学位論文要旨



No 119586
著者(漢字) 平林,幹啓
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,モトヒロ
標題(和) 大気中粒子状物質の放射性炭素同位体比及びX線吸収微細構造に基づく発生源推定に関する研究
標題(洋) Source estimation of airborne particulate matters based on radiocarbon isotope ratio and X-ray absorption fine structure
報告番号 119586
報告番号 甲19586
学位授与日 2004.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4573号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松尾,基之
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 助教授 鍵,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 大気中粒子状物質(エアロゾル)の粒径、化学組成、濃度、反応特性などは、地球環境問題やなかなか解決しないエアロゾル汚染を考える上で重要な情報となる。大気中粒子状物質の粒径は、数nmから数十μmにもおよび、そこに含まれる元素、濃度もさまざまである。粒径別化学組成に関しての報告は昔から多数あるが、大気中での挙動などいまだに解明しなければならない課題が多い。また、大都市においては大気中粒子状物質濃度に対する自動車等の人為発生源の寄与率は大きく、削減計画作成のための正確な発生源データが必要とされている。本研究では大気中粒子状物質の動態解明に必要な発生源の特性を明らかにするために、元素の化学形態および同位体に着目し、実大気の調査観測から発生源に関する知見を得るための分析手法の開発を目的とした。具体的には以下に示す項目についての研究を行った。

1.放射性炭素同位体比に基づく大気中粒子状物質中炭素成分の由来に関する研究

 都市大気の粒子状物質の約40%を構成する炭素成分について、放射性炭素(14C)の測定から化石燃料起源の炭素および生物起源炭素の寄与率の推定を行う方法に関する検討を行った。大気中には宇宙線の影響で14Cを含むCO2が一定の割合で存在しており、光合成を行う植物は大気とほぼ同じ割合の14Cを含んでいる。植物は食物連鎖の底辺であり生物起源の炭素はこれと同じ割合で14Cを含んでいる。一方、14Cは半減期が5730年で、石油や石炭などの化石燃料起源の炭素にはほとんど含まれない。そこで14Cをトレーサーとして、大気中粒子状物質に含まれる14C濃度から生物起源と化石燃料起源の炭素の割合の算出を試みた。化石燃料起源の炭素に関しては産業活動などに基づいて、ある程度排出インベントリーの推定ができるが、生物起源の炭素の寄与、動態は不明な点が多い。そこで本研究では、生物起源を含めた炭素成分による汚染動態の理解に極めて有用な知見が得られると考えられる、大気中粒子状物質に含まれる14Cの測定に関する検討を行った。

 試料は化石燃料起源の移動発生源が多い、神奈川県川崎市池上新田交差点、及び植物起源の発生源が多い、茨城県つくば市(都市郊外)でハイボリュームエアサンプラー(HV)を用いて採取した。この試料を酸化してCO2に変換したのち、精製、還元を行ってグラファイトを作成し、加速器質量分析法(AMS)により分析を行った。14C/12Cから全炭素(TC)に占める現代炭素の割合(percent modern carbon:pMC)を求めた。川崎試料ではpMCの値が非常に小さく、つまり沿道において化石燃料起源の粒子が実際に大きく寄与していることが分かった。

 炭素成分には元素状炭素(EC)と有機炭素成分(OC)があり、ECは燃焼由来であり、野焼きや森林火災等のバイオマス燃焼を除けば殆どが化石燃料起源でpMCが低い。OCは燃焼由来の他、植物起源の揮発性有機化合物(VOC)や生物の微細なかけら、人為的な溶媒の蒸発などに由来し、ECよりpMCが高いと考えられる。そこで、放射性炭素同位体比測定からより多くの情報を得るために、ECとOCを分離してそれぞれpMCを求める方法の開発を行った。OC/ECを分離する方法として溶媒抽出法、加熱分離法を用いて分離条件の検討を行った。生物由来と化石燃料起源の炭素成分が、いずれもかなりの割合で混在すると考えられる、茨城県つくば市で採取した試料を用いて検討を行った結果、加熱分離法を用い800℃で加熱しOC/ECを分離する方法が、ECの正確なpMC測定に適していると考えられた。この方法を放射性炭素同位体比測定に応用するために、多くの試料のOC/EC分離の前処理を可能とする加熱分離装置を作成した。加熱処理を行わなかった場合(TC)と行った場合(EC)では、加熱処理を行うことでpMCが低下し、ECには化石燃料起源のものが多いことが示された。また、TCとECそれぞれの放射性炭素同位体の測定と炭素成分分析を組み合わせることにより、バイオマス起源のOC成分、バイオマス起源のEC成分、化石燃料起源のOC成分および化石燃料起源のEC成分それぞれの寄与の推定が可能となった。

2.X線吸収微細構造(XAFS)法を用いた大気中粒子状物質に含まれる元素の化学形態分析

 大気中粒子状物質に含まれる無機成分の組成に関してはさまざまな研究が行われてきているが、元素の化学形態に関する研究は少なく、これまでメスバウアー分光法や光電子分光法を用いて行われた例がある程度である。しかしながら、これらの分析法の検出下限の問題により、一部の元素について行われているのみである。

 大気中粒子状物質に含まれる元素の化学形態は発生源によってさまざまで、同じ元素であっても土壌粒子、自動車排出粒子などで異なる。そのため、粒子状物質に含まれる元素の化学形態を知ることは、その起源を推定し大気中での挙動を解明する上でも有用であると考えられる。そこで、放射光を用いたX線吸収微細構造(XAFS)法を大気中粒子状物質に適用し、そこに含まれるFeの化学形態に関する検討を行った。また、それぞれの化学種の定量を行うために、Partial least-squares(PLS)法を適用し、X線吸収端近傍構造(XANES)スペクトルの解析を行った。大気中粒子に含まれるFeの化学的性質を比較検討するために、57Feメスバウアー分光法による状態分析を併せて行った。大気中粒子状物質の採取は東京大学構内においてアンダーセンハイボリュームサンプラーを用いて粒径ごとに行った。XAFS測定は、高エネルギー加速器研究機構放射光研究施設(KEK・PF)において、Fe-K吸収端のXAFSスペクトルを蛍光法により測定した。粒径別の大気中粒子状物質のスペクトルにおいて、微小粒子の吸収端は粗大粒子の吸収端より高エネルギー側に推移し、微小粒子中に酸化的な成分がより多く含まれることが分かった。大気中粒子状物質のスペクトルと標準試料のスペクトルの比較から、大気中粒子に含まれているFeの化学種は、ケイ酸鉄(II)、硫酸鉄(III)、酸化鉄(III)の3種類のカテゴリーに分類できると考えられた。しかしながらこれらの3成分は個々のピークを示すわけではなく、重なり合っており、従来のXAFS法の解析条件でそれぞれの混合比を求めることはできない。そこで上記の3成分をPLS法の標準試料として、大気中粒子状物質スペクトルにPLS法を適用したところ、Fe(II)化学種の相対存在量は粒径の減少に伴って減少することが分かった。つまり、大部分のFe(II)がケイ酸塩として粗大粒子領域に存在した。さらにPLSの計算結果から、酸化鉄(III)成分の相対存在量が粒径の減少に伴い増大した。ここで観察された大部分の酸化鉄成分は、摩耗または化石燃料の燃焼からの排気が主な発生源であると思われる。比較対照のために行ったメスバウアーの結果は、PLSモデリングによって推定されたFeの各化学種の相対存在量と一致した。本研究により、放射光を用いたXAFS法を適用することで、微量の大気中粒子状物質でも高感度でスペクトルが得られ、PLS法を併用することにより、化学形態別組成推定が可能となった。放射光を用いたXAFS法は、メスバウアー分光法と異なり対象元素(核種)に殆ど制限が無く、高感度であることから、Fe以外の元素にも適用可能である。そこでZnなどの元素に適用したところ、それぞれの化学形態に関して有用な知見が得られた。また、自動車排出粒子、焼却灰、土壌等の異なる発生源の粒子にXAFS法を適用したところ、発生源によって大気中粒子状物質に含まれる元素の化学形態が異なることが測定された。

 一般に大気中には各種発生源からの粒子や二次生成粒子が混在している。つまり、フィルター等で採取される粒子試料のXAFSスペクトルは、さまざまな発生源の粒子のスペクトルの重ね合わせであると考えられ、XAFS法にPLS法を組み合わせた定量的な手法を、大気中粒子試料と発生源別の試料に適用することにより、発生源別の寄与率の推定が行い得ることが明らかになった。本法により、さまざまな大気中粒子状物質の化学形態についての情報が得られ、発生源から採取した試料の分析とデータ解析により大気中粒子状物質の動態や発生源に関する負荷因子等を明らかにする手法が開発された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、大気中粒子状物質(エアロゾル)の大気中における動態解明や影響評価のため、および動態解明に必要な発生源の特性を明らかにするために、元素の同位体比および化学形態に着目し、実大気の調査観測から発生源に関する知見を得るための分析手法の開発を行ったものである。本論文は、以下の4章からなる。

 第1章では、本研究の背景および目的が述べられている。大気中粒子状物質の植物への影響評価についての検討結果が述べられるとともに、大気中粒子状物質の発生源推定の必要性について論じられている。

 第2章では、放射性炭素同位体比に基づく大気中粒子状物質中炭素成分の由来に関する検討結果が述べられている。放射性炭素同位体(14C)をバイオマス起源の炭素のトレーサーとして利用し、大気中粒子状物質に含まれる14C濃度からバイオマス起源と化石燃料起源の炭素の割合の算出を試みている。移動発生源(自動車交通等)の寄与が大きいと思われる川崎市内の産業道路交差点にて採取した試料では、現代炭素の割合(percent modern carbon:pMC)の値が非常に小さく、つまり沿道において化石燃料起源の粒子の割合が大きいことが実際に示された。また、14Cの測定からさらに詳しい発生源に関する情報を得るために、元素状炭素(EC)と有機炭素(OC)を分離して炭素同位体の分析を行い、それぞれのpMCを求める方法の開発を行っている。生物起源と化石燃料起源の炭素成分が混在すると考えられる、つくば市で採取した試料を用いて検討を行った結果、熱分離による試料の前処理を800℃で行うことにより、熱分離したあとの残渣にはOCが含まれないことが示された。この方法を放射性炭素同位体比測定に応用するために、多くの試料のOC/EC分離の前処理を可能とする加熱分離装置を作成している。これにより、全炭素(TC)とECそれぞれの14Cの測定とOCとECの熱分離分析を組み合わせることにより、バイオマス起源のOC成分、バイオマス起源のEC成分、化石燃料起源のOC成分および化石燃料起源のEC成分それぞれの存在量を求めることが可能になった。これまでは、小型焼却炉等による紙や生ゴミの燃焼などに由来する粒子の寄与率を、発生源から離れた観測地点の観測から算出することは困難であった。本研究で有効性が示されたOCとECの熱分離を組み合わせたpMC測定により、バイオマス起源のOC成分と、人為由来であるバイオマス起源のEC成分の寄与率をそれぞれ求めることが可能になったことは特筆すべきことである。

 第3章では、放射光を用いたX線吸収微細構造(XAFS)法とpartial least-squares(PLS)法を組み合わせた方法を大気中粒子状物質に適用し、そこに含まれる鉄の化学形態の分析を行っている。放射光を用いることによって、微量の大気中粒子状物質でも高感度にXAFSスペクトルが得られ、化学種ごとの存在比が求められることを明らかにしている。このうち鉄含有量の多い試料については、57Feメスバウアー分光法でも測定可能であり、その化学種別定量結果とよく一致することが確かめられた。放射光を用いたXAFS法は、メスバウアー分光法と異なり対象元素(核種)に殆ど制限が無く、高感度であることから、Fe以外の元素にも適用可能である。そこでZnなどの元素に適用することにより、それぞれの化学形態に関して有用な知見を得ている。また、自動車排出粒子、焼却灰、土壌等の異なる発生源の粒子にXAFS法を適用することにより、発生源によって大気中粒子状物質に含まれる元素の化学形態が異なることを明らかにしている。一般に大気中には各種発生源からの粒子が混在している。つまり、フィルター等で採取される粒子状物質のXAFSスペクトルは、さまざまな発生源の粒子のスペクトルの重ね合わせであると考えられ、XAFS法にPLS法を組み合わせた定量的な手法を、大気中粒子試料と発生源別の試料に適用することにより、発生源別の寄与率の推定が行い得ることが初めて示された。

 第4章では、本研究の成果が総括されている。本研究で開発した大気中粒子状物質の分析手法を用いることにより、これまでは得ることができなかった、発生源別寄与の推定に有用な大気中物質の炭素成分の由来および元素の由来に関する情報を得ることが可能になった。本研究で開発された手法は、特に環境分析化学の分野に資するところが大きいものと判断される。

 なお、本論文第1章の一部は、尾崎卓郎・松尾基之との共同研究、また、第3章の主要部分は松尾基之との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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