学位論文要旨



No 119589
著者(漢字) 国武,貞克
著者(英字)
著者(カナ) クニタケ,サダカツ
標題(和) 石材分析による旧石器時代の居住行動研究
標題(洋)
報告番号 119589
報告番号 甲19589
学位授与日 2004.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第442号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,宏之
 東京大学 教授 今村,啓爾
 東京大学 教授 大貫,静夫
 総合研究博物館 助教授 西秋,良宏
 明治大学 教授 安蒜,正雄
内容要旨 要旨を表示する

 小稿では、旧石器時代の居住行動を、当時の石材の運用方法の分析から明らかにすることを目的としている。検討対象資料は関東地方の後期旧石器時代資料で、主に下野・下総地域を中心としている。この地域を対象にしたのは、下総地域の場合、主な生業領域と石材産地が大変離れているため、石材の運用に居住行動に関わる属性が他とよりもよく反映されていると考えたからである。また、この地域では珪質頁岩を中心として,ほとんどの石器石材の産地が、筆者らの調査によって岩体単位で明らかになったことが、検討対象資料とした大きな原因となっている。これに、下総地域の膨大な考古学データを用いることで精度の高い分析が出来ると期待された。

 小稿で、行う分析は、北米と日本の当該研究例の批判的な継承から、石材分析による検討対象を3つの類型に区分した点が、特徴となっている。第一は大形刺突具の調達方法の検討であり、第二は石材消費戦略の検討であり、第三は石材獲得戦略の検討である。この三者の因果関係・相関関係が考慮された居住行動モデルが描かれることになる。居住行動の時期的な変遷は、各範疇の変化に動機付けられており、変化の方向性には、生態学的モデルの概念の援用により一定の歴史的な評価が与えられる。

 小稿の目的の第一は、この新しい方法論の提示であり、第二はその実践による新しい地域モデルの提示であり、第三は地域モデルの解釈から導き出されるこの時代の歴史的変遷の評価である

 検討対象時期は立川ロームIX層中部から砂川・東内野石器群までである。具体的な分析の単位となっている時期区分は、次の9単位である。IX層中部、IX層上部VII層下部、VII層上部、VI層、V層中部、V層上部、IV層下部、V層IV層下部最新段階、砂川・東内野石器群である。これに上の方法を適用して得られた結論の一部を以下に列記する。

 IX層中部では、石刃生産技術が洗練し、この時期の大形刺突具である基部加工尖頭形石刃の需要が高まる傾向か推定された。しかし、石材消費戦略が原石や石核の形で、産地から持ち込まれるために、前時期(IX層下部)と同様に生業経済に対する予測可能性は低いと評価された。

 これに対して、IX層上部VII層下部では、石刃生産地点が南関東地方の台地にみとめられなくなり、石刃サポートや大形刺突具の形で持ち込まれるようになっていた。つまり,石材消費戦略が石刃産地かその近傍で石刃をまとめて生産し、それを生業地点に持ち込む在り方が推定された。そのため、生業経済に対する予測可能性は高まっていると評価された。大形刺突具が基部加工尖頭形石刃から二側縁加工のナイフ形石器に変化した点は次のように考えた。

 基部加工尖頭形石刃もナイフ形石器も同じ大形刺突具として考え、その違いは基部加工尖頭形石刃の場合は、先細りして薄手のねじれのない石刃が必要であるが、ナイフ形石器は素材形態は余り限定されない。したがって、ナイフ形石器がこの時期から主体になるのは大形刺突具の需要によって、素材形状に束縛されない大形刺突具の調達方法が採用されたと考えた。この理由を石材消費戦略や石刃生産技術の適応論的な検討によって考察している。

 後続するVII層上部は、この傾向が一層強まっている。顕著に観察される移動領域の拡大は、IX層下部から一貫して続いていた生業領域の拡大傾向に動機付けられていると評価した。生業領域の拡大傾向は、石材消費戦略の検討から主に推定しており、他に、先に述べた大形刺突具の需要の増大からも推定している。結論を述べると、IX層下部からVII層上部までは、生業経済に対する予測可能性の高まりに特徴付けられ、上に述べた様々な現象は、検討した3つの範疇における表れと考えた。

 VII層上部以降は別の変化が観察された。石材消費戦略の検討から、VII層上部に向かって放射型の遺跡間の関係が観察されたが、同じ石材消費戦略の検討をVI層とV層中部、上部の石器群に行うと、放射型の関係が変容していく様子が推定された。つまり、石材産地から石材や大形刺突具がまとめて持ち込まれる地点とそこから放射状に展開する地点の、石材消費戦略上の格差が、縮まっていく過程がよみとれた。それはVII層上部からVI層への変化にもはっきり表れていた。一例を挙げると、検討対象地域のVII層上部では新田効果と呼称される大形石刃のリダクションが観察されるが、これは素材を厚手の剥片に変えてVI層でも行われている。VI層の厚手の剥片を素材にしたリダクションは東部関東だけではなく、幅広い地域で観察される。VI層でのこの地点は、厚手の剥片であったり石核の分割片であるため、石材が多量に持ち込まれる遺跡から原石の一部が分割片の形で持ち出された地点である。このような地点で生産された石刃は非常に小形であるが、それを素材にしてナイフ形石器が製作されている。VI層では大形石刃から生産された小石刃では決してナイフ形石器が製作されていなかった。ナイフ形石器の製作がその需要に動機付けられているとすると、その必要性が放射状に展開する地点でも生じている点から、放射状の遺跡間の格差は、生業資源の開発の精度が高まっている証拠と評価した。これは、石材獲得戦略からみて、移動領域が縮小していく過程と矛盾しない現象と考えた。

 V層では、技術的な変動を主に検討している。VI層の細身の二側縁加工のナイフ形石器から切出形のナイフ形石器へと漸移的的に変化していくという従来の評価でなく、それではV層の大形刺突具の変遷は評価できないため、構造変動論的な視点を導入している。V層中部の近年の良好な資料を考慮して、V層中部には、IX層下部、中部の石器製作技術の基本構造であった本来の二極構造が束の間回復していると評価した。それが、国府型ナイフ形石器や角錐状石器の伝播により、変質するプロセスを抽出することができた。結論を述べると、大形刺突具対小形石器という一貫して継続する石器群の二項性と、素材生産技術を中心とする石器製作技術の二項性の対応関係が、短い時間幅で著しく変化したのがV層の石器群の特徴という見通しを得た。大形刺突具の調達に焦点を絞ると、IX層下部からVI層までは、石刃モードへ技術が収斂し、IV層下部には従来から知られているように剥片モードへ技術が収斂するが、その中間のV層中部で石刃モードから束の間、本来の二項性が回復し、それから剥片モードへの収斂が始まる過程が読み取れた。

 IV層下部までは、遺跡間の関係は放射型を基本としながらも、放射状に展開する地点での生業戦略上の役割が高まる様子が、石材消費戦略の分析からよみとれた。そのような遺跡間の関係を保ちながらも、従来の指摘の通り、この時期になると南関東の台地に回帰する様子が読み取れた。

 小稿の分析で明らかとなった点は、V層IV層下部最新段階の石器群の抽出により、後期旧石器時代後半期の特徴を明確にした点である。前時期のIV層下部までは、放射型の遺跡間の関係を維持しつつ南関東の台地に回帰していたが、この時期になると石材獲得戦略が、後の石槍の石器群と同じ、量依存型に変化している点を抽出した。これにより、V層IV層下部最新段階に生業領域内に中心地が発生していることが明らかとなった。石材獲得戦略と、生業領域内での石材消費戦略の両方の観点からみて直後の砂川期や東内野石器群の基盤となる石器群と評価された。これは大形刺突具の調達の観点からも推定されている。すなわち、武蔵野地域で大規模な男女倉型の面取り石槍の製作地点は多くが,この時期に属する可能性が高いことが、ナイフ形石器や出土層位の再検討により明らかとなった。石材獲得戦略が量依存型に変化したことと,生業領域が縮小していく現象から、石材の欠乏傾向が水泳された。砂川石器群は素材生産技術が石刃技法に収斂する方向へ変化し、東内野石器群はダイレクトに石槍の石器群へと変化している。その変化のプロセスが砂川への変化のプロセスと同じであることと、その生業戦略上の意義を最適捕食理論の幾つかの概念を援用して解釈した。

 VII層上部からV層IV層下部最新段階までの変化は一連のもので、それは生業計画性の精度の高まりに動機付けられて生業領域が縮小し、回帰地点が発生し、遂に石材獲得戦略が大きく変化して、生業領域内に中心地が発生する経過を辿っている。この経緯を、小稿では、VII層上部からV層上部までとIV層下部から砂川・東内野石器群までの2つに分けて詳細に考察している。

 最後に、3つの検討範疇の通時的な画期を考察し、その意義を評価した。これを受けて、結論としてこの3つの検討範疇の画期が各時期にどのような影響関係を及ぼしあっていたか、つまり変化の自立的な要因を、生態学的な考察により評価した。終わりに、この研究から展望される将来の研究戦略を簡単に述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、後期旧石器時代の関東地方における先史人の居住行動を、主要な生活道具である石器の原材料であった石材の獲得・消費行動戦略の徹底的な分析から解明し叙述した、きわめて斬新かつ意欲的な研究である。

 日本列島における後期旧石器時代研究の主要な研究対象は、遺跡出土の石器類にほぼ限定されるため、石器に利用可能な石材の利用に関する研究は、旧石器研究の主要な方法となっている。特に資料が充実している関東地方では、周縁の山地帯に分布する主要な石材原産地・採取地と、生活空間として活発に利用された南関東の台地部の間で、石材の運用方法によって規定された居住行動が構築されていたことが、従来理論的に予測されていたが、その実際の具体像はほとんど明らかにされていなかった。申請者は、数年間にわたって、関東・南東北・中部北部等の山間地域における知悉的な岩帯調査を徹底的に行い、石器石材の産地を露頭レベルで特定し、膨大な遺跡出土の石器資料と比較するという方法によって、はじめてこれに成功している。

 第1部では、欧米および日本の先行研究の批判的検討から、乏しい実例に起因する理論モデル研究先行の問題点を指摘して、確固とした地域モデル構築のための研究の枠組みを提示し、第2部において、具体的な分析を行っている。まず、前記した岩帯調査と実資料との比較により、当時の先史人が利用した石材の主要採取地を、はじめて「石材ギャザリングゾーン」として特定することに成功し(第2部第1章)、南関東台地部を主体とする「生業領域」との間を「移動領域」と規定した。従来の研究では、「石材ギャザリングゾーン」を特定できなかったため、「移動領域」と「生業領域」を区別して論じられたことがなかったが、3者を概念的に区別したことにより、詳細な居住行動分析を可能にした。さらに、石材の利用方法を、「(主要な狩猟具と考えられる)大型刺突具の調達方法」・「石材獲得戦略」・「石材消費戦略」の3つの観点から分析を加え、立川ロームIX層中部段階(30,000年前)から砂川・東内野石器群期(18,000年前)までの居住行動の変化を分析している。IX層中部段階は、小型剥片石器の運用と大型刺突具の運用が石器群構造・遺跡構造・消費戦略等の全面にわたって厳密な二項性が形成される後期旧石器時代の確立期であるが、前者の運用が主体となったことから「生業領域」は台地部に限られていた。その後次第に後者の運用に比重が移るにつれて「生業領域」は拡大し、後期旧石器時代前半期を通じて「移動領域」の範囲に近づくように変化する(同第2章)。同後半期になると一転して、「生業領域」は縮小化の傾向を見せるが、これは地域社会の単位化が進行した結果であり、西日本系の国府型ナイフ形石器等が流入するといった異集団の社会的関係性の強化を媒介項として、技術の再編が起こる(同第3章)ことを明らかにした。

 このように、居住形態・行動分析からの視点に限定されるとはいえ、後期旧石器時代を通じて先史社会の歴史的変遷過程をモデル化した研究は本論文が初めてである。今後の日本旧石器研究に十分適用可能な新しい方法論を提起し、その実証性の高い実践を示したことは高く評価できる。「生業領域」の形成要因として想定されている「生業計画」の「予測可能性」や「精度」の向上といった生態学的評価の分析がやや不十分であること、隣接集団に関する予察がほとんど示されていないこと等、不満を感じさせる部分もなくはないが、本論文の意義を損なうほどのものではない。

 以上より、本委員会は、博士(文学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。

UTokyo Repositoryリンク