学位論文要旨



No 119595
著者(漢字) 水野,浩二
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,コウジ
標題(和) 西洋中世における訴権の訴訟上の意義 : 「訴権を軸とする文献」についての一考察
標題(洋)
報告番号 119595
報告番号 甲19595
学位授与日 2004.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第183号
研究科 法学政治学研究科
専攻 基礎法学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,眞
 東京大学 教授 西川,洋一
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 森田,修
 東京大学 助教授 新田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

一 本研究は、西洋中世の学識法学(中世ローマ法学・教会法学)が訴権の提起についていかなる思考をしていたのか、そしてその背景たる訴権の訴訟上の役割、原告・被告・裁判官の間の役割分担のあり方につき、「訴権を軸とする文献」を史料として検討したものである。

 先行研究は<中世学識法学に「訴権から権利へ」という「近代化」への転換を見出せるか否か>という問題意識に基づき、訴権の提起を「実体と手続の分離」あるいは「訴権中心の思考の維持」を読み取る材料として用いてきた。「実体と手続の分離」の下では原告は、訴訟上の請求に対する根拠付けとして実体法上の請求権を表示する必要はなく生活関連事実を表示する、裁判所は実体法上の請求権を自由に選択する。「訴権中心の思考」なら、原告は訴権の提起として訴権の名称を表示し法律問題を一の訴権に特定する、手続は当該訴権に則って行われ裁判官の判定もそれに限定されるという。先行研究は、当時の人々が自覚していたとは思えない「実体と手続の分離」や「訴権中心の思考の維持」から出発してそれに適合する史料の記載のみを取り上げるに留まり、訴権の提起をめぐる中世学識法学の議論が具体的に何を問題にしていたのかを考察して来なかった。

 本研究は先行研究のあり方を批判する立場に立ち、全く異なる方針・目標を採用した。

(1)訴権の提起についていかなる具体的なモティーフに基づき、いかなる具体的叙述を行っていたか(これを訴権の提起の「思考の型」と呼ぶ)の解明を目指す。そのための方法として、i)訴権の提起に関する史料中の叙述を偏りなく全般的に取り上げるii)訴権の提起の一般理論だけでなく、個別具体的な訴権の提起も検討するiii)検討する叙述を元のテクストから切り離さず文脈の中で解釈するために、叙述プラン(叙述全体の構造、そしてその中での個々の叙述内容の位置付け)を重視する。

(2)「思考の型」の背景の抽出を目指す。具体的には、i)訴訟において訴権概念が果たすべき役割ii)訴訟に携わるアクター間の役割分担のあり方、に着目する。その際には、「思考の型」の中に存在したいくつかの大きな「対立」がキーとなる。

 本研究は史料として「訴権を軸とする文献」を選ぶ。訴権の性質・訴権を用いて訴えを行う際に必要な知識に圧倒的に重点を置き、当時の人々の訴権に対する関心のあり方を最も直接的に反映していた文献類型であり、訴権の提起の「思考の型」、そしてその背景を考察するのには適切な史料である。

二 具体的作業としては、「訴権を軸とする文献」の「訴権一般」「物の返還を請求する訴権」の叙述に即して訴権の提起の「思考の型」を明らかにした。「思考の型」は、「提起の形態」(請求の根拠付けをどう「表示」するか)と「訴えの対象の特定」(請求の根拠付けの「サイズ」をどう特定するか)という二つの視点に整理される。先行研究は「訴権中心の思考の維持」或いは「実体と手続の分離」に縛られて「提起の形態」に関心を集中させ「訴えの対象の特定」を等閑視してきたが、「思考の型」が重視していたのは「提起の形態」よりも「訴えの対象の特定」の側面であった。

(1)「提起の形態」 中世学識法学では、Placentinus(†1192)が唱えた「提起の形態」=「causa(人的訴権においては請求を根拠づける具体的事実、物的訴権においてはdominium又はdominiumの取得原因たる事実)の表示で十分」が事実上一貫して受容された。しかし、実際の訴権の提起ではこの「提起の形態」をそのまま適用するのでは済まないことが多く、請求の根拠付けの「サイズ」をどうするか=「訴えの対象の特定」がさまざまな形で議論されることになった。

(2)「訴えの対象の特定」 「どのように」「誰が」特定を行うかを巡って争われた。

i)「どのように」特定するかについての議論は訴権レベルとdominiumの取得原因レベルに大別される。訴権レベルではほぼ13世紀までは、「被告が訴えを認諾するか争うか判断するに必要な情報の提供」というモティーフが重要な意味を持った。事件の具体的状況(causa)から導かれる複数の訴権が「相互に矛盾する関係」にあるならばその内一にまで「特定」する必要があるが、そうでないならば「特定」の必要はなくcausaがそのまま「訴えの対象」とされる。ほぼ14世紀以降においては、原告による「特定」はcausaで十分(訴権レベルまで特定する必要は必ずしもない)という見解が示される。原告の訴権の提起を規定するモティーフとして「被告への情報提供」が後退し、それ以外のモティーフ(「証明の困難さの回避」「判決の既判力による後訴への遮断効」など)を考慮する自由度が拡大され、「訴えの対象の特定」において原告が果たす役割が軽減されたのだった。どのように「特定」するかは具体的な事例によって変化し得るものと認識され、causa・事実、複数の訴権、一の訴権いずれの可能性も有り得た。dominiumの取得原因の「特定」如何が(訴権と同様に)訴訟上の効果を持つと認められたのもこの時期である。

ii)「誰が」特定するかについては、徐々に原告だけではなく被告・裁判官の職権も関与しうると考えられるようになっていった。原告の訴権の提起による「訴えの対象の特定」がそのまま「訴えの対象」として確定されることもあれば、被告・裁判官が更なる「特定」を行う場合も有り得た。その際被告や裁判官も原告と同様に種々のモティーフを考慮した。

三 以上のような訴権の提起の「思考の型」(の変動)の背景として中世学識法学はいかなる問題を念頭においていたのか。本研究では仮説として、中世学識法学が訴権概念に訴訟上いかなる役割を与えていたのか、そして訴訟を支える人的構造をどのように把握していたのか、の抽出を試みた。

(1)「思考の型」は訴権(とcausaの関係)を、訴権の提起との関連でどう捉えたのか。主流となったPlacentinusの定義(訴権とは「causaから請求を導き出すための『論拠』である」)は、必ずしも一の訴権に「訴えの対象が特定」されることを求めておらず、「提起の形態」もcausaの表示で十分とされ訴権の名称の表示は必要ない。この定義からは、訴権概念の役割について複数の側面を抽出できる。i)「抽象的訴権」…causaと請求を結ぶ「論拠」、抽象的な作用。個別具体的な訴権の機能として、ii)「訴えの対象」の単なる構成要素…原告が表示したcausa(事実)は、(そこから導かれる)複数ないし一の訴権という形で法的に把握され、(例えば)「被告に必要な情報が提供」されているか否かを判断する基準として機能する。iii)「訴えの対象の法的特定」=当該手続の外枠…原告(被告・裁判官の関与もあり得る)が、問題にしたい紛争に訴権という法的評価を与えて限界付け、訴訟手続・裁定をその枠の中で行わせる。

(2)アクター間の役割分担については、二段階の「対立」が見られた。i)原告が「被告への情報提供」のモティーフに基づき、個別的な訴権という枠に則って「訴えの対象を特定」するという考えと、原告だけではなく被告・裁判官も関与して、「被告への情報提供」だけでなく種々のモティーフに基づいて随意に「訴えの対象を特定」できるという考え、という二つの思考の「対立」、そして後者への漸進的移行が見出された。ii)このうち後者の思考においては、裁判官の職権介入の強弱について「対立」があり得る。当事者が職権の介入を期待しない(できない)状況では当事者の自律的な「訴えの対象の特定」が重要である。しかし職権が強度に介入しうる状況の下では、「特定」を裁判官に「丸投げ」するほうが当事者としては――具体的モティーフの考慮の幅が広がって――有利なので、当事者が職権の介入を自発的に望むという方向性が有り得たと思われる。

(3)上記二に述べた訴権の提起の「思考の型」は、(1)訴権概念の多様な機能のいずれをより強調するかを、(2)アクター間の役割分担のあり方が決することによって成り立っていたと解釈できる。具体的な事件では(1)も(2)もそれぞれ複数の要素が混合し、そのうちいずれをより強調するかが事例により異なることになる。このような(1)と(2)のせめぎあいの要に位置していたのが、Placentinusの訴権の定義(causaから請求を導き出すための「論拠」)であった。この定義は上述の訴権の多様な機能を包含し、事例に応じてどの側面をより重視するかを異にし得た。13世紀末以降の「思考の型」の変動は、このようにフレキシブルな創造性を持つPlacentinusの訴権概念が通説の位置を占め、それによって多様なeditio actionisの可能性が開けた、と積極的に評価できる。「近代化への過渡期」という消極的な位置付けにとどめるべきではない。「実体と手続の分離」や「訴権中心の思考の維持」という先行研究の認識枠組みは、以上述べてきた「思考の型」そしてその背景を認識することができず、中世学識法学の訴権の提起を分析する道具としては必ずしも適切ではなかった。

審査要旨 要旨を表示する

 12世紀に成立した中世法学(いわゆる学識法学)は、ローマ法源と教会法源の多くの箇所に散在していた訴訟にかかわる規定から、徐々に訴訟法という独自の法領域を形成していった。それは、訴訟の構造や手続に関する独立の文献類型(いわゆる訴訟法書)の登場に具象的な形で現われる。

 A4版243ページから成る本論文は、中世法学が、「訴権の提起」(editio actionis)、すなわち古典期ローマ法に定められている、原告が訴求しようとする訴権(actio)を明示的に示す行為、に関していかなる思考をしていたのか、その背景としていかなる問題を念頭に置いていたのかを検討したものである。これは純然たる技術的問題のようにも見えるが、「訴権の提起」が、ローマ法の訴訟法が訴権を中心に構成されていたことの端的な表現であったとすれば、中世学識法学にもとづく訴訟において「訴権の提起」が有していた意味の解明は、中世法学が民事訴訟法をどのように発展させていったかを明らかにするための一つの手掛かりとなるのである。

 実際に、中世学識法的訴訟における「訴権の提起」について、制度の概説的紹介を超えて論じた先行研究の多くは、これを訴権の訴訟上の意義についての重大な変化、すなわち「実体法と手続法の分離」という問題と関連づけてきた。すなわち、先行研究の多くは、13世紀の経過の中で、訴えの提起の際の訴権の特定は厳密には要求されなくなり、請求の根拠付けたるカウサ(causa)が示されれば十分とされるに至ったと考え、これが実体法と訴訟法の分離のプロセスの端緒となったとしている。しかしこれに対して、13・14世紀には依然として「訴権中心の思考」が維持されていたことを主張する反対説も近年強力に主張されている。

 このような研究状況について、本論文の著者は、従来のいずれの学説も「実体法と手続法の分離」という近代的な原理の成立過程の探求もしくはそれに対する批判という問題設定にとらわれており、そのような問題設定に沿った形で、中世の法学者の手になる著作から、文献類型には余り頓着することなく一般的な論述を探し、それをテキストの全体から切り離して検討する傾向があったことを指摘する。これに対して著者は、学識法学の法源や文献から「訴訟に関する記載を集めて整理した独立の著作」である「訴訟法書」のうち、「訴権の性質、そして訴権を用いて訴えを行なう際に必要な知識に圧倒的に重点を置いた著作群」として定義された「actioを軸とする文献」の中で、<訴権一般>に関する叙述と<物の返還を請求する訴権>に関する叙述に検討の対象を限定した上で、「訴権の提起」の問題が具体的にいかなる枠組の中で扱われ、それぞれの著作が、「訴権の提起」の仕方についていかなる考慮を払っているのかを分析しようとする。訴訟法書の類型別に、時系列に即し、比較的細かく分けられた論点ごとに内容が紹介・分析されるため、叙述に繰り返しや分断が生ずるが、著者は各章、各編の末尾に丁寧なまとめを置くことによって、読者の理解を助けることに努めている。以下内容を要約する。

 第一編においては、中世法学における「訴権の提起」の扱いに関する近・現代の学説史が紹介され、それが「実体(法)と手続(法)の分離」あるいは「訴権中心の思考の維持」という「思考枠組」に規定され、その結果、実際の訴訟法書中で論じられているにもかかわらず、それぞれの研究者の「思考枠組」には収まらない論点に注意が払われなかったことが指摘される。

 第二編においては、「actioを軸とする文献」の類型ごとに、<訴権一般>に関する叙述で扱われている論点が確認された後、そのうちで「訴権の提起」に密接にかかわる論点として、「訴権とカウサは同一か否か」と、「訴状の記載事項」とに関する記述が詳しく分析される。

 まず、「訴権とカウサは同一か否か」という論点に関しては、12世紀後半の法学者プラケンティーヌスの叙述が重要な意味を持った。プラケンティーヌスは、「訴権はいかなる請求あるいは主張でもなく、請求や根拠づけるべき主張の土台とされているratioということになろう」と述べ、訴権の提起の形態としてはカウサを表示すればよいとした。12世紀末から13世紀前半にかけての法学者、ヨハンネス・バッシアーヌス、アックルシウス、アーゾは、プラケンティーヌス説を、訴権はカウサと同一であるからカウサの表示で十分であるという趣旨と解し(このようなプラケンティーヌスの解釈を、著者は「いわゆるプラケンティーヌス説」と呼ぶ)たうえでそれを批判し、訴権はカウサとは別のもので、それゆえ「訴権の提起」の際にカウサもしくは事実の挙示だけでは不十分であるとした。これに対しベートマン=ホルベーク等、何人かの近代の学者は、プラケンティーヌスは訴権をカウサから請求を帰結することを正当化する「論拠」、抽象的な作用としてとらえているのであって、それゆえ訴権とカウサとは同一とは考えてはいない、と解したが、著者もこの解釈に従い、それを「真のプラケンティーヌス説」と呼ぶ。

 そして13世紀後半以後の中世法学者(とりわけオルレアン学派以降)の学説は、訴権とカウサを別物としつつ(すなわちその限りで「真のプラケンティーヌス説」によりつつ)も、「被告が認諾するか争うか判断するのに必要な情報を提供する」という、より実際的なモティーフから、訴えの提起にはカウサの表示だけで十分であると判断し、その観点からは不都合なケース、すなわち一つのカウサから複数の訴権が導かれる可能性のある場合について、一を選択することで他が排除される場合は訴権の名称の表示が必要であるが、そのような関係に立たない場合はカウサの表示で十分と考える方向に向かった。著者はこれを、「真のプラケンティーヌス説」への回帰として評価する。

 「訴状の記載事項」という論点においても、13世紀の法学者は、カウサの表示で十分とするプラケンティーヌスの説を訴権とカウサは同一か否かという問題との関連で考察する議論の仕方は踏襲しつつも、そこから生ずる問題点(とくに一つのカウサから複数の訴権が導かれる場合)を、被告に当該訴えの対象について必要な情報が与えられればよいという観点から解決する方向を示していた。さらに進んで、カウサの更なる特定、たとえば所有権にもとづく返還請求にさいしてのdominiumの取得原因の特定の有無が、既判力の広狭に影響することと、そのことにもとづく両当事者の利害状況をも明瞭に認識していた。

 その後の14世紀の文献においては、原告はカウサを特定しないでごく大まかに事実を表示してもよく、そのような場合被告は原告に対して訴えの対象の特定を求めることができるとされるのみならず、原告が、訴状の末尾に「以上述べたことについて、私は法と正義がなされることを請求する」という定型的文言を付加したときには、訴状における訴権の特定が不適切な場合も、裁判官は、当事者による事実の申述にもとづいて職権で適切な訴権を選択して審理を進めることができるとされるようになった。このようにして、14世紀には「被告への必要な情報の提供」というモティーフは原告側においては後退するが、かわって被告や裁判官が訴えの対象の特定に重要な役割を果たすようになるわけである。

 次に、第三編においては、著者は物の返還を請求する訴権としてrei vendicatio(所有物返還請求訴権)とactio Publiciana(プーブリキウス訴権)を行使する際の、訴権の提起の仕方及び訴状の書き方に関する「actioを軸とする文献」の叙述を検討する。

 13世紀前半までは、概してdominiumへの関心は低く、<人―dominium―訴権>の三者の一対一対応関係(すなわちdominium directumを持つ者はrei vendicatio directaを、dominium utileを持つ者はrei vendicatio utilisを、quasi dominiumを持つ者はactio Publicianaを行使する)は、ようやく13世紀後半、オルレアン学派によって確立された。そうだとすれば、それ以後は各々の者が自分の物の返還を請求する際にいかなるdominiumにもとづきいかなる訴権を用いるかが明確になったはずであるが、興味深いことに、実際には物の返還を請求する訴権に関するもろもろの訴訟法書の「訴権の提起」に関する叙述は、きわめて複雑な発展を示した。

 すなわち、一面では、被告が訴えを認諾するか争うか判断するに必要な限りでdominiumの種類に適合した訴権を提起することの要請を原則的に維持する考え方も残るが、dominiumの種類を特定せずに一般的に訴えた場合は、被告が特定を要求しない限り原告は請求の基礎付けとして総ての権利を持ち出したとみなされ、それに対応して判決の遮断効も広がる、とする見解が出される。さらに、それぞれのdominiumの類型に一対一で対応する個別の取り戻し訴権を一括して一般的に訴える、いわゆる「vel quasi訴状」の比重が著しく高まる(その結果として個別の訴権の枠の意味が低下する)。

 また、争点決定後に原告のdominiumや被告の占有に変動が生じ、その結果形式的にはrei vendicatioの要件が満たされなくなった場合にも、原告の主張が認容される範囲が拡大される傾向があるが、その背後には、原告のdominiumの証明の困難さの回避や被告のシカーネによる訴訟妨害阻止というようなモティーフが存在していたこと、原告の前主の地位の証明の困難さに対処するために、本来dominiumを持っている者は使えないはずのactio Publicianaを、いわば訴訟戦術的に行使することの奨励などの現象が指摘される。

 最後に著者は、第4編で、これまでの論述を総括したうえで、多様なモティーフにもとづく訴えの対象の特定の仕方を容れる「フレキシブルな創造性を持つものとして『真のプラケンティーヌス説』の訴権概念が作り出された」ものと結論づける。以上の著者の詳細な論述から浮かび上がるのは、原告が、時に相互に矛盾する多様なモティーフを考慮に入れて、自らに有利なように多様な形で訴えの対象を特定することが認められ、またその際には、必要があれば被告や裁判官もそのプロセスに働きかける余地が開かれていたということである。ここに見られるのは、きわめて動的な民事訴訟手続の像である。

 次に本論文の評価を述べる。

 第一に、本論文は、訴訟法書を、その具体的な内容に細かく立ち入って検討の対象としたわが国最初の研究であり、さらに欧米にもほとんど類例のないものである。註釈やいわゆるスンマ(Summa)文献に比較して派生的性格の強い文献類型に属する訴訟法書は、まさにそのような性格のゆえに、史料論(Quellenkunde)的な研究の対象とされてはきたものの、その法的内容の詳しい分析はほとんど行なわれてこなかった。本論文は、限定された論点についてではあるが、数多くの訴訟法書の内容を詳細に分析し、その変化を追跡することにより、訴訟法書という文献類型の性格と意義を理解するための重要な材料を提供した貴重な労作である。

 第二に、「実体法と手続法の分離」か、あるいは「訴権的思考の存続」かという近代法の「先祖捜し」から出発せずに、「訴権の提起」に関する叙述が、訴訟法書の中でいかなる叙述の枠組の中に置かれており、いかなる具体的な論点を扱っていたかの検討を通じて当時の法学者の思考法を再構成するという問題設定によって、中世法学が、訴訟当事者の直面する多様な状況に対するプラクティカルな考慮に応えるかたちで訴訟手続を構築しようとしていたことが明快に浮かび上がった。これは、従来の研究では十分に理解されていなかったところであり、本論文の独創的な成果である。特に、14世紀以降、学説が、訴えの対象の特定につき、当事者の様々な考慮を容れる余地と裁判官の職権的な介入とを拡大する方向に進んでいったという結論は、重要な新しい知見である。訴えの対象の特定の強制を緩和する個々の実務的取扱は、これまでヨーロッパの学界では知られていなかったわけではないが、本論文におけるように厳格な時間軸の上で、また相互に関連づけて論じられたのははじめてであり、その成果は中世学識法学の訴訟法の特徴に関する伝統的な見解を見直す契機ともなる。

 第三に、実定法の見地から見ても、訴権論や実体法と訴訟法の二分論は、実定民事訴訟法のあらゆる概念に関して現われると言っても良い問題であるが、近代的な問題設定を過去に投影したことによって抜け落ちてしまった問題が訴訟法書の分析によって発掘されたと評価できる。特に、訴えの対象の特定にかかわる分析を通じて、学識法学における議論が、あえて近代的表現を用いれば、訴訟における攻撃防御対象や既判力の客観的範囲の明確化、あるいは訴訟手続中の当事者および裁判官の役割分担などを意識して展開されたことを明らかにした点で、これらの概念の歴史的意義を実定法学に対して提示するという意義も見いだすことができる。

 しかし本論文にも短所がないわけではない。

 第一に、中世の法学者にとっても、著者にとっても、出発点となっているプラケンティーヌスの学説の理解について、「いわゆるプラケンティーヌス説」と「真のプラケンティース説」を対立させ、そこに重要なディコトミーを見出しているのには疑問の余地があろう。著者も認めているように、元来プラケンティーヌスの論述自体に曖昧なところがあり、著者の解釈も必ずしも必然的なものではないように思える。むしろ本論文における著者の問題関心から言っても、複数の解釈を容れるプラケンティーヌスのテキストを後の学者がどのように読み込んでいったかを問題とすれば良いはずで、「真のプラケンティーヌス説」の確定に拘泥する必要はないのではないか。実際に、結論における著者の叙述は、「真のプラケンティーヌス説」なるものが、実は訴訟の各アクターの関係に関する学説の発展の中で創り出されたものである可能性を示唆している。

 第二に、著者は「訴権の提起」に関する中世法学の叙述が、実際に訴訟を遂行する際に問題となる多様なプラクティカルな観点を考慮に入れたものであったことを強調するが、しからばその結論が、本論文の出発点となった「実体法と手続法の分離」の問題軸そのものの相対化にとっていかなる意味を持つのかが必ずしも明らかではない。この問題設定が余りに「近代的」なひとつの型にとらわれたものであったにせよ、著者の立場から従来の議論について何が言えるのかを言及しておけば、両者がレベルを異にする議論であるとも言えるだけに一層、読者に対してより親切であったと言えよう。

 しかしこれらの短所も、本論文の価値を著しく損なうものではない。本論文は、中世ヨーロッパの訴訟法学の発展の重要な一側面を明らかにしたのみならず、訴訟法書という史料の解明にとっても貴重な素材を提供した研究であると言える。

 以上から、本論文は、その著者が自立した研究者としての高度の研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する、特に優秀な論文であり、博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものと判定する。

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