し,本研究で対象とする非線形履歴の推定を目的とする学習アルゴリズムにはWL法がより適していることを指摘した。

 第3章「階層型ニューラルネットワークを用いた弾塑性地震応答解析」では,ニューラルネットワークによる非線形履歴の推定手法をサブストラクチャ・オンライン地震応答実験に適用することを目的として,時々刻々増加する学習データをニューラルネットワークがリアルタイムに効率よく学習するための入力層データの成分およびその基準化方法を提案し,その有効性を多質点せん断系の弾塑性地震応答解析を通じて検討した。その結果,ニューラルネットワークによる履歴推定手法を地震応答解析に応用するためには,既往の入力データの基準化方法では長時間の学習時間を要し,かつ推定精度も低いため適用が困難であることを指摘した。この改善策として新たに基準化方法IおよびIIを提案し,これらがニューラルネットワークの著しい学習時間の短縮と推定精度の向上に有効であることを示した。一方,実際の実験を想定した場合には,実験の初期のみ解析部分の履歴特性として何らかの数学モデルを仮定し,実験データが安定した後にニューラルネットワークによるモデルに移行する必要があることを指摘し,これを模擬する数値実験を行った。その結果,実験初期の仮定剛性が真の初期剛性と大きく異なる場合でも,ニューラルネットワークに移行後は徐々に応答が正解値に収束し,良好な応答推定結果が得られることを確認した。また,ニューラルネットワークの再学習において,初期結合係数の設定方法が学習精度と学習時間に与える影響は非常に大きいと考えられることから,初期結合係数を乱数により設定する従来の方法に代え,現在までの学習より得られた結合係数を基準化して設定する方法を提案し,その有効性を示した。さらに,ニューラルネットワークにより履歴推定する部材数が増加した場合でも,本章で提案した手法により応答を良好に推定できることを確認した。最後に,ニューラルネットワークに用いる入力層成分の違いが推定精度に与える影響について検討し,推定精度の向上には入力層データの安定性を考慮してその成分を慎重に設定することが重要であることを明らかにし,非線形履歴特性の推定に適切な入力層成分を提案した。以上より,本章で提案したニューラルネットワークの構築方法は,ニューラルネットワークによる履歴推定手法を応用したサブストラクチャ・オンライン実験の実用的アルゴリズムとして利用できると考えられることを示した。

 第4章「従来の手法に基づくオンライン地震応答実験」では,本研究で提案する新たな実験手法の適用に先行して実施した,2層建物を想定した2質点せん断系のオンライン地震応答実験と,従来の手法によるサブストラクチャ・オンライン地震応答実験について述べた。これらの実験に用いた試験体,実験方法,解析方法および実験結果を整理し,ニューラルネットワークの履歴推定手法を利用したサブストラクチャ・オンライン地震応答実験の実現性および従来の手法である単純な数学モデルを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験に対する優位性を確認するための基礎資料を収集した。

 第5章「ニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験」では,ニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験の実施を目的として,まず予備解析による検討を行った。その結果,第3章で提案したニューラルネットワークの構築方法を用いて解析部分の履歴特性を推定することにより,サブストラクチャ・オンライン地震応答実験の精度が従来の手法を用いた場合よりも向上することを示した。次に,第4章の実験対象と同様の2層建物を対象として,第3章で提案したニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験を実施し,本研究で提案するニューラルネットワークの構築方法を用いることにより,ニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験が実施可能であることを実験的に確認した。

 第6章「結論と今後の課題」では,本研究で実施したニューラルネットワークによる履歴推定手法をサブストラクチャ・オンライン実験に適用するための解析的検討,実験的検討について総括するとともに,今後も引き続き検討すべき課題について記述した。

 以上,本研究では,サブストラクチャ・オンライン地震応答実験において,載荷実験部分から時々刻々得られるデータをリアルタイムにモデリングして解析部分に適用する方法としてニューラルネットワークを用いる方法を提案し,解析および実験によってその有用性を確認した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「ニューラルネットワークによる履歴推定手法を利用したサブストラクチャ・オンライン地震応答実験手法の開発に関する研究」と題し,ニューラルネットワークを利用した新たな構造耐震実験手法の提案とその実現可能性を解析的・実験的検討により論じたもので,本論6章と付録3章より構成される.

 第1章「序論」では,構造物の地震応答を対象とした実験手法のひとつであるサブストラクチャ・オンライン地震応答実験は,実験の省力化や試験体の縮尺率の緩和がはかれるとともに破壊過程を詳細に観察・追跡可能である一方で,従来の手法では載荷実験対象以外の履歴特性は数学モデルに置換されるため,その履歴特性があらかじめ明確でない場合には,その載荷対象以外の部位についてはオンライン実験手法の最も重要な特徴,すなわち載荷実験で得られた履歴特性を解析部分にリアルタイムに反映しうる利点,を十分に活かせていない実情を述べている.またモデル化に起因する誤差により,対象構造物の真の応答が実現されない問題点を指摘し,これらの解決策としてニューラルネットワークに着目し,載荷実験から時々刻々得られるデータをリアルタイムに反映した履歴推定手法に基づく新たな実験手法を提案している.さらに,ニューラルネットワークに関連のある既往の研究事例を紹介し,本研究で目指す実験手法の実現には,これらの従来の研究事例を単に適用するのではなく,本実験手法に適したネットワーク構築のためのアルゴリズムを新たな発想に基づき開発する必要性を述べている.

 第2章「階層型ニューラルネットワーク」では,本研究で用いる階層型ニューラルネットワークの基本概念とその学習アルゴリズムであるBP(Back Propagation)法とWL(Whole Learning)法を紹介し,入力データの基準化範囲がネットワークの推定精度に大きな影響を与えること,WL法がBP法よりも学習精度が高く学習時間も短いことを示し,本研究で対象とする非線形履歴の推定に適した基準化範囲と学習アルゴリズムを設定している.

 第3章「階層型ニューラルネットワークを用いた弾塑性地震応答解析」では,ニューラルネットワークによる非線形履歴の推定手法をサブストラクチャ・オンライン地震応答実験に適用することを目的として,時々刻々増加する学習データをニューラルネットワークがリアルタイムに効率よく学習するための入力層データの成分およびその基準化方法,ニューラルネットワークの再学習時における初期結合係数の設定方法などを提案し,これらが学習精度と学習時間に与える影響を詳細に検討することにより,本章での提案が本研究で目指す実験手法の実現に利用可能な実用的アルゴリズムであることを示した。

 第4章「従来の手法に基づくオンライン地震応答実験」では,本研究で提案する新たな実験手法の実施に先行し,2層建物を想定した2質点せん断系のオンライン地震応答実験およびサブストラクチャ・オンライン地震応答実験を従来の手法に基づき実施し,その実験結果を整理することにより,ニューラルネットワークの履歴推定手法を利用したサブストラクチャ・オンライン地震応答実験の実現可能性および従来の手法に対する優位性を確認するための基礎資料を収集している。

 第5章「ニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験」では,第4章の実験対象と同様の2層建物を対象として,第3章で提案したニューラルネットワークを用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験を実施し,本研究で新たに提案したサブストラクチャ・オンライン地震応答実験が実現可能であることを実験的に確認している。

 第6章「結論と今後の課題」では,本研究で得られた結果を総括するとともに,今後も引き続き検討すべき課題について記述している。

 以上のように,本論文は,従来数学モデルにより推定することが通例であったサブストラクチャ・オンライン地震応答実験手法における載荷実験対象以外の部位の履歴特性をニューラルネットワークに基づき推定し,これを反映した地震応答解析と併用することにより,架構全体の地震応答性状を評価するための新たな実験手法を提案したものである.ここで提案した手法は,単に既往の研究事例に見られるような事前に構築されたネットワークを用いるアルゴリズムではなく,載荷実験で得られる結果をその実験の進行とともに時々刻々と学習したニューラルネットワークに基づきリアルタイムで推定する新たなアルゴリズムを提案・実現している点で,従来の研究事例とは明確に一線を画しており,さらにその実現可能性について解析的検討のみならず実験の実現に成功した点に特徴があり,その成果は耐震工学の発展に寄与するところが極めて高いと考えられる.よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認める.

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