学位論文要旨



No 119587
著者(漢字) 許,文豪
著者(英字)
著者(カナ) コウ,ブンホウ
標題(和) エレクトロポレーションを用いる動脈の遺伝子治療システムに関する研究
標題(洋) Study on Electroporation-based Gene Therapy System for Artery
報告番号 119587
報告番号 甲19587
学位授与日 2004.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第70号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 教授 久田,俊明
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

 近年遺伝子工学の進歩に伴い、医学の世界に遺伝子治療法が開発、今日まで治療ができなかった病気の治療に応用可能となってきている。そのため遺伝子治療は医学や科学の研究者に大いに注目されている。遺伝子治療は遺伝子を細胞に導入することによって、遺伝子機能の置き換え、修復を行い病気や遺伝的欠損を治療する治療法である。現在、最も効率が良い遺伝子導入方法として、アデノウイルスや超音波法、エレクトロポレーションによる導入の促進が検討されている。従来行われてきた、アデノウイルスによる遺伝子導入では、遺伝物質はウイルスを担体として細胞膜を通過し、細胞内へ導入される。しかし、アデノウイルスを用いる方法では、ウイルス量を高濃度で使用するため、タンパク質生成への影響や過剰な免疫反応、繰り返す導入を行うことが厳しいなどの問題がある。また、ウイルスを担体とできる遺伝子物質サイズは5kilobasesが上限である。

 そのため、ウイルスに代わり副作用の少ないプラスミドを遺伝子の担体に用いる方法として、超音波を用いる方法やエレクトロポレーションによる方法が検討されている。超音波法では、超音波振動により細胞膜の透過性を上げ遺伝子の導入を行う。一方、エレクトロポレーションでは短い電気パルスによって細胞膜が一時的に破壊され小孔が形成される現象を利用し遺伝子の導入を行っている。エレクトロポレーションを利用する方が、超音波に比べ遺伝子導入効率が7倍高いという報告がある。

 上記3種類の遺伝子導入方法を比較すると、適切な条件下で行えば、エレクトロポレーションが最も遺伝子治療に適した遺伝子導入方法と考えられる。遺伝子導入効率に影響する条件として、導入対象組織の電場分布が報告されている。その為、電極形状、電極位置が遺伝子導入効率に影響すると考えられるが電極形状と位置に関する十分な報告はなく、現状では、電極構成は経験によって決定されている。その上、動脈への遺伝子導入を対象とした適切な電極と電場分布に関する研究が報告されていなかった。また、動脈に電極を当てるには、動脈へのアプローチのしにくさや動脈の細さを考慮しなくてはならず、動脈への遺伝子導入に適した電極の開発も必要とされている。

 本研究の目的はエレクトロポレーションによる動脈壁への遺伝子導入システムにおいて、高い遺伝子治療効率、安全な治療、最小限の細胞の損傷、を実現するための適切な条件を明らかにすることである。適切な電極を設計するためにシミュレーションモデルを作成し、電場分布と電流を検討した。さらに、シミュレーションの実用性について検証するために、In vivo実験を行い、その得られた電場、電流、電極の条件の有用性を示した。また、選択的に目的の場所へ導入する方法や遺伝子導入量をさらに増加させる方法の検証を行った。最後に、他の影響する要素、例えば動脈の太さや周りの他の組織、溶液などについて検討した。

 三次元FEMシミュレーションにより、動脈組織での電界分布、及び電界最高値、電流を算出した。シミュレーションに使用した血管組織の伝導性は文献値1.0S/m、プラスミドDNAの伝導性0.02S/mはFour-electrodeテクニックを使用し測定した。血管サイズは外径2.0mm、厚さ0.2mmとし、血管と電極は密着しているものと仮定してシミュレーションを行った。電極形状は、エレクトロポレーション法に広く用いられている針形電極と平板電極を用いた。以前、我々が行った2種類の電極形状、平板電極モデル(0.5x5mm2と1.2x5mm2ステンレス)とワイヤブロックモデル(ワイヤ--外径0.2mm,ブロック--外径1.5mm)のシミュレーション結果では平板電極モデルの電界はワイヤブロックモデルより強いと示された。そこで、様々な平板電極サイズや印加電圧の大きさ、組織周辺の生理食塩水の有無による電場分布の変化を解折した。陰極は薄くなるほど、電界と電流値が高くなることがわかった。厚さ0.1mmの電極モデルでは100V/cmの電界と31mA電流が計測された。0.5mmの電極モデルでは90V/cm電界、36mA電流が計測された。10V電圧を増やすと30V/cm電界が増えることがわかった。生理食塩水が存在すると、40V/cm電界が増えることが示された。また、電界の強さは電極の中心部ほど低く、外周部ほど高いことが示された。

血管への遺伝子導入の可能性とシミュレーション結果の有用性を確認するのため、in vivoウサギ実験を行った。まず初めに、平板電極とワイヤブロック電極の比較実験を行った。次に、電圧、パルス幅、パルス数を変化させ適切な条件を明らかにした。定性実験では、laczプラスミドDNAを組織に導入された部位を示すマーカーとして使用した。微視解析では平板電極、電圧30Vでlaczマーカーによる組織の染色を確認した。しかし、ワイヤブロック電極では電圧が70Vも必要であり、laczマーカーによる組織の染色も少なかった。実験の結果、陰極での染色が多く確認された。また、電極の四角形が組織に転写されていた。四角形のサイズは電極のサイズより若干大きかった。In vivo実験結果とシミュレーション結果を比較することで遺伝子導入に必要な最低電界強度は90V/cmであるということがわかった。印加電圧が50V以上ではlaczマーカーによる染色は少なかった。50Vはシミュレーションによると電界強度150V/cmである。定量的実験として、導入量の定量分析が可能なluciferaseプラスミドDNAを使用して同様な実験を行った。LaczプラスミドDNAとluciferaseプラスミドDNAの結果より、30〜40Vが遺伝子導入に適した電圧と仮定される。In vivo実験で、厚さ0.1mm電極は5.0x106RLU/mg、厚さ0.5mm電極では1.5x106RLU/mgのluciferaseプラスミドDNAの導入を確認し、電極厚さに関するシミュレーションの妥当性を確認した。

遺伝子導入量を増やすためにダブル電極(平板電極を2枚並列したもの)を設計し、シミュレーションと実験を行った。シミュレーションによると2枚の0.1mm平板電極を電極間隔1.0mmで配置したものが、電界強度が一番いいことが示された。しかし、電極内の電解強度が弱く、1枚の0.1mm平板電極より遺伝子導入に必要な電界巨度を示す領域が少ないことが確認された。実験結果でも、2.6x106RLU/mgしかluciferaseプラスミドDNAが導入されなかった。そこで別の方法として、同一部位に2回エレクトロポレーションを行った。その際、陰極に多く入る性質を生かすため、1回目と2回目で電極の正負を逆転させた。厚さ0.5mm電極を使用して実験を行ったところ、血管組織全体にlaczプラスミドDNAマーカーの染色を確認した。

シミュレーション結果から電極形状と印加電圧は組織内の電流密度に影響することが分かった。シミュレーションの結果とin vivo実験において測定した電流から、遺伝子導入の正否が判断できると考えられる。印加電圧と電流の関係は、シミュレーションと実験の結果がほぼ一致した。厚さ0.5mm電極を使用して、印加電圧30Vの場合、電流36mAで導入効率が高く、印加電圧40Vでは48mAが導入に適切な電流であった。この結果から、印加電圧はそれ自身、導入効率に影響があることが分かった。しかし、電流量も大切な導入条件だと考えられる。

エレクトロポレーションにおいて、動脈細胞への遺伝子導入のための適切な条件を検討した。LaczプラスミドDNAを使用して、動脈細胞にエレクトロポレーションによる遺伝子導入を確認した。また、30V以下や40V以上では、laczプラスミドDNAの導入量の減少が確認され、導入に適した印加電圧は30〜40Vだと言うことがわかった。導入箇所としては、laczプラスミドDNA使用した実験で遺伝子導入による染色が電極の形を示したことと、シミュレーションの結果より、電界強度が強くなりやすい電極端部に遺伝子導入がし易いことがわかった。このことから、電極端部の強い電場が遺伝子導入に必要な条件だと考えられる。導入対象組織周辺の、他の組織や溶液など外部条件は、主に導入効率に影響することがわかった。また、シミュレーションにより生理食塩水が組織周辺に存在するとき、40V/cm電界強度が増加することが確認された。電極形状も遺伝子導入に得一驚があり、電極サイズや位置によって、電界強度、電界分布、電流が変わることが示された。薄い電極は電界が強くなり、導入量も高くなった。シミュレーションと実験より、遺伝子導入に必要な電界強度条件が示されたが、その際、電流は遺伝子導入効率に影響することが示された。特に、必要な電界強度が発生しても、電流が足りなければ導入効率に影響がある点には注意が必要だと考えている。しかし、当然のことながら、電圧、電極サイズや電極位置によって、必要な電流も変わる。

 今後は、エレクトロポレーションによって遺伝子治療の安全性と効率の向上のためにも、さらに適切な条件を明らかしていく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 論文題目「Study on Electroporation-based Gene Therapy System for Artery(動脈へのエレクトロポレーションによる遺伝子導入に関する研究)」は動脈壁細胞への遺伝子導入技術として,電場刺激による細胞膜の一過性の破壊現象であるelectroporationを応用した血管壁への遺伝子導入技術を扱ったものである。まず有限要素法を用いた電場シミュレーションにより血管壁内部に発生する電場分布を検討し,電極形状・電極間隔・印加電圧と血管壁内の電場分布の関係を検討し,適切な電極形状を選択した。次に医学部血管外科との共同研究によりウサギ頚動脈をモデルにLacZプラスミド,luciferaseプラスミドを用いたelectroporationによる血管壁への遺伝子導入実験を行い,シミュレーション結果の妥当性ならびにelectroporationによる血管壁への遺伝子導入に必要となる条件を明らかにした。この結果に基づいて血管の単位体積あたりへの遺伝子導入量を増加させる方法を検討した。最後に実験時に計測された電流注入量を検討し,その平均値がシミュレーションにより推定される値とほぼ符合すること,ならびにその電流値が観測された場合に,比較的大きな遺伝導入量が観測される傾向が見られたことを示し,実験上遺伝子導入効率に影響する因子を検討した。以上によりelectroporationを応用した血管壁への遺伝子導入技術に関して,求められる条件,治療装置の基本的な設計指針を示したものである。

 本論文は6章からなり,第1章では現在の遺伝子導入技術の現状と問題点,ならびに近年注目されているウィルスを用いない標的部位への選択的な遺伝子導入手法に関する研究を紹介し,electroporationを用いた遺伝子導入の研究の現状を紹介している。そしてelectroporationによる血管壁への遺伝子導入に関する研究は未だ限られていること,これらの研究が実験的検討を主に行われているため,遺伝子導入に必要とされる客観的な条件が明らかにされていない点を指摘した。第2章では本研究の目的として,血管壁への遺伝子導入を安全に行うための条件を定めることとしている。

 第3章ではelectroporationを応用した血管壁への遺伝子導入での,電極による電場を印加したときの血管壁内での電場分布を検討した。血管壁の内壁に遺伝子導入をすることが求められるため,血管内腔にプラスミドDNAを満たし,血管壁の外側に設置した電極より電圧を印加し,血管内壁に遺伝子導入を行うことを想定している。まずプラスミドDNA試料の導電率を測定し,文献的に知られている筋肉組織の導電率を用いてシミュレーションを行っている。electroporationを応用した遺伝子導入ではカソード側により多くの遺伝子導入がなされることが報告されており,また本研究でも実験的にこの現象を確認しているが,電極形状について検討した結果,血管壁内に傷害を発生するような過大な電場を形成せず,かつある一定以上の電場を一様に血管内壁に与えるためには,幅の小さい電極をカソードに,幅の広い電極をアノードに置くことが適切であることが示された。また電極の端部の直下に近い部分で電位が大きくなることが示された。電極間隔,印加電圧などによりどのように電場分布が変化するかを検討した。

 第4章では,シミュレーション結果に基づいて,ウサギ頚動脈をモデルにして実際に計測システムを用いて行った実験結果を述べている。印加電圧パルス幅を20msecに固定して実験を行っている。LacZプラスミドを用いた遺伝子導入部位と電極の位置の解析から,電場シミュレーションで確認された電場強度の大きな部位で遺伝子導入が起きることを確認した。つぎに遺伝子導入量を定量的に検討するために,luciferaseプラスミドを用いたelectroporationによる血管壁への遺伝子導入実験を行い,印加電圧,電極間距離等の条件を変化させ遺伝子導入量の変化を検討した。シミュレーション結果と実験結果を検討した結果,90-200V/cm程度の電場強度の部位でelectroporationによる遺伝子導入が起こること,ならびにそれを越える電場強度が発生した場合には,遺伝子導入効率が低下することを明らかにした。

 第5章では第4章の結果に基づき,単位体積あたりの遺伝子導入量を増加させる方法として,電極数を増加させる方法,電極を移動させて複数回遺伝子導入を試みる方法を実験的に検討している。電極数を2本にした実験結果では,1本の場合よりかえって遺伝子導入効率が悪くなる結果が得られたが,電場シミュレーション解析によれば,電極の間の空間での電場強度が低下して,前章で示した条件を満たす領域の大きさが小さくなることを考察しており,効率上昇が得られなかった原因であることを示している。またLacZを用いた実験により,複数回電極位置を変えて電圧を印加して遺伝子導入を行うことが,導入量を増加するためには有効であることを示している。

 第6章では実験時に計測された電流注入量を検討している。観測される電流値はばらつきが大きいが,その平均値はシミュレーションで推定される値とほぼ一致することを示し,シミュレーションの妥当性を確認している。観測される電流値がばらつく原因としては,電極と血管の不十分な接触,血管周囲に存在する体液などの影響が考えられるが,特に体液の影響に関しては,シミュレーションで生理的食塩水の0.2mm程度の層が血管外壁に存在することを仮定すると,血管壁内の電場分布に大きな変化は無いが,観測される電流量が増大することをしめしている。このような考察から,実験上のアーチファクトとして想定できるデータを除去して観測された電流量と遺伝子導入量の関係を見ると,シミュレーションで予測される程度の電流値が観測された場合に,比較的大きな遺伝導入量が観測される傾向が見られたことを示している。

 最後に第7章で本研究で得られた成果とその意義を考察し,残された課題として本研究では大きな損傷は実験的には観測されなかったものの,電場刺激による血管組織の損傷に関する検討の必要性等を指摘している。第8章で結論を述べている。

 従来報告されてきた血管壁への遺伝子導入に関する実験は,大型の電極を使用しその条件は実験的に検討されており,単に電極への印加電圧という観点のみから検討されており,対象とする血管の大きさの変化や,臨床的な要求から電極形状を変化させた場合にどのように治療機器を設計すれば良いかについては,必ずしも明らかではなかった。本研究は,電場シミュレーションという工学的手法と,ウサギ頚動脈をモデルとした遺伝子導入実験という実験的手法を組み合わせ,血管内壁にelectroporationによる遺伝子導入を起こすための条件を電場強度という一般的なパラメタで表現し,これにもとづいて,遺伝子導入効率を上あげる手法を提案し,その妥当性を一部ではあるが確認している。これにより今後血管内壁へのelectroporationによる遺伝子導入を用いた治療デバイスを設計するための基本的な指針を得たといえる。

 本研究は東京大学の近藤啓介,小山博之,宮田哲郎,佐久間一郎との共同研究であるが,本論文の内容は、論文提出者が主体となってシミュレーションを行い,共同研究者らが中心となって実施されたウサギ頚動脈をモデルとした実験結果を,シミュレーションの立場から解析し,遺伝子導入に必要となる電場強度条件を定量的に検討し,それに基づいてより多い遺伝子導入を得るための治療デバイスの設計指針を示したもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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