学位論文要旨



No 119582
著者(漢字) 藤井,由紀子
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ユキコ
標題(和) 昆虫の細胞内共生細菌ボルバキアに感染する新規なバクテリオファージの同定と解析
標題(洋) Identification and characterization of a novel bacteriophage that infects Wolbachia, an intracellular symbiont of insects
報告番号 119582
報告番号 甲19582
学位授与日 2004.06.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4576号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 神谷,律
内容要旨 要旨を表示する

 ボルバキア属の細菌は、昆虫を中心とした節足動物に広く感染する細胞内共生細菌で、卵の細胞質を通じて母虫から仔虫へと垂直感染する。この細菌は全昆虫種の半数以上に感染していると推定されており、節足動物でもっとも普遍的な共生細菌といえる。このようなボルバキアの圧倒的な進化的成功は、宿主の性と生殖を操作することで昆虫集団内で感染雌個体を増加させ、自らの感染分布を拡大するという卓越した戦略によるものと考えられる。しかし、生殖異常の分子機構の解明はほとんど進んでいない。

 近年、スジコナマダラメイガ(Ephestia kuehniella)に感染するボルバキアwKueのゲノム上にファージ様遺伝子群WOが発見された。また、調べた限りにおいてすべての種類のボルバキアにファージ様遺伝子群が保存されていた。共生細菌は不要な遺伝子を捨て、ゲノムを最小化する傾向がある。にも関わらずファージ様遺伝子群が維持されていることから、ファージWOのゲノム上にボルバキアにとって必須な因子が存在する可能性が高い。また、その因子が多様な宿主への感染・適応、あるいは宿主に引き起こす生殖異常に関わっているかもしれない。

 溶原性ファージは宿主ゲノムと共に複製されるというライフサイクルの中で多くの遺伝子を失った結果、不完全なプロファージ断片として細菌ゲノム中に散在する傾向がある。そこで、本研究の第1部では、ファージの完全なゲノムセットを得ることを目的として、まずボルバキアに感染したE.kuehniellaからのファージ粒子の単離を試みた。

 用いたE.kuehniellaは3系統で、それぞれwKue、wCauA、wCauBという遺伝的に異なるボルバキアに感染している。wKueは本来E.kuehniellaに自然感染しているボルバキアである。wCauAおよびwCauBは、本来スジマダラメイガ(Cadra cautella)に二重感染していたもので、これをボルバキア非感染のE.kuehniellaに移植して、wCauAのみに感染した系統、wCauBのみに感染した系統を得た。

 これら3系統のE.kuehniellaおよびボルバキア非感染のE.kuehniellaをホモジェナイズし、PEG沈殿によってファージ粒子を回収した。その結果、ボルバキア非感染のE.kuehniellaから調製したサンプルでは粒子様構造は観察されず、wCauAまたはwCauBに感染したE.kuehniellaから調製したサンプルでは、直径40nmほどのファージ様粒子が観察された。これらの粒子からゲノムDNAを抽出し、サザンハイブリダイゼーションを行ったところ、確かにファージ遺伝子orf7を含むことが示された。またそのゲノムはおよそ20kbpの直鎖状2本鎖DNAであることが示唆された。以上の結果より、ボルバキアに感染するファージWO(WOcauA、WOCauB)の粒子が単離されたことが示された。wKueのゲノム上にはプロファージ様遺伝子群WOkueが存在するにも関わらず、wKueに感染したE.kuehinellaからはファージ粒子が単離されなかった。このことは、WOkueが粒子形成能をもたない不完全なプロファージ断片であるか、または何らかの生理条件の下で溶原状態に留められている可能性が考えられる。

 本研究の第2部では、粒子を形成するファージWOの遺伝子を解析した。以前の研究により、ボルバキア・ゲノム上にはプロファージ様配列が複数種存在することが示唆されていたため、まず、粒子形成能をもつファージの遺伝的タイプを調べた。初めに、wCauAまたはwCauBに感染したE.kuehniellaから抽出したDNAを鋳型として、ファージ遺伝子orf7をPCRによって増幅したところ、それぞれ4種類の配列が増幅された。次に、WOcauAおよびWOcauBから抽出したDNAを鋳型として同様のPCRを行ったところ、WOcauAからは3種類、WOcauBからは2種類の配列が増幅された。この結果は、ボルバキアのゲノム上に存在する複数種のプロファージのうち、粒子をまったく、ある偽はほとんど形成しないものと、多く形成するものがある可能性を示唆している。

 WOcauAおよびWOcauBのゲノムDNAからはそれぞれ、配列が完全に一致するorf7遺伝子断片が1種類増幅された。wCauAおよびwCauBは本来C.cautellaに二重感染していたことから、ファージWOが、同一宿主に感染しているwCauAとwCauBの間で水平感染していた可能性が高い。

 wCauAとwCauBは遺伝的にかなり異なったボルバキアである。これら2系統のボルバキアに感染しうるファージは幅広い系統のボルバキアへの感染能力をもつと考えられ、ボルバキアの形質転換ベクターとしての高い汎用性が期待される。これまでにボルバキアへの分子生物学的アプローチが制限されていた主な理由は、形質転換法が確立されていないためであった。本研究で発見されたファージを利用した形質転換法を開発することにより、生殖異常の分子基盤の解明を初めとするボルバキアの研究へ大きく寄与すると期待される。

 本研究では続いて、粒子を形成するファージWOの遺伝子構成を明らかにする目的で、1種類のWOに着目し、末端構造を除くほぼすべての塩基配列を決定した。多くの粒子が単離されたwCauB由来のファージのうち、wCauA由来のファージと共通するorf7遺伝子をもつファージWOcauB1ゲノムの塩基配列を、次のようにして決定した。wCauB由来のファージからゲノムDNAを抽出し、EcoRIまたはSacIによる制限酵素処理を行った。得られた断片をプラスミド中にサブクローニングして読みつなぐことにより、約20Kbpに渡るWOcauB1ゲノムの塩基配列を得た。

 得られた配列はゲノムの予想長をほぼカバーしており、23のopen reading frameをもっていた(表)。構造遺伝子の中には感染に必要と考えられる尾部構造遺伝子群やBaseplate集合遺伝子群、キャプシドタンパク質をコードする遺伝子群が揃っていた。その他に多くの機能未知遺伝子が存在した。注目すべきことに、機能未知遺伝子Gp16のコードするタンパク質は,羊の病原細菌Dichelobacter nodosusがもつファージ由来の病原性遺伝子アイランドに存在する遺伝子産物とおよそ20%の相同性を示した。Gp16の塩基配列から予測されるアミノ酸配列に保存されているモチーフを検索したところ、多くのグラム陰性病原細菌が分泌する毒素輸送タンパク質に保存されているロイシンリッチモチーフ(RyLLpYkLePVLEQLlqTkGE)が発見された。Gp16タンパク質は、何らかの分子と共にボルバキアから宿主細胞内に分泌され、宿主細胞の機能を修飾している可能性が考えられる。ボルバキアはゲノム上に4型分泌機構と呼ばれる巨大分子分泌機構に関わる遺伝子群をもつことが明らかになっているが、分泌される分子は不明である。今後、Gp16タンパク質を初めとするファージにコードされたタンパク質の機能を解析することにより、ボルバキア感染・共生の成立、または宿主昆虫に引き起こされる生殖異常の分子的基盤が明らかになるとが期待される。

 本研究の第1部で、E.kuehniellaに自然感染しているボルバキアwKueがもつプロファージWOkueがファージ粒子を形成していない可能性が考えられた。WOkueが粒子形成能をもたない不完全なプロファージ断片であるかどうかを検証するために、粒子形成能をもつWOcauB1とWOkueのゲノム構成を比較した。その結果、尾部構造遺伝子群のうちWOcauB1がもつ尾部鞘遺伝子、および尾部管遺伝子がWOkueにおいては欠損していた。このことから、WOkueは粒子形成能を失ったプロファージ断片である可能性が強く示唆された。

 WOkue遺伝子群の中には分泌タンパク質をコードすると予想されるGp16と相同性のある遺伝子は存在しなかったが、wKueゲノムを鋳型としてPCRを行ったところ、Gp16と高い相同性を示す遺伝子断片が検出された。これはwKueゲノム上でWOkueとは別の場所にGp16相同遺伝子が存在していることを示す。おそらくwKueゲノムに挿入されたWOプロファージは、溶原サイクルを繰り返すうちに、構造遺伝子を初めとする多くの遺伝子を欠損し、粒子形成能を失って断片化した結果、ボルバキアにとって必須な因子を含む部分がゲノム上に残されているものと考えられる。

 以上の結果から、宿主に単感染しているボルバキアwKueのWOは粒子形成能を失い、同一宿主に二重感染しているボルバキアwCauA・wCauBのWOは粒子形成能を維持していることが示唆された。近年の比較ゲノム解析により、細菌の種分化に溶原性ファージが深く関与することが示唆されている。ある種の溶原性ファージは新しい宿主細菌に感染する際,細菌の適応度を上げる遺伝子群を導入することによって自らの適応度をも上げるという戦略をとると考えられている。WOの水平感染による遺伝子獲得が新しいボルバキア種の誕生に寄与し、広汎な宿主域への適応を促進しているのかもしれない。本研究は、細胞内共生細菌の多様性獲得にも溶原性ファージが深く関わっていた可能性を示唆する最初の報告である。

表1 ボルバキアwCauBに感染するバクテリオファージWOcauB1に存在する予想ORF

審査要旨 要旨を表示する

 ボルバキア(Wolbachia)は、昆虫等の節足動物に広く感染する細胞内共生細菌で、卵の細胞質を通じて母から子へ垂直感染する。ボルバキアに感染した宿主昆虫では雄殺し、雌化、細胞質不和合などの現象が起き、結果として、感染雌の分布が拡大するが、ボルバキアによる宿主昆虫の生殖操作のメカニズムは不明である。近年、スジコナマダラメイガ(Ephestia kueniella)に感染しているボルバキアwKueのゲノム配列中にファージ様遺伝子が見出された。通常、共生細菌は生存に不要な遺伝子を棄て、そのゲノムを最小化する傾向があるので、このことはファージ様遺伝子が、ボルバキアの生存にとって何らかの有利な形質をもたらす可能性を示唆している。加えて、仮にボルバキアに感染するファージが同定できれば、将来的には、ポルバキアの形質転換の可能性も拓ける。本論文は、これらの背景の下にボルバキアから新規なバクテリオファージを同定し、その遺伝子の構造及び発現を解析した結果について報告している。

 実験に用いたスジコナマダラメイガは3系統で、それぞれwKue、wCauA、wCauBという異なるボルバキアに感染したものである。wKueは、スジコナマダラメイガに自然感染しているボルバキアで、wCauAとwCauBは、元々スジマダラメイガ(Cadracautella)に二重感染していたものを、スジコナマダラメイガに移植することで、それぞれに単感染した系統を得ている。これら、3系統のスジコナマダラメイガからファージ粒子の単離を試みたところ、wCauAやwCauBに感染した系統からは、直径40nmのファージ粒子が単離されたが、wKueに感染した系統からは粒子は得られなかった。このことは、wCauAやwCauBではファージ粒子が形成されるが、wKueではファージ様遺伝子は存在するものの、ファージ粒子が形成されないことを示唆している。ファージ粒子からゲノムDNAを抽出することで、そのゲノムは約20kbpの直鎖状2本鎖DNAであることが判明した。

 次に、ファージゲノムの構造を検討した。先ず、PCRによりwCauAとwCauBに感染したスジコナマダラメイガのゲノムDNAを鋳型とし、ファージ遺伝子の一部(orf7)を増幅したところ、それぞれから似て非なる4種類の配列が得られた。次に、それぞれから得られたファージ粒子、WOcauAとWOcauBからゲノムDNAを抽出し、同様なPCRを行ったところ、3種類と2種類の配列が増幅された。またその内の1つはWOcauAとWOcauBの双方から増幅された。このことは、wCauAとwCauBが複数のファージに感染しており、その内の一つ(WOcauB1)は、wCauAとwCauBの両方に感染していたことを示している。wCauAとwCauBは元々、スジマダラメイガに二重感染していたことを考えると、このファージは、この間に両者の間を水平感染した可能性がある。

 ファージWOcauB1についてゲノムクローニングを行ったところ、ほぼ全長に渡る約20kbpの塩基配列が決定され、23個のORFが見出された。この中には、ファージの構造タンパク質遺伝子の他に、多くの機能未知遺伝子が含まれていたが、中でもGp16がコードするタンパク質は、ヒツジの病原細菌Dichelocbacter nodosusがもつ、ファージ由来の病原性遺伝子アイランドにコードされるタンパク質と約20%の相同性を示し、多くのグラム陰性細菌が合成する毒素タンパク質に共通なロイシンリッチモチーフを有していた。このことは、Gp16が分泌タンパク質をコードしており、ボルバキアが引き起こす生殖異常の要因となる可能性が考えられる。そこで、ファージ粒子が単離できなかったwKueに感染したスジコナマダラメイガについても、RT-PCR法によりGp16の発現を調べたところ、Gp16は発現していることが判明した。このことは、ボルバキアが示す生殖異常の表現型には、ファージ粒子の形成能より、Gp16などのファージ由来遺伝子の機能が重要である可能性を示唆している。

 以上、本論文では、昆虫に生殖異常を引き起こす細胞内共生細菌、ボルバキアに感染するファージを世界で初めて同定し、その遺伝子構造と系統に応じたユニークな遺伝子の発現様式が述べられており、昆虫生理学の発展に寄与する点が大きい。なお、本論文は佐々木哲彦、石川統、久保健雄との共同研究として行われているが、全編に渡って、論文提出者が主体となり実験計画の立案、実験の遂行、論文の作成を行っており、論文提出者の寄与は充分であると判断できる。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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